第十話 暗躍する影
馬車二台を使って進み、約二時間――
咲弥達は今現在、街道外れにある山の中にいた。
オリヴィアが腰に両手を置き、周辺を眺めながらに喋る。
「確か場所は、この辺りだったか?」
「情報では、そうみたいだな」
オリヴィアの御付きの一人、金髪のベティナルが答えた。
襲われた形跡のありそうな場所を、咲弥も視線で探る。
街道とは異なるが、ここにも道らしき道はある。昔はこの古道が盛んに使われていた様子なのだが、今となってはもう完全に荒れ果てていた。
そのため、途中からは徒歩に切り替えている。
実際に訪れてみれば、やや腑に落ちない点が浮く。
地図を見た限りでは、この古道を通る必要性は特にない。
確かに、近道にはなる。だが咲弥達が途中まで使っていた街道を進めば、それで何も問題はないはずだった。
何か理由があったのか――ふと妙な気配を感じ取る。
(ん……なんだか……)
「咲弥様」
紅羽も何か察知したらしい。
咲弥は、紅羽を振り返った。
「あ、やっぱり……?」
「はい」
紅羽が言うのなら、間違いはないのだろう。
咲弥は右手付近に、空色の紋様を描いた。
「おいで、黒白」
紋様が砕け、両腕に黒白の籠手が装着した状態で現れる。
それに感嘆の声を上げたのは、青髪のリックスだった。
「おお……! マジもんの宝具っすよ!」
「気をつけてください。周囲に複数体、何かがいます」
咲弥の忠告に、オリヴィア達の顔に緊張が宿った。
鬱蒼とした山側の森から、草をかき分ける音が響き渡る。
咲弥が籠手を解放すると同時に、紅羽が弓を構えた。
オリヴィア達もまた、戦闘態勢に入る。
やや慌てながら、オリヴィアが腰から細剣を抜いた。
拳鍔を嵌めたリックスは、どうやら拳闘士らしい。そしてベティナルが湾刀を手に移動していく。男達二人は即座に、オリヴィアを護る陣形を整えていた。
そんな三人をさらに護るかたちで、咲弥と紅羽が挟む。
草むらをかき分け、複数の黒い影が道に飛び出てくる。
「なんだ、こいつら……石?」
石の肌に、ところどころ赤い毛が生えた大型犬――険しい鬼っぽい顔立ちに加え、ずんぐりむっくりとした体形から、どこか狛犬を連想する。
鈍重そうに見えて、なかなか素早そうであった。
「岩石獣デボラ……?」
咲弥の耳に、リックスの呟きが届く。
途端にデボラが地団駄を踏み、鳴き声を上げた。
「アウォオオオーン」
呼応するかのように、あちこちから泣き声が飛び交った。
まず紅羽が、光の矢を放つ。
途中で枝分かれした光の矢が、複数体のデボラを射抜く。
想像したよりは、そこまでの強度はない様子であった。
咲弥は分析しながら、向かいくるデボラを迎え撃つ。
黒爪を横に揃え、手刀で首を狙った。
(ごめんね)
咲弥は心の中で弔い、デボラの首を刎ねる。
肌は石に近い硬さだが、体内まで石というわけではない。
黒爪であれば、充分に対処が可能な強度であった。
咲弥は森側を警戒したまま、前方のデボラを警戒する。
咲弥の背後は、紅羽が対処してくれるだろう。
だから安心して、前方に集中できる。
デボラが並び走ってきた。咲弥は、この好機を逃さない。
黒手を大きく、真横に伸ばした。
「黒爪空裂き」
オドを込めた黒爪を薙ぎ、虚空を強烈に断裂する。
その衝撃が飛ぶ斬撃へと変わり、デボラを一気に討った。
視界に生きたデボラはいない。気配もまた、なかった。
咲弥は即座に、周囲に視線を滑らせる。
「ははは……さっすが」
紅羽側のデボラは、もうすべて息絶えていた。
咲弥側よりも、明らかに数が多い。
そして山側の森にある気配が、どんどんと遠退いていく。
危険だと判断して、どうやら逃げている様子だった。
「ふぅ……」
咲弥は、つい安堵のため息が漏れる。
見た目はともあれ、そこまで危険な魔物ではなかった。
「ふん。なかなかやるな。だが、うちの船員も劣ってない」
細剣を収めながら、オリヴィアが言った。
リックスとベティナルが、ひどく渋い表情を見せる。
「いや、国際大会の優勝者達っすよ」
「俺ら二人とは、明らかに次元が違う」
「情けないこと言うな!」
オリヴィアの叱咤に、男二人は同時に肩を竦めた。
そんな中、紅羽がすたすたと歩み寄ってくる。
「咲弥様。ご無事ですか?」
「あ、うん。それは問題ないんだけど……」
一段落つき、やはり何かがおかしいと感じる。
こうした魔物が現れるのは、別に不思議な話ではない。
だからこそ、感知力の鋭い迅馬が大事にされているのだ。
(逆に、どうやったら魔物に襲われるんだ?)
咲弥は、そこが引っかかった。
「あのさ……」
不意に、ベティナルが声をかけてきた。
咲弥は首を捻って応える。
「あ、はい?」
「少し思ったんだが、もしかしてデボラを知らないのか?」
「え? ええ。どういった魔物なんですか?」
「魔物というか――こいつらは本来、ただの番犬なんだ」
咲弥はつい、眉をひそめる。
ベティナルが簡潔に説明した。
「迅馬と同じ人懐っこい生き物で、主の命令には逆らわない忠実な番犬さ」
「こんな数、俺は初めて見たっすけど」
リックスは言いながら、青髪に指を通した。
咲弥はやっと、不可解な謎が解けた気がする。
「じゃあ、荷馬車を襲ったのは……」
「人――盗賊ということになります」
咲弥の途切れた言葉を、紅羽が補足した。
迅馬の危険感知も、完璧ではない。魔物という危険生物は察知しても、悪意を持った人や弱い生物には利かないのだ。
ベティナルが腕を組み、ため息をついた。
「おそらくデボラに襲わせて、積荷を奪ったんだろうな」
「もしかしたら、この付近に賊のアジトがあるかもっすね」
「昨日の今日のことだ。まだちゃんとあればいいが……」
不安げな男達の背後に、姿勢を崩したオリヴィアが立つ。
「ならば、急ぐぞ」
勇ましい声音で、オリヴィアがそう促した。
咲弥は心の内側で、こっそりと重いため息をつく。
魔物だけではなく、人も相手にしなければならない。
また別の意味で、厄介な展開だと思える。
戦々恐々としている咲弥に、紅羽が問いかけてきた。
「デボラが逃げた方角を、まずは当たってみますか?」
「そうだね。それで間違いはなさそうかな」
「よし。行こう」
ベティナルの言葉に頷き、咲弥達は森へ足を踏み入れた。
古道とは違い、自然に溢れた森の中はひどく視界が悪い。
何が潜んでいても、おかしくはない雰囲気がある。
あちこちに気を張り巡らせ、索敵しながら進むほかない。
幸いこちらには、察知能力の高い紅羽がいる。
そこにだけは、ほっと安堵できた。
「皆さん。離れないよう、気をつけてください」
「了解っす!」
リックスが二本の指を立て、額からすっと離した。
気さくな人だと思いながら、咲弥は微笑をもって応える。
道とは呼べない場所を、咲弥達はひたすら進み続けた。
足場は悪く、傾斜もかなりある。かなり歩きづらい。
次第にオリヴィア達の表情が、険しいものになってくる。
船乗り達に山は、確かに厳しい環境に違いない。
不意に、紅羽が声を発した。
「咲弥様。前方に、複数の気配があります」
咲弥に緊張が走る。オリヴィア達の顔も硬い。
そのまま、慎重に音を殺して前を行く。
少しして、妙な景色が広がった。それぞれ、木陰に潜む。
斜めに傾いた地に、まるで突き刺さったかのように木造の建物があった。どこか砦みたいな雰囲気を醸している。
大階段の先に、男が二人――抜いた剣を手にしていた。
(デボラから、もうこちらの存在はバレてるっぽいな)
ただ、あまり察知能力は高くなさそうであった。
まだ先にあるとはいえ、位置までは気づかれていない。
(まあ、でも……紅羽やネイさんが、特殊なだけか……)
内心で苦笑してから、咲弥は紅羽に顔を向けた。
「あの二人以外に、まだ気配はありそう?」
「建物の周辺にはありません。ですが、中にならあります。おそらくは、数名――四、五名程度だと思われます」
紅羽の言葉を聞き、咲弥は砦のほうを改めて観察する。
砦の周囲には、木の杭で造られた防壁が多数あった。
これは魔物、または襲撃者対策だと思われる。複数の罠が仕掛けられている可能性はあるが、中から攻撃ができそうな場所はどこにも見当たらない。
門番の様子を見る限り、誰かが来ると警戒はされている。
だから強行突破は、あまりいい方法だとは思えなかった。
正直この場合での対処が、咲弥には上手く思い描けない。
ネイがいれば、きっと――咲弥は、はっとなる。
彼女の立場になり、言いそうな策を考えてみた。
(きっと……ネイさんなら……)
咲弥は再び、紅羽を向いた。
「僕が囮になっている間に、あの二人を無力化できる?」
「はい。可能です」
紅羽の紅い瞳を見つめながら、咲弥は小刻みに頷いた。
「じゃあ、北側から二人の注意を引くから、紅羽は南側から攻めてくれる?」
「了解しました」
「皆さんは、ここで待っててください」
オリヴィア達が、鷹揚に首を縦に振った。
咲弥と紅羽は、お互いに顔を見合わせてから行動に移る。
素早く北側に移動を終え、咲弥は少し様子をうかがった。
おそらくは、待つ必要などどこにもない。紅羽であれば、咲弥よりも早く位置に着き、待機をしているだろう。だが、万全は期しておきたい。
(まずは、門番二人の注意を引きつける)
そこであちら側も、必ず動かざるを得ない状況になる。
咲弥は、喉が焼けつくような緊張感を覚えた。
自分で考えた作戦だが、上手くいく保障などない。
それでも――
「よしっ」
咲弥はわざと音を立てながら、草むらから飛び出る。
黒白を解放すると同時に、門番二人の顔が振り向いた。
大階段を駆け下り、男二人が咲弥を向いて剣を構える。
「へっ! まさか一人で攻めてくるたぁな! ばかが!」
「デボラの様子が、おかしいと思っ――ぐはっ」
それはまさに、あっという間の出来事であった。
男二人の背後に凄まじい速さで迫った紅羽が、喋っていた男の首に蹴りを放つ。もう片方の男の顔が驚愕に染まるや、紅羽の足裏が頬にめり込んだ。
頬を蹴られた男が吹き飛び、砦の大階段へと激突する。
すると重い足音とともに、砦の扉が強く開いた。
同時に、紅羽の右手付近に純白の紋様が描かれる。
「光の紋章第四節、白熱の波動」
紅羽の右手から、砦の大扉に向かって閃光が放たれた。
純白の光芒が飛び出てきた男達を呑み込み、轟音を立てて激しい爆風をまき散らす。焦げた大扉が弾け、大階段を転げ回っている。
咲弥はただただ、そんな光景を漠然と眺めていた。
むしろ、それ以外に何もしようがない。
(……えぇえ……)
明らかに、想定していた出来事ではない。
もっと隠密的な展開を、ぼんやりと想像していたのだ。
これでは、強行突破とさほど変わりない気がする。
しんと静まりかえる中、紅羽が軽快に歩み寄ってくる。
「無事、無力化いたしました」
「ああ……えっと……」
咲弥はふと、大扉があったほうへ目を向けた。
どうやら、男達は完全に気絶しているらしい。
少ししてから、前に立つ紅羽へ視線を戻した。
「……ちょっと、強引じゃ……ない?」
「そうですか?」
紅羽は真顔だが、どこかきょとんとした雰囲気を醸した。
小首を傾げ、紅い瞳をまっすぐに向けてくる。
「いっそ、まとめて始末したほうが早いかと思われます」
「ああ……うん……そうだね。うん。間違いないよ」
咲弥はなかば諦めながら、紅羽に同意を示しておいた。
思い返せば、彼女は前々からそうだった気がする。清楚で神々しい見た目にそぐわず、横紙破りのところがあるのだ。それを、つい失念していたのは否めない。
「いやぁ……凄いっす。ほぼ一撃っすね」
やや唖然とした顔で、歩み寄りながらリックスが言った。
オリヴィアとベティナルは沈黙したまま、歩きながら砦のほうを見ている。
咲弥は苦笑で応えてから、ふと気づく。
三人が両手に、太めのツタを丸めて持っていた。
「そのツタ……どうしたんですか?」
「ん? 君達が頑張ってくれている間に、傍にあった樹から採ってきたんだ。ツタで縛るだけじゃ安心はできないが……まあ、ないよりはマシだろ?」
ベティナルの説明中、リックスが賊の男を身体検査した。
かなり念入りに調べており、口の中まで探っている。
おそらく、隠した刃物がないか見ているようだ。
ただオドを乱す拘束具ではないため、本当に気休め程度の処置には違いない。ただ、そのままにしておくよりはいい。咲弥は素直に、ありがたい気持ちが湧く。
機転を利かしてくれた三人に、咲弥はお礼を告げる。
「ありがとうございます」
「これぐらい、なぁんも、問題ないっす!」
リックスが採取したツタで、男を縛りつけながら言った。
見た感じからも、かなり手際がいい。おそらくは、荷物が崩れないための結び方だと思える。誰かが切るか、紋章術で抜け出さない限り、ほどくのは困難だろう。
オリヴィアが、縛った男の前でしゃがみ込んだ。
咲弥は茫然と眺める。そして、はっとさせられた。
それはもはや、顔面拘束具ともいえる。
確かにこの猿轡であれば、紋章術は使えそうにない。
(そうか……だから、口の中まで調べてたのか)
口の中に刃物、または噛み切られないか調べていたのだ。
この世界を訪れ、もう結構長くなる。
だがこんな方法で縛るなど、咲弥は初めて目にした。
かなり久々に、生きてきた世界が違うのだと実感する。
「さて、目的の品を回収しようか」
立ち上がったオリヴィアが、ぱんぱんと手払いした。
咲弥は気を取り直して、冷静に告げる。
「待ってください。まだ砦の中に賊がいるか、もしくは罠があるかもしれません」
「それはそうだ。充分に警戒しておいてくれ」
「え? あ、はい」
まずは紅羽と二人で――そう思ったのだが、オリヴィアの言葉に、咲弥はつい同意を示してしまった。とはいえ、何が起こるかわからない。
それならば、まだ傍にいてくれたほうが安心感は持てる。
「それでは、後ろにいてくださいね」
「了解っす!」
爽やかに青髪をかき上げながら、リックスが応えた。
ベティナルが腕を組み、オリヴィアへと視線を投げる。
「船長は、俺らの前だぞ」
「わかっている! いちいちうるさい奴だ」
少し憤慨気味で、オリヴィアは頬を膨らませる。
ベティナルはばつが悪そうに、やれやれと肩を竦めた。
まず咲弥と紅羽を先頭に、砦の大階段を上がる。
その道中――
階段にめり込んだ男も、最初の男と同様に縛られた。
大扉のあった付近で倒れている男達もまた、一気にツタで雁字搦めにされる。
船乗りだからか、本当に縄の扱いにたけていた。
真似をしろと言われても、正直できそうにはない。
ネイやゼイドとは、また違った心強さを感じる。
咲弥はそんな三人を見てから、砦の中へと視線を移した。
想像以上に、広い空間が広がっている。
ふと、何か妙な違和感を覚えた。
「紅羽、何か変な感じがしない?」
「いいえ。特には――罠らしきものも見当たりません」
確かに、そういった雰囲気はない。
なぜ違和感があるのか、その正体が掴めそうになかった。
また咲弥と紅羽を先頭に、砦の内部へと足を進める。
だだっ広い空間には、生活品から何からと揃っていた。
少しきついくらい、木の香りが充満している。
どうやら建てられてから、まだ間もないらしい。
どこから調べればいいのか――
そのとき、咲弥の視線が一か所に留まった。