第九話 港町ヴィチット
ガルス族ジークの別邸から、馬車で四時間程度――
咲弥達は目的の港町、ヴィチットへと辿り着いていた。
借りた迅馬を厩舎に預け、今現在は船着き場に来ている。
ここは陸から海の上にまで、人の活動領域が伸びていた。聞いた話によれば、海に生える特殊な樹木で土台が造られ、そこに通路や建物などが建設されている。
そのため船着き場もまた、海の上に設置されていたのだ。
「おしいねぇ……昨日なら、夜の便もあったんだが……」
大柄な船乗りの男が、残念そうに肩を竦めた。
ネイの顔は渋い。そして、唸るようにうめいた。
「えぇえ……じゃあ、次はいつになるわけ?」
「そうだねぇ……北にあるパンレン行きなら……」
船乗りの男が、大きく指を差した。
そこには、大型の立派な船が停泊している。
ここにある船はどれもこれも、やや特殊な形をしていた。
木造や鉄製の船と種類はさまざまなのだが、そのすべてに謎の歯車みたいな物が取りつけられている。それはまるで、機械仕掛けを彷彿とさせる外装であった。
「たぶんだけど、あそこの船が明日の早朝に出ると聞いた。人を乗せてくれるかはわからないが、そこは船長か副船長と交渉してみればいいよ」
「はぁあ……明日かぁ……」
呟くネイの隣にいるゼイドが、船員に問いかけた。
「パンレンまでは、だいたいどれぐらいかかるんだ?」
「大抵は一つの島を経由するから、明後日の夜くらいだ」
「だいたい……二日、くらい……ですね……」
咲弥は苦い思いを抱え、自然と声が漏れた。
王都を発ってから、今はもう四日目の昼頃となる。
間に合うのかどうか、咲弥の胸に際限なく不安が募った。
ネイが腕を組み、ため息まじりに述べる。
「かなりぎりぎりになるわ。港町パンレンまでで六日目の夜――七日目の朝に迅馬で移動になるから、最寄りの飛行船のある町には、十日目の夕方頃に到着。かな」
「そこから飛行船を乗り継ぎするから、だいたい三日ぐらいかかるんだよな?」
「ええ。十日目の夜に飛行船に乗れれば、余りは一日ね――無理なら次の日に飛行船で、指定の二週間目って感じかな。アクシデントが何もなければ、だけどね?」
ゼイドに伝えたあと、ネイが片目を細めて睨んできた。
咲弥はなんとも言えず、苦笑で誤魔化しておく。
最悪の場合、指定の二週間目に到着となる計算だった。
(絶対、アイーシャさんに何か言われそうだなぁ……)
本来は、今日か明日に帝国へと到着している予定だった。
ロイに頼んだ返信から、アイーシャもそう判断していると思われる。それがまさか、二週間目に到着するなど、確実に怒鳴られるに違いない。
それはそれで、重い気分にさせる展開ではある。
ただ最初の事故に関しては、個人が防げるものではない。
ロイに返信を頼みはしたが、咲弥は念のため、そのときにアイーシャの通信機IDを手に入れている。だからこちらの事情は、事故のあった日に伝えていた。
しかしアイーシャからの返答は、いまだにいっさいない。
メッセージを見て、おそらく自己完結しているのだろう。
今さらどうしようもないが、咲弥はだめもとで訊いた。
「ほかに、早く行ける方法は――」
「ない。これが、最短」
咲弥の言葉を遮り、ネイは断言した。
渋い顔を作って見せ、咲弥は無言の了承を示す。
ゼイドが腕を組み、諦め半分といった声を紡いだ。
「まあ、慌てたところでどうしようもないさ。今日一日は、ここでゆっくりだな」
「……そうですね」
咲弥は小刻みに頷き、ゼイドに同意する。
船乗りの男が、気さくに笑った。
「方針は決まったみたいだね。じゃあ、俺は仕事に戻るよ」
「親切に教えてくださって、ありがとうございました」
咲弥がお礼を告げると、満足そうに男はどこかへと去る。
ネイが途端に、思いだしたような声を上げた。
「あっ! 港町なら、何かいいお酒あるかも!」
ネイが陽気に、数歩先へ進んでから振り返った。
「ちょっと行ってくらぁ! 宿の手配、よろしく! 当然、風呂付きだぜ!」
ゼイドが慌てて、右手を前に伸ばした。
「いやっ……おい!」
「あと、船の手配も頼んだ! ほな!」
ネイはゼイドの制止を振り切り、軽快な足取りで進んだ。
ゼイドが深いため息をつく。
「やれやれ。うちのお姫様はずいぶんと気楽だな」
「ははは……そうですね」
「でも、せっかくの別大陸だ。息抜きには丁度いいか」
言いながらに、ゼイドがひょいっと大荷物を二つ担いだ。
「え?」
「宿の手配は俺がしておく。咲弥は船の手配のほうを頼む。それが済んだあとは、どこかのんびり散歩でもしていいぞ」
「いや、僕も一緒に手伝いますよ」
「宿の手配ぐらい、なんでもないさ」
負い目を感じるが、ゼイドの好意を無駄にはしたくない。
咲弥は少し悩んでから、首をゆっくりと縦に振る。
「すみません。よろしくお願いします」
「おう。宿が決まったら、通信機に場所を入れておくぜ」
「ありがとうございます」
咲弥が礼を告げるや、ゼイドが颯爽と歩いた。
ゼイドは振り向かないまま、背後に手を振る。
「あんま危ないことには、首を突っ込まないようにな」
おそらくは、お節介に関して言っているに違いない。
ゼイドの忠告に、咲弥はつい苦笑が漏れた。
「はい……」
ゼイドの背後に、咲弥は了承の言葉を投げる。
それから、銀髪の少女へ視線を移した。
木の柵に手をあずけ、じっと遠くのほうを見つめている。
ここは海の上だからなのか、時折強い風が吹く。
陽光を受けて輝く銀髪が、ふわりと広がった。
どこか神秘的な美しさに、咲弥は茫然と見惚れる。
視線に気づいたらしく、紅羽の綺麗に整った顔が向いた。
「咲弥様。もう移動されますか?」
はっと我に返り、咲弥はまず照れ笑いで応えた。
紅羽の隣に並び、彼女と同様に柵の上に手を乗せる。
「そうだね……でも、ちょっとのんびりしてから行こうか」
波の音が響く港町の風景を、ぼんやりと眺めた。
「海の上に建物があるのは、とても不思議な感じがします」
「こんなの、僕も初めて見たよ」
「世界には、まだ私の知らないことで溢れています」
「うん。僕もそうだ」
顔だけ振り返ったのがわかり、咲弥も紅羽を向いた。
印象的な紅い瞳を見ていると、途端に紅羽が微笑む。
「これからも世界中を、一緒に見て回ってくれますか?」
咲弥が閉口したのには、それこそいろいろな理由がある。ただ一番の原因をあげれば、紅羽の純粋なまでの微笑みに、つい目を奪われたからであった。
それはなかば、無意識での発言だったのかもしれない。
「あ……う、うん。もちろん。一緒に、世界中を回ろう」
紅羽は一度目を閉じてから、また前を向き直った。
だめだと頭で理解していても、実際の行動には移れない。紅羽のどこか嬉しそうな横顔を見ると、どうしても曇らせた表情にさせたくないと思ってしまうのだ。
答えの出せない問題が、咲弥の胸をぎゅっと絞めつける。
この世界を訪れ、彼女と巡り会い――
とても卑怯で、凄く怖がりで、事なかれ主義だったのだとよくわかった。自分をきっちり分析できても、それでだめな部分を変えられるわけでもない。
願いを叶える瞬間まで、きっと悩み続けているのだろう。
同じ問題を、延々と――あるいは――
どこかの船から、不意に汽笛らしき音が鳴り響いた。
咲弥は、はっと我に返る。気を取り直し、紅羽を向いた。
「さて、船の手配をしに行こうか」
「了解しました」
紅羽はいつも通りの真顔で、こくりと頷いた。
まずは、船長か副船長を探す必要がある。教えてもらった船にまで行けば、きっとなんらかの情報は手に入るだろう。
咲弥は紅羽と並んで歩き、大型船のある場所を目指した。
進むたびに、板のほうから軋んだ音が響き渡る。
ただ、足場が崩れそうな不安は特に感じられない。ここは非常に重そうな木箱を運ぶ迅馬が、頻繁に行き交っていた。かなり頑丈に、土台が造られている。
そんな木造の船着き場には、船員の服に身を包む筋肉質な男の姿が多く見られた。屈強な男達に交じって、勝気そうな容姿をした女達の姿もちらほらとある。
ふと――あまり似つかわしくない雰囲気を漂わせた女が、咲弥の視界に入った。
長く綺麗な黒髪をした彼女は、どこか正統派美少女とでも呼べそうな見た目をしている。しかし着ている服は、どこか船員らしさのある意匠をしていた。
無理して船員の格好をしている。そんな印象を抱いた。
ただ紋章者らしく、纏うオドはわりと綺麗に流れている。
そんな女が筋骨隆々な男達を従え、荒々しい声を張った。
「なぜ、もっと早くに言わないんだ!」
見た目にはそぐわない言葉遣いだと思えた。
対面している腰の低そうな男が、頬をハンカチで拭う。
「それが……自分も、今しがた耳にしまして……」
「まったく……お前らは、まともに連携すら取れないのか」
「いやはや……ごもっともです……」
「どう落とし前をつけるつもりだ」
「どう……と、申されましても……」
「自分のケツは自分で拭く。そんな道理も知らないのか?」
「咲弥様?」
咲弥は我に返り、そして気づいた。
いつの間にか足を止め、揉め事を眺めていたらしい。
紅羽が小首を傾げ、じっと見据えてきている。
「あ、いや……」
紅羽はすっと両手を前のほうで組み、静かに目を閉じた。
仕方がない――そう言わんばかりの顔へと変化する。
「咲弥様といると、退屈しません」
ため息まじりの声を聞き、咲弥は苦笑するほかない。
咲弥はいたたまれない気持ちを抱え、また視線を戻した。
「なんのために、事前に伝達したと思っているんだ!」
「……いや、しかし……」
「しかしもかかしもない!」
女は怒号を放ち、男をキッと睨みつけた。
「あれがなきゃ、パンレンまでもつ余力がないんだ」
「……あぁ……はい……」
女の言葉を聞き、咲弥はピクリと反応する。
まさかとは思いつつも、しかし否定などできない。
咲弥は歩み寄り、怒りに満ちた女を前にした。
「あ、あの……すみません」
「ん? なんだ?」
「パンレンって……明日、出向予定の……ですか?」
機嫌の悪い女は腕を組み、怪訝そうに小首を傾げた。
「その予定だったが、出航は無理だろうな。忌避機の燃料を積んだ馬車が魔物に襲われたらしく、このド阿呆がきちんと仕入れていなかったんだ」
魔物と聞き、咲弥は漠然と事情を悟った。
忌避機がどんな代物なのかよくわからないものの、これも魔物の活発化による被害に間違いはない。こうした事例は、王都のほうでもちょくちょくある話だった。
腰が低い男へ、咲弥は目を向ける。
冷や汗たっぷりで、女の様子をうかがい続けていた。
「どこで襲われたんですか?」
「なんだ……? あんた、何者だ?」
咲弥は女のほうを向いた。
「あっ……僕、冒険者の咲弥って言います。実は、ちょっと他人事ではなくて……今ちょうど、パンレン行きの船に乗る手続きをしに船へ向かっていました」
「冒険者……?」
女が片目を細め、咲弥の顔を覗き込んできた。
「ふんっ。そういうことか。私がそのサンライト号の船長、オリヴィアだ」
咲弥は少し、内心で驚かされる。
まさかこの身なりで、船長だとは夢にも思わなかった。
オリヴィアは黒髪を後ろへ払い、渋い顔をして告げる。
「だが残念だったな。明日は出向できそうにない。船員達の命を、こんなつまらないことで無駄に失いたくないからな」
「襲われた場所まで行って、取り戻してきましょうか?」
オリヴィアの眉が、ピクリと跳ね上がる。
少しして、オリヴィアは嘲るように言った。
「はんっ。これは、珍しいこともあるもんだ。規則か何かは知らないが、あんたら冒険者様ってのは、ギルドを通さない依頼は受けないんじゃなかったのか?」
「ははは……仲間やギルド員からも、よく怒られます」
咲弥は苦笑まじりに答え、言葉を続ける。
「困っている人を、見過ごせない性分というのもありますが……ただ今回は、自分の事情が大きいです。パンレンまで、どうしても行かなきゃだめなので……」
「ふぅん……」
オリヴィアが、途端に片手を上げた。
「リックス。ベティナル」
「へい」
オリビアの背後にいた男二人が、前へと歩み出てくる。
陽気そうな青髪の男と、かなり筋肉質な金髪の男――纏うオドの流れから、この二人もどうやら紋章者の様子だった。
どちらも、海の船乗りらしい。そんな装いをしている。
オリヴィアが腕を組み、不敵な笑みを見せた。
「私を含め、この二人も同行させてもらう」
「えっ……?」
咲弥も驚きはしたが、声を発したのは男達のほうだった。
青髪の男が、おずおずと右手を前に伸ばしていく。
「いや、お嬢……」
「リックス。お嬢じゃない! 船長だ!」
オリヴィアが険しい目つきで、リックスを睨みつけた。
金髪の男ベティナルが、呆れ気味に声を紡いだ。
「船長。俺ら二人だけで、別に充分だぞ……」
「ばかを言うな。こんなときに出張ってこそ、船長だ」
オリヴィアは、頑として受け入れない。
リックスの視線が、咲弥達へ向いた。
「ちなみに君達の等級は、どれぐらいっすか?」
「僕は下の一級ですが、こちらの紅羽は中の一級です」
「ほう……」
オリヴィアが顎をしゃくり上げ、感心したように唸った。
情けない話ではあるが、紅羽の等級を聞けば大抵の人達は安心してくれる。冒険者の等級は決して飾りではないのだ。高ければ高いほど、信用は得られる。
黙考しているのか、沈黙が広がる。
不意に、リックスがあっと声を上げた。
「思いだしたっすよ。このお二人、どこかで見かけたことがあると思ったら、今年の国際大会優勝者じゃないっすか?」
周囲がざわつく。ベティナルが顎を撫でながらに頷いた。
「確かに、そうだ。しかもこちらの娘は、無敗の王者だな」
「国際大会?」
「そういうの興味ないから、お嬢は知らないんすよ」
「リックス、お嬢じゃない! 船長だと言っているだろ!」
オリヴィアの雷が飛び、リックスは肩を竦めていなした。
憤慨した様子のオリヴィアは、腰に手を置く。
「まあそれなら、実力は申し分ないってことか。わかった」
オリヴィアはそう言い、腰の低い男を睨みつけた。
「お前らの失態を、私達で拭ってやる。感謝しろ」
「は、はい……ありがとうございます」
「残りの者達は準備をしておけ! これより、忌避機の燃料奪還に入る」
男達が一斉に声を上げた。まるで勝鬨にも聞こえる。
颯爽と闊歩するオリヴィアを向き、御付きの二人が一緒にため息を漏らした。
「やれやれっすね……」
「俺達はお嬢の護衛に集中する。魔物の駆除は頼んだぞ」
ベティナルが、忍び声でそう伝えてきた。
咲弥はこくりと頷いて応える。
「はい。よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそ」
ベティナルはにっこりと笑った。
「何をしているんだ! 早くついて来い! 鈍間どもめ!」
言葉遣いは少し悪いが、どこか憎めない雰囲気がある。
咲弥達は苦笑してから、オリヴィアを追って歩き始めた。
そのさなか、咲弥は隣を歩く紅羽を見る。
「……さすがに、今回ばかりは仕方がないよね?」
咲弥はそう言い訳をした。
紅羽の紅い瞳が向く。しかし、すぐに前へ向き直った。
「そうですね」
「怒ってる?」
「いいえ。ただ咲弥様といると、飽きません」
呆れというよりは、諦めのほうが近そうだった。
とはいえ、船出の延期は困る。
紅羽の機嫌をうかがいつつ、咲弥は前を進み続けた。