第七話 終わらない災厄
ルグルガルフの体が、大きく五つに引き裂かれた。
血や臓物をまき散らしながら、ルグルガルフが吹き飛ぶ。
咲弥は顔をしかめる。はっと息を呑み、大きく後退した。
ルグルガルフを遠目から、咲弥はじっと凝視する。
ルグルガルフの死骸、そして血と臓物が、どろりと溶けて地面に吸収された。その瞬間、死骸のあった場所から不吉な赤黒い光が夜空へと伸びていく。
黒い芽から急激な成長を遂げ、一本の樹木が生えた。
それはどこか、早送り再生といった光景に近い。
真っ黒な葉をした樹木に、複数の大きな木の実が生った。
一つ、二つと絶望を孕んだ木の実が、どんどん落下する。
樹木が急速に枯れ、同時に木の実からルグルガルフが突き破るように現れた。
「グガァアアアア――ッ!」
生まれ落ちたルグルガルフ達が、一斉に咆哮を重ねる。
零級に指定された魔物――咲弥は今ようやく、その意味を完全に呑み込んだ。
『森の王に手を出してはいけない』
ジークが、そう言っていた。
その伝承に間違いはない。ルグルガルフは倒しても即座に復活、あるいは分裂にも等しい能力を保有しているからだ。
「おいおいおい……冗談じゃないぜ……」
ゼイドが絶望感たっぷりに呟いた。
咲弥もまた、絶望に心が染まっていく。
「そんな……」
「ガガァアアアアア――ッ!」
絶望に追い打ちがかかる。咲弥は予想を外していた。
飛竜フォティタスが、上位種を喪っても活動をやめない。
咆哮したフォティタスが、ホバリングを続けている。
おそらく、最初に見た指揮の役割を持つフォティタスだ。
絶望してはいるが、落ち込んでいる場合でもない。
咲弥はふと、妙な違和感を覚える。
まず異常な零級の魔物――森の王ルグルガルフだ。
もしこの調子で増える場合、一体しかいないわけがない。
ただ現状、ルグルガルフを一体しか見ていなかった。
疑問が脳裏を巡る中、突然ルグルガルフ同士が殺し合いを始めた。腕、または首に噛みつき、力任せに相手の体を引き裂いていく。
その光景を見て、咲弥は最悪な想像が働いた。
ルグルガルフが死亡すると、個体数が増える。
殺し合えば、無限に増えるのではないかと考えたのだ。
「まずい……!」
そうはいっても、何ができるわけでもなかった。
殺し合いを止めるだけなど、なんの解決にもならない。
それでも、咲弥は動いた。
だがここで、フォティタスが邪魔をしてくる。
「く、くそ……」
火炎をまき散らしながら、咲弥の行く手を阻んだ。
灼熱の猛火に遮られ、咲弥は大きく迂回するほかない。
そうしている間に、ルグルガルフの数がどんどんと減る。
咲弥は再び、困惑を余儀なくされた。
ルグルガルフの死骸は地に伏しても、何も起きていない。
さきほどとは違い、ただの死骸となり果てている。
そして気づけば、すでに残り一体となっていた。
「んな……」
ルグルガルフの死骸が液状化し、生き残った一体に集う。
咲弥はこれまでの考察が、間違えていたと理解する。
これは復活や分裂ではない――転生と進化であった。
前よりも強固に、さらに禍々しい姿へと変貌している。
「こんな奴……どうすればいいんだ……」
咲弥は恐怖からか、自然とうめいた。
そのさなかも、猛り狂ったフォティタスは止まらない。
空を舞う一体のフォティタスが、ルグルガルフに迫る。
ルグルガルフは空に向け、人差し指を立てた。
ぼんやりと光る、緑色の魔法陣が顕現する。
咲弥はぞっと悪寒が背筋を走り、無意識に白爪を振るう。
「白爪空裂き!」
だが、間に合わない。
魔法陣を吹き飛ばす前に、ルグルガルフの魔法は成った。
浮かぶ魔法陣から、無数の粒が放たれる。
それはどこか、ガトリング砲を彷彿とさせるものだった。
フォティタス達が、次々に落下していく。
撃たれた箇所から植物が生え、フォティタスがのっそりと立ち上がる。
(傀儡……!)
傀儡化途中のフォティタスへ、咲弥は素早く向かった。
白手を大きく広げ、顔から尾へと走りながらに引っかく。
しかし一度傀儡化が始まれば、もう止められないようだ。体内に撃ち込まれた植物を裂いたところで、切られた端からまた急激な速度で成長している。
咲弥の心がまた、絶望一色に染まった。
たった一体――零級の魔物がいる。
それだけで、恐ろしいほどの生物災害が生じているのだ。
根源討てば、傀儡化が解除されるのかどうか不明だが、まずそのルグルガルフを討つ方法がまるでわからない。
死んだその瞬間に転生と進化をする生物など、あまりにも空想的であった。
(だったら……転生する前に、また討つ……?)
そんな考えが、咲弥の脳裏に浮かんだ。
これまで、ことごとく予想が裏目に出ている。
それでも現状、取れる行動などそう多くはない。
(やるしか……試すしかないんだ……!)
咲弥は覚悟を決め、ルグルガルフを目指す。
駆ける咲弥の隣に、紅羽が並んだ。
「援護します!」
「あれ体内に撃ち込まれたら、アウトかもだかんね?」
紅羽とは逆側に並んだネイが、そう忠告してきた。
いまだ咲弥達に撃ち込まれていないのが、確かに不思議な話ではある。そこにも、なんらかの理由が隠されていそうな気配があった。
咲弥はルグルガルフへ向かいながら、周囲を観察する。
撃ち込まれても、傀儡化していないフォティタスがいた。
傀儡化とそうでないのが、激しい殺し合いをしている。
(なんでだ……? 死んで……ないからか?)
生きていても傀儡が可能であれば、最初からすればいい。
そうできない理由は、生命力が植物の成長を邪魔する――あるいは、養分にできないからなのかもしれない。
浮かんだ仮説は、案外しっくりとくるものがあった。
傀儡化したフォティタスが一体、咲弥達へ向かってくる。
紅羽が光る矢で射抜き、ネイが追撃の紋章術を放つ。
「あんたは、ルグルガルフに集中しな!」
「わかりました!」
立ち塞がる障害は、紅羽とネイが振り払ってくれる。
咲弥は脳裏によぎった予想を、信じるほかない。
そのためには、もう一度ルグルガルフを討つ必要がある。
あらかた傀儡化を終えた様子のルグルガルフが、咲弥へと距離を詰めてきた。
巨体が迫るだけでも、かなりの圧迫感がある。
咲弥は恐怖を噛み殺し、黒手へとオドを流し込む。
最大三倍ほどまでに、獣の手は巨大化が可能だった。
大きくした黒手を広げ、咲弥はルグルガルフを引っかく。
進化したからか、ルグルガルフの動きが素早い。
「くっ……」
ルグルガルフが側面へ回り込み、緑色の魔法陣を生んだ。
咲弥はとっさに、空色の紋様を描いた。
「清水の紋章第二節、澄み切る盾」
ほぼ同時に、お互いの奇跡が発動する。
咲弥の前に水の玉が繋ぎ合い、防御幕が張られた。
その水の幕に、種らしきものが幾度となく撃ち込まれる。
あまりにも凄まじい連撃に、水の幕はもたない。
ただ、回避するだけの時間は稼げている。
咲弥は軌道を読み、側面への移動をお返しした。
再び、空色の紋様を描く。
「黒爪空裂き限界突破」
虚空を断裂し続ける衝撃波が、ルグルガルフへと向かう。
ルグルガルフの不可解な行動を目で捉え、咲弥はわずかに小首を傾げる。紋章術か何かと勘違いしたらしく、黄緑色の魔法陣を浮かべたのだ。
確かに空裂きの起点は、オドを込めた爪撃ではある。
そして威力の底を上げるために、固有能力を併用した。
そもそも空裂き自体は、黒白の凄まじい爪による切れ味が生んだ現象に過ぎない。つまり起点の部分以外には、オドが欠片も宿っていなかった。
空裂きの原点は、ルグルガルフと同様、零級に指定されたジャガーノートとなる。全開放の限界突破で攻撃したのち、爪の長さ以上にまで引き裂いて討った。
そこから着想を得て、修行中に技として編み出したのだ。
だから空裂きは、紋章術みたいには奪取も弾けもしない。
それは初撃の空裂きからも、間違いはないはずだった。
案の定、空裂きは魔法陣を突き抜け、ルグルガルフの体に深く爪の痕を刻む。
それは悲鳴か咆哮か、ルグルガルフは声を張り上げた。
「グガァアアアア――ッ!」
(感覚で判断しているんじゃない……目で判断してるんだ)
きっとルグルガルフは、空色の紋様を見て勘違いをした。咲弥はそう分析する。
六つの目に頼りきっているため、感覚で物事を見るということを忘れているのだろう。あるいは、進化の過程で失った可能性も考えられる。
零級といえども、完全無欠ではない。
だからといって、危険さが変わるわけではないのだ。
ただ、か細くとも活路は見えた気がする。
(あぁ……ゼイドさんなら……)
土の紋章術に、煙幕にも似た力を持った節がある。
気づくのが、遅すぎた。
今のゼイドは、もう紋章術を扱えない。
精霊の召喚は、それだけオドを根こそぎ奪うからだ。
「なら、これでどうだぁあああああ!」
咲弥は背後に黒爪を据え、空色の紋様を浮かべた。
「黒爪限界突破ぁ!」
咲弥は黒爪を大きく振るい、地面を深くえぐった。
ルグルガルフへ、まるで土が津波のごとく吹き飛ぶ。
土埃が激しく舞い散った。
ルグルガルフどころか、咲弥も一歩先すら見えなくなる。
咲弥は息を止め、目を閉じた。
気配の流れを読み取り、ルグルガルフを目指す。
あとはただ、自分の分析が正しいことを信じるほかない。
(――いけるっ!)
察知している気配から、ルグルガルフは硬直している。
おそらく何も見えなくなり、戸惑っている様子だった。
咲弥は空色の紋様を浮かべ、肺に残した空気で唱える。
「黒爪限界突破!」
土埃も引き裂き、強烈な黒爪がルグルガルフを断裂する。
爆風が土埃を払ったと気づき、咲弥は即座に目を開いた。
ルグルガルフが、黒い魔法陣を虚空に浮かべている。
その光景に、咲弥はぞっとした。あと少しでも遅ければ、逆に魔法で返り討ちにされていたに違いない。
ほんのわずかな戸惑い――
そこが、ルグルガルフの命運を分けていた。
血と臓物をこぼしながら、ルグルガルフは崩れ落ちた。
ルグルガルフの死骸が、また地面に溶け込んでいく。
また不吉な赤黒い光が、空へと立ち昇った。
そして急速に黒い葉を持つ樹木が生える。
(いまだ……!)
咲弥は奥歯を噛み締め、黒爪をまっすぐに揃えた。
空色の紋様を浮かべ、声を張って唱える。
「黒剣限界突破!」
紋様が砕け散るのを見ながら、樹木に黒剣を放つ。
限界突破を使ってもなお、想像を絶する硬さがあった。
(違う……! オドの残量がたりなかったんだ……!)
短い時間で、固有能力を連発しすぎている。
半分にも満たないところまで、黒剣は樹木に食い込んだ。
しかしそこから先へは、どれだけ力を込めても進まない。
「ぐっ……ぐぐっ……」
そうしている間に、また木の実が実り始めていた。
時間がない。間に合わない可能性が出てきた。
怪我を負っているのもあり、力がこれ以上入らない。
「くそぉおおおおおっ!」
あと一歩、あともう少し――だが、どうにもならない。
咲弥の脳裏に禁断の選択が浮かんだ。激痛と気絶、または命を代償に、たとえオドの残量がわずかであったとしても、神がかった力を生み出せる。
また進化などされたら、今度はもう手の打ちようがない。
これが、最初で最後のチャンスなのだ。
全開放の覚悟を決めたそのとき――咲弥は気づく。
こちらへ走り向かってくる紅羽が、視界の端に入った。
咲弥は声を大きく張る。
「紅羽! 思いっきり、僕の右手を蹴ってくれぇえええ!」
「了解しました」
紅羽が速度を上げ、恐ろしい速さで詰め寄ってきた。
咲弥の右手は、手のひらを上にした手刀の形をしている。
右手の側面に足の裏を合わせ、紅羽が飛び蹴りを放った。
「ぐっ……」
籠手をも貫通した衝撃が、右手首に強烈な痛みを与えた。
折れても構わない――そう思い、咲弥は黒剣に集中する。
紅羽の蹴りは凄まじい。たりない分の力を補ってくれた。
硬かった樹木が、ついにばっさりと斬れる。
「はぁ……はぁ……」
咲弥はへたり込み、ただなりゆきを見守る。
これで無理なら、もうどうにもならない。
斬れた樹木は、軋んだ音を立てて倒れていく。
熟成しかけていた木の実が、まるで腐ったように萎れた。
それに伴い、傀儡となっていた魔物達の中にある植物も、どんどんと枯れている気がする。痙攣に近い動きはあるが、立ち上がる気配はない。
激しい呼吸の音だけが、静寂に包まれた場に響いている。
「う、うぉおおおおおおお――っ!」
ゼイドが突然、獣にも等しい勝利の雄叫びを上げた。
そして呼応するかのように、ガルス族達も歓声を放つ。
ルグルガルフはもう、よみがえらなかった。
傀儡化されていた魔物達もまた、動くことはない。
最後の最後に、どうやら予感が的中したようだ。
咲弥は改めて、周辺に視線を流していく。
気づけば、あちこちにガルス族の姿があった。
傷ついた者達を眺めながら、今度は気配で辺りを探る。
傀儡化されていない飛竜の気配は、もうどこにもない。
おそらく、仲間やガルス族が頑張って討ったのだろう。
咲弥は全身から力が抜け、ぱたりと仰向けに倒れ込む。
ここは王都よりも鮮明に、空が彩られて見えた。
雲一つない夜空には、満点の星空が広がっている。
なかば放心状態となりつつ、咲弥はただじっと――綺麗な星空を眺め続けた。
吐息を夜空へ投げながら、咲弥は少しずつ呼吸を整える。
飛竜に森の王と、許容範囲を超えた一日であった。
吹き抜ける風を浴びながら、咲弥はぼんやりと思う。
王都を離れた日から、まだ三日目の夜――
まさかこんな事態に陥るとは、夢にも思っていなかった。
「咲弥様」
可憐な声に呼ばれ、咲弥は目を向ける。
紅羽が地に膝をつき、音もなく傍にまで寄って来ていた。
夜空を背景にした銀髪の少女は、それこそ一枚の絵画にも劣らない魅力で溢れ返っている。神々しい美貌もあってか、見惚れる以外の選択肢などない。
咲弥はすぐに我を取り戻して、がばっと上半身を起こす。
「紅羽……どこも怪我、してない?」
「はい。問題ありません。ですが――」
不自然に言葉を止め、紅羽は咲弥の右手を手に取る。
優しく包み込むような、そんなしぐさであった。
「咲弥様は傷つき、ぼろぼろです。それに……」
「ははは……うん。とてもいい蹴りだったよ」
いまだにじんじんとする右手で、紅羽の手を握り返した。
すると紅羽が、途端に微笑む。
神々しいまでの表情に、咲弥の頬は少し熱くなる。
不意打ちの微笑みに、またどきりとさせられた。
「治癒します」
「う、うん。ありがとう」
紅羽が純白の紋様を浮かべ、優しい声音で唱える。
「光の紋章第三節、光粒の陽だまり」
咲弥の体が、温かな光に包み込まれた。
ゆっくりと、体中にあった痛みが緩和する。
「いやぁ……今回ばかりは、ほんと死んだと思ったわ」
やや疲れ顔で微笑みながら、ネイが歩み寄ってきた。
別の方角からゼイドに加え、ジークとルアンダも来る。
ゼイドが渋い顔で呟いた。
「飛竜まで攻めて来るとはな……久々に絶望したぜ」
「咲弥殿……」
ジークは神妙な面持ちで、なにやら言いあぐねている。
咲弥は軽く笑みを作り、ジークに声をかけた。
「村……護れてよかったです」
「……ああ。感謝する」
「はい」
視界の外側で、無数の足音が響き渡った。
咲弥はなにげなく、視線を向ける。
ル・ダ村の酋長とガルス族が、団体でやってきたのだ。