第六話 三つ巴
森の王ルグルガルフ――
六つの目は個別に動かせるのか、縦横無尽に動いている。
掴んでいたガルス族の遺体を地に落とし、ルグルガルフが戦闘態勢を取った。
咲弥はルグルガルフへ迫りながら、どう攻撃を仕掛ければいいのか模索する。纏っている雰囲気からも、ただならない気配が漂っていた。
ルグルガルフがおもむろに、右手をゆらりと高く上げる。
(……なんだ?)
ルグルガルフが手を振り下ろし、地を力強く叩きつけた。
黒い魔法陣が瞬間的な速さで、地面に複数描かれていく。
すると黒い魔法陣の中から、野獣系の魔物の群れが一斉に飛び出してくる。
(闇属性……? 召喚魔法……?)
いやな予測に、際限なく恐怖が湧く。
それでも咲弥は、速めた足を緩めない。
ネイが前を向いたまま、大きく声を張った。
「雑魚の殲滅は紅羽、防衛はゼイド! 私とあんたで一緒に森の王を討つわよ!」
「了解しました」
「おう!」
「はい!」
ネイの指示に従い、咲弥は森の王にのみ集中する。
とはいえ、召喚された魔物が簡単に通すはずもない。
それでもなお、咲弥はルグルガルフだけを目指した。
咲弥とネイへ、猛禽類に近い魔物の群れが飛翔して迫る。
そう認識するや、咲弥の横を細い光線が追い抜いた。
枝分かれする光の矢で、猛禽類の魔物は脳天を砕かれる。
そして今度は、類人猿の魔物が火と雷の魔法を放つ。
地面が素早く盛り上がり、土の紋章術でゼイドが防いだ。
この世界で出会った仲間――もう結構な付き合いになる。
だからこそ、安心して任せられた。不安など微塵もない。
まずはネイが、ルグルガルフの横へと回り込んだ。
「風の紋章第三節、戦神の号令」
ネイが描いた若草色の紋様が砕け、暴風が吹き荒れる。
またたく間に、光沢感のある風の槍が五つ作られた。
おそらくは、オドとマナの複合エネルギー――エーテルが込められている。
「貫け!」
ネイが風の槍を、ルグルガルフへと一直線に放つ。
ルグルガルフは鷹揚に、手のひらを前に伸ばした。
虚空に、黄緑色の魔法陣が浮かぶ。ルグルガルフもまた、他属性の魔法を扱えるのだと知る。その事実に、咲弥は嫌な連想が働き、じわりとした恐怖を覚えた。
ネイの風の槍が方向を変え、途端に咲弥へ飛来してくる。
「んなっ!」
驚きはしたものの、咲弥は落ち着いて行動に移る。
物質すべてを破壊する黒手――
精神すべてを支配する白手――
たとえエーテルで発生した紋章術でも、咲弥の白爪ならば容易に裂けるのだ。
ただ問題は、そこではない。
ネイの紋章術を、まるで奪い取ったような印象を抱いた。
奪取か操作か、あるいは反射といった可能性もある。
どんな絡繰りか、まだ情報が少ないためよくわからない。
「なら――黒爪空裂き」
黒爪にオドを込め、咲弥は勢いよく虚空を裂いた。
それは飛ぶ斬撃となり、ルグルガルフへと向かう。
今度は魔法陣を浮かべない。
ルグルガルフは右の手のひらで、空裂きを防いだ。
(……硬い。なんでも奪うわけじゃないのか……?)
咲弥は思いながらに、空色の紋様を右手付近に浮かべた。
「水の紋章第一節、螺旋の水弾」
右手付近に青い渦が生まれ、そこから水弾を撃つ。
ルグルガルフが再び、黄緑色の魔法陣を顕現した。
水弾が途端に、今度はネイのほうへと方向転換する。
ネイは持ち前の身軽さで、水弾を軽々と回避していた。
(やっぱり、そうか……そういうことか……!)
術者のオドを媒体に生み出された紋章術――またはオドで作られたすべてを、ルグルガルフは意のままに操れる魔法を保持しているのだろう。
ネイも察したらしく、咲弥に叫んできた。
「オド縛りじゃ、私にはきつい! あんたの補佐に回る!」
「了解です!」
それは事実上、ルグルガルフとの一騎打ちを意味する。
しかしそれでも、咲弥は了承しておいた。
ネイがこちらの様子をうかがいながら、邪魔になりそうな魔物を狩り始める。
こうして補佐してくれるだけでも、充分にありがたい。
咲弥は即座に、ルグルガルフへと視線を戻した。
零級に指定されていた事実から、ほかにもまだ何かあるに違いない。
初めて遭遇した零級の魔物は、ジャガーノート――
龍を思わせる首を、背にイソギンチャクのごとく生やした亀っぽい魔物だ。無限の暴食と再生と進化を繰り返し、背の龍で全属性を扱う最悪な生物だった。
警戒を欠かさない咲弥の目に、不穏な光景が飛び込む。
補佐に転じたネイに向け、ルグルガルフが左手を向けた。
咲弥はとっさに、ネイとの距離を縮めていく。
緑色の魔法陣が描かれるや、周囲の草木が歪に成長した。
無数の植物が、ネイに襲いかかる。おそらくは拘束系統の魔法だと思われる。
ネイが素早く回避しているが、規模が尋常ではない。
ネイの足に、一本のツタが到達した。
咲弥は黒手を高く掲げる。
「黒爪空裂き!」
飛ぶ斬撃が、ネイの足を這うツタを裂いた。
植物自体は、そこまでの強度はない。
咲弥は素早く、ルグルガルフに視線を戻した。
(なんだ……何をしてんだ……?)
ルグルガルフが機敏な動きを見せる。
なぜか魔物の死骸に加え、ガルス族の遺体に指を刺した。
血を吸い込んでいるのか、あるいは――
咲弥の目もとはひどく歪み、心の底から震撼する。
ルグルガルフに指を刺された箇所から、勢いよく木の根や草花が飛び出してきた。さらに光の矢や紋章術などで大きく欠損した部分を、植物が補い始めている。
死したはずの魔物やガルス族が、再び活動を始めたのだ。
おそらくは、傀儡の一種だと思われる。
ルグルガルフの異能に、震撼するほかない。
ジャガーノートの超再生とは異なる、最悪な力であった。
じわりとした嫌な感覚に、咲弥は手汗をかく。
(零級……やっぱり、異質な魔物なんだ……)
紅羽が即座に、傀儡の魔物を光の矢で射った。
ほぼ同時に、ルグルガルフにも光の矢を向かわせている。
だが黄緑色をした魔法陣が浮かび、拡散する光の線が歪な軌道を描く。
折れ曲がった光の線が、咲弥やネイに襲いかかってきた。
やはりオドを媒体にしたものなら、自在に操れるらしい。
白手で防いだ直後、咲弥はさらなる最悪を目撃する。
傀儡にされた生物は射抜かれてもなお、まだ動いていた。
体のどこを欠損したとしても、植物が即座に補っている。
傷が深い生物ほど、代替となった植物の割合も大きい。
最終的には、肉片が残らずとも動いている予感がした。
ルグルガルフを討たない限り、どんどん状況は悪化する。
咲弥は分析を終え、ルグルガルフへと向かう。
その瞬間、空を切り裂く音が耳に届いた。
「ぐっ……!」
咲弥は息を詰め、回避した。反撃などできるはずがない。
たとえ遺体といえども、やってきたのはガルス族なのだ。
どう対処すればいいのか――その刹那の悩みに、わずかな隙が生まれる。
別の遺体だったガルス族が、咲弥に槍を突き入れてきた。
(しまっ……!)
咲弥は反射的に黒手で護りに入る。しかし間に合わない。
焦燥感に恐怖が入り混じり、痺れに近い衝撃が体を走る。
死を連想するや、目の前にいるガルス族の槍が槍によって弾かれた。そしてそのまま、盛大に地へと叩きつけられる。
ぎりぎりのところで、ジークの槍が炸裂して護られた。
「咲弥殿、ためらうな! それはもう、ガルスではない!」
ジークが勇ましげに、そう叫んだ。
わかってはいても、本能が拒否している。
咲弥が苦い思いを抱くなか、ジークは同族の遺体と戦う。
ジークの顔は渋い。それも、当然の話だった。
たとえ罵倒されようとも、生まれ育った村を護るために、ジークは村へと戻ってきたのだ。もう死んでいるとはいえ、同族と平気に殺し合えるはずがない。
「ここは、任せてくれ! 咲弥殿は、森の王を……!」
「……わかりました!」
咲弥はジークの気持ちを汲み、ルグルガルフを目指した。
精神系統が不可ならば、物理攻撃に打って出るしかない。
幸い、凄まじい攻撃力を持つ黒爪が咲弥にはある。
限界突破を連発してでも、早々に討つしかないのだ。
「……えっ……?」
最悪な事態は最悪を招き、そしてさらなる最悪を生む。
咲弥の視界の端で、無数の黒い影が走る。
自然と視線が、上空へと移った。
それはまるで、黒い流れ星にも思える。
(……あ、れは……なんで……?)
咲弥は目を大きく見開き、息を大きく呑み込んだ。
ル・ダ村に、また新たな災厄が攻め込んでくる。
「ガァアアアアアア――ッ!」
空を舞う複数体の飛竜フォティタスが、咆哮を重ねた。
黒い流星の中で、ただ一か所――
まるで夕日を連想する彩りが、夜空に発生している。
一体の飛竜がホバリング状態で、巨大な火球を放つ。
空から落ちる火球を、ルグルガルフが右手で豪快に防ぐ。
火球を放ったフォティタスが、まるで隕石のごとく降る。
想定外の衝撃的な景色に、咲弥は我が目を疑うほかない。
蝙蝠に近い翼を持つ、赤黒い体色をした飛竜――視覚的にフォティタスの上位種だと思える個体が、星々が瞬く空から舞い降りて建物をひしゃげさせた。
赤黒いフォティタスが、大口をあけて強烈な咆哮を放つ。
「ガガァアアアア――ッ!」
「グォオオオオオ――ッ!」
ルグルガルフもまた、強烈な雄叫びで応えた。
耳を劈く声の衝突に、咲弥の鼓膜が痛む。
フォティタスが羽ばたいて飛び、建物が激しく倒壊する。
フォティタスは猛火を吐き、ルグルガルフへと向かう。
火の息吹を受け、ルグルガルフは黒い魔法陣を描いた。
突如として空間が揺らぎ、フォティタスが墜落する。
だがフォティタスは、踊り狂うように姿勢を整え直した。
フォティタスが口の前に、深紅の魔法陣を浮かべる。
力を集約しているのか、赤く細い光の線が残光のごとく、魔法陣へ向かって無数に走った。けたたましい音を轟かせ、紅いレーザーが放たれる。
(ぐっ……)
あまりの熱に、咲弥は両腕でつい身構えた。
灼熱の紅き線が、ルグルガルフに襲いかかる。
黄緑色の魔法陣が発生し、熱波が上空へ伸びて散った。
「ガガァアアアア――ッ!」
「グォオオオオオ――ッ!」
フォティタスがルグルガルフに近接戦闘を仕掛ける。
それはもはや、災害と呼べるほどの戦いであった。
正直、こんな戦いに突っ込むなど、正気の沙汰ではない。
しかし、静観しているわけにはいかなかった。
(このままじゃあ……ここは滅茶苦茶になる)
空を翔るフォティタスが、あちこちに攻め込んでいる。
ほうっておけば、この一帯は焦土と化してしまうだろう。
咲弥はぐっと歯を噛み締め、思考を働かせた。
これまで遭遇してきた魔物の傾向――
飛竜達の親玉が、もし赤黒いフォティタスなら、討てれば飛竜全体が沈静化する可能性は高い。自分達の被害状況を、考えられるだけの知能はあるのだ。
咲弥は状況を見計らい、激しい殺し合いの中に飛び込む。
フォティタスが、ルグルガルフの左肩に噛みついた。だがそんなフォティタスの首を掴んで、ルグルガルフは鋭い爪を何度も走らせている。
咲弥はフォティタスの背後へ回り込んだ。
黒爪を綺麗に揃え、空色の紋様を――咲弥は気づく。
フォティタスの視線が、咲弥のほうへ向いていた。
空を切る轟音とともに、尾が鞭のように振るわれる。
「まずっ……!」
薙ぎ払われた尾を屈んで避け、同時に黒爪を振るう。
金属を引っかく音が響く。信じられないくらい硬い。
外皮を軽く傷つけた程度でしかなかった。
咲弥が攻撃に転じた直後、ルグルガルフの右手が向く。
即座に白手を大きく広げ、咲弥も左手を前へと伸ばした。
黒い魔法陣から衝撃波が放たれる。だが、白爪で裂いた。
間髪入れず、ルグルガルフの右手を黒爪で引っかく。
しかし、ルグルガルフもまた硬い。
限界突破を併用しなければ、致命傷など程遠く思える。
フォティタスがルグルガルフの腕に噛みつきながら、硬い片翼で咲弥に攻撃を仕掛けてきた。瞬時に作った腕の盾に、強烈な一撃が叩き込まれる。
恐ろしいほどの力に、咲弥はなすすべもない。
まるで踏み潰されるように、地面に強く叩きつけられた。
「がはっ……!」
痛みで意識が少し飛ぶ。
思考する間もなく、不吉な光景を捉える。
咲弥は傷みを全力で堪え、再び両腕で盾を作った。
今度は、ルグルガルフの蹴りが飛んでくる。
「ぐっ、ぐぐっ……!」
ルグルガルフの力もまた、強烈であった。
咲弥の体が、軽々と上空へ蹴り飛ばされる。
すべてが敵となる、三つ巴の戦い――
咲弥が一時的に、脱落するかたちとなった。
「咲弥様!」
紅羽が全身を使い、咲弥を空中で受け止めてくれた。
「ありがとう!」
空を翔る一体の飛竜が、奇妙な動きを見せた。
咲弥を空中で、仕留めようとしていた気配がある。
もし紅羽に護られなければ、いろいろと危なかった。
ただ、自身を窘めている暇などない。
(くそ、どうする……!)
思考を巡らせながら、咲弥は紅羽と地に降り立った。
猛獣など比にならない。激しい殺し合いが続いている。
全開放の限界突破が、咲弥の脳裏をかすめた。
激痛と気絶を代償に、両方を討てるか――
もし成功しなければ、仲間に負担をかける結果を生む。
それどころか、殺される可能性も充分に考えられた。
「咲弥! 突っ込めぇっ!」
ゼイドの叫びが響いた。黄土色の紋様が浮かんでいる。
ゼイドの意図を呑み、咲弥の体は自然と駆けだした。
「ネイ! 紅羽! 俺はジーク達の護衛だけに回る!」
ゼイドの言葉は、戦線離脱を意味する。
そうなる理由を、ゼイドは唱えた。
「来い、土の精霊バグラカブラ!」
強く輝いた黄土色の紋様が、大花火のごとく破裂した。
地に円陣が描かれ、流砂を思わせる大渦が発生する。
鎖が巻きつく、鉄製の黒い棺を背負った――汚れた包帯で全身をぐるぐる巻きにしているミイラが、流砂の中から浮き上がるようにやってくる。
フォティタスとルグルガルフが、危機を察知したらしい。
二体の視線が、土の精霊バグラカブラへ向いた。
「ゲハハッ! 爽快愉快! やべぇの相手にしているな!」
「あれの動きを止めろ! 咲弥が討つ!」
「いいぜ! さあ、異物どもに目にものを見せてやろう」
土の精霊バグラカブラが、超音波に近い叫びを上げた。
フォティタスとルグルガルフが、回避の姿勢を見せる。
だが、もう間に合わない。
地面が歪み、二体の魔物を砂で絡め取る。
砂は即座に、強固そうな岩へと転じた。
咲弥は黒爪をまっすぐに揃え、空色の紋様を浮かべる。
まずはフォティタスへ向かい、大きく跳躍した。
「黒剣限界突破!」
フォティタスの首へ、咲弥は限界突破した手刀を振るう。
金属を削るような音を響かせ、バチンッと首を両断した。
ゼイドが作ってくれた最大の好機を逃せない。
咲弥はすぐ――ルグルガルフがけたたましい咆哮を放つ。
「グォオオオオ――ッ!」
凄まじい衝撃が放たれ、一歩を踏み出せない。
(クソッ――間に合わなくなる!)
精霊召喚の時間は短い。
ここを逃せば、またルグルガルフは解き放たれてしまう。
咲弥は全神経を集中させ、足に力を込めた。
だが、ルグルガルフも必死になって咆哮を続けている。
吹き飛びかけたそのとき、銀色の影が咲弥へと迫った。
「光の紋章第五節、極光の障壁」
前面に光の幕が張られ、衝撃が一気に消える。
次いで、ルグルガルフの上空からネイが落ちてきた。
「うるさぁあああああい!」
ルグルガルフの顔面に、ネイが踵落としを放った。
ルグルガルフは開いた口を、強制的に閉じさせられる。
咲弥はお礼よりもまず、空色の紋様を浮かべた。
「黒爪限界突破!」
咲弥は唱えながらに、ルグルガルフへ黒爪を振るう。
黒爪が空を強烈に裂き、そして――
ついに、ルグルガルフの体に届いた。