第五話 森の王ルグルガルフ
薄暗い森の中を、咲弥達は駆け抜ける。
そのさなか、ジークがル・ダ村の現状について語った。
ガルス族は長い間、飛竜と森の王との間に挟まれ、日々の暮らしを営んでいる。
それは生物としての本能なのか――言葉を交わさずとも、お互いの領域は侵さないという距離感を保っていたらしい。だが数年前、突如その均衡は破られた。
つまりは、魔物の活発化による影響が訪れたのだ。
これに激怒をしたガルス族は、自分達の領域を護るため、森の王と飛竜を相手に、小競り合いが度々起こっている。
最初の頃は、まだその程度のものでしかなかった。
「――だが村の過激派達は、それをよく思っていなかった。森の王と飛竜を、纏めて屠ればいいと考えている。しかし、それがさらに火蓋を切った」
ジークの語りに、ゼイドが口を挟んだ。
「森の王が村へと攻め込んでくるまでに、あっちもあっちで激怒したってことか」
「ああ。そうだ。その兆しは、前々から確かにあった」
門番達の言葉の意味を、咲弥はやっと理解できた。
人間ごときに関わっている暇はない――
きっと、緊迫した状況が続いていたのだろう。
ネイが苦い顔をして、ジークを向いた。
「まさかとは思うけれど……ルアンダを飛竜の領域に送った理由って……」
「大半は、私への嫌がらせだ。しかし過激派の算段があった可能性は否めない」
ネイが呆れ気味のため息をつく。
獣人至上主義による、単純で厄介な問題だと捉えていた。想像を遥かに超え、そこには複雑な思惑が蠢いている。
ネイはなにげない声を紡ぎ、ジークに問いかけた。
「ところでさ、森の王――零級の魔物よね? 調べてもよくわからなかったんだけれど、いったいどんな魔物なの?」
「骨の面をかぶった獣みたいな絵画が、遺されてはいる……しかし実際のところ、私達も目にしたことがないため、よくわからない」
「へっ……?」
間の抜けた声を漏らすネイと同様、咲弥も内心で驚く。
ジークの黒い瞳が、ネイのほうへと流れた。
「正体を現したこと自体、一度もないからだ」
「じゃあ、本当にいるかどうかなんて……」
「いる。それは、絶対だ」
ネイの言葉を遮り、ジークは野太い声を紡いだ。
「実際の正体までは、正直よくわからない。だが村では遥か昔から、こう呼ばれている――森の王ルグルガルフ、と」
(森の王ルグルガルフ……)
もとの世界で聞く名が、時折、飛び出てくるときがある。
しかし今回は、咲弥にはピンとこない名称だった。
それは単純に咲弥の知識不足なのか、またはこちらの世界ならではの魔物なのか、あるいは別の使徒であれば認識する存在なのかもしれない。
空想的だった存在が、この世界では普通に存在する――
咲弥と同様、使徒クードもそう言っていたのだ。
いずれにしろ、今回は想像しがたい魔物に違いはない。
(ん……ここは……)
ふと気づけば、少し見覚えのある場所までやってきた。
記憶違いでなければ、もうじきル・ダ村まで辿り着ける。
そのとき――紅羽が可憐な声で告げた。
「前方に、複数の反応があります」
「魔物っぽい気配ね」
ネイが補足を聞き、咲弥に緊張が走る。
咲弥達は一斉に立ち止まった。
少し遅れて、咲弥もあちこちから気配を察知する。なかば本能的に背負った荷物を下ろし、黒白にオドを流し込んだ。
漆黒と純白の獣の手を形作りながら、戦闘態勢を整える。
「来るぞ!」
ゼイドが、肩から荷を落としながらに叫んだ。
前方で黒い影が、ゆらりと揺らめく。
ジークはルアンダを降ろして、長槍で臨戦態勢に入る。
それぞれが周辺を深く警戒していた。前方からやってきた魔物の群れが、咲弥達を大きく取り囲んでいる気配がある。
木々の隙間から、咲弥は目でも魔物を何体か捉えた。
咲弥の眉間に、自然と力がこもる。
一見では、ゴリラやチンパンジーといった類人猿のほか、トラやイノシシみたいな四足獣の魔物だった。それ自体は、特に珍しい話でもない。
この世界には、近しい容姿をした存在など数多くある。
(別々の魔物なのに……統率が取られてる……?)
飛竜フォティタスみたいに、同種の中でしっかりと統率が取られていた事実は、賢過ぎて恐ろしくはあるものの、特に不思議でもなんでもない。
しかし周囲にいる魔物は、明らかに別種の集いなのだ。
これまでの間、そんな魔物を見た記憶が一度もない。
(森の王……)
その呼び名の意味を、今になってようやく理解した。
たとえ姿を人前に現さずとも、そこには確かに王と呼べる何かが潜んでいる。
最初に向かってきたのは、トラみたいな魔物であった。
自慢の四肢を駆使して、翻弄する算段なのだろう。
だが、それはよくない。
こちらには、もっと素早い機動力を持った人物がいる。
軽やかに樹上へ行ったネイが、投げナイフを放つ。
翻弄しようとした魔物が、脳天を貫かれていた。
次いで、別の場所から大型犬に近い魔物が攻めてくる。
しかし姿を現すなり、光の矢で脳天を撃ち砕かれていた。
まるで堰を切ったように、あちこちから魔物が迫り来る。
「剛力の開花!」
ゼイドの黄土色をした紋様が、豪快に砕け散った。
するとゼイドの両腕が、ぶくりと膨れ上がる。
重そうな戦斧を振り回し、ゴリラっぽい魔物を両断した。
「ハァッ!」
ジークはルアンダを守りながら、迫る猛獣を長槍で突く。
さすが、戦闘民族だと呼ばれるだけのことはある。的確に相手の急所を貫き、即座に次の攻撃へ転じている。そこには無駄がいっさいない。
仲間達の状況を把握しながら、咲弥も参戦する。
まずイノシシみたいな魔物の横腹を、黒爪で引っかいた。そのまま流れるように黒爪を並び揃え、チンパンジーに似た魔物の首を手刀で刎ね落とした。
咲弥は気を抜かず、背後以外に視線を走らせる。
背後から二体くらい迫っているが、それは気配から容易に察知していた。
だからその前に、まずは別の部分を警戒したほうがいい。
背後以外に、魔物の気配はなさそうだった。
咲弥は即座に振り向き――
不意に、上空から二体の影が落ちてくる。
(んなっ……)
上空へは、意識が行き届いていなかった。
咲弥は自分の失態に、少しばかり意識が逸れる。
二体の影は、ガルス族であった。
咲弥の背後にいた魔物を、上空から長槍で串刺しにする。
紅羽がルアンダに寄り、ネイも上空から飛び降りてきた。
周囲にはもう、魔物の気配はない。
しかし、一息ついている暇もなかった。
片方は緑色、もう片方は青色の模様を持つガルス族――
緑色の模様を持つガルス族の男が、太い声を発する。
「魔物かと思えば、お前だったのか。ジーク」
青色の模様を持つガルス族の男が、次いで声を紡いだ。
「下等生物を、無事に救えたようだ」
「そんな下等生物をたくさん抱え、嘆かわしいな」
「ああ。実に、嘆かわしい」
ジークが一歩前を進んだ。
「レッツ、リード。今は言い合いをしている場合ではない。村の護りが先決だ」
どちらがレッツでリードなのか、咲弥にはわからない。
服装と模様の違いはあれども、顔がみんな同じに見える。
青い模様のガルス族が、まずは言った。
「村の護り? 下等生物とつるむお前がか?」
「お前の力など、必要ない」
「異端め。下等生物と怯えていろ」
「ガルス族の面汚しめ」
咲弥の胸に、なんとも言えない想いが込み上がる。
もはや獣人至上主義の枠を、超えているような気がした。
言葉の数々が刃となり、誰彼構わず傷つけている。
しかしジークは気丈な振舞いを見せ、静かに声を紡いだ。
「何を言われても構わない。私は、生まれ育った村を護る。ただ、それだけだ」
「好きにしろ」
緑の模様を持つガルス族が、そう吐き捨てた。
二人のガルス族は顔を見合わせ、俊敏にその場から去る。
少しの沈黙から、ルアンダが悲しげな声を発した。
「ジーク……」
ジークは首を横に振り、気を取り直したようだ。
「見苦しいところを見せてしまい、すまない。先を急ごう」
「……ええ」
ネイはため息まじりに、短い言葉で同意を示した。
咲弥は落とした大型のリュックを背負い、ジークに頷きで合図を送る。ほぼ同時に、ゼイドもまた大荷物を背負った。
ルアンダを腕に抱え、ジークが集団の先頭を走り抜ける。
ル・ダ村までの道中は、まるで道標のごとく魔物の死骸が転がっていた。
おそらく、さきほどのガルス族が討ったのだと思われる。
死骸のあちこちに、長槍で突かれた痕があるからだ。
戦闘民族――噂に違わぬ実力を持っている。
そんなことを考えながら森を駆けた先に、やっとの思いでル・ダ村に辿り着く。森に溶け込むようにあるル・ダ村は、しかし空がよく見えた。
もうまもなく、夜がやってくる。
ところどころで火が灯された村は、まだ明るさがあった。
咲弥はふと、最初に訪れた村での記憶がよみがえる。
あの頃も夕方から森を駆け抜け、夜の中で獣と対峙した。
ル・ダ村と同様、火で暖と明かりを保っていたのだ。
不意に、遠くのほうで喊声が響く。
ジークが進める足を速め、喊声が上がったほうを急いだ。
村の中は、かなり滅茶苦茶に荒れている。
それこそ、戦争が起こったと連想させるぐらいであった。
あちこちで黒煙が発生し、ひどく焦げた臭いが鼻を突く。
「ジィークッ!」
突然、腹に響くような怒声が上がる。
咲弥は驚き、足を止めてから振り向いた。かなり物々しい格好をしたガルス族を中心に、複数人のガルス族がこちらのほうへと歩み寄ってきている。
ジークが凛々しい顔を向け、そして呟いた。
「……酋長リバーク」
ほかのガルス族よりも、酋長は一回りくらいでかかった。
かなり威圧感があり、圧迫感もある。
酋長リバークは険しい顔で、ジークを前にした。
「その下等生物どもはなんだ。なぜ村に立ち入っている!」
「彼らは勇敢な戦士達だ。手を貸していただいている」
「愚か者めが! 下等生物の力など、ただの害でしかない」
ジークはリバークを見上げ、引き下がらない。
「今は些末なこと。村の危機を回避するのが先決だ」
「否。まずは下等生物の処罰が先だ」
首長リバークの鋭い瞳が、咲弥達のほうへ向いた。
想像に難くない展開ではあるが、そんな場合ではない。
今もほかのガルス族は、魔物を相手に戦っている音が鳴り響き続けているのだ。
緊急事態を差し置いても、人間を認めないらしい。
ジークがくっと息を詰め、リバークに向き直った。
「処罰なら、あとで私が受ける」
「お前では話にならん。莫迦息子が」
咲弥はぎょっとした。ジークとリバークを交互に見る。
酋長の息子だったとは、かなり衝撃的な事実であった。
緊迫した状況下、険しい目つきで親子が睨み合っている。
リバークは言った。
「その下等生物。見逃してやったが、今回はもう見逃せん」
「よせ。彼女は命の恩人だ。そして、彼ら戦士達も恩人だ」
「下等生物が恩人? それでも、誇り高きガルス族か!」
「なんと言われようとも、その事実は覆らない」
リバークはひどく呆れた面持ちで、深いため息をつく。
冷たく鋭い目で、リバークは告げた。
「お前は、私の息子ではない。すべてが終わったのち、この村から追放する。昔のお前に戻ってくれることを期待したが……無駄だったようだ」
ジークは顔を伏せ、ほんの少し寂しそうな顔を見せた。
しかしすぐに、凛々しい顔で父親を向く。
「それでも、構わない。私は、私の信念を貫く」
「誇りなきお前など、ガルス族ではない。ただの異端者だ」
ずっと、黙っていた。
これはガルス族の問題だと、そう思ったからだ。
しかし、咲弥は――
「あなたも同じ……心を持った人じゃないんですか……?」
自然と、そう声を紡いでいた。
あまりにも悲しく、あまりにもやるせない気持ちが募る。
ジーク達の視線が、咲弥へと流れてきた。
「実際のところ、どちらが上か下なんてよくわかりません。ですが……人間も獣人も、ほかの種族もみんな、同じように心を持った人じゃ、ないんですか? それなのに、どうしてそんな心のない言葉を……息子に、家族にぶつけるんです」
咲弥の目もとから涙がこぼれ、ぽたりと落ちる。
「獣人が、本当に優れた存在だって言うなら、せめて誇れることをしてください……誰から見ても、憧れるような存在であってください。そうでないのなら、あなた達の言葉に……いったいどんな力があるっていうんですか」
咲弥は真っ向からリバークを見据える。
この世界に来て、久々に咲弥は父親の姿を脳裏に描いた。
家族を思いだせば、寂しさが募る。
だからずっと、心の中に閉じ込めていたのだ。
しかし今、思いださずにはいられなかった。
自分の父親なら、そんなことは口が裂けても言わない。
そう確信できるだけの絆が、息子の咲弥にはあった。
リバークは鼻で嗤った。
「下等生物が、生意気に説教か」
「僕は別に下等生物でも構いません。でも……ジークさんに言った言葉は、撤回してください。あなたが本当に誇り高いガルス族というなら、できるはずです」
咲弥は、リバークから視線を逸らさない。
リバークもまた、咲弥と視線を重ね合わせてきた。
視界の端で、ジークが小刻みに頷いたのが見える。
「咲弥殿、感謝する。だが――」
ジークの言葉を遮り、重い悲鳴と同時に地響きが鳴った。
紅羽が即座に弓を構え、ネイは臨戦態勢を取っている。
二人に遅れ、咲弥もすぐに気づいた。
「あれは……森の王ルグルガルフ」
リバークが、呟くようにそう言った。
闘牛を思わせる頭蓋骨――それは、仮面なんかではない。
骨の頭を持つ、目が左右に三つずつ並んだ魔物であった。
漆黒の毛を体中に生やしており、ガルス族ですら子供だと思えるくらいの体格をしている。容姿だけを見れば、どこか悪魔みたいな雰囲気が醸されていた。
そんな森の王が、じっとこちらの様子をうかがっている。
咲弥は、はっと息を呑んだ。
森の王の両手には、首を掴まれた二人のガルス族がいる。
「レッツ、リード……くっ……」
ジークの呟きに、咲弥の心臓がドクンッと跳ねた。
よく見れば、まだ記憶に新しい青と緑の模様が体にある。レッツとリードの首は歪なくらい折れ曲がっており、すでに死んでいるとすぐ理解にまで及べた。
胸をえぐられるような痛みを抱えながら、咲弥は森の王を警戒して見据える。
ほかの魔物達とは違い、異質な気配が色濃く漂っていた。
零級の魔物――ジャガーノート級の危険生物に違いない。
痺れるような緊張が走り抜ける中、リバークが言い放つ。
「よかろう。下等生物。あいつを討てば、ジークへの発言は撤回してやる」
「え……?」
「言葉などではなく、力で示してみせろ。下等生物」
悩むまでもない。
だが森の王は危険だと、本能が警鐘を鳴らしている。
それでも――咲弥は大型のリュックを、地へと下ろした。
「約束です」
「ああ」
森の王のほうへと、咲弥は足を進める。
ふと、背後にネイの気配を感じ取った。
「まったく……怪物お節介小僧め……しょうがないわね」
「すみません」
呆れた様子のネイには向かないまま、咲弥は謝罪した。
咲弥の隣に、紅羽が並んだ。
「私は咲弥様の仲間です。ご一緒します」
「ありがとう。紅羽」
紅羽とは逆側に、ゼイドが詰め寄った。
「零級か……俺、死ぬかもなぁ」
「ははは……大丈夫ですよ。心強い仲間達がいますから」
そう言って、咲弥は両腕にある黒白を解放する。
右手は黒と赤が交じる、悪魔を連想する獣の手に――
左手は白と金が交じる、どこか神々しい獣の手に――
咲弥は足を止め、戦闘態勢を整えた。
森の王が一歩後退する。かなり警戒している様子だった。解放した黒白を見て、本能的に危険だと察知したのだろう。
紅羽は弓を引き絞り、ゼイドは戦斧を手にする。
ネイが咲弥の上を飛び、前に出てから短剣を構えた。
「さぁてと。いっちょ、やったりますか」
「おう!」
「了解しました」
「はい――行きます!」
咲弥の掛け声で、全員が一斉に――
森の王ルグルガルフへと向かった。