第三話 戦闘民族
山々に囲まれた森の中に、ル・ダ村はある。
まるで自然の一部として溶け込むように、獣人ガルス族は暮らしを営んでいる。
長い道のりを歩き、咲弥達は目的の村を前にしていた。
「下等生物が、ここに何用だ?」
手に長槍を持った門番と思しきガルス族の男が、腹に響く重い声音を放った。
その男の隣には、同じく長槍を持つ女のガルス族がいる。正直なところ、女性特有の服装を見なければ、性別の区別は非常に困難であった。
豹を思わせる容姿をしたガルス族――漆黒の毛並みには、どこか刺青みたいな模様が入っている。どうやら模様の色と形は、人によって異なるらしい。
片方の模様は白く、もう片方は赤い模様をしている。
性別で違うのか、または遺伝的なものかはわからない。
そしてどちらも、二メートルは超える背丈があり、肉体も完璧なぐらいに鍛え抜かれている。それは素早さを殺さない鍛え方だと思えた。
凛々しい顔つきをしており、目力がとにかく凄い。
戦闘民族――確かに、噂に違わない存在の様子だった。
力強く纏っているオドからも、ひしひしと伝わってくる。
(……なんかちょっと、怖いな……)
咲弥は胸中で、そんな感想を呟いた。
ゼイドが、一歩を前に踏み出る。
「突然の訪問を、許してほしい。実は乗っていた飛行船が、飛行型の魔物と衝突してしまい、ル・ダ村付近にある砂浜に墜落してしまったんだ」
ゼイドは簡潔に理由を告げ、落ち着いた口調で続けた。
「ただこちらには、少し込み入った急ぎの用がある。だから可能であれば、どうか迅馬をお借りできないだろうか?」
ゼイドの懇願を聞き、門番二人は同時にため息をついた。
白い模様をした男のガルス族が、呆れ声で言ってくる。
「我らが同胞よ。実に嘆かわしい」
「ああ、実に悲嘆である」
「我ら獣人の誇りを失ったか?」
「下等生物が造りし代物に頼るなど、言語道断だ」
話に聞いた通り、本当に人間を受け入れる様子はない。
ゼイドは困り顔を見せた。
「迅馬さえ借りられれば、すぐこの地から去ると約束する。だからどうか、それで許してはもらえないだろうか?」
赤い模様をした女のガルス族は、一歩を大きく踏み出た。
「ならん」
「下等生物のために、心を組んでやる気はない」
「去れ。人間ごときに関わっている暇はない」
「ここは、我らの領域だ」
「下等生物の侵入など、即刻排除すべき案件」
「これが我々のしてやっている、最大限の心配りだ」
ゼイドは首を振りながら嘆息し、咲弥達を振り返った。
「行こう。なあに、歩くのも悪くないさ」
ゼイドは両手を広げ、ゆっくりと歩み寄ってくる。
手振りから離れようといった意図を、咲弥は呑み込んだ。
ガルス族の説得は、確かに不可能に違いない。こんな短いやり取りからも、そう断定できるくらいの理解には及べた。
獣人至上主義――想像以上に厄介な壁なのかもしれない。
少し離れた地点で、女門番の声が飛んだ。
「同胞よ」
肩越しに振り返ると、こちら側を二人は眺めている。
女のガルス族が、声を高く張った。
「願わくは、目を覚ますことを祈る」
「下等生物は、淘汰されるべき存在だ」
ゼイドは振り返りもせず、手を振って応えていた。
ル・ダ村から、大きく離れた場所にある森へと入る。
不意に、ネイが大袈裟なため息をついた。
「はぁ……マジ、むかついたわ……」
「ははは……よく我慢できたな。偉いぞ」
いつものネイであれば、完全に煽り散らしていただろう。
交渉はすべてゼイドに任せ、いかなる場合があっても声を発さない――村に着く前に、そう取り決めていたのだ。
ネイが片目を細め、ゼイドのほうをキッと睨む。
「惜しかったわね。危うく、口から手が出そうになったわ」
「おいおい……戦争が始まっちまうぜ」
ゼイドは肩を竦め、なだめる口調で言った。
苛立ちが収まらないのか、ネイが拳でゼイドをぐりぐりと攻撃している。
ゼイドは苦い顔をして、静かに耐え忍んでいた。
さすがに今回ばかりは、咲弥も口を挟む気にはなれない。
同じ心をもった人のはずなのに、心のない言葉を発する。
それはとても悲しく、同じくらい苦い気持ちを抱かせた。
「そこの旅の方々、待たれよ!」
不意に、勇ましげな男の声に呼び止められた。
背に長槍を携えた一人のガルス族が、こちらのほうへ走り向かってきている。
「げっ――」
うめいたのは、ゼイドだった。
咲弥も内心、穏やかではない。話を聞かれたのか、粗相があったのか、理由はわからないが勢いよく迫ってきている。
はらはらとしながらも、まずは見守るほかない。
金色の模様を持つガルス族が、咲弥達を前にした。
「突然、呼び止めてしまって申し訳ない。オドの流れから、相当な使い手だと判断させてもらった。少々、私にその力を貸していただけないだろうか?」
唐突な懇願に、咲弥は困惑した。
なにやら、かなり切羽詰まったような雰囲気がある。
ネイが後頭部に両手を回し、そっけない声を投げた。
「なぁんで、力を貸さなきゃならないわけ? 私達あんたらガルス族に、それはそれはもう、はらわたが煮え返るくらいご丁寧に追い返されたんだけど?」
「お、おい……」
ゼイドが大慌てで、ネイを制する。
ガルス族の男は、くっと息を詰めた。
「村の非礼は、私のほうから詫びよう――すまない。だが、今は一刻を争うゆえ、どうか私に力を貸していただきたい」
さきほどのガルス族とは、明らかに雰囲気が違っていた。
理由はわからないが、咲弥はネイに告げる。
「なんだかよくわかりませんが、困ってるみたいですよ」
「私らだって、困ってるわよ!」
「それは、そうですが……いったい何があったんですか?」
ガルス族の男を振り返りながら、咲弥は疑問を呈した。
ガルス族の男は、胸に手を添えて一礼する。
「私はル・ダ村の、ジーク・ガルス――一刻を争うゆえに、簡潔に申し上げる。これより飛竜の住まう山へ、ある人間の娘を救いに行きたい」
咲弥の肩が、わずかに飛び跳ねる。
飛竜以上に、人間の娘といった部分に驚きを隠せない。
ガルス族は人間を、下等生物だと見下している。
それなのに救いに行くなど、少し訝しく思えた。
疑問は尽きないが、しかし咲弥はネイ達を振り返る。
「手を貸しては、いけませんか?」
「出たな! 怪物お節介小僧……!」
ネイがひどく渋い顔をして言った。
謎の呼び名が生まれ、咲弥も自然と苦い顔になる。
ネイは呆れた様子で、ため息を吐きながら小首を傾げた。
「絶対、言うと思ったわ。止めても、きかないでしょ?」
「危ないんだろ? 早く行こう」
ゼイドの言葉に、ジークはぐっと目を瞑った。
「心より……感謝する! 私についてきてくれ!」
駆けだしたジークの背を、咲弥達は追った。
最短の道を走っているのか、森の中の足場はかなり悪い。
そのさなか、ジークが声を紡いだ。
「遅れて申し訳ない。君達の名を伺ってもいいか??」
「あ、すみません。僕、咲弥っていいます」
「ゼイドだ」
「紅羽です」
「ネイよ」
一通り簡単な自己紹介を終えると、ジークが頷いた。
「既知の事実とは思うが、ル・ダ村は古い考えを持った者が多い。人間は進化できなかった下等生物だと……少なくとも私は、その括りにはいない」
それは確かに、嘘ではなさそうだった。
応じ方や目的が、明らかに門番達とは異なっている。
「救出したい人間の娘、ルアンダは……私の恋仲の者だ」
咲弥はぎょっとする。これには、戸惑うほかない。
ジークは話を続けた。
「むろん、村の者達はよく思っていない。排他的な連中だ。私に対する当たりもつらい。しかしそれは、別に構わない。問題は彼女へ矛先が向くことだ」
ジークは言いながらに、獣道を楽々と素早く駆け抜ける。
数年、あるいは数十年――人が出入りしていないと思しき獣道は、常人なら進むことすらも困難だろう。硬い草や木の根が張り巡らされ、岩石も非常に多かった。
一歩間違えれば、それこそ大惨事になりかねない。
そんな危険な場所を、ジークは喋りながらに進んでいる。
正直なところ、咲弥は追いかけるだけで精一杯だった。
こういった山の中での訓練は、なかなかできない。
背負っている大荷物さえなければ、もっと余裕はあったと思える。とはいえそれは、ただの言い訳にしかならない。
咲弥は自分の修行不足を、心の中でこっそりと嘆く。
きっと普段の会話でなら、相槌に近い疑問を投げていた。
ただ今の咲弥に、そんな余裕はまったくない。
「いったい、何があったんだ?」
咲弥が問いたかった疑問を、ゼイドが代わりに訊いた。
咲弥は内心、さすがだなと感心させられる。
紅羽とネイは当然のこと、ゼイドも咲弥と同様に、丸々と太った大型のリュックを背負っていた。だが咲弥とは違い、ゼイドからは余裕がうかがえる。
ジークは前を見据えたままに、ゼイドの問いに答えた。
「村の連中がルアンダを誑かし、飛竜の領域へ向かわせた」
「どうして、そんなことになってんのよ」
「ルアンダは、そこに私がいると思っている」
ネイに答えたのち、ジークは簡潔に補足する。
「ルアンダはいつも憂いていた。同じ人であるはずなのに、なぜすれ違うのか……だからガルス族の者に受け入れられた顔をされ、騙されてしまったらしい」
咲弥は漠然と内情を掴めてくる。
ゼイドが呟くように言った。
「なんつぅーか……ひでぇ話だな」
「返す言葉もない。もっと私が、注意すべきであった」
「そうじゃねぇ。騙した奴らに対してだ。嫌うのはわかる。だが、だからといって、相手を貶めてもいいわけじゃねぇ」
「生まれた頃から、私達はそう教えられてきた……だから、仕方がない」
咲弥は内心ではっとなる。
きっと全員が全員、最初からそうだったわけではない。
しかし同じ気持ちを抱く者達が集い、そこに生まれれば、必然的に人間は下等生物だと、そう教え込まれるのだろう。ある種それは、洗脳にも近いと思える。
ネイは呆れ声で、ジークに問いかけた。
「じゃあ、なんであんたはそうじゃないわけ?」
「ルアンダに……救われたからだ。魔物との戦いで傷ついた私を、彼女は手厚く看病してくれた。私が心のない言葉を、彼女に対して吐き捨ててもなお、だ」
ジークは、黙考するような間を置いた。
「ルアンダと出会うまでは、私も同じだ。何も知らない――いや……他種族を知ろうともせず、それが当然かのように、信じて疑わなかった。だが彼女と出会い、心で触れ合い……同じ人だと学んだ。それが経緯だ」
不意に、ジークが手を上げてから立ち止まった。
誰もが足を止め、ジークのほうを見つめている。
ジークは虚空を見上げ、それから咲弥達を振り返った。
「この先から、飛竜の領域へと入る。充分に注意してくれ。ここの飛竜は、フォティタス――火を操る獰猛な魔物だ」
それは前日に、ネイから聞いて知っている。
ワイバーン型の危険な飛竜だ。
「それで、そのルアンダとやらの居場所はわかるのか?」
ゼイドの問いに、ジークはこくりと頷いた。
「ルアンダは、普通の娘だ。だから私達が通ってきた道は、進みたくても進めないだろう。人でも通れる、古びた旧道を使っているはずだ。私についてきてくれ」
ジークは再び、咲弥達を誘導した。
ほどなくして、ジークはまた足を止める。
崖の先から見渡せる光景に、咲弥は目を大きく見開いた。
まったくないわけでもないが、見渡せる山々に木々はほぼ生えていない。そこは禿山というよりは、もはやただの岩石地帯に等しい景色だと思える。
そんな場所に、恐ろしい数の飛竜フォティタスがいた。
色褪せた黄緑の体色をしたフォティタスは、無数の赤黒い線で彩られている。その両翼は話に聞いていた通り、まるで蝙蝠と似た形をしていた。
半数が空を舞い、もう半数は山肌に張りついている。
咲弥はふと、ある一体のフォティタスに目を奪われた。
岩肌の山を這うように飛行――咲弥は、はっと息を呑む。
「ルアンダァアッ!」
ジークが猛獣のごとく叫んだ。
ジークは駆け、崖を素早く下っていく。
低空飛行を続けるフォティタスの先に、咲弥も一人の女を発見していた。
しかし現在地からでは、あまりにも遠い。
道とは呼べない険しい崖を下り、さらに少し先のほうまで迂回する必要がある。飛竜みたいに飛べば話は別だろうが、確実に間に合う距離ではない。
ジークを追おうとした直後、ネイが声を張り上げた。
「私を信じろ!」
そう告げるや、ネイが崖から颯爽と飛び降りる。
紅羽が後を追い、それからゼイドも続く。
動こうとした咲弥の足が、ぴたりと止まった。
別に、ネイを信用していないわけではない。
ただ少々の高さならいざ知らず、ここは恐ろしいくらいに高いのだ。そのせいか、飛行船から落とされたときの記憶が突然フラッシュバックする。
そのトラウマが、咲弥に一歩を踏み出す勇気を奪った。
(う、うへぇえ……)
眼下の光景に、咲弥は眩暈と吐き気を覚える。
事態は一刻を争う。人の命がかかっているのだ。
頭では理解している。しっかりと、わかってはいた。
トラウマさえなければ――恐怖を噛み殺し、咲弥は叫ぶ。
「うぉおおおおっ――!」
時間にすれば、そこまでの差はなかったのかもしれない。
それでもやや遅れ、咲弥は心を殺して崖から飛び降りた。
やや遠くに見えるネイが、かなり呆れた顔をしている。
「おっそぉい!」
咲弥に応える余裕はない。
冒険者資格取得試験で生まれたトラウマが、さきほどから際限なくフラッシュバックしていた。少しでも気を抜けば、一瞬で気絶してしまいそうになる。
「光の紋章第七節、明滅の流星」
紅羽が浮かべた純白の紋様が、ガラスみたいに砕け散る。
まず紅羽が、光のごとき速さでルアンダを目指した。
凄まじい勢いで、ルアンダのほうへと向かっている。
「風の紋章第四節、自在の旋風!」
ネイが声高らかに唱えた瞬間、若草色の紋様が弾ける。
ネイが咲弥とゼイドを、柔らかな風に乗せて運んでいく。それは大空を舞う、鳥にでもなれたような感覚ではあった。だが、トラウマのせいで恐怖しかない。
今は、人命救助が先決――
咲弥は心の中で、何度も自分にそう念じ続ける。
震える手を前に伸ばし、咲弥は空色の紋様を宙に描いた。
「おっ……お、いで、黒白」
咲弥が命じた瞬間――空色の紋様は砕け、両腕が淡い光に覆われる。右手は漆黒の籠手、左手は純白の籠手が装着した状態で現れた。
咲弥は籠手にオドを流し込み、黒白を解放しておく。
光沢感のあるモヤが、瞬間的な速さで両腕を呑み込んだ。
右手は黒と赤が交じる、悪魔を連想する獣の手に――
左手は白と金が交じる、どこか神々しい獣の手に――
戦闘態勢を整い終え、咲弥はぐっと前を向いた。
かなり遠い距離にいたルアンダのところへ、もうまもなく辿り着ける。
それでも、まだまだ距離は遠い。
低空飛行をしていたフォティタスが、もうじきルアンダに到達してしまう。
ルアンダに向かいながら、大きな口を開けていた。
(僕達では間に合わない……でも……!)
それはまさに、流星にも等しい輝きを放っている。
ルアンダを狙ったフォティタスの顔面に――紅羽の強烈な蹴りが炸裂した。