第一話 さあ、歩こうか
メッセージが届いてから、二日後となる昼頃――
柔らかな砂浜に座り込み、咲弥はただ遠くを眺めていた。
海はとても蒼く、ずっと先のほうまで澄んでいる。まるで大空と繋がっているような、神秘的な光景が広がっていた。
穏やかな波が時折、涼やかな音を響かせる。
景色を楽しんでいた咲弥は、ふと首を捻った。
(あれ……なんで、ここにいるんだったっけ?)
現実逃避の時間は終わり、途端に嫌な冷や汗が湧き出る。
咲弥はある場所へ、ゆっくりと視線を向かわせた。
砂浜を深くえぐり、飛行船はただ沈黙している。
飛行型の魔物に追突されてしまい、飛行するための動力が損傷してしまったらしい。幸い怪我人は出なかったものの、飛行船の被害はかなりひどい状態だった。
空の船乗り達が今現在、必死になって修理に励んでいる。
だが、修理が終わる見通しは立っていない。それ以前に、飛行が可能な状態にまで直せるのか、それすらもわからない雰囲気が漂っている。
咲弥の右隣で座っている、獣人ゼイドがぼそっと呟いた。
「海はこんなにも、穏やかだってのになぁ……」
「はあ……うちの男どもは、ほんと情けないわね……」
咲弥の左隣にいる赤髪のネイが、呆れ声で応えた。
彼女はじっと、手にしている地図を睨み続けている。そのネイと一緒になり、銀髪の少女、紅羽も地図を眺めていた。
「修理の目処が立たない以上、徒歩での移動をすべきです」
「うぅ~ん……最悪なのが、この場所なのよねぇ」
「飛行船がある町までは、どうしても五日はかかります」
「あんたや私なら、まあそうなんだけれど……」
「まずこの村で、迅馬がないか確認してはどうでしょうか」
「そのためには、ここを通らなきゃならないわよ?」
「それは、おっしゃる通りですが――」
「だとすれば――」
女性陣の会議に、加われる隙などなかった。
男性陣はただ、海を茫然と眺めているしかない。
距離的な話をすれば、まだ隣の大陸へ渡ったに過ぎない。
昨日の夜にレイストリア王国から乗った飛行船が、咲弥の付近にある残骸なのだ。無事といってもいいのか――幸い、シルグレイド大陸にまでは到達している。
本来、このシルグレイド大陸にある、ルーンセッチという名の都で、また新たに飛行船を乗り換える予定であった。
次の大陸を渡る場合、ルーンセッチに行かねばならない。だがその都まで行くには、別の町で飛行船に乗らなければ、あまりにも遠過ぎるのだ。
それこそ、国を二つ三つと越えなければならない。
しばらくして、ネイがよしと立ち上がる。
「これ以上は、考えていても仕方がないわね」
ネイはそう言って、紅羽との会議を打ち切った。
「さあ、歩こうか!」
紅羽も立ち上がり、こくりと無言の頷きで応えた。
咲弥は腰を上げ、丸々と太った二つの大荷物を前にする。
一つは咲弥が背負い、もう一つはゼイドが背負うのだ。
準備が済み、ネイと紅羽を先頭に歩き始める。
「それじゃあ、簡単に説明するわね。いい? まずは――」
ネイが淡々と、これからの経路を話し始める。
今現在、シルグレイド大陸の南西に位置する浜辺にいた。
ルーンセッチは、真逆となる北東にある。だからまずは、一番近い場所にある獣人の村――ル・ダ村へ行くしかない。
ここまでを聞き、不意の声を上げたのはゼイドであった。
「待て待て待て。ル・ダ村だと? そこは、やべぇぞ」
「だって、仕方がないじゃない」
ネイの不満声に、ゼイドはたどたどしい様子で応えた。
「あそこは、獣人至上主義の集まりだぞ」
「ええ、そうね。人間の進化が獣人――って、考えをもった奴らが暮らしてる場所……一筋縄ではいきそうにないわ」
「なんで、他人事だ? 俺だけなら問題はないが、お前らは完全アウトだぞ」
ゼイドの抗議に、ネイは指を三本立てて見せた。
「どれがいいの? 一つ、獣人以外に超排他的な村。二つ、零級の魔物が君臨する大森林。三つ、飛竜が舞う山道――」
「それは……全部、同じぐらいやべぇだろ……」
ゼイドは重いため息を漏らした。
確かにどれもこれも、かなり危険そうな雰囲気がある。
咲弥は、ふとした疑問を呈した。
「零級の魔物ってことは、空白の領域があるんですか?」
「いいえ。普通の大森林……あのね、零級の魔物が存在するからって、空白の領域になるってわけじゃないのよ」
ネイからの指摘に、咲弥は苦笑で誤魔化した。
いじられても困るため、早々に話題を切り替える。
「それにしても、獣人至上主義ですか……」
「老人達の中には、そういうのも多いんだが……まったく。古臭い考えを、いつまで大事にもってんだかなぁ……」
ゼイドはため息まじりに、そう呟いた。
ネイは小首を傾げ、なにげない声で述べる。
「まっ。確かに、人の進化と取れなくもないけれどね。ただ現実的な話でいえば、進化の枝分かれって説が有力よね」
「進化の枝分かれ……ですか?」
こういった分野は得意ではない。咲弥は首を捻った。
ネイは肩を竦め、微笑する。
「そっ。根源は同じだけれど、枝分かれして人と一緒に似た進化を遂げたってこと。だから人という分類なんだけれど、別の種族ってわけ」
「えぇっと……なんだか、結構難しい話みたいですね……」
「そんな難しく考える必要はない。人は人。同じ心を持った人で間違いはないんだ。だからどっちが上か下かじゃなく、別の進化を対等に遂げたってだけの話さ」
ゼイドの言葉に、ネイがさらに補足を重ねた。
「数多く存在する種族が、人間を起点として進化したという考えなのか、それよりも前を起点としたって考えなのか――その違いに過ぎないのよ」
完全には、まだ呑み込めていない。咲弥は曖昧に頷いた。
ただ、同じ心を持った人――そこに関しては理解する。
人と他種族に関しては、あまり調べていない分野だった。だがネイの口ぶりからすれば、解明まではされていない。
それは、至極当然の話でもあった。
地球のほうでも、確実と言えるほどの解明は――
(あっ……ようするに猿やゴリラとかが、人と対等な進化を遂げた場合が、この世界ってこと……なのかなぁ……?)
それはそれで、とても奇妙な想像にも思えた。
そこから連想が働き、不意の疑問が生まれる。
「そういえば、ちょっと変な話かもしれませんが……」
「ん? なんだ?」
応じたゼイドに、咲弥はおずおずと尋ねる。
「他種族間でのハーフ……子供ってできるんですか?」
「さすがに、そりゃオメェ……」
無知さをばかにされるかと、瞬間的にそう思った。
しかし、ゼイドは奇妙に微笑む。
「実は確率は低いが……あるな」
「あるんですかっ?」
「そりゃそうさ。たとえ種族は違えども、人なんだから」
「あ、あぁ……そうですよね」
咲弥は曖昧に生返事をすると、ネイが再び補足してくる。
「でもね、可能な種族と、不可能な種族があるの。例えば、人間と獣人、人間と森人は子供を作れるわ。けれど、獣人と森人では子供が作れないって感じでね」
「えっ? なんでですか?」
「同じ人ではあるけれど、同時に別生物でもあるからよ」
咲弥の頭が、次第にこんがらがってくる。
今度は、ゼイドが話を続けた。
「人間は、どんな種族とも子をなせる。まさに人の中間たる所以だな。しかしこれがあるせいで、獣人至上主義みたいなものも生まれたわけなんだがな……」
ゼイドが苦笑する。咲弥は静かに驚いた。
その話に関しては、確かに聞いた記憶がある。
だがそれは、特性や能力的な意味として呑み込んでいた。
交配に関してまで及んでいるとは、思いもしていない。
ゼイドはけらけらと笑い、結論的な話を告げた。
「つってもまあ、この広い世界で考えればごまんといるかもしれねぇが、変な話、異種族婚ってのはあまり聞かねぇな」
「ははは……」
極まれによくある的な、そんな物言いに感じられた。
複雑な種族問題を知り、咲弥は頭を悩ませる。いくらこの世界について調べようとも、知らないことはまだまだ多い。
「あと獣人といっても、大別すれば二種類存在するのよ」
ネイの言葉を聞き、真っ先にある種族の姿が浮かぶ。
狐っぽい見た目の、紳士的な性格をもった商人だ。
「あっ……トリッキーさんみたいに、最初からもう昇華した感じの方ですよね?」
「正解。じゃあ、分類としての名称をなんという?」
ネイの問いに、咲弥は唸った。
実はトリッキーに関して、調べた記憶がある。ただ、もう数か月も前の話となり、記憶がかなりあやふやであった。
「えっと、確か……トリッキーさんみたいなのは不変型で、ゼイドさんは変異型……で、合って、いますか?」
自信なさげに言った咲弥を、ネイはじっとりと睨んだ。
ネイから無言の圧を受け、咲弥は間違えたのかと焦る。
ネイは微笑しながら、小さく両手を広げた。
「正解。まっ、昔に比べたら、ちゃんと勉強してるわね」
「なんですか。間違えたのかと思いましたよ」
咲弥は苦笑まじりに言葉を返した。
ネイが肩越しに、いたずらな笑みを見せる。
「これから行くル・ダ村はね、その不変型の村ってわけ」
「見た目が豹っぽい、ガルス族と呼ばれる奴らだ」
ゼイドの例えを聞き、咲弥は漠然とした想像が浮かぶ。
ゼイドが優しい声音で諭してくる。
「一応、言っておくが……こういった話は、ここだけだぞ。俺はあまり気にしないからいいが、この手の話に過剰なほど反応する奴も多いんだ」
「特にこれから向かう村で口を滑らせたら、おそらくは磔のあとに火炙りかも」
咲弥はぞっと背筋を凍らせる。
獣人はやはり、デリケートな問題が多い。とはいえ、まだ学のたりない咲弥には、どれが逆鱗となり得るのか、判断が難しい場面もあるだろう。
知らず知らずのうちに――それが一番、怖い部分だった。
心配を募らせる咲弥をよそに、ネイが話を進める。
「正直、ル・ダ村に期待はしてないわ。だからもし、迅馬が使用できなければ、そこを越えた先にある港町まで徒歩ね」
「距離的な話でいえば、飛竜の住処を突っ切れば、港町まで早く辿り着けます。ですが――少々、危険が多いですから、遠回りをする形となります」
ゼイドが空笑いを漏らした。
「飛竜を少々の危険って言えるのが、すげぇな……凡人にはただの自殺だぜ」
「そんなにやばいんですか?」
咲弥の問いに、ゼイドは渋い顔で頷いた。
「どの飛竜にしてもだが……相当、やばい。まだ極寒の地を全裸で散歩しているほうが、全然楽かもしれんぐらいにな」
「うへぇ……」
咲弥はふと、飛行船で見た風神龍を思いだした。
分類的にいえば、きっとあれも飛竜の一種に違いない。
そこまで思ってから、確かにやばい雰囲気を感じられた。
ネイが指を一本立てて、涼やかな声を紡ぐ。
「ちなみに、山を根城とした飛竜の名は――フォティタス」
「うげぇっ……!」
ゼイドが、ひどく濁った声でうめいた。
咲弥は小首を傾げる。
「フォティタス?」
「ええ。ゴブリンみたいに、集団生活をする火の飛竜よ」
例えから、咲弥はそれとなく察した。
おそらくは、数が尋常ではないのだろう。
ネイが目を細め、なにやら睨んできているのに気づいた。
「な、なんですか?」
「問題。飛竜は三種類います。それは、なんでしょうか?」
「えぇっ……?」
唐突なネイの問いに、咲弥は激しく驚いた。
咲弥は戸惑い、視線が右へ左へと泳ぐ。
必死に思考を巡らせ、適切な解答を模索する。とはいえ、知らないことをいくら考えても、答えなど出るはずがない。
咲弥はなかば諦めの境地に達し、深いため息をついた。
「……わかりません」
「やれやれ……まずは、ワイバーン種。翼と腕が一体化した飛竜ね。次に、ドラゴン種。背中に翼が生えている飛竜よ。最後に蛇龍種。これは空、海と二種類いるんだけれど、翼を持たない蛇みたいな飛竜なの。これで三種ね」
咲弥はさきほどの記憶が、再びよみがえってくる。
「あのときの風神龍ヴァルジアは、三個目ですかね?」
「ヴァルジアは、またちょっと別の枠になるんだけれど……まっ、そんな感じかなぁ。そんで、本題――フォティタスは分類上、ワイバーン種なのよ」
「翼が腕って飛竜ですね」
「そっ。よくできました」
ネイの茶化しに、咲弥は苦笑を送る。
ただ漠然とではあるが、飛竜に関しての知識は得られた。
世の中には、本当にまだまだ知らないことで溢れている。
自分の勉強不足に呆れ果て、咲弥はため息をついた。
「でも……魔物が活発化している中、そんな危険なところの近くに住むって……怖いですね。大丈夫なんでしょうか?」
「見ればわかるけれど、あれは根っからの戦闘民族なの」
「戦闘民族……」
ネイの言葉を繰り返し、咲弥は閉口する。
咲弥からすれば、この世界に生きている人は、だいたいが戦闘民族と言っても差し支えない。そうでもならなければ、魔物に蹂躙されるからだ。
冒険者が言う戦闘民族が、どんなものか想像しづらい。
(見ればわかる……か)
咲弥は胸中で呟き、前を向く。
砂浜から森林を進み――
咲弥達は戦闘民族の住まう、ル・ダ村を目指した。