第零話 メッセージ
眩しい陽の光に目を細め、少年は賑わう商店街を進んだ。
いつもの黒いジャケットとブーツに、紺のズボンをはいた少年――咲弥は不安を抱えながら、酒場を目指している。
本日は珍しく、昼前までぐっすりと眠りこけてしまった。
連日の無理が祟ったのだと、しっかりと自覚している。
修行に依頼の請負と、今回は無茶が過ぎたのは否めない。
ただ働かなければ、日々の暮らしもままならなくなる。
唐突に腹が唸りをあげ、咲弥はそっと右手を当てた。
(……お腹、減ったな……)
普段なら、銀髪の少女が部屋まで迎えに来てくれる。
それから朝食を済まし、軽く修行するのが日課であった。
起こされた記憶はないが、部屋を訪れたのは間違いない。
起きない咲弥に呆れ果て、何かをしている様子だった。
(紅羽、どこで何をしてんだろ……?)
目覚めた直後、咲弥は慌てて通信機の確認をした。
すると紅羽から『少し出ます』とだけ、メッセージが一通入っていたのだ。
咲弥は謝罪のメッセージを返したが――どういうわけか、いまだに紅羽からの反応がない。そんな状況もまた珍しく、漠然とした不安を抱かざるを得なかった。
昼食時であるため、いつもの酒場にいる可能性は高い。
酒場に辿り着き、咲弥は木造の扉をゆっくり開いた。
女顔をした森人の少年が、明るい笑みをもって出迎える。
「あ、アニキ! いらっしゃい!」
「やあ、レン君。おはよう」
レンは呆れ気味な笑みを浮かべ、小首を傾げた。
「なんだ、アニキ。起きたばっかりなのか?」
「ははは……そうだね。つい、寝坊しちゃったかな」
「やれやれ。ぐうたらはいけねぇぜ」
レンの小言に、咲弥は苦笑する。
指摘された通り、あまり変な気の緩み方はよろしくない。
レンは不敵に笑った。
「まあ、でも……ちょうど良かったね」
「ん? 何が?」
「いいからいいから。早く席に着きなよ」
「あっ、その前に……紅羽、来てない?」
「ん? さあ? まあ、いつもの席に行って待ってなよ」
酒場には来ていないのか、嫌な不安が胸に募る。
レンの言葉の意味を呑み込めないまま、席へ案内された。
お馴染みの席に着くなり、レンが問いかけてくる。
「注文はまた、適当でいいだろ?」
「ああ、そうだね。任せるよ」
「あいよ!」
レンを見送ったあと、咲弥は素早く通信機を取り出した。
再び確認してみたが、やはり紅羽からメッセージはいまだ返ってきていない。
気づいていないのか、または手が離せないのか――紅羽は普段から、あまり通信機をいじるという習慣はない。だから可能性としては、前者が高そうに思えた。
メッセージを入れていただけ、まだマシなほうではある。
咲弥はため息をつき、そのまま通信機をいじり続けた。
冒険者専用サイトに繋ぎ、真新しい情報がないかを探る。
載っている情報は、レイストリア王国だけには限らない。各国に散らばっている冒険者達のお陰で、多彩な情報が随時更新されている。
国別に分けて表示も可能だが、基本は一括表示であった。
魔神に関する情報は、どこに転がっているかわからない。
そのため咲弥は、一括表示しか扱ったことがなかった。
(うぅ……ん……魔人に関する情報は、なさそうかな……)
もし魔人が関わっていた場合、ルートゥミレス町で起きた事件と酷似、または類似している可能性は高いと思われる。だから情報を漁るポイントは――
規模のでかい失踪事件、陰惨な事件、人の魔物化といった情報を追っていた。
見落としているのか、はたまた起こってはいないのか。
それらしき情報は、今のところどこにも転がっていない。
これは他国の話だが――行方不明となっていた少女達が、魔物の巣窟となっていた洞窟で、喉元を掻っ切られた状態で発見されたという事件がある。
しかしこの件は賊に攫われてしまい、賊同士による抗争に巻き込まれた末での悲劇と断定されている。これはこれで、陰惨で、とても悲しい事件ではある。
だが魔人が関与していれば、より最悪だったに違いない。
(目覚めつつある……まだ、魔人全員は目覚めてない……)
魔人の発言など鵜呑みにはできないが、魔神関連の情報は何一つとして進展していないのも、また事実ではある。その流れから使徒も探るが、同様に成果はない。
咲弥が嘆息を漏らした直後、不意の足音が聞こえた。
「よう。おはようさん」
「あ、ゼイドさん! おはようございます!」
紺色の髪をした熊型獣人、ゼイドが気さくに手を上げた。
いかつい顔に微笑を湛え、ゼイドはテーブル席に着く。
「今日はずいぶん、遅いお目覚めだったらしいな」
「あっ……レン君から聞いたんですか? そうなんですよ。なんだか、ここ最近の疲れが、どっと出たみたいなんです」
「はは。体調管理は、冒険者としては基礎だぞ」
似た言葉を、別の仲間からも送られた記憶がある。
咲弥は自身の頭を撫で、苦笑して誤魔化しておいた。
苦い空気を裂くように、両手にトレイを持った女店員――酒場の店員に扮した、紅い瞳を持つ銀髪の少女が現れた。
「はぇ……? く、紅羽?」
咲弥は目を見開き、驚きをもって少女の名を口にした。
レンの意味深な言葉の意味が、今になって理解に達する。
トレイをテーブルに置き、紅羽が無表情で挨拶してきた。
「おはようございます。咲弥様。こんにちは、ゼイド」
「く、紅羽……何してるの?」
「咲弥様がお目覚めになられませんでしたので、少し厨房をお借りしていました」
「そ、そうなんだ……ごめんね」
「いいえ。問題ありません」
咲弥はどこか安堵しつつ、置かれた料理を眺めていく。
どれも酒場では、見られない料理ばかりであった。王都の料理というよりは、ルートゥミレス町での品々だと思える。
紅羽の行動を、それとなく察した。
「これ全部……紅羽が?」
「はい。お食べになってください」
ゼイドが不敵な笑みを見せた。
「愛妻料理かい? なら、俺は口にできねぇな」
「ちょ、ゼイドさんっ……」
途端の恥じにうろたえ、咲弥は言葉に詰まる。
国際大会前のインタビューで、紅羽が咲弥の嫁と公言して以来、たまにこうしてからかわれていた。何度やられても、慣れるものではない。
そうなる理由は、国際大会後の祭りで紅羽から不意打ちのキスを受けたからだ。からかわれるたびに、あの日の記憶が鮮明によみがえってしまう。
ただ、あの日から――紅羽と進展があったわけではない。
そもそも、本当にキスしたのかどうか疑うくらい、いつも通りの日常、普段と変わらない対応を紅羽から受けている。
だから彼女は、ゼイドにも淡々とした声で応えた。
「いいえ。どうぞ。たくさん作りましたから」
「ほう。それじゃあ、お言葉に甘えていただくか」
ゼイドが料理を取り皿に盛り始める。
その間に、咲弥は紅羽にお礼を告げた。
「ありがたくいただくね。紅羽」
「はい」
紅羽が表情を変えずに頷き、椅子にちょこんと座った。
ゼイドが料理を盛った取り皿を、差し出してくる。
「ほい、咲弥のぶんだ」
「あ、ありがとうございます」
「それじゃあ、いただくとするか」
「はい! いただきます」
まず口に運んだのは、新鮮そうな野菜だった。
ルートゥミレス町で味わった記憶のあるドレッシングが、ほどよくかけられている。甘味と酸味が絶妙に混じり合い、舌の上を激しく踊った。
ゼイドも野菜を食べ、感嘆の声を上げる。
「話しには聞いていたが、こりゃあ……確かにうめぇなぁ」
「料理を始めた頃から、すでに美味しかったですからね」
ゼイドに応じてから、紅羽へ視線を移した。
どこかぼんやりと、こちらのほうを見据えてきている。
「今回も、とても美味しいよ。ありがとう」
「喜んでいただけて、よかったです」
「紅羽は何も食べないの?」
「はい。調理中につまみ、お腹は満たされています」
「ん……そっか」
咲弥は相槌を打ち、次いで魚料理へと手を伸ばした。
スパイスの利いた料理は、胃袋を大いに満たしていく。
少し重く感じはしたものの、味の質がそれを忘れさせた。
「酒場のメニューに、加えてほしい料理ばかりだ」
「マスターに、のちほど頼んでみましょうか?」
紅羽の提案に、ゼイドは大きく頷いた。
「ああ。ぜひ、頼んだぜ」
ゼイドが応じた直後、奥のほうから複数の足音が鳴る。
現れたのは、三人の――
「やぁあああん! 紅羽ちゃぁああん!」
冒険者ギルドの受付嬢――柔和な顔立ちをしている青髪のミリアが、まるで飛びつくような形で紅羽に抱き着いた。
紅羽は微動だにせず、なされるがまま頬ずりされている。
「もう来てたのね、あんた達」
後頭部で赤髪を纏めたネイが、呆れ声を投げた。
凛とした顔立ちの彼女の青い瞳が、右へ左へと揺れる。
「私の故郷にある料理ばかりじゃない。どうしたの?」
「紅羽が厨房を借りて、作ったみたいです」
「料理もこなせるなんて、最高じゃない紅羽ちゃぁん」
「へぇ。私もついでに、いただこうかな」
ミリアを無視したネイの言葉に、紅羽がこくりと頷いた。
「はい。たくさん作りましたから」
「そんじゃあ、いっただきぃ!」
「あぁん! 私も食べる食べるぅ!」
ネイとミリアも席に着き、料理を取り分けていった。
冒険者ギルドの職員――栗毛のロイが紅羽に問いかける。
「わりぃけど、俺も一緒にいいか? 腹減っちまってさ」
「はい。遠慮はいりません。食べてください」
「いやぁ、マジ! 助かるぜぇ!」
了承を得たロイも、輪に混じって料理を食べ始めた。
食事の最中、ロイが思いだしたような声を紡ぐ。
「ああ、そうそう。あのさ、咲弥君」
「あ、はい」
「実は今日、お前にある人からメッセージが届いてんだ」
「僕に……ですか?」
咲弥は首を捻る。
誰からなのか、まったく予想もつかない。
「ああ。咲弥君の通信機のIDがわからねぇから、ギルドのほうへわざわざメッセージを飛ばしてきたって感じだな」
「そうなんですか。どなたからのメッセージなんですか?」
「オメェや紅羽が、よく知っているはずの人物さ」
もったいぶるロイに、咲弥は閉口したまま待ち続ける。
ロイは不敵に笑い、予想外の人物の名を口にした。
「ラングルヘイム帝国出身の上級冒険者――アイーシャだ」
咲弥ははっと息を呑む。
冒険者資格取得試験の際、試験官を務めた者であった。
かなり気性の荒い性格だったと、咲弥は記憶している。
「アイーシャさんが? どうして……?」
「さあ? 事情はよく知らんが、メッセージには――どんな事情を差し置いても、二週間以内に我らが帝国に来るべし。って、そう書いてあった」
咲弥はつい苦笑が漏れる。
確かに、アイーシャらしいメッセージではある。
「あとな……メッセージとは別に……」
「ははは……まだ、何かあるんですか?」
なんとも言えない渋い顔をして、ロイは重く口を開いた。
「一〇〇〇万スフィアが送金されてた……」
「グフォッ……!」
咲弥は危うく、口のものを吹き出しそうになる。
どんな事情か知らないが、ただ事ではないと予感させた。
ロイは片手を振り、苦い声を発する。
「たぶんその金を使い、大陸を渡って来いってこったな」
「えぇえ……」
「まあ、ラングルヘイム帝国なら、飛行船で行けるが……」
「あぁあ……」
咲弥は途端に、ひどく重い気分を抱える。
飛行船は、なるべくなら乗りたくはなかった。咲弥にそう思わせる原因を作った張本人が、そのアイーシャでもある。
咲弥が深く悩んでいると、ネイがお気楽な声を投げた。
「別にいいじゃない。つか、私らも連れてってよ」
「ラングルヘイムか……俺は行ったことがねぇな」
ゼイドがフォークを咥えたまま、虚空を見上げた。
ネイは口の中にあるものを、ごくりと飲み込む。
「私もないわね。観光がてらに行きましょ。咲弥のお金で」
「いいなぁ……私も紅羽ちゃんと、旅行したいなぁ……」
ネイとミリアの発言に、咲弥はつい苦笑する。
行く気満々のネイが、片目を細めてミリアのほうを睨む。
ゼイドは身を抱え、ぷるぷると震わせている。
「しかし一〇〇〇万なんて大金……そう拝めないぜ……?」
「私の全財産ぐらいですね」
紅羽がそっけない声で、会話に参加する。
ネイが空笑いを飛ばした。
「そういえば、あんたもなかなかにお金持ちだったわね」
「俺ら庶民には、なかなか手の届かない世界だぜ」
「昔はあんたが、お金の工面をしてたってのにね」
ネイの発言に、咲弥は衝撃を受ける。
確かにあの頃は、ゼイドに散々お世話になっていた。
ゼイドに恩を返す意味も込め、咲弥はこくりと頷く。
「わかりました……アイーシャさんに、明日に立つとお伝えできますか?」
「ああ。明日に出るなら、着くのは四日後ぐらいか」
「えぇっ?」
咲弥は震撼する。
飛行船ですら、四日もの旅路となるらしい。
「あんたね……大陸を二つ三つと越えるのよ?」
ネイが呆れた声で続けた。
「私の故郷までの道のりとは、そりゃあ訳が違うわよ」
信じたくない事実に、咲弥はただ身を震わせる。
ほんの数時間ですら、地獄に思える耐久の連続であった。四日間など、耐えられるはずがない。
「えぇ……ちょっと、さすがに無理ですよぉ……」
「海での船旅なら、二週間以上はかかるかもしれんぞ?」
「指定の二週間には、間に合わないかもね?」
ゼイドとネイの言葉に、咲弥は眩暈を覚える。
ネイはいたずらっぽく笑った。
「最悪。固有能力を使って気絶したら? ゼイドが担ぐし」
「はははっ!」
無茶苦茶なネイの提案に、咲弥は逆に笑ってしまった。
しかし確かに、背に腹はかえられない状況ではある。
飛行船での恐怖か、限界突破での激痛か――
「別に普通の睡眠薬で、よろしいのではないですか?」
心底焦った咲弥は、二択しかないと本気で思っていた。
紅羽の言葉が、まるで神の一言だと感じられる。
「さ、最悪……それで、お願いできますか?」
「オメェがそれでいいってんなら、別に構わんが」
ゼイドは苦笑まじりに、了承してくれた。
ずんっと重い気分を抱え、咲弥は深いため息をつく。
それに対して、ネイは陽気な声を飛ばした。
「そんじゃあ……目指すは、ラングルヘイム帝国ね!」
「今日はちっと、帝国関連の情報でも漁ってみるか」
ゼイドは腕を組み、うんうんと頷いた。
咲弥はふと、紅羽と視線が重なる。
「旅支度を整えておきます」
「うん。そうだね」
朗らかに微笑んだ紅羽を見て、咲弥はつい頬に熱が宿る。
神々しい美貌を持つ少女に、再びミリアが抱き着いた。
「お洋服たくさん持って行きましょうね。あっちは暑いから……あと、写真もたくさん送ってね。危ない目に遭ったら、すぐに言ってね。お姉さん仕事ほっぽり出して、すぐにでも駆けつけるから。それに何があるかわからないから――」
ミリアがいつもの呪詛を始めた。
石像みたいに固まる紅羽を眺め、咲弥は食事を進める。
一通のメッセージから――
咲弥達の長い旅の幕が上がったのだ。
大きな変更はありません。
こまごまとした部分を修正しました。