第三十六話 想いの強さ
斬られた左腕を抑え、紅羽は思案を巡らせる。
エーテルが完璧であれば、おそらく傷を負わずに済んだ。
今の自分では、そこまで緻密なエーテル操作はできない。だが後れこそ取りはしたものの、戦闘技術にそこまでの差はないと思える。
以前のままの自分であれば、瞬殺されていたに違いない。
咲弥と出会ってから、紅羽は数多くの物事を学んだ。
その大部分は、感情――心の成長にほかならない。
心があるからこそ、護りたいといった気持ちが芽生える。
感情を持つからこそ、大切にしたいという願いを抱く。
そんな心の作用から、戦闘技術は格段に進歩していた。
だから心を持たない者に、負けるはずなどない。
もしも負ければ、今の自分を否定するのに等しくなる――失敗作だと罵られた事実が、正しくなるような気がした。
「やはり、元七號。お前は失敗作だ」
心の中を読まれたのかと、静かな驚きに満ちる。
紅羽は喉の奥から、言葉を絞り出した。
「意味がわかりません」
「その程度の怪我を抑えるのは、お前が失敗作だからだ」
紅羽はつい、掴んだ指に力を込めた。
心を持たない五號は、ただの生きた兵器とも呼べる。
傷を負わないように動くのは、生きるためなどではない。あくまでも、活動に支障をきたさない程度でしかないのだ。
仮に怪我を負おうと、動ける限り無視して活動を続ける。
「あなた達みたいに、痛みを感じない人形とは違います」
「異なことだ。お前もまた、我らと同じ人形に過ぎない」
「私は……私には心が、感情があります」
「ない。そう錯覚しているだけだ」
五號の言葉に、紅羽は激しい嫌悪感を覚えた。
場の雰囲気に呑まれかけ、紅羽は即座に行動を開始する。
後退しながら弓を引き絞り、光の矢を放った。
無数に枝分かれした光の矢が、五號へと飛び向かう。
五號は光の矢を斬り伏せ、紅羽との距離を詰めた。
「咲弥様を、主だとお前は見据えているな? 結局、誰かの傀儡でなければ、お前は自分という存在を保てないからだ。主を失えば、お前はただの人形に戻る」
「咲弥様は、仲間……」
紅羽はふと言葉に詰まる。
咲弥と出会い、心が豊かになった。
もし咲弥を失った場合――まるで想像ができない。
そこから先には、ただただ暗闇しかなかった。
斬撃をいなしつつ、紅羽はすかさず蹴りを叩き込む。
五號が蹴りで応じて防ぎ、疑問を呈した。
「仲間であれば、なぜ様づけをしているのだ?」
「それは……」
「どれだけ言い繕おうとも、言葉を違えようとも――通ずる意味はみな同じだ。失敗作が不相応に心を持ったがゆえに、齟齬が生じている」
降り注ぐ斬撃から逃れ、紅羽は否定の言葉を述べる。
「あなたに……何がわかるというのですか」
「多くの失敗作を見た。言わなければ、わからないか?」
紅羽は胸に、強烈な不快感を抱いた。
紅羽の事情など、五號が知るはずがない。
五號は距離を取り、細身の剣を構え直した。
五號は再び、猛攻撃をしながら悠々と声を紡ぐ。
「主に据え置いたのは、お前からだ。そんな大事な主を護るために、ずっと身を粉にして戦い続けた。主のためならば、どんな状況をも呑み込んだ」
紅羽は我知らず、呼吸がひどく乱れる。
それを狙うかのように、五號は鋭い剣技を繰り出した。
ほんのわずかに、反応が遅れたと自覚する。
「お前は傀儡の性から、抜け出せてなどいない。ただ、主が変わったに過ぎず、失敗作のまま何も変化していないのだ」
「違う! 私は……失敗作なんかじゃありません!」
心がかき乱れ、紅羽は我知らず声を荒げた。
それは攻撃にも、如実に表れる。
心の抑制が利かず、大雑把な攻撃を繰り出してしまった。
その隙を、五號が見逃すはずがない。
斬撃をかわすや、重い蹴りが紅羽の腹部に突き刺さる。
「くぅっ……」
傷みに耐え、いったん五號から大きく離れる。
しかし、五號がそれを許さない。
即座に接近して、感情の表れない顔でぼそっと言った。
「憐れだな。愚かな主に、失敗作ではないと洗脳されたか」
あろうことか、五號は優しい咲弥を愚弄した。
紅羽の心の中が、怒りで満ち溢れる。
「咲弥様は洗脳などしません! 誰よりも優しいお方です」
「お前が壊れていくのは、その咲弥様の責任なのだが」
「咲弥様を――悪く言わないでぇっ!」
紅羽の怒りが、頂点に達した。
なかば無理矢理にマナを取り込み、エーテルを精製する。
足にエーテルを纏わせ、踵蹴りを放つ。
五號は光のごとく、華麗な回避を見せた。
空を裂いた足が、豪快にリングへとめり込んだ。リングが強烈な悲鳴を轟かせ、ひび割れが大きな円となって現れた。
「綻んだか」
言葉が終わる直後、五號の斬撃が紅羽の背を襲った。
痺れにも似た衝撃が、背を斜めに走り抜ける。
「紅羽ぁああああ!」
咲弥の声が、少し遠退いて聞こえる。
危うく、意識が飛びかけていた。
紅羽は痛みを押し殺して、即座に逃げの姿勢を取る。
「無駄だ」
「くっ――」
激痛を背負っているせいで、全身に力が上手く入らない。
弓を捨てて右手を伸ばし、紅羽は純白の紋様を浮かべた。
「光の紋章第四節、白熱の波動」
リングに向け、灼熱の白い光芒を放つ。
その反動で上空に高く飛び、続けて紋様を描いた。
「光の紋章第七節、明滅の流星」
生み出された光の玉の間を、光速で移動を繰り返した。
いかに五號といえども、紋章術なしでは光に追いつけない――紅羽は、予想外の事態へと陥る。背後に五號の気配が、すでにあったからだ。
「失敗作は、言葉を理解できないらしい。無駄だ」
紅羽は再び、背に斬撃を受けた。
肩越しに五號を振り返り、疑問が脳裏をよぎる。
(どうし……て……?)
紅羽はさっと力が抜け落ち、リングへと伏した。
ありえない展開に、ただ驚愕に身を縛られる。
エーテルというエネルギーの存在を知った。そのお陰で、戦闘能力は爆発的な進歩を遂げている。そのはずであった。
だが、エーテルを知らないはずの五號に負けている。
極限までオドと体を鍛え抜いた者には、付け焼き刃程度のエーテルでは太刀打ちできない。当然といえば当然だが――五號は昔よりも遥かに強くなっていた。
少し前までは勝てると、どこか驕っていた自分がいる。
その結果、手も足もでないのは自分のほうだった。
しかし、紅羽の体はまだ負けを認めていない。震える手で地面を掴み、我知らず自然と立ち上がろうとした。
その紅羽の右手に、五號は細身の剣を突き立てる。
「ぁああああっ……!」
熱にも近い痛みが、右手から駆けあがってきた。
深紅の瞳で、五號は見下してくる。
紅羽は奥歯を噛み締め、五號をきつく睨んだ。
感情のない顔のまま、五號は小首を傾げる。
「それは、そうと――」
紅羽の髪飾りを、五號が強引に引っ張り取った。
手にした紅い髪飾りを、どこか不思議そうに眺めている。
紅羽は、震える左手を伸ばして訴えた。
「返……して……」
「花の髪飾りか。まるで、一號みたいだ」
「か、返して……私の……髪飾り……」
「元七號。お前ごときには、不相応な代物だ」
「ぁ……」
あまりにひどい光景に、紅羽の力が抜け落ちる。
大切な人から贈られた髪飾りを、五號が握り潰した。
ぱらぱらと落ちていく欠片が、ゆっくりと流れて見える。
深い悲しみが胸を痛め、視界が涙で滲んだ。
「あぁ……あぁあ……あぁああ……!」
「殺せば失格となるか。依頼を終えたのち、お前を処理する――敗北宣言しろ」
五號の声は、もう紅羽には届かない。
崩れ落ちた髪飾りを、歪んだ視界で見据え続けた。
贈ってくれたときの、咲弥の顔が脳裏によみがえる。少し照れた顔を見せ、とても似合っていると言ってくれたのだ。
何も知らない五號が、それを無情にも砕いた。
(……咲弥様との……)
大切な思い出の一つを、五號はゴミのように壊したのだ。
沸々と憎悪が湧き、紅羽からすべての痛みが消失する。
刺された右手を、強引に引き抜いた。
人差し指と中指の間から、だらだらと血が流れ落ちる。
「お前は……許さない!」
「まだやるのか」
五號が間合いを取り、すっと細身の剣を構えた。
心が憎悪に塗り潰される。それでも、紅羽は冷静だった。
紅羽はある二択で悩んだ。
固有能力の発動か、精霊の召喚か――どちらかを扱えば、もう片方は扱えない。
どちらもオドの消耗が凄まじいからだ。
魔女の悪戯――初代白銀の戦姫と同様である固有能力は、時止めにも等しいものの、実はこれには弱点が存在する。
光属性の者に対しては、通じない場合があるのだ。
號持ちなら扱える、光の紋章第九節――初代が弱点を補うために編みだした術は、逆に弱点となる結果を作っている。
初代からすれば、まさか自分の分身が造られるなどとは、夢にすらも思わなかったに違いない。術で同調された場合、固有能力が無駄となり得ないのだ。
これまでも、紋章術を放つ間が同じであった。
紅羽は純白の紋様を浮かべ、怒りのままに唱える。
「光の精霊ロクフトス。召喚」
純白の紋様がカッと輝き、盛大な破裂を起こした。
眼前に白き円陣が描かれ、そこから光の精霊が飛び出る。
五號のほうを向き、ロクフトスは低い声を吐いた。
「消し殺してやろうか。ゲスな下等生物が」
「どうなっている……なぜ、お前までもが精霊を?」
五號は表情を変えないまま、一時的に身を引いている。
紅羽は怒りを解放するように、五號との距離を詰めた。
全身に小さな光球が漂い、紅羽は温かな感覚を覚える。
体中にあった痛みが、瞬く間に引いていく。
光の精霊ロクフトスが、治癒術を放ったと呑み込んだ。
「ともに行こう。我が主よ」
ロクフトスの声を聞きながら、紅羽はエーテルを纏った。
蹴りを繰り出したが、五號は素早く回避する。
「ゲスが。消し飛べ」
ロクフトスが低い声を吐いた。
宙に光が集い、剣を模した光が無数に生まれる。
それは光のごとき速さで、五號へと放たれた。
刀で対応しつつ、五號は大きく離れる。
純白の紋様を浮かべながら、紅羽は先回りをした。
「光の紋章第一節、閃く剣戟」
小さな光球が舞い、五號へと向かう。
五號が純白の紋様を生み出した。
「光の紋章第五節、極光の障壁」
五號の前に、滑らかな光の幕が張られる。
だがエーテルでの紋章術は、光の幕をたやすく破壊する。
表情一つ変えず、五號は剣技で光球をいなした。
「消滅しろ」
ロクフトスが上空から、純白の光芒を口から放つ。
光の帯は幅が太く、広範囲を打ち砕いた。
火傷を負った五號が、紅羽へと突っ込んでくる。
ロクフトスの攻撃を受け、かなり速度が落ちていた。
ただ、もう避ける必要はない。
紅羽の全身に、ロクフトスが光の盾を張り巡らしている。
それを理解している紅羽は、拳で五號の腹を突いた。
エーテルを纏った拳と足で、近接戦闘を繰り広げる。
なかば一方的に、五號に打撃を与え続けた。
「主!」
ロクフトスの合図が飛び、紅羽は即座に場を離れる。
リングに降り立ったロクフトスが、咆哮を上げた。
「これで、おしまいだ」
色とりどりの光玉が、無数に発生する。
光玉は不規則に舞い踊り、五號にぶつかりながら――天へ迸る光の柱を生みだした。灼熱の光が周囲を破壊する。
一歩先すら見えない黒煙に、五號の周辺は包まれる。
光が消えると同時に、ロクフトスも薄れて消え去った。
吐き気を覚えるほど、紅羽はオドを根こそぎ消失する。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
肩で呼吸をして、紅羽は五號のいた方角を注視する。
これで終わっていなければ、ただの化け物でしかない。
不意に、背筋に冷たい悪寒が走った。
紅羽はとっさに、純白の紋様を浮かべる。
粉塵にまみれた中、自分と似た紋様を目で捉えたからだ。濃煙を突き破る形で、傷だらけの五號が現れる。
紅羽と五號は、同時に唱えた。
「光の紋章第四節、白熱の波動」
「光の紋章第四節、白熱の波動」
灼熱の白い光芒を放ち合う。
紅羽はすでに、オドが枯渇しかけていた。それに対し――五號はまだ、余力を充分に残していると考えられる。
オドの使用配分は、五號のほうが格段に上手い。
五號は次いで、純白の紋様を描いた。
「聖女の一声」
紋章術を爆発的に増強する、五號の固有能力が発動した。
か弱い紅羽の光芒が、瞬く間に押し負けている。
ただのオドでは、全力でも勝てるかどうかあやしい。
(咲弥様……)
詫びるような声を、紅羽は胸中で漏らした。
敗北する姿を、初めて彼に見せることになる。
咲弥がどんな顔をするのか、紅羽は漠然と夢想した。
きっと優しい彼は、微笑んで心配してくれるに違いない。
『それにしても、紅羽は本当に凄いね。もしかしたら、僕がこれまで出会ってきた誰よりも、強いんじゃないのかな』
出会って間もない頃、そう言われた記憶がよみがえった。
『違うよ。紅羽は欠陥品でも、失敗作でもない』
この世で唯一、咲弥ただ一人がそう言ってくれた。
彼の優しい言葉に、どれほど救われたのかわからない。
彼が初めて、自分に価値を見いだしてくれたのだ。
『助けてくれたじゃないか。だから、僕も紅羽を助けたい』
(私も……あなたのため……!)
気力を失いかけた紅羽の心に、新たな力強い光が灯った。
即座に場から離れ、力を振り絞って五號と距離を詰める。
「愚かな失敗作が、不相応な力を持ったな」
紅羽はもう、五號の煽りには応えない。
五號が繰り出した斬撃を、力の限りかわした。
剣を握る手元に、紅羽は蹴りを放つ。
五號もまた、怪我のせいで反応が鈍っているらしい。
「私は、失敗作なんかじゃない! 元七號なんて、名前でもない!」
力強く言葉を発し、紅羽は自身を鼓舞する。
五號の蹴りを避け、後退しながら右手を伸ばした。
「光の紋章第四節、白熱の波動」
「光の紋章第四節、白熱の波動」
再び、純白の閃光が激突した。
なけなしのオドで作った閃光は、たやすく押し返される。
五號はいまだ、固有能力を発動したままなのだ。
それでも――紅羽はカッと目を大きく見開いた。
限界をも超え、エーテルを精製する。
「私の名前は、紅羽! もう、戦闘兵器なんかじゃない!」
紅羽は叫び、純白の閃光にエーテルを流し込んだ。
光沢のある光芒が、五號の閃光を大きく呑み込む。
眩しいほどの輝きは、そのまま五號を突き抜けた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
紅羽は人生で初めて、全力を出し尽くした。
ところどころ黒煙を発した五號が、宙を舞っている。
そしてそのまま、リング外へと落ちた。
《副将、紅羽選手対ルイ選手――紅羽選手の勝利》
なけなしのオドすら失った紅羽は、リングに倒れ込んだ。
盛大なはずの歓声が、今は遠く聞こえる。
視界が黒ずみ、虚ろな意識が消えかかっていた。
咲弥はいつも、こんな状態を味わっていたに違いない。
ほんの少しだけ、彼と一緒の状況になれて嬉しくなる。
そのさなか、紅羽はふと思った。
想う心は、やはり人を強くさせる。
彼の傍にいればきっと、自分はもっと強くなれるのだ。
彼の傍で、彼の力になってあげられる。
そして――いつの日か――
不意に、何かが聞こえた気がする。
心が落ち着くような、胸が温かくなるような――
それはとても優しく、心から好きと言える彼の声だった。