第三十五話 風の大ギャンブル
精霊の性格を知っているネイは、渋々ながら声を紡いだ。
「……ちょっと、力を貸してくんない?」
「えぇええ……どうしよっかなぁ……」
「早くして! オドの消耗が激しくなるでしょうが!」
「大丈夫よ。私は別に、何も消耗しないわけだし?」
噂や伝承以上に、風の精霊は自由気ままであった。
ネイはやや焦りながら告げる。
「ちょ……ほんと、お願いだから!」
「んぅ……?」
「精霊といえども、我が打ち砕いてみせるわ!」
フェリアティールへ迫り、マジェンは大斧を振り下ろす。
まるで虫を払うように、フェリアティールは手首を振る。
「慌てない慌てない」
「ぐぉおおお――っ!」
やはり、風の精霊の力は凄まじい。ネイでは身構えさせることしかできなかったが、マジェンの巨体を風で軽々と吹き飛ばしていく。
どこからともなく、フェリアティールが賽を取り出した。
「もぅ、しょうがないわね。さあ、どんな目が出るかしら。もし最悪な目が出れば、どうなってしまうか――しっかりとわかっているわね?」
目が出なければ、最大で三回やりなおせる。
もし四回目に目が出ない、あるいは一、二、三と目が出た場合、攻撃は何も実行されない。さらにネイのオドだけが、根こそぎ奪われるはめとなるのだ。
そして四のゾロ目が出た場合、紋章者の命ともいえる節の一つがランダムに奪われてしまい、以後は同系統の紋章術が二度と編み出せなくなる。
ネイが応える前に、マジェンが声を張った。
「ならば、術者を先に倒してくれるわ!」
マジェンが素早く襲いかかってきた。
ネイは脇腹の激痛をぐっと堪え、短剣を持って応戦する。
そんなさなか、一の妖精が声を張った。
「全員整列!」
マジェンの大斧が上空から迫り、ネイは素早く後退する。
リングが大斧にえぐられ、砕けた破片がネイに飛来した。
傷つきながらも、ネイは若草色の紋様を描いて唱える。
「くっ――風の紋章第四節、自在の旋風」
第四節は攻撃系統に属した紋章術ではない。
扱い方次第では攻撃にも使えるが、本来は自由自在に風を操って運搬を目的とした術なのだ。だがきっと、マジェンは持ち上げられないだろう。
案の定、マジェンが即座に無色の紋様を顕現した。
「力の紋章第二節、自縛の平地」
まるで大岩のごとく、マジェンは微動だにしていない。
予想した通りの展開に、ネイは頬に軽い笑みを乗せた。
マジェンの行動を縛れている。今はそれで充分なのだ。
ネイは妖精達を、ちらっと見る。
横一列に、妖精達は並んでいた。
「無我の領域!」
固有能力を発したマジェンが、唐突に暴風を突き抜けた。
ネイははっと息を呑み、驚愕が胸を訪れる。
同時に、やっとマジェンの固有能力の効果を呑み込んだ。
相手の放った紋章術を、かき消せる能力で間違いない。
咲弥の白爪と似ているものの、明らかに劣化版ではある。とはいえ、きっとマジェンは素の状態でも、紋章術に対して耐性が高い。その事実は無視できなかった。
「点呼! はい、一!」
「ニィ」
「サァン」
「シー……」
「グォウ!」
「ロォオオオオオクゥウウウウウウウ」
「停止ぃっ! やり直し! イーチ」
「ニィー!」
「サンサン!」
「フォォオオオ!」
「停止ぃいいい! やりな――」
「とっとと賽を振れぇえええっ!」
ネイは脇腹の激痛をも忘れ、人生で初めてと言えるくらい腹の底から絶叫した。
マジェンの大斧を短剣でいなし、ネイは声を張り続ける。
「私のオドが、やられるつってんでしょうがぁっ!」
「やれやれ……本当に、せっかちさんねぇ……」
フェリアティールが呟き、賽が高く放り投げられる。
ネイは即席のエーテルを精製して、紋章術を発動した。
「風の紋章第二節、妖精の輪舞」
激しい風が巻き起こり、マジェンの全身を覆い尽くした。
風の牢獄に捕らえた直後、賽がリングを大きく跳ね返る。
ネイは再度紋様を描き、じっと待機しておく。
「ゾロ目はダメ。ゾロ目はダメ!」
「一のゾロ目は特にダメ。一のゾロ目は特にダメ!」
妖精達が祈るように、手を合わせている。
これにはネイも、妖精達に同感を禁じ得なかった。
もし一の目が揃った場合――この会場全体が、吹き飛んでしまう事態になりかねない。風の精霊フェリアティールは、ギャンブル要素がとても強い精霊なのだ。
だからこそ、あまり精霊を召喚したくなかった。
「しゃらくせぇえええっ!」
マジェンの行為を、ネイは訝しく思う。
風の牢獄をなぜか、力任せに破ろうとしている。
ネイは第二節を、連発する覚悟をしていた。
思いと裏腹に、マジェンは固有能力を扱う気配がない。
(そうか……そういうことね……)
ネイはようやく、マジェンの分析が完了した。
やはり、咲弥の劣化版に過ぎない。もし咲弥が相手だった場合、この手法は絶対に使えない。オドの消耗もなく、彼は白爪で簡単に切り抜けてしまうからだ。
しかしマジェンが紋章術を打ち破るには、紋様を浮かべて固有能力を発するしかない。そこにどうしても、少なからず間が生じる。
だから連続で拘束するのは、悪くない策だと踏んだのだ。
思わぬ好機が、ネイのもとを訪れてくれた。
マジェンは固有能力の再発動に、時間的な制限がある。
(これなら……いける!)
ネイは放った第二節に、全力でオドを流し込んだ。
マジェンを拘束中に、最初の出目は一と出る。
次いで、二の数字が出た。
(うっ、嘘でしょ……?)
愕然としてしまい、ネイは血の気が一気に引いた。
ゾロ目とは別の、最悪な目である可能性が高まる。
オドを根こそぎ奪われるだけなど、まったく笑えない。
「あぁ! やばぁい!」
「もうだめだぁ!」
「サンサンきちゃうー!」
「きゃー!」
「やだぁ!」
「吾輩を呼んだかい?」
そして、最後の一つが――一の目を出した。
「あぁー! よかったぁ!」
「よっしゃあ!」
「やったぜい!」
「ふむ、我かぇ」
「やってやれぇい!」
「ぶちかませぇー!」
二の妖精がキリッと、額に手をかざした。
「我! これより、出陣しまする!」
「うむ。死なばもろともよ」
「兄つぁん! さようなら!」
そしてついに、風の拘束をマジェンに打ち破られた。
ネイはかなり疲労がひどく、だらんと姿勢が垂れる。
しかし、気力を振り絞って怒鳴りつけた。
「しょうもない劇してる暇あんなら、早くやりなぁあっ!」
ぴんっと伸ばした手を額に添え、二の妖精が振り返った。
「了解であります! 上官!」
二の妖精が、マジェンのほうへ数歩向かった。
マジェンは大斧を振りかぶり、激しく重い足音を立てる。
「クソがぁあああ!」
「我、やっちゃうであります! 死んだら、すまんね」
マジェンが無色の紋様を浮かべ、二の妖精へ詰め寄った。
「精霊だろうがなんだろうが、消し飛ばし――」
二の妖精は手を前にして、マジェンの言葉を遮った。
「地獄の烈風」
それはまさに、一瞬の出来事であった。
四方八方から吹く風が、濁流のごとく巨体に襲いかかる。
マジェンの体は強制的に捩じられ、同時に切り刻まれた。
強烈な衝撃音を響かせ、尋常ではない風が吹き荒れる。
「さぁてと……帰ってみんな寝ましょうか。ふぁぁあ……」
欠伸を漏らしながら、精霊と妖精は一斉に消え去った。
途端にネイの中にあるオドが、ごっそりと消滅する。
「うっ、うぇえええ……」
激しいオドの消耗に、ネイはひどい吐き気をもよおした。
眩暈も覚え、頭がくらくらとする。
静寂に包まれる中、ちらっとマジェンの様子をうかがう。
身動きが少しも取れそうにないくらい――まるで、惨劇に近い状態に陥っていた。両手足が複雑に折れ曲がっており、ところどころで血が噴き出している。
一見して、立ち上がることは絶対にないと理解できた。
(まぁた、咲弥に……なんか言われちゃいそう……)
そう思うものの、精霊の力がなければ確実に負けていた。
それほどまでに、マジェンは本当に強かったのだ。
紅羽以外に――久々に出会った強敵に、ため息をつく。
これでも真面目に、日々訓練してはいるつもりでいた。
それでも届かない相手が、世界には数多くいるのだろう。
まだまだ、練度がまったく足りない。
ただ――新しい力の存在を知った。精霊の存在も知った。
そして付け焼き刃のエーテルでは、届かない相手もいる。
今回の経験を踏まえ、ネイはさらなる目標を立てられた。
訓練次第ではあるが、高みへの道はすでにひらけている。
《次鋒ネイ選手対マジェン選手――ネイ選手の勝利》
アナウンスが響くや、観客席から大歓声が飛んだ。
(ちぇっ……もっと格好いいところ……見せたかったのに)
ネイはその場にへたり込み、ぐったりと力を抜いた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
へたり込んだネイの傍に、咲弥は紅羽と駆け寄った。
胴が裂かれており、血が流れ出ている。
(酷い怪我だ……すぐ治癒師に、癒してもらわなきゃ)
咲弥はそう思い、ネイに声をかける。
「ネイさん、すぐに治癒を……」
「へへっ……やってやったぜぃ」
ネイは無理矢理作ったような、力のない笑みを見せる。
咲弥は頷きで応じてから、治癒師の到着を待つために立ち上がろうとした――突然、ネイに腕を掴まれて留められる。
その行為のせいで痛みが響いたのか、ネイは震えている。
しばらく待つが、特に何か言ってくるわけではない。
咲弥は小首を傾げ、閉口したまま待ち続ける。
これまでの流れから、ふと言葉が浮かんだ。
「戦っている姿、格好良かったですよ」
ネイは驚いた顔を見せ、にっこりと笑った。
そうしている間に、治癒師がやってくる。
ネイは風の担架へと乗せられた。
「気をつけて。なんか……普通じゃないから」
何が普通ではないのか、咲弥にはよくわからない。
確かに、とても強そうな相手ではあった。だが、見ていた限りでは、特に異常的なものは何も感じられない。
しかしネイが言うのであれば、きっと何かあるのだろう。
咲弥は了承しておく。
「わかりました。気をつけます」
「……うん。頑張ってね……」
むしろ普通ではないのは、ネイのほうではないかと疑う。
普段は見せない弱気な雰囲気が、だだ漏れになっている。
「はい」
ネイが運ばれていく姿を、少しぼんやりと眺めた。
不意に、背後から殺気に近い気配を感じ取る。
振り返ると、そこには仮面の者がいた。
(なんなんだ……この人……)
すっと刀を抜き、仮面の者が紅羽へと剣先を向ける。
それは無言での、宣戦布告であった。
「次は、私が出場します」
紅羽は仮面の者のほうへ、数歩だけ歩み寄った。
紅羽の雰囲気から不安を覚え、咲弥は声をかける。
「紅羽……?」
「今ようやく、この者の正体が判明しました」
つい眉間に力を込め、咲弥は首を捻った。
仮面の者と睨み合うように立つ、紅羽の後姿を見つめる。
仮面やフードを、ゆっくり脱ぎ捨てていく。咲弥は言葉を失い――仮面の下にある素顔を、ただじっと凝視した。
風に流れる長い銀髪に、紅い瞳をした――紅羽の数年後を彷彿とさせる、神々しいほど美しい容姿をした女であった。
紅羽よりも少し背が高く、また大人びた顔をしている。
その見た目から、紅羽の姉にあたる存在だと考えられた。
「五號」
「まだ生きていたとは驚いた。元七號」
紅羽の声を、初めて聞いたときのことを思いだした。
とても機械的であり、感情の感じられない声をしている。
「お前の死骸が見つからないと、聞いた記憶がある。こんな遠く離れた地にいたとはな。失敗作の元七號」
「私は……元七號ではありません。紅羽です」
「欠陥品には不相応な名。君が現在の主か?」
五號の紅い瞳が、咲弥のほうへと流れる。
まるで射殺すような、激しい威圧感が放たれていた。
たったそれだけで、計り知れないほどの実力を察知する。
「咲弥様。待機所へ移動してください」
「……大丈夫……?」
「はい。お任せください」
紅羽はどこか、ぎこちない微笑みを湛えた。
聞きかじった程度だが、紅羽の過去はとても辛辣だった。その事実を思えば、おそらくは止めるべき展開に違いない。
だが、何かしら思うところがあるのだと察する。
咲弥は悩んだ末に、こくりと頷いた。
「わかった。気をつけて」
「了解しました」
五號のほうを振り返り、紅羽は静かな声で了承した。
咲弥は一人、待機所に戻る。
《出場者は紅羽選手対ルイ選手に決定されました》
ルイという名は、きっと五號の偽名なのだろう。
謎の多い団体なだけに、咲弥の胸に激しい不安が募る。
《それでは、副将の紅羽選手対ルイ選手――開戦!》
開戦の合図が飛んだ。瞬間――
紅羽達は同時に、同じ速度で純白の紋様を虚空に描いた。
「光の紋章第二節、煌めく息吹」
「光の紋章第二節、煌めく息吹」
当然といえば当然の話だった。
相手もまた、紅羽と同様の術が使える。
それはまるで、合わせ鏡にも等しい光景であった。紅羽と五號は身体強化の術を浴びながら、お互いに恐ろしい速度で距離を詰め合う。
開幕早々、激烈な戦いが始まった。
五號の斬撃を弓でいなしつつ、紅羽は鋭い蹴り技を放つ。
華麗に刀で防ぎ、五號もまた蹴りで応戦している。
どちらも紙一重で防ぐと同時に、次の攻撃に移っていた。
剣を握る五號の手を、紅羽が蹴りつける。
その衝撃を利用し、五號は回転斬りへと転じた。
舞うように紅羽は避け、素早く光の矢を射る。
光の矢を裂き、五號は紅羽の弓を蹴り上げた。
紅羽も同時に、五號の剣を蹴り上げる。
二人の武器が、ふわりと宙を舞う。
今度は紅羽が刀を、五號が弓を手にした。
初めて見せる紅羽の剣技に、そして即座に相手の弓を使いこなしている五號に、咲弥はただただ驚かされるほかない。
さすがに、見間違うことなどは絶対にない。
それでも、いったいどちらが紅羽で、五號なのか――
気を抜けば、わからなくなるような心持ちではあった。
もはや二人の戦いは、理解不能の領域にまで達している。咲弥が一つの動作を呑み込む間に、彼女達はすでに三つ先の行動へと移っているのだ。
音が遅れて聞こえるほど、激しい攻防の速度が上がる。
紅羽と五號は、お互いに一歩たりとも引かない。
また武器が、もとの所持者へと舞い戻った。
すでに漠然とでしか見守れない戦いの中――
咲弥は我知らず、叫び上げる。
「紅羽!」
鬼気迫る攻防の末、先制したのは五號であった。




