第三十四話 相性の悪さ
ゼイドの昇華が、素早く解かれていく。
その状態から、咲弥は気絶したのだと判断した。
《先鋒ゼイド選手対ピプル選手――ピプル選手の勝利》
アナウンスから、ゼイドの負けが告げられた。
紅羽とネイと一緒に、ゼイドの傍へ駆け寄る。
強靭な肉体を持つ獣人とはいえ、あまりにも傷が深い。
《お知らせします。国際大会が始まって以来、初の出来事が発生しました。今現在、精霊の召喚を認めるか否か、審議が始まっております》
アナウンスを聞き、咲弥は驚きに溢れる。
《一騎打ちの形式が崩壊しかねないため、不適切だと訴える声が上がりました。精霊の召喚が不可だと見做された場合、紅羽チームは反則負けとします》
咲弥は唖然となる。
そもそも精霊は紋章石を媒介に、術者のオドを代償にして召喚が可能となるのだ。だからもしそれが不可だとすれば、紋章術自体が不可になると思える。
アナウンスに声を荒げたのは、近くにいたネイであった。
「んなっ? ふ、ふざけんじゃないわよ!」
ネイはそのまま、大声で抗議した。
「精霊がだめだって言うんなら、紋章術の使用だって同様にだめでしょうが! 術者のオドを媒体にしてんだから!」
観客席からどよめきが起こる。
そんな中で、ゼイドの声が飛んだ。
「すまねぇ……負けちまったな」
ゼイドはかろうじて、まだ意識を保っていたようだ。
咲弥はゼイドに寄り、首を横に振る。
「ゼイドさん……別に、いいんです……」
「すぐに治癒を始めます」
紅羽が純白の紋様を浮かべる。
ゼイドは、力を振り絞った声で否定した。
「いや、いい。だめだ。俺は……王都の、治癒師を、頼る」
「試合がまだ控えてんだから、オドを消耗するなってさ……こっちは失格になるかどうかってときに、ほんとばかねぇ」
ゼイドの代弁をする形で、ネイがそう補足した。
ネイはわざとらしく、大きなため息をつく。
「大会が終わったら……あんた、みっちり修行するわよ?」
「へへっ……厳しいぜ……まったく……」
ゼイドは軽くうめき、ゆっくり呼吸を整え始める。
「なあ……」
「……はい?」
返事をしたが、ゼイドは言葉を続けない。
咲弥は首を傾げ、ゼイドをじっと見据える。
「……弱っちぃ仲間で、すまねぇ……仲間、失格もんだな」
どうやら負けたことが、かなり堪えているらしい。
その弱々しい声を聞き、咲弥は返す言葉を選ぶ。
「ゼイドさんからしたら……きっと、他愛もない話だったのかもしれませんが……凄く、心に響いた言葉があるんです」
咲弥はそう前置きをして、語り続けた。
「僕は最初……全部一人でやらなきゃって、思ってました。でもゼイドさんが――一人で背負い込む必要はない。役割を担ってこそのチームだと言ってくれました」
咲弥は微笑みを作って、ゼイドに結論を述べる。
「僕だって全然弱っちいです。一緒に強くなってください」
「……そうだ、な……ははは……」
「なぁに一度負けたくらいで、へこたれてんの。情けない」
ネイの苦言に、ゼイドは苦笑を漏らした。
そして、アナウンスが再び響き渡る。
《お知らせします。審議の結果がでました――精霊の召喚が認められました。精霊は自然界の存在であるため、生物とは見做されません。また、ゼイド選手が自身のオドを用いり、召喚している場面が確認されました。試合は続行されます》
「あったりまえじゃい!」
ネイが拳を作り、声を大にして叫んだ。
咲弥は安堵のため息が漏れる。
治癒師がやってきて、ゼイドが風の担架に乗せられた。
「あんた。モニター越しに、しっかり応援してなさい」
「ああ、気をつけてな」
しばらく、運ばれていくゼイドを見つめた。
「驚きました」
唐突に聞こえた男の声を、咲弥は振り返った。
そこには、ピプルが立っている。
「まさか精霊が存在していたとは……今も夢だったのではと疑います……失礼ですが、彼はいったい何者なのですか?」
「教えてあげない。あんたは、敵なんだからさ」
ネイが、そっけない声で応じた。
ピプルはばつが悪そうに首を振る。
「これは、残念。ですが、優勝は私達がいただきます」
ピプルは言い捨ててから、仲間達のほうへ向かった。
《それでは、両チーム。次鋒を選んでください》
アナウンスが響き、ネイが颯爽とリングの中央へ向かう。
「ほな――さくっと、一勝取り返してくるわね」
「ネイさん。気をつけてください」
「私を誰だと思ってんの? まっかせなさぁい」
ここまで、ネイは圧勝していた。
だからといって、安心などはできない。なんとも言えない不安が、咲弥の胸をぐるぐるとかきたてている。
待機所に戻る前に、リングの上には両者が出揃っていた。
《次鋒は、ネイ選手対マジェン選手に決定されました》
ネイの相手は、二メートルを超える筋肉質な巨人だった。
あまり見慣れない巨人に、咲弥は息を呑んで見守る。
薄い記憶では獣人と同様、紋章術は得意とされていない。ただ、全種族の中で、もっとも攻守がすぐれているようだ。
大斧を肩に担ぎ、マジェンは豪快な笑いを飛ばした。
「ガハハッ! 捻り潰さねぇように気をつけねぇとな」
「ふぉおお……こりゃ、いい的になりそうねぇ」
ネイが手を額にかざし、マジェンに向かって呟いた。
「あん?」
「あんたの名前、なんだっけ? ああ、木偶人形か」
また煽りを入れており、咲弥は内心穏やかではない。
マジェンは不機嫌な面持ちで、戦闘態勢を整えた。
《決勝戦次鋒、ネイ選手対マジェン選手――開戦!》
開始直後、咲弥は目を大きく見開いた。
巨体のわりに、マジェンの動きはとても素早い。
「動かない木偶と、同じならいいなぁっ?」
ネイの背後に回り込み、マジェンが大斧を横に薙いだ。
ネイは華麗に上へと回避しながら、若草色の紋様を描く。
「風の紋章第六節、暴君の宝玉」
差し出した右手の先に、風が強烈に集い合う。
丸い翡翠色をした風の玉を、ネイは勢いよく放つ。まるで弾丸のごとく撃ち出された風の玉が、マジェンの顔面付近で豪快に破裂する。
表情を硬くしたネイと同様、咲弥も眉間に力を込めた。
「ふぅん……いい風だ」
マジェンはそう呟き、大斧でネイの着地を狙った。
ネイは身を捻り、くるりと宙返りをする。
わずかに攻撃の感覚を狂わせたあと、ネイは斧腹に両手を這わせて空中で受け流した。神業に思えたが、一歩間違えばネイの腕か頭が吹き飛んでいただろう。
咲弥は嫌な想像に恐怖を覚え、全身の肌がぞっと粟立つ。
マジェンの口もとに、不敵な笑みが張りついた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
ネイは訝しさから、巨人のマジェンを見据える。
いくら死なない程度に威力を抑えたとはいえ、まったくの無傷は想定外だった。
巨人ならではの耐久力に、舌を巻くほかない。
よろめく程度は、最低限してほしい心持ちであった。
(防御力が高い……? それなら……)
ネイは瞬時に気を張り詰め、全神経を集中させた。
周囲に漂うマナをオドへ取り込み、エーテルを精製する。まるで無数の針にでも刺されたような痛みが、ネイの全身に襲いかかり、精製の成功を知らせた。
迫る大斧をひらりと避け、ネイはまた空高く飛び上がる。
やや下にいる巨体を見つめながら、ネイは静かに唱えた。
「雷の紋章第一節、天空の閃光」
若草色の紋様が、金色に輝いて砕け散った。
ネイの指先から、凄まじい落雷が生じる。
マジェンは雷を浴び、野太い悲鳴を響かせた。
「ぐぉおおおおおおっ!」
ネイの得意属性とは異なる、別属性の紋章術――得意属性以外の紋章術は、効果が格段に落ちるのが一般的であった。
しかしオドの上位とも考えられるエーテルであれば、その限りではない。
得意属性にも等しい効果が、期待できるようになるのだ。もちろん本来の得意属性なら、威力は桁違いともなる。
雷の第一節は本来、足止めを目論んだ紋章術に過ぎない。
エーテルにより、恐ろしいまでの一撃へと変貌していた。
「なん、で……?」
ネイは自然と、驚愕が言葉となって現れた。
内部破壊を狙った雷は、マジェンに振り払われてしまう。さほど効いていないのか、訳がわからない心境であった。
渋い顔をするマジェンの右手付近に、無色の紋様が浮く。
(げっ……無属性……?)
「ってぇな……斬撃の紋章第一節、剣神の一撃」
紋様が弾けるや、途端に空間が歪んだ。
その刹那――脇腹を挟み斬られたような激痛が走る。
それはまるで、斬撃を宿した風に裂かれた感覚にも近い。
ネイは痛みを必死に抑え込み、またエーテルを精製した。
「風の紋章第五節、大空の波紋」
着地した瞬間、ネイを中心に強烈な暴風が広がっていく。エーテルを込めた得意属性――もはやネイは、我が目を疑うほかなかった。
マジェンは身構えているものの、吹き飛ぶ気配がない。
ネイは理解に苦しんだ。
きっと精霊に言わせれば、ネイの精製したエーテルはまだ拙いものに違いない。そのことについては、ネイもしっかり自覚している部分ではあった。
しかし魔人ならいざ知らず、普通の人にとっては絶対的な脅威――それだけは、疑いようのない事実のはずだった。
いずれにしろ、戦闘中に硬直などできない。
自身の生み出した風に乗り、まずはマジェンから離れた。
「逃さんぞ! 弓矢の紋章第三節、天空の撃墜」
暴風をも突き抜け、白みを帯びた何かが飛んできた。
まず紅羽のオドを込めた光の矢が、ネイの脳裏によぎる。だが近くに迫ったそれは、矢というよりは槍を思わせた。
ネイは腰から短剣を抜き、防御に徹する。
あまりに力強い衝撃に、短剣では防ぎきれそうにない。
ネイの体ごと弾くように、暴風を突き抜けた。即座に身をよじり、マジェンの紋章術を受け流すことに成功する。
危うくリング外にまで、吹き飛ばされるところであった。
(まったく……ありえないわ……)
落下しつつ、ネイは心の中で呟いた。
マジェンは無属性の紋章石を、咲弥と違って最低でも二つ宿している。無属性の紋章石は本来、滅多には手に入らない代物の一つであった。
マジェンといい、ゼイドの対戦相手といい――サイラハス共和国の選手は、どの国にもない異質な気配が漂っている。
サイラハス共和国は世界一、他種族が入り混じる国だ。
それだけに、絶え間ない問題を抱えた国でもある。
黒い噂も多数あり、今回の件も妙なにおいを予感させた。
リングに着地するや、その衝撃に受けた傷がひどく痛む。
「くぅ……」
ネイは痛みを堪え、もう一度エーテルを精製した。
「風の紋章第三節、戦神の号令」
けたたましい音を響かせ、激しい風が素早く凝縮する。
鮮やかな翠色をした風の槍が、右手付近に五つ誕生した。ネイは奥歯を噛み締め、立てた人差し指をマジェンのほうへ勢いよく振るう。
表情を硬くしたマジェンが、両腕で防御の姿勢を取った。
「つ、らぬけぇええっ!」
「ぐぅぉおおおおおお……!」
ネイはただただ、絶句する。
マジェンは両腕で作った肉の盾で、エーテルを込めた風の槍をかき消して見せたのだ。それはネイが、モニカの放った火球を打ち砕いた原理と似ている。
「女だてらにやるな! 無我の領域!」
「……っ!」
一歩遅れ、マジェンが固有能力を発したと理解する。
そこまで意識を、きちんとまわしきれなかった。
ただ今は過ぎ去った過去を、嘆いている暇などない。
どんな能力なのか、何もわからないのだ。
見た目には、何も変化がない。無属性は他属性とは違い、異質なものが多いため、ネイは特殊系統だと断定しておく。
無属性は、とにかく希少性がとても高い。
だから正直、あまり詳しくなかった。
マジェンが、再び紋様を顕現する。
「力の紋章第三節、重圧の静寂」
紋様が砕けると同時に、大斧をリングに突き刺した。
瞬間――ネイの全身が、リングに引っ張り込まれる。
「なっ……に……」
呟くと同時に、マジェンの紋章術の正体を呑み込んだ。
ネイだけではない。リング場の重力が、きっと倍くらいに膨れ上がっている。リングに落ちている破片が、重力の力で砕け散っているのだ。
突然過ぎる重力変化のせいで、上手く動けそうにはない。
しかしそんな中、マジェンは軽々と走り向かってくる。
術者には影響が及ばないのか――考えている暇はない。
このままでは、いいようにやられてしまうからだ。
ネイは即座に、若草色の紋様を浮かべる。
「疾風の舞!」
ネイも固有能力を発し、風の力で身体能力を強化する。
相殺とまではいかない。だが、重いながらも体は動いた。
その場から離れると同時に、マジェンの鋭い蹴りが飛ぶ。あと少しでも遅れていたら、場外へと蹴り飛ばされていた。
疾風の舞を発動してもなお、重力に体が負けそうになる。
ネイはリングに引っ張られ、四つん這いの姿勢を保つ。
受けた傷のせいで、踏ん張りがきかなかったのだ。
「くぅ……」
「ガハハッ! まるで可愛い子猫ちゃんみたいな姿勢だな。最初の頃の威勢はどこへ行った? ん? 子、猫、ちゃん」
煽りのお返しか、案外マジェンは子供っぽい一面がある。
ネイは痛みに耐え、ゆっくりと立ち上がった。
「くっ……」
「我は重力を自在に操作ができる。だからそよ風程度じゃ、どんなに頑張ったって吹き飛ぶことはないぜ?」
ネイは訝しく思い、眉間に力がこもる。
第五節で吹き飛ばせなかった理由は、紋章術か固有能力を発動していたかららしい。敵が描いた紋様を見落とすなど、ありえない失態であった。
(絶対に……ない……でも……)
ネイは断言できなかった。
意識が行き届かなかった可能性は、あり得なくもない――ゼイドに言っておきながら、自分もまるで練度が足りない。心の中でこっそりと猛省した。
マジェンは腕を組み、余裕といわんばかりの姿勢を取る。
ネイは唇を引き締め、マジェンを睨んだ。
「なるほどね。こりゃあ、強いわ」
「どうだ? 降参でもするかい?」
咲弥のような超攻撃型であれば、話は別だが――どの術を試そうとも、ネイの実力では相手の防御を破れそうにない。
現状、ネイが最大の威力を出せる紋章術は第六節となる。
しかしエーテルを込めたところで、きっと通じはしない。
第三節での出来事が、それを如実に物語っていた。
それは、単純にネイの力量不足が原因なのか、マジェンの耐久力による問題なのか、または何か別の絡繰りがある。
さらに固有能力の正体も、まったく見抜けていなかった。
客観的に見れば判明する事柄以外、べらべらと語るようなばかではないらしい。なににしろ、今のネイではマジェンを強引にねじ伏せられないだろう。
そうはいっても、リング外に吹き飛ばすのは難しい。
重力による問題は、かなり深刻であった。
対戦相手を間違えたと思えるぐらい、とても相性が悪い。
(はぁあああ……)
ネイは内心で、重いため息をついた。
咲弥のお陰で、現状を打破する方法がなくもない。ただしそれは最悪にして、もっとも危険な方法でもあった。
とはいえ、体力やオドをこれ以上は消耗すべきではない。
その奥の手すら、扱えなくなる可能性が出てくるからだ。
ネイは諦めの境地で息を整え、静かに声を紡ぐ。
「奥の手はあまり、見せたくないんだけれどねぇ……」
「どんな攻撃だったとしても、我には通じないぜ?」
マジェンが大斧を構え、戦闘態勢を整える。
ネイはゆらりと右手を伸ばし、若草色の紋様を浮かべた。
「風の精霊フェリアティール。召喚」
「んなっ? お前も精霊……だとぉっ?」
若草色の紋様が強く輝きを放ち、盛大に破裂した。
ネイの付近に、いくつもの碧色をした円陣が描かれる。
どこからともなく、陽気な音色が響く。
色違いの三角帽子をかぶった――幼児程度の大きさがある妖精達が、楽器を奏でながら円陣の中から飛び出してきた。
妖精達の帽子には、それぞれ数字が刻まれている。
「ハイ! ハイ! ハイ!」
「ソレ! ソレ! ソレ!」
「ヘイ! ヘイ! ヘイ!」
「セイ! セイ! セイ!」
「ホイ! ホイ! ホイ!」
「やぁ! とぉ! だぁ!」
六体の妖精達が、円を描くようにぐるぐると回り始めた。
演奏の音が徐々に大きくなり、妖精達が通ってきた円陣が塵のごとく砕けて舞う。小さな煌めきが流れ、妖精達が囲む中心へと集まっていく。
すると爆発にも等しい風が、突如として発生した。
白い雲っぽい寝台で寝そべる、とても色っぽい容姿をした精霊が現れる。
寝起きなのか、気品めいた衣服が少し乱れていた。
「ふぁああ、あぁ……んぅ。なんだか、劣勢ねぇ。てか……なんだか重いわぁ」
フェリアティールは艶やかな声で、眠たそうにぼやいた。