第十一話 初めてのチーム
天変地異や危険な魔物の巣窟と、人が簡単に踏み込めない領域が、この世界にはさまざまな理由から存在している。
人々はそういった場所を、空白の領域と呼んでいた。
咲弥は使命を果たすポイントが、そこにあると直感する。
ただいろいろと、大きな壁も立ちはだかっていた。
冒険者を含む、すべてのギルド――所属している個人には紋章石みたいに、それぞれ細かい等級が与えられていく。
空白の領域にもまた、危険度や難易度からの等級がある。
最低の空白の領域にですら、中級以上の冒険者でなければ挑めないようだ。もし条件に見合わなかった場合は、冒険者ギルドのサポート対象外となり、恩恵は受けられなくなる。
個人で挑めなくもないが、自殺行為だと聞かされた。
もしも使命を果たすポイントがなかったとしても、空白の領域の中を通らなければならない――そんな可能性は高い。
いずれにしろ、冒険者にはなったほうがお得な気がした。
「そのほかにも、冒険者は何かとお金が入用でね。ギルドが査定した民間や王族貴族――まあ、いろんな人達のお願いを聞いて、お金を稼いだりもするってわけ」
「はあ……ギルドは、依頼の斡旋とかもやってるんですね」
赤髪のネイは、こくりと頷いた。
「ええ。そういうことね。当然、要人や危険度の高い依頼を受ける場合は、それ相応の等級が求められることになるわ」
「なんとなくですが、そうなのかなとは思っていました」
「等級が高いほど、依頼人に安心感を与えられるからね」
熊型の獣人ゼイドが、唐突に咲弥達と同じ席に着いた。
「俺らのような下位の冒険者には、夢のまた夢の話だな」
「一緒にしないでくれる? 私はいずれ、上級になるから」
「ほう。そりゃあまた、大きな夢をお持ちで」
「ばかね。夢じゃないわよ。現実にするんだから」
二人のやり取りを眺め、咲弥は流れのままに質問する。
「お二人の等級は、どれぐらいなんですか?」
途端に、重い空気を肌で感じ取った。
二人の顔に影が落ち、ずんっと沈んだ雰囲気が放たれる。
失言だったのか、咲弥はおろおろと戸惑った。
「すみません。なんか聞いちゃいけなかったみたいで……」
「……俺もそいつも、最低の二つ上――下の三級だ」
ゼイドが重い声を吐いた。
ネイは凛とした顔を険しくする。
「言っておくけれど、昇級試験はもの凄ぉく難しいからね」
「試験官によって変わるが、本当に誤差の範囲内だしな」
「試験って、どんな試験があるんですか?」
ネイは小首を傾げ、すっと虚空を見上げた。
「指定物の入手から魔物の討伐。あとは……」
「試験官との一騎打ちか、模擬護衛とかだな」
「なるほど……結構、大変そうですね」
「等級は飾りじゃねぇ。上位の奴らは化け物ばかりさ」
ゼイドの声には、少し怯えがこもっていた。
ネイは不敵に笑い、自身の胸にそっと手を添える。
「私ほどの実力者であれば、実際は中級になれるのになぁ。ただまあ……なかなか、お金のほうが貯まんないのよね」
「え? 試験を受けるのに、お金がかかるんですか?」
言ってから、咲弥は自分の間抜けな発言に呆れた。
組織の者が動くのに、無償で済むはずがない。
ゼイドは豪快に笑った。
「そりゃあ、当然だぜ。何をするのにも、金、金、金だな。しかも高位の試験になればなるほど、バカ高い金がかかる」
「加入程度の試験なら、それほどかからなかったわよね?」
「あんま覚えてねぇな。安かった気はするが」
人の住む世界は、案外どこも変わらない。
生きる――ただそれだけでも、お金はかかるのだ。
ネイが両手をパンッと叩き合わせた。
「そっ! というわけで、情報提供料一〇〇〇スフィアね」
「おいおい……金、取んのかよ!」
抗議したのは咲弥ではなく、ゼイドのほうだった。
咲弥はただただ冷や汗をかく。
「当然。この世は何をするにしても、お金がかかるの」
「そんな基礎的な情報で金を取るのは、ちょっとなぁ……」
「でも、咲弥君にとっては、有益な情報だったでしょ?」
答えを聞かずとも、見透かしているという口調であった。
無知な咲弥には、確かに得られたものは多い。
「知り合いだからって任せたのに、まさか金を取るとはな」
「知り合いでもなんでも、この世はギブアンドテイク」
考えてもみれば、貴重な時間を費やしてくれている。
懇願したのは咲弥なのだから、これも勉強代だと考えた。
どこか諦めの境地で、咲弥はネイの言葉に応じる。
「えっと……わか――」
「わかったわよ。それじゃ、明日――私が請負った仕事を、咲弥君にも少し手伝ってもらう。ってことで、どうかしら」
「え……?」
「実際に生で体験したほうが、いろいろとわかるでしょ?」
これは、願ってもないチャンスだと思った。
実際に目で見てわかることは、きっと多いに違いない。
ゼイドが、不安げな声を紡いだ。
「冒険者でもない、一般人を連れて行くのはどうなんだ」
「依頼の中には、護衛の依頼だってたくさんあるじゃない。似たようなもんよ」
「そりゃまあ……そうかもしれないが」
ゼイドとのやり取りの隙を見計らい、咲弥は尋ねてみた。
「仕事って、どんな仕事をされるんですか?」
「フネカルル山の森にいる、魔物の素材入手よ」
「いや、それ……余計に危険な依頼だろ」
否定的なゼイドに、ネイは手を前後に振った。
「大丈夫よ。たかが、小動物狩りみたいなもんなんだから」
「でもなぁ……」
「それに、咲弥君――レイガルムの角を持ってたし」
その言葉に、ゼイドがかすかにうめいた。
「ほう? 咲弥君が狩ったのか?」
「とどめを刺したのは僕ですが、僕一人では無理でした」
「人は見かけによらねぇな。こりゃあ、たいしたもんだ」
「レイガルムより、遥かに格下の魔物なんだから平気平気」
ネイはお気楽な声で言った。
咲弥からすれば、ほぼすべてが未知の生物ではある。
それだけに、平気なのかどうかは正直よくわからない。
ゼイドが大きなため息を漏らした。
「ふぅむ……まあ心配だし、俺も一緒に行こうか」
「あら? 報酬の分け前なんかないわよ」
「別に構わん。人任せにした罰だな……」
「なぁによ。私に任せてよかったでしょう? ねえ?」
明らかに、同意を強く求めている声色だった。
咲弥は苦笑いで誤魔化してから、お礼を伝える。
「お二人とも、ありがとうございます」
「なぁに。いつか咲弥君が冒険者になって、初めての依頼をこなしたときにでも、酒を一杯奢ってくれりゃいいさ」
「私には、お金でいいわよ?」
「はは……わ、わかりました」
ネイは人差し指を立て、ゆらゆらと揺らした。
「チームを組むことだし、改めて自己紹介しましょうか」
ネイは凛とした顔に笑みを湛え、咲弥達の顔を見回した。
「私はネイ。主な武器は短剣と投げナイフね。属性は風で、固有能力は速度を強化する疾風の舞。まだまだ駆け出し中の冒険者で、年は十六歳よ」
咲弥は静かに驚き、ネイの美麗な顔をじっと見つめる。
もっと年上だと思っていた。
だが実際は、自分の一つ上か、同じ年らしい。
戸惑う咲弥をよそに、次はゼイドが自己紹介を始める。
「俺はゼイド。愛用している武器は、大斧だ。属性は土で、固有能力は膂力を増強する、剛力の開花。年は十九だ」
二人の視線が、咲弥へと流れてきた。
レイガルムを討ったからか、自己紹介を求められている。
咲弥は妙な緊張感を覚えた。
「あ、えっと……咲弥です。愛用の武器は特にありません。属性というのも、まだよくわかりません。だた、固有能力は限界突破で、年は十五です」
自己紹介を終えると、奇妙な沈黙が場を支配する。
ネイとゼイドが、同時に怪訝な表情を見せた。
「……えっ? 属性がわからないって、どういうこと?」
ネイの疑問に続き、ゼイドが重ねて質問をしてきた。
「見た感じ紋章者……で、間違いないよな。紋様を見れば、ある程度わからないか?」
「ああ、いや、その……あまりよく、わからないんです」
二人とも腕を組み、同時に小首を傾げた。
「咲弥君の紋様、ちょっと見せてくんない?」
「あ、はい」
咲弥は右手を小さく持ち上げ、空色の紋様を宙に描いた。
二人はまじまじと見つめ、そして不可解そうな顔をする。
「なんだ、こりゃあ……?」
「なに……これ……? まるで……天使みたいな……」
「いろんな紋様を見てきたが、こんなの見たことがねえ」
「ねえ? ちょっと聞いていい?」
「あ、はい。どうぞ」
ネイは訝しげな顔をしたまま、疑問をぶつけてきた。
「あんた、どうやって紋様を身につけたわけ?」
「どう……と、言われましても……」
運悪く天使の目に留まってしまい、なかば強制的に使命を与えられ、不十分な説明のまま、紋様と能力を与えられた。
当然、そんなことを、口が裂けても言えるわけがない。
咲弥は漠然とした言い訳をする。
「気づいたら、なんとなく……です? かね……?」
ネイの眉間にしわが寄る。
「えぇ……訳わかんない。だって、紋様が形作られるまで、いったいどれほど……血の滲むような努力と鍛錬が必要か、わかってんの?」
ゼイドは腕を組みながら、椅子に深く座り直した。
「天才……いや、噂の神に愛されし者ってやつか」
「そんなの、お伽噺の中だけでの話でしょう?」
「会うのは俺だって初めてさ。だが実際、目の前にいるし。この天使みたいな紋様が、なによりの証拠かもしれねぇな」
神に愛されし者――ものは言いようだと思った。
咲弥本人からすれば、死に神の目に留まってしまった者と言われたほうが、遥かにしっくりとくる表現に感じられる。
ネイは唇を結び、すっと両目を細めた。
不満げな様子で、じっと咲弥のほうを見据えてくる。
咲弥は不謹慎だとは思いつつも、そのむっとした顔が少し可愛いと感じた。どこか年相応に思えたからかもしれない。
「ところでさ……あんたの紋様穴、青い光が灯ってんのね。これは水の紋章石を宿してるってことで、間違いない?」
「あ、はい。水の紋章石です。とあるお方に、おまけとして頂いたんですが……ここに来る前の村の方によれば、とても貴重な品だというお話でした」
「ふぅん……? 貴重……?」
ネイが不思議そうに、小首を傾げた。
「ここの紋章ギルドでは、同じ物が見当たらなかったので、きっとそうなんだと思います。村の人によれば、特級品かもしれないとのことでした」
ネイの魅惑に満ち溢れた体が、瞬間的にびくついた。
ゼイドは、好奇心が抑えきれない顔をしている。
「咲弥君。少し見せてもらってもいいか?」
咲弥は首を縦に振って応じた。
紋章石の外し方は、村にいた少女に教えてもらっている。
咲弥は紋様の下に、左の手のひらを置いた。
「水の紋章石、我が紋様から退け」
紋様が瞬間的に淡く輝き、水の紋章石がボトッと落ちる。
よく見てもらえるように、咲弥は軽く持ち上げた。
どちらも唖然とした表情で、まじまじと凝視している。
「おいおい……マジかよ、これ……」
「この透明感……これ、まさか……零級品じゃないの?」
初めて聞く単語が飛び出た。
「零級品? って、なんですか?」
「特級の上……と、いったほうがわかりやすいか? 価値を決められないほど、超高純度の紋章石に与えられる等級さ」
「待って……これ、ただの水の紋章石じゃないわ」
ネイの言葉に、咲弥は首を捻った。
「ここを見て……これ、清水の紋章じゃないの?」
「確かに……えっ?」
まるで怪物でも見る眼差しで、どちらも硬直した。
紋章石の中にある模様の違いは、まだよくわからない。
だが、ただ事ではないとだけ、察することができた。
「水の紋章という言葉に反応して、発動しましたが……?」
「そりゃ大別すりゃあ、水の紋章には変わりないからな」
「清水の最低等級が、水の最上等級ぐらいの価値になるの。なのに、それは清水の紋章石の零級だと思われる品なわけ」
ネイの補足に、咲弥はやっと事情を呑み込む。
ギルドで似た物がなかったのも、納得のいく理由だった。
「えっ? 嘘でしょう? おまけで、って言ったわよね……ありえないんだけど」
「どんな奴なら、これをおまけとしてあげられるんだ?」
「……あ、いや……師匠? みたいな、感じですかね?」
咲弥はとっさに、師匠だと嘘をついてしまう。
そんなものとは、まったくかけ離れた存在だった。
しかし、二人は妙に納得したような顔をする。
「実は咲弥君……もの凄い、大物の方なのか……?」
「い、いいえ。そんな……師匠といっても、ほとんど、何も教えてもらっていません。付き合いも、短いというか、ほぼ知らないというか、まあ、なりゆきです」
咲弥は支離滅裂な発言だったと自覚する。
あまりにも焦り過ぎて、どうしようもなかった。
「それ……二度と、紋様から外さないほうがいいわよ」
「なんだ。お前なら、くれとか言うのかと思ったがな」
ゼイドのからかいに、ネイは軽く目もとを引きつらせた。
「いくら私でも、それはさすがに、ちょっと……怖いわ」
「え? なぜですか?」
「……国賊や国家とかに、狙われないよう気をつけなよ」
大陸の大富豪となれる――
村にいた少女の言葉を、咲弥はぼんやりと思いだした。
しかしそれは、水の紋章石での場合に違いない。
その上位ともなれば、話は大きく変わってくるのだろう。
計り知れないぐらいの価値なのだから、奪おうとする輩がいるかもしれない。
咲弥は、だいぶ遅れてから理解に達する。
「どうしても譲りたいって言うなら、貰ってもいいわよ?」
どこか本音めいたネイの発言に、咲弥は苦笑で応えた。
一度は、手放そうとした。
ただこれがないと、危険が増すと痛感している。
簡単には手放すことはできない。
「すみません。譲り受けた物なので……」
「節操のねぇ女だな」
「なぁに? ちょっとした冗談じゃない」
ネイは口を尖らせて言ってから、両手をぽんと合わせる。
「それじゃあ、依頼を遂行するための作戦でも立てるわよ」
何があるのか、何が出るのか、何がどうなるのか――
咲弥の胸に、多くの不安が募る。
ただ、心のどこかで――
わくわくしていたことに、咲弥はちゃんと気づいていた。