第三十三話 仲間として
《まもなく、国際大会の決勝戦が始まります》
アナウンスが響き、観客が熱狂的なまでの声援を発した。
咲弥の心臓が、素早い鼓動を繰り返していく。
《戦績は、まさに圧巻の一言。今年こそは優勝を掴めるのか――レイストリア王国代表、紅羽チームの入場です》
場内に破裂音が響き、ちかちかとした光が舞い踊る。
紅羽を先頭に、咲弥達はリングへと歩いた。
アナウンスがさらに、歓声を突き抜ける。
《こちらも、これまで圧勝を重ね、ついには決勝へ進出――サイラハス共和国代表、ラグラオチームの入場です》
対向の出入り口から、ラグラオチームが向かってくる。
獣人、森人、巨人――最後の一人である仮面の者は、その容姿からでは種族どころか、性別すらも判然としなかった。
これまでの試合すべて、紋様すら一度も見せていない。
お互いに、リングの中央付近で立ち止まる。
狼を思わせる獣人が、すっと手を差し出した。
「リーダーのラグラオだ。互いに、よき試合にしよう」
紅羽は沈黙したまま、ラグラオの手を取らない。
気まずい空気が流れ、獣人のゼイドが前に歩み出た。
「申し訳ない……うちのリーダーは、少し人見知りなんだ。こちらこそ、いい試合になれるよう、どうかよろしく頼む」
ラグラオの手を取り、獣人同士で握手を交わした。
銀髪の少女に視線を流し、咲弥の冷や汗は止まらない。
《両チーム、先鋒以外は待機所へと移動してください》
ゼイドが咲弥達を振り返り、腰に両手を置いた。
「それじゃあ、先鋒は俺でいいな?」
「決勝だからって、緊張して負けないでよ?」
赤髪を耳にかけながら、ネイがいたずらな笑みを見せる。
ゼイドは豪快に笑い飛ばした。
「ああ。全力で頑張ってみるさ」
ラグラオチームは、どうやら森人の選手が先鋒らしい。
映像を観た限り、中距離型の槍使いだと記憶している。
紋章術は不得意だが近接戦闘にたけた獣人に、紋章術には秀でているが近接戦闘は不得意な森人――もちろん個人差はあれども、一般的な云われではそうだった。
どちらも一長一短ではある。
もし実力が拮抗すれば、どうなるのか見当もつかない。
咲弥は胸の前に両拳を掲げ、意気込むように応援する。
「ゼイドさん。頑張ってくださいね」
「おう!」
ゼイドをリングに残し、咲弥達は待機所へと向かった。
《先鋒は、ゼイド選手対ピプル選手に決定されました》
待機所に移動したのち、咲弥はゼイドを振り返った。
期待と不安が混じり合い、よくわからない気分になる。
どこか祈るような気持ちで、咲弥はまっすぐに見つめた。
ゼイドは戦斧を両手に持ち、ピプルは槍をすっと構える。
《決勝戦先鋒、ゼイド選手対ピプル選手――開戦!》
ゼイドが素早く、先んじて動いた。
距離を詰められ、ピプルは鋭い槍を繰り出す。
ゼイドは幅の広い斧腹で、槍の先端を横に反らした。
その直後、ピプルの深緑色の紋様がぽんっと生まれる。
「大樹の紋章第七節、極楽の楽園」
映像では見た記憶のない、新たな紋章術であった。
かなりの広範囲に草花が生え、一輪の大きな花が咲く。
しかし何事もなく、そのまま草花は枯れていった。
どんな紋章術なのか、咲弥にはさっぱりわからない。
だが、このとき――
すでに異変は起こっていたのだ。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
ゼイドは雄叫びを上げ、高く戦斧をかざした。
「うぉおおおお!」
戦斧を力強く縦に振り下ろした。
ピプルは機敏に動き、華麗に回避する。
周辺には、枯れた草花の残骸が散らばっていた。
紋章術が放たれたはずだが、いまだ効果を読み解けない。
(おおっと……)
突かれた槍を、ゼイドは余裕をもってかわした。
ネイ達との訓練が、実を結んでいるのだと実感する。
女性陣ほど速くはなく、咲弥ほどの威力は感じられない。
ピプルの槍術は、まだ発展途上であった。現状、そこまで危険な使い手には至っておらず、かなりの粗が目立つ。
それはおそらく、ピプル自身も理解しているだろう。
だから基本的な動作を軸に据え、攻撃し続けているのだ。
(俺もまた、結構な成長をしたもんだ……)
そんなことを、ピプルとの攻防中にしみじみと思う。
咲弥と知り合い、明らかな変化を遂げた部分がある。
これまでも自分なりに、研鑽を積んできたつもりだった。だが日を追うごとに成長する咲弥を見て、少し悔しくなる。
まだまだ自分は、努力が足りないに違いない。
《ばぁか! あんたが冒険者になれるわきゃないでしょ?》
ふと幼馴染の言葉と姿が、ゼイドの脳裏によみがえる。
勝気そうな顔に呆れた笑みが浮き、彼女は言ってきた。
《ああいうのは、才能のある奴しかなれないんだって》
(やっぱり、お前が言った通り、才能の差なのかねぇ……)
ピプルの槍を打ち落としてから、ゼイドはため息をつく。
出会った頃は、本当に何も知らないただの少年であった。だから、ついお節介を焼きたくなり、行動を共にしたのだ。
彼はどこか、ほうっておけない雰囲気を持っていた。
一緒に過ごすにつれ、無知な少年から優しい少年に至り、それから、邪悪な神を討つといった――重い使命を背負った少年なのだと知る。
仲間となったのは、本当にただの流れに過ぎなかった。
そうであっても、無責任なことは当然できない。
だからゼイドは人知れず、こっそりと訓練に明け暮れた。
咲弥達がネイの故郷を訪れていたとき――ゼイドは自分も故郷に帰っていたと、〝つい〟嘘をついて誤魔化した。
実際は師のもと、一から鍛え直してもらっていたのだ。
(まあ、俺が強くなっている間に、咲弥も強くなるよな)
どうやらネイの師匠に、鍛えてもらっていたらしい。
予選前の一週間、あまりの成長にゼイドはひどく驚いた。
咲弥と一緒に修行しているとき、ふとある予感を覚える。
少年はいつか、救世主と呼ばれる存在になる――そういう星の元に生まれた者なのだと、ゼイドは漠然と理解した。
そんな救世主の卵に、仲間に誘われたのだ。
だから――
(仲間として、冒険者の先輩として、俺も頑張るぜ!)
ゼイドの猛攻撃をかわし、ピプルは少しばかり離れた。
ピプルがまた、深緑色の紋様を宙に浮かべる。
「大樹の紋章第八節、目覚める茨王」
映像にはなかった紋章術ばかり、ピプルは発動している。
研究されないために、隠し持っていたに違いない。
枯れた草花から茨が生まれ、ゼイドに襲いかかってきた。
いくつかはかわしながら、戦斧で切り裂いていく。
(へへっ。この程度なら――)
心の中の声が、不意に途切れた。
目に見えない何かに、右肩を唐突にえぐられたのだ。
熱をもった痛みを覚え、ゼイドはくっと息を詰める。
(なんだ……いったい!)
ゼイドはいったん、ピプルから大きく距離を取った。
突然、ピプルの姿がどろりと溶け落ちる。
「な――っ! がはっ……!」
驚きに満ちた直後、再びゼイドの腹部に激痛が生じる。
なんの脈略もなく、背後から槍で突かれた。
遠くに立つピプルを確認してから、視線を滑らせていく。
「くそぉ……! そういうことかい!」
槍を引き抜かれ、ゼイドはまた大きく離れる。
おそらくは、状態異常系の紋章術に違いない。何もないと感じていたときには、すでに惑わされていたと気がついた。
視覚を惑わす紋章術か、なににしても厄介だと思える。
ゼイドは脇腹を抑え、幻影らしきピプルを見据える。
この程度の傷では、まったく致命傷にはならない。だが、ピプルはぎりぎり動けなくなる場所を、的確に狙っていた。
昇華しなければ、もうじき動けなくなるかもしれない。
「うぉおおおおおお――っ!」
ゼイドは咆哮し、熊みたいな獣の姿へと昇華する。
それから即座に、黄土色の紋様を作った。
「土の紋章第五節、砂漠の砂塵」
紋様が砕けるや、リングを包むほどの砂が舞い始めた。
リングの上にいる者であれば、何も見えなくなるだろう。
しかし、術者のゼイドだけは違った。
砂の流れから、相手の位置が明確に特定できる。
視覚を惑わされていようとも、感知すれば問題はない。
ゼイドはピプルの反応を捉え、素早く接近していく。
戦斧を振り上げ、姿の見えないピプルを捉える。
「ここだぁああ!」
何かを切ったような、確かな手応えを得る。
次いで、攻撃に転じた瞬間――体のあちこちから、無数の痛みが脳へ直撃する。
まるで刺されたことを、今思いだしたかのようであった。
「がはっ……! なん……だと……」
重い音を立てて、ゼイドはリングに前から倒れた。
少しずつ、砂塵が薄れていく。
傍に立つピプルが、どこか気品めいた声で喋った。
「砂を扱い敵の位置を捕捉するのは、よい考えです――が、私の紋章術は全感覚を狂わせますから、意味はありません」
「うぐぐ……」
ゼイドはうめきながらも、必死に立ち上がろうとする。
ピプルがゼイドの脚に、槍を突き刺した。
「ぐぁああああ――っ!」
「私の勝ちは揺るぎません。どうか、敗北宣言を」
ピプルは、冷ややかな声で提案してくる。
必死に呼吸を整えてから、ゼイドは言葉を返した。
「へっ……へへ……生憎だがな……そりゃあ、できねぇ」
脚に刺さった槍を、ゼイドが掴んだ。
ピプルは即座に、槍を回転させながら引き抜いた。
「うぐぉおおっ……」
傷をえぐられる痛みが、電流に近い感覚をもたらす。
反撃を恐れてか、ピプルが少し遠退いた。
朦朧とした意識の中、ゼイドは再び過去を振り返る。
幼馴染の彼女が力強く微笑んで、握った拳をゼイドの胸にぽんと当ててきた。
《ただの凡人でもさ、最高の男になれるって証明してみな。そうしたら、私が素直にあんたの嫁さんになってやるから》
《なれなかったらどうするんだ?》
《そのときは、私がぶんなぐって叩き直してやるよ》
幼馴染の眩しい笑顔が、今もまだ気力を与えてくれる。
ゼイドはゆっくり、立ち上がった。
「ここで、負けちゃあ……あいつに叱られちまうからよ」
「おぉい! 出し惜しみしてんじゃないわよ!」
ネイが野次を飛ばしてきた。
仲間を振り返らないまま、ピプルに語り続ける。
「負けたら、仲間になに言われるかわかったもんじゃねえ」
「では、もう少しばかり、痛めつけるほかありませんね」
「しかしまあ……さすが森人だ。奇妙な紋章術が多いぜ」
何かが、喉を逆流してくる。
嘔吐かと思ったが、吐き出したそれは血であった。
ゼイドは、もう限界に近いのだと悟る。
ピプルは優雅な声を紡いだ。
「お褒め、ありがとうございます。お礼に手早く楽に――」
「だがな……こんなもの、お前さんは見たことあるかい?」
ピプルの言葉を遮り、黄土色の紋章を浮かべる。
警戒したように、ピプルも深緑色の紋様を宙に描いた。
「来い、土の精霊バグラカブラ!」
強く輝いた黄土色の紋様が、盛大に破裂した。
地に円陣が描かれ、流砂を思わせる大渦が発生する。
鎖が巻きつく、鉄製の黒い棺を背負った――汚れた包帯で全身をぐるぐる巻きにしているミイラが、流砂の中から浮き上がるように出現してきた。
ピプルは大口を開け、その顔は蒼白に転じている。
観客席のほうからも、騒然とする声が飛び上がっていた。
「ゲハハハ。窮地に満身創痍。我の仲間となるか、ゼイド」
「勘弁してくれ……つか、立っているのが、やっとだ」
ゼイドは振るえる足を、戦斧を杖代わりにして支える。
ピプルが驚愕の声で問いかけた。
「な、なんだ……これは……?」
「我は土の精霊バグラカブラ。さあ、始めようか」
「大樹の紋章第九節、飛翔する樹片」
ピプルの付近に小さな木が生え、無数の木片が飛来する。
バグラカブラの傍に、宝石を思わせる鉱石が浮遊した。
飛来してきた木片を、すべて浮遊する鉱石で防ぎ切る。
「森人よ、次はこちらの番だ」
バグラカブラは、耳をつんざくほどの咆哮を上げた。
あまりの爆音に、鼓膜が破れそうになる。
瞬時に、ピプルの全身を土が覆った――球体となった土に向け、あちこちから発生した岩石が次々にぶつかっていく。
激しい土埃が起こり、何がどうなっているのか見えない。
「残念。今のゼイドじゃあ、ここが限界だ」
バグラカブラはそう言い残し、空気に溶けて消え去る。
オドを大量に消耗し、ゼイドは地に膝をついた。
「おいおい……マジかよ……頼むぜ、おい……」
ゼイドは驚愕の思いで、声を振り絞った。
崩れ落ちていく土の中に、ツルに覆われた球体がある。
そこから、ピプルが繭を破るように這い出てきたのだ。
「はぁ……はぁ……はぁ……危な、かった……」
ピプルは息を切らしているが、まるで無傷であった。
「精霊……そんなものが、本当に……?」
「くそったれめ……俺の実力じゃ……こんなもんかよ……」
ゼイドはぱたりと、リングに這いつくばった。
悔しい思いだけが、ゼイドの心の中を埋める。
ネイや紅羽みたいにはいかない。
才能も違えば、おそらくは努力の数も違うのだろう。
所詮は凡人――そんな理解が、悔しくて仕方がない。
いずれ、救世主と呼ばれる可能性を持った少年に対して、ゼイドは心から申し訳なく感じた。仲間だと思っているし、向こうもそう思ってくれているに違いない。
本当に仲間でいてもいいのか、少しわからなくなる。
足手まといになるぐらいであれば、いっそ――
そんな考えが、薄れる意識の中で巡り続けた。