第三十話 ごり押し
まず視界に入ったのは、落下するクードの姿だった。
咲弥は肩で息をしながら、周囲の惨状に視線が流れる。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
咲弥は背筋が凍りついた。
爪痕は観客席にまでは達していない。
しかしいくつかは、かなり危うい場所も見受けられた。
現状を把握するや、咲弥の胸に罪悪感が満ちる。
大きく息を吸い込んでから、深く頭を下げた。
「観客席にいる皆様! 申し訳ありませんでした! 戦いに夢中になってしまい、かなり暴走してしまいました!」
少しの静寂を経て、観客席からどっとした笑い声が飛ぶ。
聞こえてくる声に、罵倒らしきものはない――限界突破を用いれば、防壁を砕けると知らないからだと思われる。
また白爪との併せなら、限界突破でなくとも砕けるのだ。
もしも観客に怪我人が出ていた場合、どうなっていたのか想像に難くない。傷の痛みも忘れ、しばし頭を下げ続けた。
クードに攻撃されたら終わるが、それはもう仕方がない。
それだけの事態を、咲弥は知らずの内に招いていたのだ。
「おぉーい」
遠い場所から、ネイの声が耳に届いた。
咲弥は痛みを抱えたまま、そっと頭を上げる。
ネイが紅羽と肩を組み、大手を振っていた。
「問題ないかぁっ?」
どうやら咲弥の異常に、仲間達は気づいていたらしい。
そう察して声を返そうとしたが、さきほど叫んだせいで、喉に痛みが走って声が出ない。咲弥は手を上げて応える。
その際、斬られた傷がズキンッと痛んだ。
「つつっ……」
「おい」
クードが、静かに歩み寄ってくる。
「まだ続けんのか?」
「……ん、んん……んんん……は、はい。もちろんです」
喉の調子を整えて応じたものの、すでに満身創痍だった。
動ける時間は、もうあとわずかしかないだろう。
「最後の最後まで、動ける限り……戦います」
「はんっ。いいぞ、受けてたつ」
「……クードさんって……」
咲弥は吐き出しかけた言葉を呑み込んだ。
今はまだ、戦いのさなかにある。
「いいえ。なんでもありません」
黒白の解放を解き、自身の両頬を叩いた。
それから少量のオドを流し込み、また解放しておく。
「はぁ……なんだか、頭がすっきりとしました。いろいろとテンパってしまい、なんかすみません。もう、大丈夫です」
「おう。それじゃあ……」
クードは剣を下段に構える。
咲弥も両腕を前で垂らし、自分なりの戦闘態勢を整えた。
「行きます!」
互いに向かい合いながら、咲弥は思案する。
通常、紋章術の効果から固有能力などは、白爪を用いれば打ち消せるはずだった。だが、クードの能力は消せない。
爪を刺した端から、オドが常に再生をしているからだ。
おそらくは、オド全体に命令が継続的にくだっている。
ならば、どうするか――
(オドのすべてを、一気に消し飛ばせばいい!)
思い返せば、クードは白手のほうばかりを狙っていた。
紋章術をかき消した映像から、何かを懸念したのだろう。扱っている本人だからこそ、しっかり弱点を把握している。
つまり、必ずしも〝永久不滅〟は無敵ではないのだ。
いつもながら、ぎりぎりの思いつきを実行するほかない。
これで無理ならば――仲間を想い、自分の勝利を信じた。
(三回……いや、四回……いける! ぎりぎり!)
心の内側で意気込み、咲弥は足を速める。
間合いを詰められるクードが、蒼い紋様を描いていく。
咲弥は瞬時に、白爪を振るう。
「白爪空裂き!」
飛ぶ斬撃が、クードの紋様をゆらりと吹き飛ばす。
咲弥は、渋い顔をするクードの眼前へと迫る。
ずっと傍で、紅羽の戦いを何度も見てきた。
彼女の異常なまでの強さに、咲弥は憧れを抱いている。
(きっと紅羽だったら、こうする!)
咲弥はクードの剣技を、紙一重で回避する。
そのままクードの手元に、咲弥は力の限り蹴りを放った。
外傷は与えられずとも、ただ剣を握った手に違いはない。
蹴りの衝撃は手を伝わり、剣の柄へと届く。
あらゆる場所から発生する痛みのせいで、剣を吹き飛ばすまでの力はない。しかし、クードの剣がぐらりと揺らいだ。
奥歯をぐっと噛み締め、咲弥は気力を振り絞る。
(ぐぅ、う、ぅ……ここだ!)
剣身を黒手で掴むと同時に、空色の紋様を浮かべる。
「握撃限界突破!」
咲弥はついに、クードの剣を破壊する。
クードの顔が、驚愕に染まっていく。
表情の移り変わりを見ながら、咲弥は再び紋様を描いた。
二度と訪れないわずかな隙を、逃すことはできない。
「黒拳限界突破!」
下から突き上げる形で、クードの腹部を殴りつけた。
クードの体が、天高く舞い上がる。
クードのもう一つの弱点は、その凄まじい再生力にある。
普通は確実に避けなければならない瞬間も、無敵に等しい再生力があるため、回避など気にする必要がない。だから、回避の練度はそこまで高くない。
その絶対的なまでの信頼が、逆に仇となっているのだ。
対して咲弥は、死にそうなぐらい痛くて仕方がない。
傷の痛みが鐘警となり、脳にずっと知らせてきていた。
(痛い痛い痛い痛い! でも、もう一押しだ!)
吹き飛ぶクードよりも、咲弥は高く飛び上がる。
当然、クード側も黙ってはいない。
「清水の紋章第一節、海神の吐息」
咲弥をめがけ、レーザーに近い放水が放たれる。
左肩を打ち抜かれ、咲弥は唇を噛み締めて我慢した。
(あと二発なら……大丈夫……!)
咲弥は目をカッと見開き、この瞬間に全神経を注ぐ。
漆黒の手の解放を解き、動かない左腕を掴みながら紋様を浮かべる。同時に、純白の籠手にオドを大量に流し込んだ。
「白爪巨大化限界突破!」
通常は三倍ほどまでしか、獣の手は巨大化しない。
だが限界突破により、爪が十倍以上にまで広がる。
右手で剣を振るように、まだ滞空中のクードに向け、縦に揃えた白爪を振るう。
「白刃! 限界突破ぁあああっ!」
「うぉおおおおおお――っ!」
クードの頭から足先の全身を、巨大な白剣で斬り裂いた。それはきっと、ほんの一瞬に過ぎない。それでも、クードの全身をあますことなく呑み込んだのだ。
お互いに、リングへと激突するように落下する。
ほぼすべてのオドを削り取られ、クードが落下の衝撃からうめきを上げていた。
咲弥の苦しまぎれの一撃が、ついにクードへ届いたのだ。
しかし、どちらも立ち上がれない。
咲弥は満身創痍のうえに、オドがもう尽きかけている。
クードもまた、オドがほぼほぼ消えた状態のはずだった。
「ぐっ……ご、ごり……押し……か……」
オドの枯渇は最悪、死に至る場合がある。
わかってはいたが、それを気にする余裕はなかった。ただ気絶寸前で済んでいるらしく、そこには安堵するほかない。
「お前……俺を……殺す……気か……」
「すみま……せん…………余裕……ありません」
力を振り絞るように、咲弥はクードと言葉を交わした。
このままでは、引き分けになる。
咲弥の体は、もういうことを利かない。
ついに咲弥の黒白の籠手が、光の粒となって消える。
全身の力が抜けていき、気絶する寸前であった。
(あ……やば……もぅ……)
「立てぇえええ! 咲弥ぁあああ!」
ネイの叫び声が飛んだ。
次いで、ゼイドが声を張った。
「あと一歩だぞぉおおお!」
「咲弥様ぁ!」
珍しい紅羽の大声が聞こえた。
薄れる意識の中、咲弥は最後の力を振り絞る。
少しずつ、体を起こすように努めた。
「クード! 姫様にどやされるぞぉおおお!」
クードの仲間もまた、彼を鼓舞していた。
ゆっくり立ち上がると、クードもまた立ち上がっている。
立つのが、やっとの状況であった。
「はぁ……はぁ……」
「はぁ……はぁ……」
この世界に来てから、いったい何度目かわからない。
いつも満身創痍で、同じ状況へと陥っていた。
それでも、ずっと――戦い、勝ち抜いてきたのだ。
「絶対……僕が……どの勝負でも……勝つんだぁああっ!」
咲弥は叫び、心を奮い立たせた。
そのとき、クードがゆっくり倒れていく。
「根性の……塊か……お前」
クードが消え入る声で言い放ち、ばたりと倒れた。
耳鳴りが聞こえるくらい、場内は静寂に包まれる。
そして――
《副将、咲弥選手対クード選手――咲弥選手の勝利!》
静まり返っていた観客が、一斉に沸いた。
それはまさに、音の爆弾だとも言える。
《紅羽チームが三勝したため、第二回戦進出は紅羽チームに決定しました》
アナウンスが響くや、観客達も最高潮に達する。
「咲弥様ぁ!」
紅羽の声を聞きながら、咲弥は後ろへばたりと倒れる。
もう指先一つすら動かせない。
霞んだ視界の中に、紅羽達の姿を捉える。
紅羽の膝に頭を乗せられ、柔らかな感触が伝わってきた。
大衆の面前だというのを思いだし、急激に恥じ入る。
とはいえ、もう体にはまったく力が入らない。
「へへっ。やるじゃない」
ネイはにっこりと笑っていた。
ゼイドが腕を組みながら、渋い顔を見せる。
「まったく……こっちはひやひやしたぜ」
「すみません……また暴走して……ました」
「あのぉ……すみません? 咲弥選手を治癒室へ運びます」
いつの間にか、青いローブを着た治癒師が二人いた。
紅羽がそちらのほうを向き、治癒師の言葉を否定する。
「必要ありません。彼は私が治癒しますから」
紅羽は言いながら、純白の紋様を浮かべた。
「光の紋章第三節、光粒の陽だまり」
お馴染みの温かな光に包まれ、体が楽になっていく。
治癒師の一人が、驚きの声を上げる。
「……え? ウチらよりも、効力高くねっすか?」
先輩と後輩の関係なのか、目をパチパチとさせていた。
咲弥は、つい苦笑する。
王都の精鋭を驚かせるほど、紅羽の治癒術は凄いらしい。
不意に、ゼイドが落胆のため息を漏らした。
「しかし……俺、なんもしてねぇな」
「あんた、もしかして役立たずなんじゃない?」
「ははっ。出番すらなかったろうがよ」
いつものやり取りを眺め、咲弥は上を見る。
紅羽は紅い瞳を、じっと咲弥のほうへ向けていた。
無表情ではなく、なんとも言えない顔をしている。
「咲弥様……」
「ん?」
「大丈夫ですか?」
どの意味で訊ねているのか、咲弥は少し黙考する。
「うん」
「そうですか」
短い言葉で応えると、紅羽は納得してくれたようだ。
ネイがしゃがみ込み、顔を覗き込んでくる。
「ところで、あっち行ったんでしょ?」
「はい」
「何があったのか、あとで聞かせなさい」
「わかりました」
咲弥は神殺しの獣について、ぼんやりと思い返した。
《紅羽チームは、控室で待機してください。まもなく、次の試合を始めます》
「あ……」
思いだしたように、全員が短い声を漏らす。
ゼイドが傍に立ち、咲弥を両腕に抱え上げた。
お姫様抱っこをされ、それはそれでとても恥ずかしい。
「治癒の続きは、控室に戻ってからだな」
「す、すみません……」
「なあに、お安い御用さ」
「ありがとうございます」
咲弥は恥じを押し殺し、ゼイドにお礼を告げた。
ネイが、からかってくる。
「さあ、行きましょうか。咲弥姫」
「や、やめてくださいよ……」
苦笑まじりに言うと、ゼイドが笑いながら歩き出した。
咲弥はふと、クードの姿を視線で探る。
すでに治癒師に運ばれたのか、どこにも姿はない。
(初めて出会った……僕と同じ境遇の使徒……)
なんとなくではあるが、戦ってわかることは多い。
きっと彼は、とてもいい人なのだと感じられた。
状況を察してくれたのか、あるいは人柄なのか――咲弥が頭を下げている間、彼はずっと待ち続けてくれていたのだ。
本来、そんな愚か者など、何をされても文句は言えない。
咲弥は覚悟したが、彼はいっさい攻撃してこなかった。
外見同様、内面もよくできた人に違いない。なににしてもこの世界では数少ない、自分と同じ境遇の人物ではある。
そんな意味もあり、もう一度しっかり話したいと願う。
ただの予感ではあるが、きっとクードもそう望んでいる。
大会の合間か、終わってからか――少なくとも、どこかへ去ってしまうその前に、クードを訪ねようと心に決める。
もうまもなく――
別の邂逅が訪れることに、咲弥達はきづけなかった。