第二十八話 ありえない固有能力
戦わずに済むなど、ただの甘い幻想だったと咲弥は知る。
使徒のクードは、すでにリングの上にいた。
治癒師が姿を現し、パルが風の紋章術で持ち上げられる。その最中、破損したリングも紋章具か何かで、別の作業員が修復していた。
「すまない……」
「なぁに……あとは俺らに任せろ」
力強い声で告げ、クードは腰に帯びた剣を抜いた。
咲弥のほうへ、鋭い剣先をすっと向ける。
「上がって来いよ。同胞」
クードの声には、心臓が凍りつくような響きがあった。
彼の気迫に呑まれ、咲弥の緊張が自然と高まっていく。
《紅羽チーム、副将を選んでください》
アナウンスに急かされ、咲弥は重い足を一歩進めた。
そのとき、紅羽が不安そうに咲弥の袖を掴んだ。
「咲弥様……」
「俺が行っても、別に構わないぞ?」
ゼイドの提案に、咲弥は首を横に振る。
「いいえ……僕が行きます。これは、僕の問題ですから」
「あのさぁ……負けないでよ?」
おどけた口調ではあったが、ネイから緊張が伝わった。
感情を隠しきれていないネイに、咲弥は返す言葉を選ぶ。
「ああ……負けたら……その……すみません……」
ネイが咲弥の背を、バチンッと叩いて送り出した。
じわりとした痛みを覚えつつ、咲弥は肩越しに振り返る。
ネイは凛とした顔をほころばせた。
「応援、してっからね」
「咲弥様……どうか、お気をつけて」
「気張ってこい」
「……行ってきます!」
力強く言い放ち、咲弥はリングに飛び乗った。
いつの間にか、リングの修復も終わっている。
クードの前に立ち、大きく深呼吸を繰り返した。
「正直、驚いた。お前の仲間、ちょっと強過ぎないか?」
「ははは……仲間である僕自身、そう思っています」
「だけどな、だからといって、まだ負けたわけじゃねぇ」
「はい。僕達の戦いは……これからですから」
咲弥は言葉に、いろいろな意味を詰め込んだ。
この戦いは、訪れる未来への出だしに過ぎない。
それでも、もし負ければ自信を失ってしまう気がした。
《副将は、咲弥選手対クード選手に決定されました》
アナウンスが響き、観客席から歓声が沸く。
咲弥はそっと、空色の紋様を浮かべた。
「おいで、黒白」
紋様は砕け、まばゆい光が咲弥の両腕を呑み込んだ。
漆黒と純白の籠手が、咲弥の両腕に現れる。
「……宝具もさ、よく見つけられたな」
「偶然ですよ。本当……全部、ただの偶然なんです」
天使に選ばれた頃から、すべては偶然の産物に過ぎない。
咲弥は肩越しに、仲間達を振り返った。
それぞれが不安に顔を曇らせ、見守ってくれている。
たとえすべてが、偶然の産物だったとしても――ここまでこられたのは、自分の選択があったからこそだと信じたい。
咲弥は前を向き、クードに伝える。
「僕は、負けられません」
「ああ、俺もだ」
お互いに見据え合い、咲弥とクードは戦闘態勢を整えた。
クードは足を前後に開き、剣を下段に構えている。
黒白の籠手にオドを流し込み、咲弥は獣の手を形作った。
《それでは、副将の咲弥選手対クード選手――開戦!》
咲弥とクードは、ほぼ同時に相手へと駆けた。
クードの右腕付近に、天使を模した蒼い紋様が描かれる。自分のとは違い、まるでロボットに近い天使の模様だった。
そんな感想を抱きながら、咲弥は気を引き締める。どんな展開になったとしても、即座に対応しなければならない。
咲弥は白手を、大きく開いた。
「永久不滅」
(紋章術じゃない……固有能力だ!)
永久不滅――限界突破とは違い、言葉からだけではどんな効果なのかが掴めない。たとえどんな力であったとしても、白爪なら裂けるはずであった。
クードはまっすぐ進み、剣を大きく振りかぶる。
剣を持つほうの腕を、咲弥は黒爪で引っかいた。
(えっ……!)
瞬時に状況を把握して、咲弥は絶句する。
クードは切られてもなお、剣の振りを止めない。
やや不格好ながら、白手の甲で剣を受け止める。
危うく、左半身を斬られかけた。
その事実に、咲弥はゾッと背筋を凍らせる。
凄まじい剣の衝撃に耐えきれない。
咲弥の体が、軽々と吹き飛ばされた。
すぐ受け身を取り、地を滑るようにして姿勢を整える。
「お前の白いほうさ、オド関連すべてを破壊するんだろ?」
「なん、で……?」
ふと、怪訝そうに呟いてしまった。だが考えてもみれば、当然の話ではある。
クードのほうから、使徒だと悟らせてきた――もし咲弥が使徒だと知らなければ、そうなるはずもない。予選の映像か何かを観て、確信したのだと思われる。
使徒に観られたらどうなるのか、懸念は尽きなかった。
予想通りの結果を招いており、咲弥はくっと息を詰める。とはいえ、予選の途中で辞退などできるはずもない。映像を防ぐ方法もまた、あるわけがなかった。
ふっと、クードは鼻で笑う。
「そりゃあ、映像を観て研究したからな」
こちらの情報は映像に残っているが、あちらの情報はほぼ何もないに等しい。かなり不利な状況にあると感じられた。
クードが爽やかに言い放つ。
「情報は何よりの力なり。俺の生きていた場所では、それは至極当然の話しだぞ」
咲弥が育った世界でも、それは同様であった。
小さな頃から勉強という名で情報を与えられ、考える力や情報を集める力を養い、多様な物事に対処するすべを学ぶ。
きっと賢い人であれば、自分の情報は極力隠すのだろう。
状況次第では難しく、自分には不可能だと思える。
(でも……そうだ……)
不利な状況は、この世界に来てからいつもそうだった。
何をするにしても、困難が絶え間なく降り注ぎ続ける。
それでも必死に払い除け、これまでやってきたのだ。
「どんな状況でも、僕は負けません!」
咲弥は覚悟を口にした。
先手を取られたからと言って、負けたわけではない。
咲弥は再度、戦闘態勢を整える。
クードは虚空を剣で薙ぎ払い、足を前後に開いて構えた。
(あ、あれ……僕が切った腕が、治ってる?)
咲弥は不意に気づいた。
治癒術を使った気配はない。
(なんで……? 永久不滅……まさか……)
咲弥の中で、ぼんやりと正体が見えてくる。
確かめるためにも、もう一度試さなければならない。
「行くぞ! 同胞!」
咲弥は剣技をすり抜け、クードの右足を黒爪で裂いた。
その刹那、頭上から剣が飛んでくる。
白手を回すように、剣腹を叩いて軌道をずらす。
あと一秒でも反応が遅れていたら、左肩を斬られていた。
咲弥は一旦、大きく間合いを取る。
(やっぱりだ……怪我が消えてる……服も……?)
治癒系統に属した固有能力だと考えられる。
痛みがあるのかわからないが、クードは平然としていた。
クードが人差し指を天高く掲げ、蒼い紋様を浮かべる。
「清水の紋章第二節、落日の霧雨」
クードも天使から、最上級の紋章石を与えられている。
ぎょっとしたものの、咲弥は素早く移動していく。
しかし咲弥の周辺にだけ、霧に近い小雨が降り注いだ。
(なん、だ……左腕以外、体が動か……ない)
クードの第二節は、どうやら拘束術のようだ。
狙い撃ちされ、回避のしようがない。
「棒立ちか?」
クードはまた、蒼い紋様を描いた。
「清水の紋章第三節、海原の暴虐」
咲弥の両端に水が飛び、まるで猛獣の牙に似た形となる。
咲弥はとっさに、自身を白爪で引っかく。
多少はオドも削ったが、拘束術の効果は打ち消せた。
咲弥は即座に、後方へと跳ね飛ぶ。
「まだまだ! 清水の紋章第一節、海神の吐息」
今度はレーザーに近い放水が、咲弥に襲いかかる。
地面を転がって回避するや、再びクードが唱えた。
「清水の紋章第四節、天翔ける斬撃」
三日月の形をした複数の水が、ブーメランのごとく舞う。
回避したてを狙われ、さすがに全部は避けきれない。
危険そうなブーメランの水は、なんとか白爪で裂いたが、そのほかの水が大きく迂回して、咲弥の体中を切り刻んだ。
「ぐっ……」
「清水の紋章第五節、天女の涙」
咲弥の扱う清水の第一節と似た紋章術らしく、天から雫が弾丸となり降ってきた。かなりの広範囲に渡る術に、咲弥の反応が大きく遅れる。
やや巨大化した白手を盾に、咲弥は範囲外へと逃れる。
紋章術を扱う隙どころか、反撃に打って出る暇もない。
クードはまさに、紋章術のオンパレードであった。オドの消耗が激しそうな紋章術を、絶え間なく打ち続けている。
咲弥が逃れた先に、今度はクード本人が唐突に現れた。
クードが繰り出した斬撃を、黒手でかろうじていなす。
本当は剣を破壊したかったが、なかなかそれも難しい。
「やっぱり、そっちの白腕のほうが厄介だなぁ」
「はぁ……はぁ……」
肩で息をしたまま、クードに白爪の攻撃を仕掛ける。
クードが剣を構え直し、防御の姿勢を見せた。だが解放で作られた白爪は、物質のすべてをすり抜けることができる。
瞬時に空色の紋様を浮かべ、咲弥は力いっぱいに叫んだ。
「白爪限界突破!」
固有能力を発動して、クードを通り過ぎるように裂いた。
大量のオドを削り取った手応えを、咲弥は確かに感じる。
外傷を与えられないのであれば、もうこうするほかない。
オドを極限まで削り、気絶を狙うための一撃だった。
幸いと言えるのか、相手は紋章術を何度も連発している。だからオドの消耗が、それでなくとも激しいと考えられた。
クードは胸に手を添え、驚きの声を発する。
「うぉ……それが、お前の固有能力か。すげぇな、かなりのオドが削られたぜ?」
「はぁ……は、ぁ? はぁ……はぁ……」
あまりにも予想外の事態に、咲弥の呼吸は激しく乱れる。
理解不能な状況に息を呑み、深い混乱状態へと陥った。
削り取ったはずのオドが――そもそもオドの消耗自体が、まるでなかったかのように平然と流れ、そして纏っている。
限界突破した白爪を、本当に当てられたのかも疑わしい。
クードは、爽やかに微笑んだ。
「俺の固有能力はさ、発動したときの状態を維持し続ける。外傷も、オドも――なんなら、精神状態までのすべてだな。俺が解除しない限り、これは永続するのさ」
それはつまり、オドの消耗すらない不死であった。脳裏に浮かんだのは、無数の龍を背に生やした魔物――しかしあの魔物ですら、別に不死というわけではない。
クードは天使から、信じられない能力を授かっている。
「この力を発動した瞬間、もうお前の負けは確定してんだ」
「そん、なの……」
咲弥は混乱のさなか、クードへと立ち向かった。
ネタを割ったクードは、もはや防御の姿勢すら取らない。
黒爪と白爪で、クードを何度も繰り返し引っかき続ける。
ひたすら空気を裂いている――そんな感覚がした。切った端から、瞬間的な速さで怪我が再生している。咲弥の攻撃がまるで意味をなしていない。
「な? 無駄だ」
「ぐぁっ――」
焦燥感、あるいは疲労か、放たれた剣に意識が届かない。
斬撃を左胸に浴び、咲弥はなかば無意識に飛び退いた。
リングを転がり、咲弥はゆっくり上半身を持ち上げる。
じんじんとした痛みが、胸の付近から広がる。痺れに近い感覚が頭を朦朧とさせて、疲労感をひどく蓄積させていく。
それらすべてをぐっと堪え、黒手にオドを込めた。
(倒せないなら……落とせばいい!)
三倍ほど巨大化させた黒手で、クードに掴みかかる。
上空に飛ぼうが、後方へ引こうが、逃げ場は与えない――朦朧とした意識のせいで、咲弥の思考はひどく鈍っていた。
巨大化したのが、逆に仇となる。
クードは咲弥に近づくことで、掴みを回避してきたのだ。手首にあたる部分を、滑り込むようにして向かってくる。
「んなっ……」
「諦めろ」
クードが左下から、咲弥を斜めに斬り上げた。
「ぐぁぁああっ!」
斬られた直後、咲弥は無我夢中で後退していった。
距離を取るや、あまりの激痛に自然と膝が落ちる。
「ぐぅ……ぐぐっ……」
攻略の糸口が、何一つとして見えない。
瞬時に万全の状態へと戻す能力など、あってはならない。
それはもう、完全に人としての領域を遥かに超えていた。
対して自分の能力は、ありとあらゆる限界を突破するが、ただそれだけで、回数にはしっかりと制限が存在するのだ。
さらに全力の限界突破は、激痛と気絶が必ずやってくる。
同じ〝与えられた〟能力なのに、差が理不尽だと感じた。
「くそぉ……」
「そろそろ、終わらせよう」
剣先を地面に這わせてから、クードは剣を構え直した。
勝ち筋を、何も見いだせない。
そんな状態のまま、咲弥も気力を振り絞って立ち向かう。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
ひどい焦燥感に襲われ、紅羽は目を大きくしていた。
胸の辺りにある服をつまみ、咲弥をじっと見守り続ける。
クードの固有能力は、あまりにも現実から乖離していた。
夢の可能性について模索するほど、理解不能でしかない。
固有能力の効果は、本人の資質に大きく左右される。その者が生まれながらに持っている潜在能力を、開花したオドの力によって極限まで引き出すのだ。
だから本人のみならず、万物すべての限界をも超えさせる咲弥の固有能力も、無属性特有の神がかった異能と言える。
だがクードの固有能力は、もはや神そのものにも等しい。
咲弥の話では、謎の人物に十名の者達が選ばれている。
邪悪な神を討つ――優しい彼が、どれほど理不尽な運命を背負わされているのか、推し量らずにはいられなかった。
クードは駆け、剣を持つ手で蒼い紋様を浮かべる。
「清水の紋章第五節、天女の涙」
「清水の紋章第二節、澄み切る盾」
天空から舞い落ちる雨の弾丸を、咲弥は水の幕で防いだ。
クードは素早く移動を繰り返し、紋章術を連続で放つ。
「清水の紋章第二節、落日の霧雨――第三節、海原の暴虐。第一節、海神の吐息。第二節、落日の霧雨。第五節、天女の涙。第四節、天翔ける斬撃。第二節、落日の霧雨。第三節、海原の暴虐。第二節、落日の霧雨」
クードはあらゆる位置で、水の紋章術を連発した。咲弥が自身を白爪で引っかき、拘束から逃れるたびに第二節でまた拘束している。
結果、咲弥は紋章術すべてを、その全身で受けていた。
いまだかつて、こんな唱え方をする者を見たことも聞いたこともない。
紅羽は眼を剥き、心の底から震撼せざるを得なかった。
「ぐぁ……はっ……」
動きを止めた咲弥に、再びクードの斬撃が飛んだ。
咲弥の左肩から腹にかけ、死なない程度に斬られている。
軽く後退したのち、咲弥は力なく後方へと倒れた。
「咲弥様ぁ!」
紅羽は我を忘れ、大きく彼の名を叫んだ。
ぼろぼろになった咲弥の傍に、本当はすぐ駆け寄りたい。
だが感情の赴くままに行動すれば、彼は当然失格となる。また、同胞との戦いに応じた咲弥の誇りを、駆け寄ることで穢してしまう気もした。
唇を噛み締め、紅羽はぐっと我慢に我慢を重ねた。
それでも――
彼が傷つくぐらいなら、もう大会もすべてどうでもいい。
そんな考えが、紅羽の脳裏をぐるぐると巡った。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
(こんなの……無理だ……ごめん……)
咲弥は負けた事実よりも、仲間への申し訳なさが先立つ。
少なくとも今の自分では、クードにまるで歯が立たない。
この大会は、相手を殺してはならないルールがある。
だからこそ、この程度で済んでいるのだ。
これがもしルール無用の実践だった場合、いったい自分は何度死んでいるのだろうか――咲弥は漠然と、そんな想像が脳裏を駆け巡る。
自分とは違い、やはり才能を持った人が選ばれていた。
たとえ与えられた固有能力が逆であったとしても、きっとこうなる状況だけは、何も変わらなかったに違いない。
それが悔しく、情けなく――咲弥の目から涙が溢れる。
「さあ、負けを宣言しろ。それで、この戦いは終わりだ」
「はぁ……はぁ……はぁ……」
次第に、咲弥の視界は狭まっていく。
敗北宣言をしようにも、口が動かない。
どんどん――
視界が――
狭ま――
り――
「囀るな……」
自分とよく似た声が、どこかからか飛んだ気がする。
咲弥は気がつけば――いつの間にか、立ち上がっていた。