第?話 国境を越える飛行船
飛行船は悠然と大空を翔ける。
豪華な客室には、いろいろな設備が整っていた。機械的な代物もあれば、暇潰しになりそうな物まである。また食事も頼み放題で食べ放題となっていた。
あまりに待遇のいい接待を受け、言葉なき重圧感がひどく胸にのしかかる。
女王国側はどうやら、本気で優勝を狙っているのだろう。それは栄誉が得られるほかに、おそらくは莫大な経済効果を期待できるからだと思われる。
深紫色の髪をした少年――クードは静かにため息をつく。
本来であれば、こんな遊びに付き合う義務はない。だが、優勝した場合に得られる報酬が、とても魅力的であった。
そのため、渋々ながらも参加する運びに至ったのだ。
(まあ、腕試しには……ちょうどいいかもしれないか……)
「ねぇねぇねぇねぇ! ちょっと、見て見てぇ! クー!」
桃色の髪をした竜人の女が、元気に愛称で呼んできた。
いたずらな笑みを浮かべ、ある遺物を差し出してくる。
手にしているのは、近世頃にある古臭いノート型パソコン――ややぼやけている画面には、多人数と戦っている黒髪の少年が映し出されていた。
クードはひとまず、じっと映像を見つめる。
彼女が何を見せたいのか、その意図がよくわからない。
クードは首を捻り、軽口を叩いた。
「なんだ……? モニカのタイプは、そんな感じの子か?」
「ちっがぁうっ!」
モニカは片頬を膨らませ、斜に構えて睨んでくる。
クードは肩を竦めて応え、彼女の怒りをいなした。
「もぉ! 巻き戻すから、ちゃんと見てみてよ!」
「んぅ……? モニカのタイプをか?」
「だぁかぁらぁっ! 違うってばぁ! もぉ!」
なぜ主語をもって話さないのか、クードは呆れ果てる。
ふと思えば、彼女は出会った当初から、主語を省いて話す傾向があった。見た目もそうだが、中身もまだ子供っぽい。
とても同じ十七歳だとは、思えない成長をしている。
そんな彼女だが、里では稀代の天才と呼ばれていたほど、戦闘に特化していた。
これには、クードも素直に同意を示している。
実際、これまでも彼女に救われた場面は少なくない。
「ほらほら! ここからだよ!」
映像がやっと、目的の場所まで巻き戻せたようだ。指定の時間まで言葉一つで巻き戻せないのは、かなり不便で面倒な遺物だと感じられる。
クードはそう思いつつ、頬杖をついてから映像を眺めた。
黒髪をした少年の年頃は、自分とそう変わらないだろう。どこにでもいそうな見た目をしており、平凡な少年といった感想を持つ。
ただ、少年の戦い方は独特で、どこか獣じみていた。
漆黒の右手と純白の左手にある爪が、主な武器らしい。
(結局、何を見せたいんだ……これ……?)
心の中で呟いた矢先、クードに静かな驚愕がやってくる。
少年のある一部分に、完全に視線を奪われた。
モニカが嬉々とした声で訊いてくる。
「ね、ね? これって、クーと似た紋様じゃない?」
「ちょ、ちょっと! それ貸してくれ!」
なかば奪うように、クードはモニカの手から受け取った。
モニターを凝視する。その形には、ある違いがあった。
クードの紋様は少年の紋様とは異なり、どこか機械じみた天使の形をしている。しかし少年が浮かべた紋様は、まるで天女を連想する天使を模していた。
ただの偶然なのか、それとも――
(まさか、コイツ……使徒、なのか……?)
もしそうであれば、ありえない展開に震撼する。
これまでの間、噂にですら耳にした記憶はない。
それも当然の話ではあった。なぜなら、このとてつもなく広い世界に、たったの十人しか放り込まれていないからだ。
それがまさか、こんな形で知るとは思いもよらなかった。
(コイツも別世界の住人……どこの惑星なんだろう?)
少なくとも、見た目は自分と変わらない普通の人だった。
尻尾や翼が生えているわけでもない。
クードは食い入るように、映像を眺め続ける。
不意に、モニカが疑問を呈した。
「ねねっ? もしかして、クーのお知り合いなの?」
クードは一度、頭の中で言葉を選んだ。
あまり下手な発言はできない。
「会うのは初めてだが、ある意味な。あっちもおそらく――びっくりすると思う」
「へぇ、そうなんだぁ」
「なあ、モニカ。この人の名前は、わかるか?」
モニカは唇に指を添え、小さく唸った。
「ええっと、確かぁ……咲弥って、名前だったかなぁ?」
「咲弥……?」
自分のいた世界では、あまり聞き慣れない名前に思える。しかし世界のすべてを、完全に把握しているわけではない。
同じ惑星の出身といった可能性は、充分に考えられた。
クードは映像を睨み、深く悩む。
ある程度の予想はついていたが、モニカに訊いた。
「この咲弥って人も、国際大会に参加するのか?」
「うん。そうみたい。ちょっと前に、決定したみたいね」
モニカの笑みを見据えながら、クードに緊張が宿った。
それはつまり、明日にはもう対面することとなる。
どんな力なのかはわからないが、咲弥も天使から恐ろしい力を授かっているはずだった。その力を駆使すれば、大抵の物事は切り抜けられるだろう。
クードはまた、モニター画面に目を移した。
(いったい……天使から、どんな力を授かった……?)
映像をじっと観察するが、決定的な場面が見つからない。
基本は両手に装着した武具で戦い、そのほかは紋章術での対処ばかりしている。全体を通してあやしいと睨んだのは、巨大な魔獣と戦っているシーンであった。
クードは首を振り、つい深いため息が漏れる。
もっと鮮明に、映像と音声が残っていたらと嘆いた。
(固有能力名がしっかりと聞こえてたら、確信も持てたのに……まぁ、こっちの世界でそれを望むのは、さすがに酷か。修復デバイスがあればなぁ……)
この世界の文明は、はっきりと言えば滅茶苦茶であった。
古の時代でしか見られないような馬車もあれば、飛行船やノート型パソコンという、近世的な代物まで存在している。また国内でも、文明差がわりと激しい。
創作的な世界ではあるが、文明力はかなり低かった。
この世界には光速で移動する匣もなければ、立体投影する装置すらもない。もとの世界でなら、動画も空間に投影し、現実的な動作と音声を表示できるのだ。
ただクードが知らない、または見ていないというだけで、この世界のどこかの大陸には、そんな現代的と感じる文明があるのかもしれない。
そう思わせるほどに、この世界の文明はおかしかった。
(それにしても……コイツの能力は……?)
見た限りでは、増強系だと考えられた。
少なくとも、自分と似た能力ではないらしい。
ほかの使徒達にも、別の固有能力が与えられる――天使の発言からも、類似した力が与えられているとは考えづらい。
だからこその、問題点が浮上する。
火は水に弱く、水は土に弱い。
万物のすべてには、相性というものが必ず存在している。
それは固有能力とて、例外ではないのだ。咲弥との相性が悪ければ、非常に面倒な展開に陥るのは予想に難くない。
クードが思案していると、途端に背に重みを感じた。
「ねぇえええ! クー! アタシもみぃーたぁーいぃー!」
モニカが言いながら、後ろからぎゅっと抱き着いてきた。
彼女の柔らかな胸が、背を通じて伝わってくる。
クードは戸惑いつつ、必死に恥ずかしさを押し殺した。
「わ、わかったから! ちょっと、離れろって!」
「ああ、クー! 照れてるんでしょ? もぉーえっち!」
いまだ離れず、クードの頬にモニカは自身の頬を添える。
モニカの滑らかな頬の感触に、クードはどきりとした。
こちらの気も知らず、モニカは潜んだ声で言ってくる。
「王女様に知られたら大変ね。嫉妬で殺されるかもぉ?」
「俺じゃなく、お前がな?」
クードは努めて冷静に告げた。
モニカの腕を外そうとするが、なかなか引き剥がせない。
モニカは陽気な声を上げた。
「クーから抱き着いてきたって、誤魔化すもぉん」
「お前から抱き着いてきて、なぁに言ってんだ。ばか!」
「あぁあああ! ばかってゆった! ばかってゆったぁ!」
モニカが叫び、クードの背を押すように離れた。
肩越しに見ると、モニカは目に涙を溜めて震えている。
決壊したように、モニカはぽろぽろと泣きながら歩いた。
「うぇえん、ドガスゥー! クーが、ばかってゆったぁ!」
「……ああ、そうだな……」
赤い皮膚を持つ爬人、ドガスが面倒そうに慰め始める。
今でこそ見慣れたが、初めて遭遇したときは驚かされた。見た目がまるで、空想にあるようなリザードマンと呼ばれるモンスターでしかない。
大きく二種類に分けられる獣人とは違い、爬人と呼ばれる種族は、トカゲや蛇を連想する容姿をした者しかいない。
クードのいた世界には、存在していない種族であった。
とはいえ、手術次第では似た容姿を作れないこともない。
クードのいた世界では、それだけの文明力があった。
(やれやれ……あいつの性格、どうにかならんもんか……)
クードは半目で、ドガスの傍にいるモニカを見据えた。
とても愛らしい顔をしているのに、もったいなく思える。
性格を年相応にすれば、おそらく魅力は増すに違いない。
クードは首を振り、嘆息する。
「ん……?」
ウサギの耳を持つ、女獣人のパルが視界に入った。
難しそうな顔をして腕を組み、壁にもたれかかっている。何か思案でもしているのか、この騒ぎに動じる気配はない。
寡黙な彼女もモニカと同様、自分の里では随一の戦闘力を誇っていた。正直、もし特殊な力を抜きにして戦えば、誰も勝てる気がしないぐらい強い。
ただとても無口で、扱い方が少々難しいのが難点だった。
思えば、奇妙な縁ではある。一見、なんの繋がりもないと感じられる者達が、クードの目的を手伝うために、こうして一か所に集い合っているのだ。
愉快な仲間達を想い、クードはまた深いため息が漏れる。
(まあ……それよりも、今は……)
クードは、映像のほうに視線を戻した。
なににしても、邂逅のときはもう近い。
いい人であればと願うが、それも難しく感じられた。
邪悪な神を討った者だけが、願いを一つ叶えられる――
どの戦いであれ、クードは負けるつもりはない。
(問題は……やっぱ、相性だよなぁ……)
咲弥の戦い方を分析するため、じっと観察した。
クードが気づくまで、まだもうしばらくの時間を要する。
唯一と言えるほどの天敵が、その咲弥だったのだ。