第二十四話 その日はやがて訪れる
国際大会への出場者が決定し、王都は大賑わいしていた。
東レイストリアに、コンサート会場みたいな場所がある。そこに大勢の人が詰め寄り、舞台へと視線が注がれていた。
舞台上にいる咲弥達は、インタビューを受けている。
金髪の女リポーターが、意気揚々と声を発した。
「近年レイストリア王国では、優勝を果たしておりません。各国どこもが、おそらく精鋭を揃えていると考えられます。それについては、どうでしょうか?」
チームリーダーの紅羽が、マイクを突き出された。それに伴い、やや遠くのほうにある、大きなカメラも向けられる。
咲弥はハラハラしながら、紅羽をじっと見守った。
当然のごとく、紅羽はただ沈黙している。
綺麗な女リポーターの顔に、困惑の色が宿る。
「昨年はバルディア皇国が優勝したけれど――レイストリア王国の代表として、今年は私達が栄冠を手にしてみせるわ」
ネイが代わりにマイクを奪い、自信満々に言ってのける。
女リポーターはほっとした顔で、自身にマイクを戻した。
「なるほど! 何か勝算があるみたいですね。先の予選でも魔獣を瞬く間に討ち取り、さらに上級冒険者をも打破したとお聞きしました――差し支えがなければ、勝利の栄光に輝くための秘策を、ぜひお聞かせくださいませ」
今度は咲弥に、すっとマイクとカメラが向けられた。
映像通信――どこの誰に、またはどれだけの人に見られているのかわからない。それは予選内でも同じはずであった。
しかし今現在、その上さらに大勢の人を前にしている。
緊張が最高潮に達し、咲弥はガチガチに固まってしまう。
「あのぉ……えっとぉ……そのぉ……」
「それは、もちろん秘密だ。もしかしたら、各国の選手達が見ているかもしれない。わざに教えてやる必要はないな」
今度はゼイドが代わりに答え、咲弥の肩をガッと掴んだ。
「ただ一つ――俺達の秘策は、各国どこもが度肝抜かれるに違いない。とだけ言っておこうか。楽しみにしていてくれ」
「とっても期待が持てますね。それでは、最後に――チームリーダーのほうから、お言葉をいただければと思います」
再びマイクが、紅羽のほうへと据えられる。
体裁上、リーダーの言葉がどうしても欲しいに違いない。
女リポーターは緊張した面持ちで、マイクを握っている。
少しの沈黙を経て、紅羽が可憐な声を紡いだ。
「別に王国や他国のことなど、どうでもいいです」
(えぇええええ――っ?)
絶対に言ってはいけないことを、紅羽は平然と口にした。
場の空気が凍りついたのを、咲弥は肌で感じ取る。
「咲弥様に、等級を上げてもらいたいだけですから」
「咲弥様……隣の彼のことですね?」
「はい」
「紅羽さんはチームのリーダーなのに、隣の彼を様づけ……いったい、どのような関係でいらっしゃるのでしょうか?」
紅羽は虚空を少し見上げ、何か思案している。
それから記者のほうへ向き直り、無表情のままに告げた。
「私は、咲弥様の嫁です」
「……へっ?」
あまりに唐突な紅羽の発言に、咲弥はぎょっとなる。
どこかの誰かが、冷やかしの口笛を吹いた。
突然、ゼイドが大笑いする。
「たぁーはっはっはっ!」
紅羽に妙なことを吹き込んだ犯人が、すぐさま判明した。
ネイが呆れた様子で、ゼイドのほうを睨んでいる。
「まあ! 夫婦でのご参加だったのですね?」
「ある種、そうとも言えます」
「……? ありがとうございました。それでは、皆様。ぜひ明日の国際大会を、楽しみにお待ちくださいませぇ!」
女リポーターがカメラへ手を振り、そう締め括った。
湧き上がる歓声の中で、咲弥は妙な展開に少し疲弊する。
撮影が終わりを迎え、撤退するカメラマン達を見つめた。
すると、女リポーターの声が耳に届く。
「明日の大会、楽しみにしています。お疲れ様でした」
「あ、はい。お疲れ様でした」
咲弥が一礼を送ると、女リポーターは満足げに去った。
徐々に踵を返す観客達を眺め、安堵のため息を漏らす。
「あんたねぇ。紅羽になぁに吹き込んでんのよ」
「ははっ。いいじゃないか。別に困る話でもないだろ」
「そりゃまあ、そうだけどさ。各国にも知れ渡ったわよ」
「そ、そうなんですか?」
咲弥の問いに、ゼイドが背をぽんぽんと叩いてくる。
「国際大会は各国の華だ。みんな見てると言っていい」
「えぇえええ……」
咲弥は規模の大きさを、いまさらながらに痛感した。
当然と言えば、当然の話ではある。
だからこその不安が、咲弥の胸に募った。
もし使徒の目に留まれば、どうなるのかわからない。
使徒の行動を深く考えている最中、紅羽が訊いてきた。
「ご迷惑でしたか?」
「え? あ、うんん。驚きはしたけど、そんなことないよ」
気を使った部分は多少あったが、概ね本音であった。
ただ、少し複雑な気分になったのは否めない。
嬉しい反面、悲しくもある。最終的な目標に向かえば――咲弥は首を左右に小さく振り、故郷への思考を打ち消した。
考えたところで、何かが変わるわけでもない。
視線を仲間に戻すなり、ネイが微笑みながら言った。
「さて……それじゃあ、明日に備えて飯にでも行きましょ」
「あんま、酔わないでくださいよ。明日のために」
「さすがの私も、それはわかってらぁ!」
その言葉に、安心感はまったく芽生えない。
咲弥は苦笑してから、全員で馴染みの酒場へと向かう。
その道中、多種多様に催されている祭りの風景を眺めた。普通に楽しみたかったという気持ちが、こっそり胸に湧く。
しかしだからといって、別に引き返したいわけではない。
今回の大会が、ゼイドにとっては最後の挑戦となるのだ。
これまでずっと、彼には本当にお世話になり続けている。だからゼイドには、最後ぐらい優勝で締め括ってほしい。
咲弥は浮ついた気持ちを、きつく律しておいた。
そうしている間に、いつもの見慣れた酒場にやってくる。
店員の森人――女顔にしか見えないレンが声を上げた。
「あ、アニキとアネキ!」
「やあ、レン君」
傍に飛んできたレンに、咲弥は手を振って挨拶する。
レンは鼻息を荒くして、両手で拳を作った。
「大会の予選、モニター越しにだけどさ、みんなでちゃんと応援してたんだ! やっぱ、アニキとアネキはスゲェや! 俺の目に狂いはまったくなかったぜ」
「みんな?」
「おう、咲弥」
奥から現れたのは、強面をした酒場の店主であった。
「あ、マスター」
「咲弥も紅羽も、本当によく頑張ったなぁ。今回は、大会の前祝いだ。この店にあるものなら、どれもこれも好きなだけ飲み食いしていけ!」
「えっ? い、いいんですかっ?」
「ああ。明日も頑張れよ」
にっこりと笑い、マスターは頷いた。
ネイが喜びの声を放つ。
「よっしゃあああああ! やったぜぃ!」
「さ、レン。いつもの席に案内してやれ」
「了解っす!」
レンに誘導され、もはや指定席とまで呼べる席に着いた。
メニューも見ないまま、ネイがレンに伝える。
「とりあえず、いつも通り適当にじゃんじゃん持ってきて」
「はいよ!」
レンは元気に返事をしてから、厨房のほうへ消える。
そのとき、出入口から荒々しい足音が聞こえた。
「やぁーん! 紅羽ちゃぁん!」
冒険者ギルドの受付嬢――青髪のミリアが現れた。
颯爽と紅羽に抱き着き、頬ずりしている。
ミリアの柔和な顔が、幸せそうな色に満ちていた。
「さすが私の紅羽ちゃん。予選なんか、余裕の突破ねぇ」
「結構、ギリギリだった気がするが……?」
ゼイドの呟きを、ミリアは無視して続けた。
「どこも怪我はない? 体調は大丈夫?」
「はい。問題ありません」
「よかった。もし怪我させられていたら、あいつ殺そうかと思っていたのよ?」
「あいつ?」
咲弥は小首を傾げる。
不意に背後から、聞き覚えのある男の声が飛んでくる。
「やあ、皆さん。今日は、お疲れ様でした」
「あれ……アレン、さん……?」
青髪の上級冒険者、アレンがそこには立っていた。
その隣には金髪の森人リュイもいる。ただ、ずんっとした重い空気が醸されており、なにやら落ち込んでいるようだ。
アレンは温和な顔を渋くして、ミリアのほうを見据える。
「あのさ、姉さん……その娘、ウザがってないかい?」
「あぁっ!」
咲弥は突然の理解に達する。
確かによく見れば、かなり似た顔立ちと雰囲気であった。
ミリアが弟を射るように睨んだ。どこか殺意じみている。
「はぁ? そんなわけないわよねぇ、紅羽ちゃん」
「やれやれ……困った人ですね……」
アレンは額に手を添え、呆れたように首を横に振った。
ため息をついたあと、アレンは穏やかな表情へと戻る。
「ところで、僕達もご一緒してもいいですか?」
上級冒険者と知り合える機会は、そうあるわけでもない。
咲弥からすれば、むしろ願ってもない展開だった。
「あ、はい! ぜひ!」
「ありがとうございます」
咲弥が応えると、アレンはお礼を言いながら席に着く。
落ち込んでいるのか、リュイは暗い面持ちで椅子に座る。
すでに用意していたのか、早々と店員達が現れた。
「皆様、お食事をお持ちしましたぁ」
四人の女店員が、一斉に料理と飲み物を運んできた。
テーブルの上が一気に、豪勢な食卓へと変化する。
ネイがまず、酒の入ったグラスを手に取った。
「そんじゃあ、明日の大会出場を祝して……かんぱぁい!」
「乾杯!」
ネイとゼイドに続き、咲弥達も乾杯の合図を送った。
いつもと同じリャタンを、まずは一口ごくりと飲む。
体の疲れが、どこかへ吹き飛ぶような気分になる。
咲弥が吐息をつくや、アレンがにこやかに言った。
「国際大会への出場、おめでとう。頑張ってくださいね」
「あ、はい。ありがとうございます」
咲弥が礼を告げると、アレンの視線が紅羽へと流れる。
「正直、驚くほどの強さでした。他国の強者達との試合を、僕も心から楽しみにしています。ぜひ頑張ってくださいね」
「了解しました」
紅羽は短く応え、いつものパフェを口に運んだ。
ネイが肉を口にしながら、アレンに尋ねる。
「ところへさ、なんの用でやってひたわへ――ただ単純に、お祝いをしたかったから。って、わけでもないんでしょ?」
「いいえ。お祝いのつもりですよ」
「まったまたぁ。そんなわけないでしょうよ」
ネイが手首を振り、呆れを含んだため息をついた。
アレンは悩んだ顔を見せ、テーブルにグラスを置く。
「皆さんは、他国の出場選手をチェック済みですか?」
「わかる程度には、かな」
ネイが答えてから、ゼイドが続けた。
「前回の優勝国は、いくら調べてもわからなかった。ほかの国でも、そういうのがちょくちょくあったという感じだな」
「僕は伝手で、ある程度は把握しています。聞きますか?」
アレンが問うと、ネイがテーブルに詰め寄った。
「当然! 誰が出てくるわけ?」
「まずは前回の優勝を果たした、バルディア皇国ですが――なんと、あの隻腕のリョット一家が出るそうです」
「はぁん……まあ、今の私なら大丈夫かぁ」
咲弥にはよくわからないが、ネイは少し渋い顔を見せた。
どうやら皇国では、かなり名の知れた一家らしい。
アレンはそのまま、淡々と各国の出場者の名を挙げる。
どれもこれも、無知な咲弥にはわからない人しかいない。
「そして、アルバト女王国ですが……あまりよくわからない出場者でした」
「じゃあ、私達とおんなじ無名が出場するってわけね」
「そうですね。ただ……ここが、今回の本題です」
「何よ?」
ネイの疑問に、アレンが咲弥のほうに視線を向けてくる。
「もちろん、ただの偶然なのかもしれませんが……ちょっと気になりまして。聞けばどうやら、咲弥君と少し似た感じの出場者みたいなんですよ」
「僕に……ですか?」
咲弥は小首を傾げると、アレンはゆっくりと頷いた。
この世界の人は、他種族を除けば自分とそう変わらない。
もしかしたら、日本的な場所もある可能性は高かった。
「アルバト女王国から出場者する一人が――咲弥君の紋様と同様の、まるで天使を模した紋様を浮かべるそうなんです」
咲弥は一気に血の気が引く。
これまでずっと、噂程度でしか存在を聞かなかった。
そんな使徒と、ついに邂逅する時がやって来たのだろう。
「姉さんから話は聞いていましたが、確かに咲弥君の紋様は少し特殊ですよね。やはり、思いあたる節がありますか?」
「……はい。どんな方なんですか?」
「伝え聞いた程度ですから、そこまで詳しくはありませんが……なんでも、アルバト女王国の王女を救った英雄――と、そう聞いた程度です」
少なくとも、人を救うだけの心は持っているようだ。
それが真心か打算なのかは、まだはっきりしそうにない。
前者であればと願うものの、楽観視はできなかった。
《別の使者と邂逅した場合、遠慮なく殺しても構いません》
咲弥を選んだ天使がそう告げたように、その使徒を選んだ天使もまた、同様の言葉を伝えていると考えられる。
願いを叶えるのは、邪悪な神を討った者のみ――
競争である以上、最悪な選択をしても不思議ではない。
いずれにしても、どんな人なのか会っておく必要はある。
じわりとした緊張感が、咲弥の全身をきつく締めつけた。
アレンは肩を竦め、そっと言葉を発する。
「伝えに来た甲斐は、どうやらあったみたいですね」
「わざわざ、ありがとうございます」
「いいえ。お祝いしたい気持ちが大半でしたから」
アレンと微笑み合い、咲弥は頷いて応える。
しかし内心、複雑な心境を隠し通せなかった。
邪悪な神を討つために、選ばれた同胞であると――紅羽やネイに加え、ゼイドもおそらく勘づいたに違いない。
「ところでそちらの方、ずっと落ち込んでるわよ?」
リュイのほうへ向き、ネイが半目で見つめていた。
アレンは小さく苦笑する。
「彼女は、ちょっと……プライドが高いと言いますか……」
「私じゃなくったって、普通は落ち込むわよ!」
リュイはテーブルを、バンッと叩いた。
それから、もの凄い剣幕でアレンを睨みつける。
「あんた、上級冒険者として恥ずかしくないわけ?」
「そう言われましても……まだ精進しなければ、ですね」
「あんた、マジ……ほんと、ほんとそういうところよ!」
「ははは……」
アレンは苦笑して誤魔化していた。
金髪に指を通し、リュイは頭を抱える。
「絶対莫迦にされる……絶対あいつらに笑われちゃう……」
「そんなことないですって」
「あるわよ! あるに決まってんじゃない!」
「彼らが大会で優勝すれば、仕方がないなぁで済みますよ」
リュイははっとした顔をする。
「そうよ。そうだわ! あんた達、絶対に優勝しなさいよ。これは冒険者としての先輩である、私からの命令だから!」
「まあ、当然そのつもりではあるが……」
これには、ゼイドも苦笑を隠せていない。
ネイは不敵に笑った。
「安心しなさい。必ず、私達が優勝してみせるから」
「絶対よ! もし優勝したら、好きなだけ飲ませるから!」
「よっしゃあああああ! 俄然、やる気が湧いてきたわ!」
咲弥は頬が引きつり、リュイに忠告する。
「あまりネイさんに、お酒を飲ませないでください。本当に酷いんですから……」
「勝利の美酒に酔いしれず、何に酔いしれるんじゃい!」
ネイの問いに、咲弥は淡々と言葉を返した。
「ただの喜びに酔いしれてください」
「そんなもんで満足できるかっ!」
ゼイドがからからと笑った。
賑やかになる席の片隅で、ミリアの呟きが聞こえる。
もはや呪文に近いそれは、あまり触れないでおいた。
使徒との邂逅まで、あともうわずか――




