第二十一話 強敵の出現
咲弥は焦りながらも、漆黒の籠手でハオの斬撃を受けた。
結構な高さから降ってきたのもあってか、かなり重たい。咲弥は衝撃に耐えきれず、受け流してから大きく後退する。
ハオは追撃の気配を見せたものの、咲弥とは一定の距離を保ちながら、紅羽達から遠退いた。おそらく、紅羽達からの攻撃を懸念したのだと思われる。
射るような鋭い眼差しで、ハオが睨んできた。
「また俺の獲物を横取りしやがったな! 許さねぇぞ!」
「別に横取りじゃないよね。私達が一番だったんだから」
ネイが、紅羽に耳打ちをする。そんな姿勢ではあったが、ネイの声はわざとらしいくらい、とてもよく聞こえてきた。
ハオが苦い顔で、袖の中から伸びた剣をネイへと向ける。
「言葉のアレだ! とにかく!」
ハオはもう片方の剣を、咲弥へと伸ばした。
「一騎打ち勝負だ! 咲弥!」
ハオがゆらりと戦闘態勢を整え、咲弥も自然と身構える。
紅羽が静かに、動こうとする気配を感じ取った。堅実的な彼女からすれば、一騎打ちを快くは思っていないらしい。
だが、ハオのチームメイトだと思われる、とても穏やかで優しい顔立ちをした青髪の青年――颯爽とやってきた彼が、紅羽の行く道を塞いだ。
やや遅れて、ミラに加えて森人らしき女も現れる。
「すみませんね。どうしても戦いたいと聞きませんので」
「やっちゃえやっちゃえぇー! ハオ!」
ミラが右腕を高く掲げ、ハオを応援した。
高身長な森人の女は、困り顔で体をくねらせる。
「まったく……男はばかな生き物ですね」
「まあ、祭りですから。楽しむ心も必要ですよ」
青髪の男は言いながら、煌びやかな剣を抜いた。
森人の女がすっと、豪華な装飾をした杖を構える。
ハオのほうへは向かないまま、青髪の男は声を紡いだ。
「仲間は僕達が引きつけます。存分に楽しんでくださいね」
「ああ。ありがとうよ、アレンさん! そっちは頼む!」
ハオもアレンのほうへは向かず、感謝を述べた。
「最悪……気をつけて、アレンは上級冒険者だから」
そんなネイの呟きが聞こえるや、ハオが突っ走ってくる。
ミラの言っていた秘密兵器の正体が、ようやく知れた。
上級冒険者の助力を、なんらかの方法で得たに違いない。
紅羽達のほうを心配するが、そんな余裕はすぐに消える。
「行くぞ、咲弥!」
緊張が走り抜ける中、咲弥は黒白の籠手を解放した。
黒と白の獣みたいな手を携え、ハオの動きを予測する。
まるで踊るような剣技が繰り出され、咲弥は黒手で防ぐ。
ふと視界の端で、黄金色の紋様を捉える。
「雷の紋章第四節、雷鳴の駆け足」
ハオが稲光を纏い、目にも止まらぬ速さで動いた。
師と同じ雷属性――ハオのオドに全神経を集中して探る。たとえ目で追えなかったとしても、気配なら追えるのだ。
ハオが翻弄したのち、鈍い光が咲弥に襲いかかった。
間一髪のところで、黒手でハオの剣を受け止める。
そのままするりといなして、大きく広げた黒爪を薙いだ。
ハオが回避した、そのとき――
ほんの一瞬だけ、ハオが不敵に笑った気がした。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
紅羽は苦い思いを抱え、咲弥の戦いを一瞥する。
安心はできないが、今は任せるほかなさそうだった。
眼前の男女二名が、きっと咲弥の援護を許さない。
どちらも、かなりの手練れだと見受けられる。
特に男のほうが、危険だと判断した。その頼りなさそうな温顔からは、考えられないほど流麗なオドを纏っている。
それは、まるで――紅羽の脳裏に、ある人物が浮かんだ。
「初めまして、僕はアレン。こちらは仲間のリュイです」
アレンの物腰はとても柔らかいが、まるで隙がない。
わずかにでも気を緩めれば、襲ってきそうな気配がある。
「アレンっていいやぁ……噂に聞く、かなりの実力者だぞ」
ゼイドの呟きを聞きながら、紅羽は思案する。
今後の展開を考えれば、脱落者は出さずに切り抜けたい。
リュイと紹介された翠眼の女は、こちらの間合いを正確に読み取り、適度な距離を保ち続けている。おそらく、後衛を基本とした補助型だと予測する。
集団戦で優位に立つならば、まず数を減らすのが鉄則――だがこちらが動いた瞬間、温顔をまったく崩さないアレンが阻んでくるに違いない。
頭の中で、無数の戦略が駆け巡る。
妙な笑みを浮かべ、ミラが語りかけてきた。
「にっしっしっ! 紅羽と咲弥には悪いけどさ、予選突破はミラ達がもらうかんね。咲弥には、これが罰になるしねぇ」
「はあ……見逃してはくれなさそうね。厄介な話だわ」
ネイが呆れ声を漏らした。
ただ、今ここで潰せるならそのほうがいい。
アレンが、わずかに緊張のこもった声を紡いだ。
「そうそう。リュイ――銀髪の子は紅眼の悪魔の一員です。零級の相手だと思って、充分に気をつけてくださいね」
「零級……紅眼の悪魔……?」
「恐ろしいほど……とても強いです」
小首を傾げるリュイに、アレンは声を低くして答えた。
ネイが紅羽の頭を、そっと胸に抱き寄せてくる。
「こんな可愛い娘つかまえて、悪魔とは何事か」
「私の同族と、戦いを交えた経験があるのだと思われます。紅眼の悪魔といった名を知っているのは、そんな方達くらいしかいませんから」
紅羽は簡潔に、ネイに説明しておいた。
アレンが、どの號持ちと遭遇したのかまではわからない。
たとえなにであれ――より一層、警戒心が強まった。
アレンが生きていることが、そもそもその証明と言える。
紅眼の悪魔と戦って生き伸びた者など、そう多くはない。
「ご明察。でも、君はアレとはずいぶん違うみたいですね」
紅羽は一呼吸の間だけ目を閉じ、気持ちを入れ替えた。
ネイ達に指示を送る。
「ハオは咲弥様に任せ、ネイ達はミラを潰したのち、ほかの参加者達か魔物を狩り、ポイントを稼いでおいてください。私が、アレンとリュイを仕留めます」
「了解」
「マ、マジか……っ?」
ネイは了承したものの、ゼイドはためらっていた。
紅羽は冷静に伝える。
「もっとも、予選突破の確率を高める手段です」
「りょ、了解!」
「やっば!」
ミラが素早く撤退した。ネイ達は即座に行動する。
ほぼ同時に、アレンがネイ達のほうへと動いた。
紅羽は足に力を込め、瞬時にアレンの進路を妨害する。
「ネイ達の邪魔はさせません」
「速いですねぇ」
アレンが言いながらに、剣を振るってきた。
紅羽は斬撃を潜り抜け、剣を握る手元に蹴りを放つ。
視界の端で、リュイが青い紋様を浮かべたのを捉えた。
アレンが身を捻り、紅羽の蹴りを回避する。
「水の紋章第二節、恵みの抱擁」
アレン達の体が、青白い光を纏う。
光の紋章第二節と、似た効果だと予測する。
アレンは舞うように、華麗な斬撃を繰り出した。
直後、再び詠唱が飛ぶ。
「水の紋章第三節、水精の加護」
アレンの剣が、仄かに青い輝きを発した。
どんな効果かわからない。紅羽は一度、間合いを取る。
アレンが虚空を斬るや、青白い衝撃波が発生した。咲弥の黒爪空裂きと似た現象だが、水の斬撃はまるで破裂に近い。
紅羽はするりとかわしてから、純白の紋様を宙に描いた。
「光の紋章第二節、煌めく息吹」
自身の身体能力を向上させ、紅羽はアレンを翻弄した。
そう見せかけておき、リュイへと駆ける。
現状、補助系統の紋章術士は厄介であった。ただでさえ、身体能力の高い者が、彼女の紋章術によって強化される。
戦闘がつらい以前に、勝機を失いかねない。
相手も後衛が狙われるのは、承知の事実に違いない。この短いやり取りで、連携慣れしているのは明白だった。
戦いが長引けば、今後の展開に支障をきたす。とはいえ、時間制限のある固有能力には、まだ頼るわけにはいかない。
一度使えば、二十四時間は再使用できないからだ。
これまでの自分であれば、きっと固有能力に頼っていた。
しかし、今の紅羽は違う。
咲弥の特殊能力のお陰で、身についた力がある。
紅羽は適度な距離を取り、姿勢を楽にした。
静かに――
ただ静かに――
周囲に神経を張り巡らせる。
漂うマナを取り込み、自身のオドへと練り合わせた。
肌がひりつき、痺れに近い痛みが宿り続ける
「おっ……なんですか、それは?」
アレンの問いに、紅羽は応えない。
エーテルの精製を終え、全身に纏ってから突撃する。
まだ魔人の域へは、足元にすら及んでいない。
それは、紅羽もしっかり自覚していた。
付け焼刃程度のものだが、魔人が相手でなければ――
真上から振り下ろされた剣を、弓を盾代わりにして弾く。そのまま地を踏み締め、アレンの腹部に前蹴りを放った。
吹き飛ぶアレンを一瞥し、リュイとの距離を詰める。
リュイの顔に、焦燥の念が宿った。
回し蹴りをしながら、紅羽は純白の紋様を浮かべる。
「光の紋章第一節、閃く剣戟」
「くっ――!」
小さな光球が舞い踊り、リュイを切り裂く。だが、浅い。
後衛の補助型――やはり避け方が、上手いのだ。
後方でアレンの気配が動き、紅羽は迅速に弓を引き絞る。
純白の紋様を顕現し終えるまでの間に、光の矢を射った。
光の矢がいなされたあと、アレンが唱える。
ほぼ同時に、紅羽もまた詠唱した。
「闇の紋章第六節、飛翔する黒影」
「光の紋章第四節、白熱の波動」
アレンの漆黒の光芒と、紅羽の純白の光芒が衝突する。
競り合う紋章術の衝突から、アレンの力強さが伝わった。
ただ紅羽の紋章術には、エーテルが込められている。
漆黒の光芒をも呑み込み、アレンのほうへ向かう。
アレンの気配を捉えたまま、リュイを振り返る。
杖にオドを込めており、水の軌跡が描かれていた。
空中に留まった青い衝撃が、一気に紅羽へと放たれる。
紅羽はかろうじてかわした直後、嫌な気配を察知した。
崩された陣形を、立て直すために違いない。
アレンが飛ぶ斬撃を放ちつつ、リュイの傍へと寄った。
「なんなのよ、この子……強過ぎるわ。てか、ちょっと! 後衛を護るのが、あんたの役目でしょ? 私、あの子に一撃入れられたんだけど!」
「やれやれ。だから紅眼の悪魔には、気をつけてくださいと言ったのに……」
嘆いているアレンの言葉に、紅羽は少し嫌悪感を覚える。
「あなたが、どの號持ちと遭遇したのかは知りませんが――私と紅眼の悪魔は、別に何一つとして関係がありません」
「號持ち?」
アレンが訝しげな顔をした。
紅羽は勘違いに気づき、ありのままの事実を伝える。
「あなたが遭遇したのは、號持ちではなかったのですね――もし五號以上と遭遇していた場合、あなたは今、確実にこの場にはいませんから」
「君は、その號持ちだったのですか?」
「当時、七號と呼ばれていました。ですが今の私であれば、その五號以上とも、必ずやり合える程度の力量はあります」
紅羽は断言して、戦闘態勢を整える。
咲弥側も、まだ戦いが長引いているようだ。
アレン達の戦い方、紋章術の力強さ、戦いにおける心構え――この短時間で、ある程度の情報は入手できた。
不意に別々の場所から、複数のオドを察知する。
ほかの参加者達が、集まりつつあると察した。
「早々に終わらせます」
紅羽は断りを入れ、即座に戦闘を再開させた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
ハオの斬撃を受け流し、咲弥は解放した黒白で反撃する。
だがハオは軽やかに避け、また両刃の剣を振るう。咲弥は斬撃をいなしたあと、素早く黒白の爪か拳で応戦した。
こうした攻防が、さきほどからずっと続いている。
お互い決定的な一撃が、いまだ一度も入れられていない。
無駄に時間が流れ、咲弥は激しい焦燥感に襲われる。
(おかしい……なんでだ……?)
ハオの攻撃は、危ういながらも防げている。だが、咲弥の攻撃は防がれる以前に、まずかすりすらもしていないのだ。
ここまでかすりもしないのは、さすがに異常でしかない。
咲弥がどう攻撃をするのか、ハオはまるで最初からすべて知っている――まさかとは思いつつも、現状を考慮すれば、もはやそうだと考えざるを得ない。
漠然とした予感が、咲弥の脳裏を占領した。
(……心を読む、能力……?)
もし予感通りであれば、もう対処のしようがない。
頭の中をからっぽにしたまま攻撃など、無理難題だった。
むしろその時点で、すでに思考が働いているともいえる。
(こんなの、どうすればいいんだ……)
「どうすれば、ってか? ははっ」
咲弥は愕然とする。
やはり、心を読まれている可能性が高い。
これは紋章術なのか、あるいは固有能力なのか――咲弥は攻撃を避けながら、それでも諦めずにハオへ黒爪を振るう。
当然、また難なくかわされる。
咲弥はくっと息を詰めた。
(回避ができない速度、あるいは広範囲での攻撃……いや、心を読まれているんなら、結局どれも意味……ないのか? 本当に……?)
咲弥はふと、閃いた。いったん反撃を控える。
そっと目を閉じ、ハオのオドを感知した。
(範囲に入ったら放ちます。範囲に入ったら放ちます――)
空色の紋様を浮かべ、心の中で何度も言葉を繰り返した。
ハオのオドは周囲を駆け巡り、そして――咲弥は唱える。
「清水の紋章第一節、降り頻る雨」
咲弥の上空に煌めきが流れ、そして巨大な水の塊を生む。
その水の塊から雨のごとく、小さな水弾が発射される。
それは、自分すらも狙った捨て身の攻撃――ハオが剣技を放つためには、心を読んでいようがいまいが、咲弥に近づくほかないのだ。
だから範囲内には入らずに、紋章術での対処をしてくる。そう予想していたが、なぜか平然と間合いに入ってきた。
途端に、ハオの顔が驚愕に歪む。
咲弥が純白の手で身を護っていると、ハオは持ち前の高速移動を駆使し、降り注ぐ水の弾から慌てて逃げていく。
すべての弾をかわせる、または護れるわけではない。
ハオだけではなく、咲弥も当然ダメージを負っている。
「ちっ、自分もろともか! 相変わらずイカレてんな!」
これまでずっと、心を読まれていると本気で思っていた。捨て身の紋章術に加え、ハオの発言からも違うと断定する。
一つの問題が消えた瞬間、また別の疑問が湧いた。
(だったら、なぜ僕の攻撃は当たらないんだ……?)
咲弥は不意に、妙な違和感を覚える。
それはなんとも言えない、奇妙な感覚であった。
(なんだ……気のせいじゃない……なんなんだ?)
「くそっ! 仕切り直しだ!」
ハオが右袖から伸ばした剣先を、すっと向けてきた。
咲弥はあるものを目撃し、心が静かな驚きに満たされる。
当たらなくて当然だった。
かわされてあたりまえの現象が起きている。
(なんで……いつ……?)
あまりに速過ぎて、目で追えなかった瞬間は多々とある。
そのときに、きっと紋章術を発動したに違いない。
彼の体は今――磁石に近い状態となっているのだ。