第二十話 空からの贈り物
開始地点まで帰還した咲弥は、ただ静かに驚いていた。
倒れた参加者の姿が、あちこちにある。気絶している者、うめき苦しむ者、なぜか幸せそうに横たわる者もいた。
もしかすると、先発した咲弥達よりも倒した数が多い。
紅羽が広げる地図を覗き込み、ネイがぼそっと言った。
「ゎっ……外回りすべてと、中の部分が五つ消えるのね」
「これどんどん消えて、閉じ込められたらどうするんだ?」
ゼイドの問いに、ネイは呆れ声で応えた。
「さすがに、それはないでしょ……どんどん消していって、最終的には一部分へと押し込める。きっと、そんな感じよ」
「そうかぁ……? 何やるか、わかったもんじゃねぇぞ」
「そもそも、こうして禁止区域を設ける理由が、じっと待ち伏せする参加者への処置のはず。迎撃タイプが多かったら、時間もかかるし、見ていてつまらないもの」
なるほどと思いつつ、咲弥も地図を深く覗き込んだ。
地図には縦と横に、線が複数刻まれている。四角形に切り分けられた場所に数字が振られ、それが一区画となるのだ。
禁止区域の発表が何度あるかは、明言されていなかった。
ネイの話はもっともだが、ゼイドの懸念も捨てきれない。再び発表された場合、閉じ込められる可能性は充分にある。
ネイが唸ってから口を開いた。
「まあでも……私も絶対とは言い切れないから、次に向かう地点は五の七――きっと、みんなそう考えちゃうわよねぇ」
「そうですね。おそらくは、激戦区になります」
紅羽が、ネイに同意を示してから続けた。
「だからこそ、私は向かうべきだと考えています」
「実力がある奴らは確実にやってくる。危険が増すぜ?」
ゼイドの疑問に、紅羽は答える。
「危険は増しても、ここで潰せるなら潰すべきです。予選が最終的にどうなるのかが不明である以上、下手にポイントを稼がれるのは好ましくありません」
「あ、そうか。いくらポイントを稼いだチームを倒しても、最大で得られるのは、十三ポイントしかないもんね……」
紅羽の言葉の意図を呑み込み、咲弥はそう呟いた。
「はい。ですから、一人が安全な場所に身を隠し――残りのメンバーが失格を覚悟で、ポイントを荒稼ぎしてしまえば、こちらはポイントが稼げなくなり、結果としては予選突破が困難な状況へと陥ります」
紅羽は言い切ってから、簡潔にまとめた。
「道中、強そうな者は積極的に排除します」
場が静寂に満ちる。
紅羽の考えは、別に何も間違ってはいない。ただ、あまり踏み切れないだけの理由もまた、そこには潜んでいるのだ。
ゼイドが嘆きながら言った。
「後半への体力の温存は、厳しそうだな」
「よし。それじゃあ、リーダーの指示に従いましょうか」
ネイが了承し、咲弥も頷いて応えた。
「では、行きましょう」
紅羽の合図で、全員が駆けだした。
南東の方角にある、五の七を目指す。
《禁止区域発動まで、残り十分。制限時間内に禁止区域から脱出できなかった場合、首飾りは自動的に砕け散ります》
何事もなければ、残り時間内に目的地へ到達できる。
咲弥は、ふと思う。
「あの……」
「なんだ?」
前を向いたまま、ゼイドが反応を示した。
「最悪、これ……足止めとかされたら、終わりませんか?」
「それだと、ポイントにならないでしょうが」
ネイが呆れ気味に言い、片目を細めて睨んでくる。
咲弥は苦笑で誤魔化した。
「ははは……ですよね」
「ただ、禁止区域を利用する奴は、絶対に出てくるわよ」
「利用……ですか?」
咲弥は素直に問い返した。
ネイに代わり、紅羽が淡々とした口調で述べる。
「禁止区域の境目付近で待ち伏せ、罠の設置、紋章術で進路妨害、不意打ちなど、考え得る展開は非常に多いです」
「そっ。つまり、何も考えずに移動しているチームは、頭の回るチームの餌食になるってこと」
咲弥は心の中で感心する。
紅羽とネイは、さまざまな展開を思い描いていた。咲弥の思いつきなど、彼女達の思案の一粒に過ぎないのだろう。
この想定という分野が、今後の課題になるのだと考える。
「ほぉーら。早速、想定内の出来事が起こったわよ」
ネイが不敵な笑みを浮かべた。
視線の先にある禁止区域の境目と思われる付近に、複数のオドの気配がある。どうやら身を潜めているようだ。
純白の紋様を、咲弥は視界の端で捉える。
「光の紋章第二節、煌めく息吹」
チーム全員の体が、キラキラとした光を纏う。
紅羽が補助系統の紋章術について補足した。
「人数制限を超えていますので、効力も持続時間も通常より遥かに少ないです。ないよりはいい程度に思ってください」
「はいよ、了解!」
若草色の紋様を浮かべ、ネイが先に飛び出した。
「風雷の紋章第一節、神々の争い」
若草色と金色が交じり合って輝き、紋様は砕け散る。
ネイの付近から、小さな竜巻が前方へと進んだ。どんどん巨大化していく竜巻は、次第にあちこちに雷撃を放つ。
もはやそれは、災害にも近い状態だと思える。
「卑怯者達全員、あぶり出してあげるわ!」
ネイの言葉通り、慌てて飛び出す人達の姿がうかがえた。
察知していたより、遥かに上回る人数だ。何チームか――気配を完全に断ち、漁夫の利を得ようとしていたらしい。
「クソッ! せっかくいい所に隠れてたってのに!」
そんな不満の声が、次々に飛び交う。
咲弥は紅羽達に遅れまいと、その足を速めた。
手当たり次第に、そこかしこで戦いが勃発する。
火蓋を切った紅羽チームも、その中へと飛び込む。
雑に乱れ撃たれた紋章術を白爪で裂き、咲弥は素早くその術者へと詰め寄った。できれば首飾りのみを狙うが、無理な場合は直接、漆黒の拳でダメージを与える。
仲間の状況を確認しつつ、敵の行動も捉え続ける。きっとラルカフの修行を受けなければ、一人の敵に集中、あるいは棒立ちしていたに違いない。
とはいえ、あまりにも人の数が多過ぎた。
咲弥のそんな未熟さを察知したのか――意識が行き届いていなかった場所へ、気がつけば紅羽が対処を終えている。
何度も死線を越え、厳しい修行にも耐えてきた。
自分でも信じられないくらい、強くなれたはずだった。
だからこそ、わかることがある。
紅羽のいる場所が、あまりにも遠く感じられた。
どこまで強くなろうとも、まるで追いつける気がしない。
「危ねぇ!」
途端に、ゼイドの声が耳に届いた。
咲弥ははっと我に返る。
ゼイドが咲弥の盾となり、雷撃を浴びた。
「ぐぁあああああっ!」
「ゼイドさん!」
咲弥は即座に白爪で、ゼイドを軽めに引っかいた。
多少はオドも削るが、雷撃の紋章術はかき消せる。
「すみません!」
「ばか! ぼうっとしてんじゃないわよ!」
怒鳴ったのは、ゼイドではなくネイであった。
顔を苦痛に歪めているゼイドに、咲弥は再び謝罪する。
「本当にすみません、ゼイドさん!」
「なあに。仲間の盾となるのが、俺の仕事だ」
ゼイドの首飾りが、透明から一段階目の青に転じている。
信じられない失態に、咲弥は厳しく自身を責め立てた。
同じ失敗は繰り返せない。
焦らずゆっくり、しかし咲弥は即座に行動に移る。
このまま戦闘が長引くのはよくない。
集中力の限界が近いのだと悟る。
乱戦に次ぐ乱戦は、もはや収集がつかない。
戦いの音を聞きつけ、別のチームも集結しつつあるのだ。
終わる気配など、微塵も感じられない。
不意に、けたたましい警報が轟いた。
《ボーナスタイムに突入します。繰り返します――》
電子的な声が飛び、咲弥はふと異物を視界に捉える。
たくさんの飛行船が、上空をゆっくりと翔けていた。どの飛行船も大きな箱を吊っており、なかば呆然と見つめる。
(ボーナスタイム……?)
訳のわからない展開に、誰もが一時的に静止していた。
しかしまたすぐに、乱戦は再開される。何が起きるのかはわからないものの、咲弥も気を取り戻して戦いへと戻った。
そのさなか、アナウンスは続く。
《小型の魔物は三ポイント、中型は六ポイント得られます。そして、目玉となるのは上の三級――魔獣リュオウグです》
飛行船が吊っている箱の一つ――下側が途端に開いた。
咲弥は唖然となる。我が目を疑うほかない。
岩の肌をした巨大な魔物が、空から降ってきているのだ。
また別の飛行船が吊っている箱からは、まるで雨のごとく魔物がぱらぱらと投下されていっている。アナウンス通り、大きさは小型から中型なのだろう。
信じられない展開に、さすがに咲弥の思考は停止する。
「上の三級って……え……? ありえないんだけれど……」
どこかの誰かの、そんな呟きが聞こえた。
《魔獣を討ったチームには、三百ポイントが与えられます。腕に覚えのあるチームは、ぜひとも挑戦してみてください》
何を考えているのか、こんなのを毎年開催しているのか、もはや咲弥の頭の中には、さまざまな疑問しか浮かばない。
魔獣が地に降り立ち、激しい地響きを鳴らした。
「グォアアアア――ッ!」
王都の外側まで届きそうなほど、強烈な咆哮であった。
その瞬間――ただ茫然と、誰もが立ち尽くしている。
静寂に満たされた場に、アナウンスの声だけが響いた。
《魔獣の場合のみ、付近にいる担当者に、チーム名と挑戦を宣言してください。その間、別のチームは挑戦者と魔獣には手出しできません。もし仮に手を出した場合、チーム全体の失格となりますので、ご注意ください》
誰も挑戦するはずがない。そう思った矢先のことだった。
まず動いたのは紅羽、次いでネイが駆けだした。おそらく女性陣は、魔獣のポイントの高さに釣られたに違いない。
(えぇえええ……)
貪欲な紅羽達を見て、気持ちがどんよりとする。
とはいえ、そのままほうっておくわけにもいかない。
咲弥はやや遅れ気味に、ゼイドと一緒に追った。
先を越されたら諦めるほかないからか、紅羽とネイはもの凄い速度で魔獣へと向かっている。正直、追いつけない。
全力疾走をしているが、確実に距離が離されている。
紅羽とネイの本気を、咲弥は垣間見た気がした。
遠くのほうに、同じ制服を着た男女――担当者と思われる者達が立っている。
やや遠い位置から、ネイが声を張った。
「チーム紅羽! 挑戦しまぁすっ!」
声を張るのが面倒だったのか、担当者の男が腕を上げた。
そのしぐさを見るに、どうやら了承されたらしい。
これで挑戦する以外の道がなくなる。
傍で見れば、周囲にある民家よりも背の高い魔物だ。どう考えても、そこら辺にいるような普通の魔物ではなかった。
紅羽が純白の紋様を浮かべ、建物を蹴り上がっていく。
空高く舞う紅羽のほうへ、魔獣の目が向かった。
「光の紋章第四節、白熱の波動」
灼熱の白い光芒が、魔獣の顔面へと放たれた。
通常の紋章術とは、明らかに様子が異なっている。
鮮やかさと力強さを見た限りでは、おそらく自身のオドにマナを取り込んで練られた――エーテルでの紋章術だった。
岩肌の顔面が崩れ落ちる。魔獣が大きくよろめいた。
そんな魔獣に、紅羽とは逆側から追撃が放たれる。
「風の紋章第六節、暴君の宝玉」
ネイが翡翠色をした風玉を、右手から弾き飛ばした。
爆発じみた轟音が鳴り、魔獣の顔面がまたえぐられる。
ネイもまた、エーテルでの紋章術を扱っていた。
速攻で倒すつもりなのだと、咲弥は暗にそう受け取る。
「土の紋章第四節、岩窟の牢」
ゼイドの黄土色の紋様が砕け、激しい衝撃が地を駆ける。
魔獣の足元付近で、豪快に岩が地から飛び出した。
魔獣は足を固定され、身動きが取れない状態にされる。
「来い、咲弥!」
叫んだゼイドが腰を落とし、両手を重ね合わせた。
彼の意図を掴み、咲弥は観念する。ゼイドに駆け寄った。
ゼイドの両手を踏み台に、咲弥は空高く舞い上がる。
ぼろぼろになった魔獣の顔面へ向かう最中、漆黒の籠手にオドを一定量流し込む。すると赤と黒が交じり合うモヤが、三倍くらいに巨大化する。
空色の紋様を浮かべ、湧くオドを一時的に堰き止めた。
「黒爪限界突破!」
振り下ろされた黒爪が、魔獣の顔面を強烈に引き裂く。
まるで破裂した水風船のように、魔獣の顔は弾け飛んだ。
その巨体は大きく揺れ、重い音を立てて倒れた。
《え……? もう終わった? ウソでしょ……?》
誤作動か何か、アナウンスから驚きの声が響いた。
「よっしゃあああ! 三百ポイントゲットだぜぇええ!」
ネイが大声で叫んだ。凛とした顔は、喜びに満ちている。
大将首三十人分のポイントが、一気に得られた。
それは確かに、喜ばしいことではある。
ただ――どういった魔物なのかはわからないが、別に人を襲っていたわけではない。こんな見世物のために命を失った魔獣が、とても不憫に思える。
咲弥は複雑な心境を抱えつつ、重いため息をついた。
そんな咲弥に、ゼイドが歩み寄ってくる。
「さすが、超攻撃型だぜ。やったな」
ゼイドが腕を小さく掲げた。
意図を呑み込み、咲弥はクロスするように腕を当てる。
「はい!」
「予選突破は、私達のもんだぁあああ――っ!」
喜びに打ち震えているらしいネイに、咲弥は苦笑を送る。
まだ決まったわけではないが、近づいたのは確かだろう。
紅羽が大きく飛び上がり、咲弥の付近に着地する。
「このまま他のチームを排除しつつ、魔物も狩りましょう」
堅実的な紅羽は、淡々とした口調で告げた。
咲弥はこくりと首を縦に振る。
「咲弥ぁああああああ!」
突然、聞き覚えのある男の声が耳に届く。
両手の裾から剣を携え――
竜人のハオが、空からやってきた。