第十八話 予選開始
その日――これ以上ないくらい、王都は活気づいていた。
あちこちから多くの人達が王都を訪れており、スポーツやパレードなどが、各地で盛大に開催されている。
そんな王都の一部、絶壁で囲まれた場所に咲弥達はいた。
大会の予選は、王都内で催される。信じられない話だが、市街戦を実行するためだけの模造の町が、王国側や民からの支援で造られているのだ。
内装は粗雑なものだが、外観は本物となんら遜色がない。
おそらく、それだけの価値がある行事だからなのだろう。
もう大会の開会式が、中央広場のほうで始まっていた。
一体感を生むためなのか、参加者は黒い軍服っぽい装いに加え、透明なクリスタルの首飾りをつけさせられている。
一つの武器のほか、紋章石だけ持ち込みが許されていた。
そして、今現在――
随所にある拡声器から、女の声が響き続けている。
《以上。これより、予選のルール説明を始めます》
それぞれ各チームには、地図が一枚配布されていた。開始地点は全チーム異なり、配置に着き次第予選が開始される。
ルールは単純明快な、ポイントの獲得であった。
配布された首飾りは、身に着けた者がダメージを負うと、色が変化していくらしい。クリスタルが砕け散るか、首から外された時点で破壊者にポイントがいく。
大将首は十ポイント、それ以外は一ポイントとなるのだ。
首飾りが破壊された時点で、その者は失格になる。
もう一つ、予選の残り時間に応じて禁止区域が設けられ、そこに留まっていた場合もまた、同様に失格となるようだ。
《また、誤って参加者を殺した場合も、即失格となります。審議次第では投獄もありえますので、充分ご注意ください。ただ、王都屈指の治癒師達が待機しておりますので、瀕死の重傷程度であれば問題はありません》
大問題としか思えず、自然と咲弥の頬が引きつった。
ふと空を飛行する紋章具が、咲弥の目に入る。
開催地にはこうして、映像を送るための空を飛ぶ装置が、たくさんあるようだ。
それはきっと、監視という事情もあるのだろうが、大半は王族や貴族、または国民達が楽しむための措置に違いない。
だから、いったいどこの誰に観られているのか――
咲弥の胸に、滲むような恐怖心が燻ぶり続けている。
映像の話を聞かされたとき、真っ先に思い浮かんだのは、観ている者達の中に、使徒がいる可能性についてであった。
それが今後、どんな影響をもたらすのかがわからない。
まさかこれほどまでに、映像装置が飛び交っているなど、想像すらしていなかった。この世界は文明力が滅茶苦茶で、奇妙なぐらい高い場合がある。
今回ばかりは、その高い文明力に頭をひどく悩まされた。
とはいえ、いまさらどうしようもないことではある。
《それでは、皆様。開始地点へと移動してください》
参加者達が、一斉に行動を始める。
不意に女の大声が、咲弥の耳に届いた。
「あぁあああああ――っ! 咲弥じゃん!」
聞き覚えのある声に、咲弥は気まずい気持ちを抱える。
橙色の短い髪に、すらりとした尻尾が生えた猫型の女獣人――ミラが勢いよく、咲弥のほうへ向かってきていた。
咲弥はつい、苦い笑みがこぼれる。
「咲弥咲弥! もぉおおおっ! ミラは怒ってるよ!」
「いや、なんか……ほんと、すみません」
咲弥は両手を合わせ、苦笑まじりに謝罪する。
ミラが片頬を膨らませ、じっと睨んできた。
「もう! 三百件ぐらい、咲弥にメッセージ送ったのに!」
「ネイさんに、通信機を取り上げられていたんですよ」
「ミラも、咲弥と同じチームに入りたかったぁ!」
メッセージに気がついたのは、予選登録後であった。先に通信機を確認していれば、違った展開もあったと思われる。
ミラの隣に、冒険者として同期のハオが寄ってきた。
のちに知った事実なのだが、彼は竜人と呼ばれる種族だ。
目つきの悪いハオが腕を組み、じろじろと睨んでくる。
「ふん。今回の優勝は、もちろん俺達がいただくぜ」
「あ、ハオさん。ミラさんと、同じチームなんですね」
「どこかの誰かさんが女といちゃついてっから……無理矢理こいつに引っかき回されて、予選に参加させられたんだ」
ハオの事情を呑み込み、咲弥は生返事をした。
ハオは拳を作り、少し前屈みになる。
「くそがっ! 首席とチーム組みやがって! ずるいぞ!」
「ずるくはないですよ。紅羽はもとから、僕の仲間ですし」
咲弥はやや戸惑い、ハオにそう応えた。
ハオとミラにじっと睨まれ、対応に激しく困り果てる。
ハオがビシッと、勢いよく指を差してきた。
「まあ、それでも……お前達には、絶対に負けないからな」
「ふっふっふぅ……こっちには、秘密兵器があるもんねぇ」
「秘密兵器? また何か企んでるんですか、ミラさん?」
咲弥の問いに、ミラは誇らしげな姿勢を見せた。
「メッセージを無視したおしおき、しちゃうんだから!」
「精々、楽しみにしてろ。行くぞ、ミラ!」
そう言い捨ててから、ハオとミラは走り去る。
原因を作った張本人、ネイが咲弥の肩に手を置いた。
「同期に絡まれて、あんたはなんだか大変ね」
「ははは……根はいい人達ですよ。きっと……」
「まあ、ライバルがいたほうが燃えるじゃない」
お気楽な調子で、ネイは軽快に笑い飛ばした。
咲弥は、どっとしたため息が漏れる。
できれば無用な争いごとは、避けたい気分であった。
咲弥の心情も知らず、ネイは爽やかな声を紡いだ。
「よし。それじゃあ、私達も開始地点に向かうわよ」
「おう!」
「了解しました」
「……はい!」
チーム紅羽は、地図に記された開始地点へ向かう。
道を駆け抜けながら、ネイが安堵の声を上げた。
「いやぁ……それにしても、紅羽が大将でよかったわ」
「ほんとですよ……十人分のポイントですからね」
ネイに同意を示し、咲弥もほっと胸を撫でおろす。
ゼイドが唸り、作戦内容を尋ねた。
「どうする? 紅羽は……護る必要があるのかわからんが」
「基本は固まって行動するわ。紅羽は察知に注視しなさい」
「了解しました」
ネイの作戦を漠然と呑み込み、咲弥は言葉を発する。
「それでは、ゼイドさんは紅羽の護衛で……僕とネイさんが付近にいる参加者達と戦い、首飾りを砕く役目ですかね?」
「ちゃんとわかってんじゃない。ゼイドが護っている隙に、紅羽は弓で応戦。もちろん、周囲の警戒が第一の状態でね。私と咲弥は、先陣を切って狩っていくわよ」
紅羽はこくりと頷き、咲弥も首を縦に振る。
再び、ゼイドが疑問を述べる。
「遠距離型の敵は、どう対処するんだ?」
「それは……機動力の高い、私が駆除するわ。だから紅羽を軸として、戦っては戻って――を、繰り返すことになるわ」
咲弥は脳内で作戦を刻み込み、ふと思い立つ。
「あの、一つ思ったんですが」
「なあに?」
「別チームと一時的に、協定を結ぶって考えられますか?」
咲弥の質問に、ネイは静かに頷いた。
「当然、そんなことをするチームはあるでしょうね」
「さすがに八名以上は……狙われたら厳しくないですか?」
「ばかね。逆にありがたいわよ」
「え?」
何がありがたいのか、ネイの言葉の意図が読めない。
どう考えても、危険極まりない話であった。
ネイが呆れ声で、咲弥に訊いてくる。
「雑魚が結託したチームが、紅羽に勝てると思ってんの?」
「あぁ……まぁ……」
「まっ、用心に越したことはないけれどもね。私とあんたで一気に、そんな奴らからポイントをかっさらっていくわよ」
「わ、わかりました。頑張ります」
咲弥は少しばかりの緊張感を抱えつつ、了承しておいた。
ゼイドが呆れを含んだため息をつく。
「一番の問題は、上級冒険者がいるチームだな……」
「十代の上級冒険者なんか、それほど数はいないけれど……もしいたら、確かにそちらのほうが遥かに厳しいかなぁ」
咲弥は試験官の顔を、ぼんやりと思いだした。
心構えから戦闘力まで、かなりのものだった気がする。
ただこの大会は、二十歳未満しか参加ができない。
同じ上級であっても、試験官と同じとは限らないのだ。
「とはいえ、私らだって咲弥のお陰で、もう負けてない」
「……修業での成果を見せるか」
「ええ。今年の優勝は、私らがいただくわよ」
「俺は今年が最後の年になるから、全力で頑張るぜ」
咲弥はいまさらながらに、その事実に気づかされた。
ゼイドは十九歳――今年を逃せば、もう出場できない。
(そうか……ゼイドさんは……)
使徒という立場上、下手に目立つのはよくない気がする。
しかしこれまで、ゼイドには数えきれないぐらいお世話になっているため、最後ぐらい華やかな結果を迎えてほしい。
二つの感情が入り混じり、咲弥は複雑な心境を抱いた。
意気込むネイ達を見ながら、咲弥も気を引き締める。
そうこうしている間に、開始地点へと辿り着いた。綺麗に整えられた庭園には、目印の旗が一本立てられている。
大空が広がり、ここはとても見通しがいい。
少し遠くのほうに、小さな城も見えた。煌びやかな貴族が出てきそうな、そんな雰囲気が漂っている建物であった。
普通に人が暮らしているような気配がある。これが今回の大会のためだけに、用意されているのだから驚くほかない。
咲弥は気持ちを切り替え、空色の紋様を浮かべて唱える。
「おいで、黒白」
咲弥は腕に、漆黒と純白の籠手を装着した。
全員が戦闘準備を終え、いつ開始してもいい状態となる。
周囲の空気のせいか、妙に緊張して心がざわつく。
対人訓練をしたからこそ、まだましなのだと感じられる。それでも未知の人と戦うのは怖いし、不安も当然あった。
緊張を振り払い、咲弥は誰にとなく訊く。
「にしても、ここ……ちょっと場所が悪くないですか?」
「ああ。これじゃあ、いい的だぜ……」
ゼイドが不安げな声で呟いた。
ネイは虚空を見上げて唸る。
「開始したら、いい感じの場所に移動してもいいけれど」
「私はこういう場所のほうが、戦いやすくていいです」
「禁止区域になったら、どのみち……あんま意味はないか」
「はい」
女性陣で話が纏まったらしい。
咲弥やゼイドが口を挟む隙など、そこにはなかった。
苦笑していると、電子的な声が飛ぶ。
《全参加者、配置につきました。それでは、これより――》
痺れにも似た緊張感が、咲弥の背を走り抜けた。
《国際大会へ出場する予選を開始します》
まるでサイレンに近い音が、けたたましく鳴り響いた。
その音が、咲弥の不安や緊張を激しくかきたてる。
「よっしゃあぁああああ! 行くぜぇええええ!」
ネイが両手を高らかに掲げ、力強く意気込んだ。
戦斧を振り回しながら、ゼイドが大きく叫ぶ。
「さあ、どこからでもかかって来やがれ!」
「付近の北側とやや遠い北西側に、複数の反応があります」
紅羽の察知に、ネイが頷いた。
「私達はまず北側。危険だと思ったら、即座に撤退する――わかった?」
「はい!」
咲弥は、ネイに短く応じた。
「それじゃあ、チーム紅羽! 出動!」
ネイが凄まじい速度で駆けだした。
咲弥も向かおうとしたとき、紅羽に呼び止められる。
「咲弥様」
「ん、んん?」
「お気をつけて」
「うん! 紅羽も!」
紅羽に微笑みを見せてから、ネイを追って北側へ向かう。
紅羽が察知した通り、オドの気配がかすかに感じられた。
ただ、かなり散らばっているようだ。
「来るわよ!」
ネイが告げるや、屋根の上から二人の男女が飛び出した。
男は槍を持ち、女は細身の剣を構えている。
一番近い女のほうへ、ネイはまず向かっていた。
咲弥は黒白の籠手を解放しつつ、状況を素早く判断する。
ネイの背後へと回る男に、咲弥はその足を速めた。
「先制点は俺らのもんだ!」
ネイの背後から槍を突こうと、男が大きく振りかぶった。
男の動作は大振りで、しかもかなり鈍い。
咲弥は黒爪で槍を裂き、白爪で男の胴体を引っかいた。
オドを失った男の首飾りを、黒爪一本で切り離す。
「んなぁあああ……?」
男の悲鳴を聞きつつ、すぐにネイへと視線を滑らせる。
すでにネイのほうも終わっていた。
「へっへぇん。残念でした」
ネイは余裕の笑みを見せた。
再びネイの背後から、剣を携えた二人の男が迫る。
「ネイさん!」
わかっていると言わんばかりに、ネイが華麗に宙を舞う。振られた剣をすり抜け、腰に帯びた短剣を素早く滑らせた。
男二人の首飾りを、いともたやすく破壊する。
目を見張るぐらいの早業であった。
「はい。あんた達全員、失格!」
「く、くそぉおおおお!」
失格者達が、次々に悔しそうな叫びを上げる。
その中で、咲弥は自分の中の異変に気づいた。
絶え間なく訪れる困難を幾度となく潜り抜け、そして日々修行を重ね――自分でも気づかないうちに、恐ろしいぐらい成長している。
まだまだなのかもしれないが、心がつい弾んでしまう。
「このまま、西に向かうわよ!」
「はい!」
咲弥はネイと一緒に、西を目指した。
どこまで予選を生き抜けるのか――
自身の成長を知った咲弥は、いまさらに胸が高鳴った。