第十七話 精神世界へ
王都に帰還した次の日の朝――
紅羽チームの全員が、咲弥の自室に集まっていた。
窓際にあるテーブル席には、ネイとゼイドの二人がいる。そしてベッドを椅子代わりに、紅羽は腰を落ち着けていた。
そんな紅羽の正面に咲弥は立ち、白手を解放して見せる。
威圧感を放つ白い獣の手に、咲弥は視線を据えた。
「おさらいだけど……僕の白手はオドやマナといった、精神系統すべてを支配する。その代わり黒手とは違い、物理的なものには外傷を与えられないんだ。白手はあくまでも精神的なものを、破壊するべく生まれた力だから」
見上げる紅羽に目を向け、咲弥はさらに続ける。
精神世界では純粋な魂の世界であり、そこで外傷を負えば目には見えない傷となる――思いつく限りの情報を語った。
あらかた言い終えたところで、ゼイドが深く唸る。
「しかし本当……無属性ならではといった能力だな」
「はい。無属性に関して、自分なりに頑張って調べましたが……誰もがとても異質で、かなり奇妙な力を持ってました」
咲弥はまた、どこか神々しい白手を眺めた。
「ロイさんに、無属性は何にも属さないと教えられました。確かに、その通りです。僕の力は、あまりに危険なんです。僕自身ですら、扱い方を誤れば……」
「覚悟の上です」
紅羽の声は穏やかだったが、どこか力強さがあった。
見上げた姿勢のまま、紅い瞳が咲弥へと据えられている。
「うん。わかってる……」
紅羽に応えてから、ネイとゼイドのほうに顔を向ける。
「ただ……仲間の皆さんには、僕の力を改めて知っておいてほしかったんです。とても危険で異質な能力ですから。もし僕達がおかしくなったら、あとは頼みます」
ネイ達の無言の頷きを見てから、咲弥は紅羽を振り返る。
「それじゃあ……行こうか」
「はい」
紅羽は目を閉じ、そっと胸を前に突き出した。
まるでキスを待つような姿勢に、少しだけドキッとする。
いやらしい妄想が浮かび、咲弥は慌てて振り払った。
「よ、よし……」
気を取り直して、白爪をまっすぐ伸ばす。
そして、紅羽の胸に白爪を突き立てた。
瞬間――
漆黒に満ちた世界に、ぽつんと立つ紅羽を発見する。
「紅羽」
銀髪がふわりと膨らみ、紅羽が振り返った。
意識がしっかりあるのか、初めてのときとは違うようだ。
「咲弥様。ここが私の、心の中にある世界なのですか?」
「うん。そうだよ」
「何もない……闇だけの世界……?」
紅羽の声には、少し寂しさがこもっていた。
咲弥はつい苦笑する。
「僕も最初、自分のところで同じように感じた。でも……」
「なんですか?」
「ここのどこかに大きな扉がある。きっとそこが……精霊と繋がる空間なんだ」
「扉、ですか……?」
不意に、紅羽が目を丸くする。
咲弥は少し遅れて気づき、後ろを振り向いた。
仰々しい大きな扉が、二枚並んで現れていた。
神秘的な穢れのない純白の扉と、灼熱を思わせる深紅の扉――咲弥は自分のときを思いだし、すぐ理解に達する。
「たぶん白い扉は光の精霊、もう一つは火の精霊……かな。どっちを選ぶ?」
「私は……まずは、自分の属性である光を選びます」
「わかった。それじゃあ、行こうか」
内心、かなり複雑な心境であった。
先の見えない不安もあれば、期待や好奇心もある。
咲弥達は、純白の大扉を前にした。
「扉を開けば、一気に景色が変わる。覚悟はいい?」
「はい」
紅羽と並び、扉に手を置く。
とてもひんやりしており、滑らかな手触りがした。
ゆっくりと扉に力を込め――突然、視界は一変する。
そこは遥か古代を連想させる、崩れ去った遺跡であった。そこかしこに瑞々しい草花が生え、陽が射し込んでいる。
見上げれば、青い空が広がっていた。
「ここが……光の精霊の間……?」
紅羽の呟きが、咲弥の耳に届いた。
壁を這う葉の一つに、紅羽は手を触れている。
どこからともなく、重く低い声が飛んだ。
「よもや、こうして対面する日が訪れようとは」
周囲を見回していると、走る影を捉える。
崩壊した石の頂点――そこから、白い獣が飛び降りた。
「これが、紅羽の……」
背丈がほとんど変わらない精霊に、咲弥は目を見張る。
ぱっと見は、ホワイトタイガーを彷彿とさせた。鳥に近い純白の両翼を携え、どこか民族的な首飾りもしている。
かなり気品溢れる精霊だと感じられた。
「我は光の精霊ロクフトス。ようこそ、我が領域へ」
「あなたが、私の光の紋章石と繋がった精霊……?」
光の精霊が紅羽の前で、優雅な一礼を送った。
紅羽が光の精霊の頬に、そっと手を添える。
陽が射したその光景は、幻想的な一枚絵のようであった。
「訪れた理由は把握している。魔の存在だな」
「はい。私の攻撃は、何一つ通じませんでした」
「魔の者には、通常の攻撃は効かない。エーテルと呼ばれる特殊なエネルギーを身に宿し、そして纏っているからだ」
この世界では、オドとマナぐらいしか聞いた記憶がない。
新たな単語に、咲弥は少しばかり驚かされる。
紅羽が呟くように問う。
「エーテル……?」
「オドとマナの融合エネルギーだ。主の扱う紋章術も一種のエーテルと言えなくもないが、それはまた似て非なるもの」
「何が違うのですか?」
紅羽は小首を傾げる。
光の精霊は、思案するような間をおいた。
「オドと呼ばれる青色に、マナと呼ばれる赤色を誘発し――紋章術は形を成す。それは混じりけのないエネルギー同士の相乗効果に過ぎない。この青色と赤色を混ぜ合わせ、紫色に変化したものが、エーテルと呼ばれるエネルギーに変わる」
光の精霊のわかりやすい説明に、咲弥は静かに唸った。
マナの結晶たる紋章石から、自身のオドで力を引き出す。そうして初めて、紋章術と呼ばれる不可思議な力が扱える。
考えてもみれば、確かに不思議な点は多い。
「どのようにすれば、エーテルを扱えますか?」
「現代では忘れ去られてしまったが――本来、膨大な年月をかけ、初めて我ら精霊と対面するのだ。そうしてようやく、この世界に流れる真理を理解する」
途端に難しい話になってきた。
光の精霊が何を伝えたいか、よくわからない。
だが紅羽には理解できたのか、光の精霊に疑問を述べた。
「今の私では、扱えない――そういうことですか?」
「否。あらゆる条件を省き、我らは対面を果たした」
「では、どうすればよいのですか?」
「ただ世界を、我らを、もっとよく見つめるのだ。ここでも現実でも、マナはいつも流れ、漂い、留まっている。マナの結晶とも呼ばれる輝石の力を、扱うように扱えばいい」
「……はい。了解しました」
何に納得したのか、紅羽はじっと固まった。
すると紅羽の纏うオドの様子が、唐突な変化を遂げる。
「さすがは、我が主……それが、正解である」
「オドとマナを練り込んだ状態で、紋章術は扱えますか?」
「無論、これまでのものとは比にならない」
「試してみても、いいですか?」
「あそこの岩を試し撃ちに」
少し遠くにある岩に向け、紅羽は右手をかざした。
純白の紋様が浮かび上がる。
「光の紋章第四節、白熱の波動」
純白の紋様が眩しいくらい輝き、豪快に破裂した。
紅羽の右手から、穢れのない純白の光芒が伸びる。
速度、太さ、力強さ、光沢感――これまでの紋章術とは、明らかに異なる。見た目からでも充分に違いを受け取れた。
光の筋が岩に命中するや、激しい爆発音が生じる。
砕けた岩が、ガラガラと崩れ落ちていく。
「通常時の三倍ほど、体力とオドの消耗が激しいですね」
「扱い慣れぬ間は、致し方がない。そのエーテルを纏えば、主が討ち果たしたい魔の者にも、必ずや通ずる力となろう」
「了解しました。ありがとうございます」
「無論、例外は存在する。そこのへなちょこ同様――生命の宿る宝具、または神器などを用いれば、エーテルでなくとも攻撃が通ずる場合が多々とある」
咲弥は一瞬、思考が停止する。
「へなちょこ? え? ぼ、僕のことですか……?」
光の精霊は深いため息をついた。
「何ゆえ主は、こんなカスに好意を寄せられるのか……」
「カス……え……?」
「正直、我は嫌いだ。主という奇跡の存在が在りながらも、別の女子に現を抜かす阿呆め。今この場で消してやろうか」
喉を震わせ、猛獣にも似た威嚇をしてきた。
咲弥は瞬間的に身を震わせ、まるで石像のごとく固まる。
「まあ、我と主を対面させた事実は、例外的に褒めてやる。だが、主の心をかどわかし、あまつさえ――」
「や、やめてください。咲弥様は、命の恩人ですから」
光の精霊の口を両手で塞ぎ、紅羽はか細い声で呟いた。
後ろからではよくわからないが、珍しく慌てている様子がうかがえる。
(あまつさえ、なんだ……?)
光の精霊は気まずそうに顔を伏せる。
「主よ、失礼した。あの莫迦を見ると、つい……」
咲弥は、精霊もいろいろなのだと知る。
水の精霊は宿主と、一定以上の距離感を保つ性格だった。
光の精霊は宿主に、かなり寄り添う性格の持ち主らしい。
そこから連想が働き、ある一つの疑問が浮かぶ。
「そういえば、紅羽の光の紋章石って等級はいくつなの?」
「……装着したときは、六級でした」
気を取り直したのか、いつも通りの無表情で振り向いた。
光の精霊は静かに首を振る。
「人に倣えば、今は特級だ。主と共に輝石もまた成長した」
「そうですか」
紅羽の相槌を聞きつつ、咲弥はやはりと睨んだ。
咲弥の水の紋章石は、天使から譲り受けた一品であった。だから紅羽のように、共に成長していったわけではない。
紋章石との相性――つまりは、精霊との相性となるのだ。
光や水の精霊からの待遇に、咲弥は心の内側で納得する。
情報の整理をしていると、ふと気になる点が生まれた。
「あの……ちょっとした質問なんですが、紋章石との相性が高まれば、それだけ扱う力も高まったりするんですか?」
「ああん? なんだ、貴様。噛み殺すぞ?」
「……うぅっ……」
短くうめき、咲弥は大きく一歩後退する。
代わりに紅羽が訊いた。
「高まるのですか?」
「無論。加え、オドの消耗も減る。主も仲間と連携する際、見知らぬ者より深く知った者のほうが、無駄な体力を使わず済むであろう? それと、理屈は同じだ」
光の精霊のたとえを聞き、紅羽が静かに頷いた。
「私はこれまでの間、自身のオドが鍛えられた結果であると感じていましたが――そういった理屈も存在するんですね」
「それもまた、消耗減少へ至る一つではある」
咲弥はようやく、紋章石に関して完全に理解した。事情を知らずとも扱えるのは、どこか機械と似た原理にも近い。
そんな感想をもつや、紅羽が小さく頭を下げた。
「感謝します。これで、私はより高みを目指せます」
「ゆっくり高みを目指すがよい。主はまだ、ただの雛鳥だ」
心の内側で、咲弥は苦笑が漏れた。
紅羽で雛鳥なら、大多数は卵ということになる。
光の精霊は、不敵な笑みを浮かべた。
「紋様を虚空へと顕現し、我が名を唱えよ。精霊の召喚――それは精霊と対面した者のみが得られる、力の一端なのだ」
「はい」
精霊の言葉に奇妙な点があり、咲弥は自然と首を捻った。
召喚以外の力など、特に何もない気がする。ただの言葉の綾なのか、または咲弥ですら知らない何かがあるのか――
咲弥が問うその前に、光の精霊は力強い声を紡いだ。
「主よ、一つ忠告しておく」
「なんですか?」
「我のように、理解ある精霊ばかりではない。中には、力を示さなければ協力を拒む精霊も多い。気をつけることだ」
「了解しました」
紅羽は柔らかく微笑んだ。
光の精霊が一度目を閉じてから、咲弥を睨んでくる。
「おい、そこの糞。主を泣かしたら……その魂喰い殺すぞ」
「ひっ……」
まるで不良少年のように、首を振りながら睨んでくる。
ここまで露骨に対応が違うと、もはや苦笑も漏れない。
光の精霊は短く、鼻で笑った。
「我は光の精霊ロクフトス。これより、主の剣となろう」
その瞬間――
闇に転じたかと思えば、視界が現実の世界に戻ってくる。
どの精霊もそうなのか、突然が過ぎるのだ。まだ問いたい疑問はいくつか残しており、胸にもやもや感ばかりが残る。
途端に妙な息切れが起こり、咲弥は白手の解放を解いた。
「はぁ……はぁ……」
「え、終わったの? 二、三秒しか経ってないんだけれど」
ネイの疑問に、咲弥は息を整えてから応える。
「そういえば、言い忘れてましたね。精神世界と現実では、時間の流れが違うんです。あちらでは結構な時間でしたよ」
「へぇ……そうなのねぇ」
「で、どうだったんだ?」
ゼイドが疑問を告げるや、咲弥は紅羽を見た。
そっと目を開き、紅い瞳が少し震える。
「無事に精霊と対話できました。力も貸してくれるそうです……が、結構……致命傷を、受けたかもしれません……」
「え? 嘘……なんで? どこを? 大丈夫?」
咲弥は激しく慌てた。
怪我をする要素など、どこにもなかったと思える。
紅羽は伏し目がちに、可憐な声を紡いだ。
「咲弥様に、心の中を丸裸にされた気がします……」
「あ、そういう……」
とはいえ、どの部分に恥を覚えたのかが不明であった。
新たな情報以外では、罵られた記憶ばかりが残っている。
「あんた……いったい何をしたわけ?」
「何もしてませんよ! というか、よくわかりませんし」
「知らず知らずのうちに、なんかやったんじゃないぃー?」
ネイのからかいに、咲弥は勢いよく首を横に振った。
「してませんてば! 今回は記憶の一部とか見てませんし」
「はっ? あんた、そんなことができんの?」
「そういえば、これも言ってませんでしたね。記憶の一部がまるで写真のように、ぱらぱらと見えることがあるんです」
ネイは半目で、じっと見据えてくる。
不意に、紅羽の呟きが聞こえた。
「今回は……? では、前回のときは……?」
恥ずかしさからか、紅羽が両手で顔面を覆い隠した。
これにはさすがに、咲弥も戸惑うほかない。
ネイがクスクスと笑った。
「あぁーあ。なぁーかぁーしぃーたぁー」
「いやいやいや! 不可抗力だったんですって! 僕自身、能力をまったく把握できてなくて、それで……いやほんと」
しばらくしてから、紅羽は平静を取り戻せたらしい。
太ももに両手を添えて起き、小首を傾げる。
「何を見たのか、のちほど二人で少しお話ししましょう?」
妙に威圧感のこもった声音であった。
咲弥は苦笑まじりに誤魔化す。
「といっても、ほんと部分的だから、たいしたことないよ」
「それでも、お聞かせ願えますか?」
紅羽はわずかに微笑んだ。妙に怖い微笑みに感じる。
咲弥はたじろぎながらも、ぎこちなく頷いた。
「う、うん……わかった」
「よっしゃあ! それじゃあ、次は私の番ね」
ネイは颯爽と椅子から飛び降りた。
咲弥は重い気分を抱え、そっと嘆息する。
「もうなんか、やるの嫌なんですが……」
「なに言ってんの、ばか? 紅羽だけなんてずるいでしょ」
「わかりましたけど……文句を言わないでくださいよ」
「私は問題なし! 全裸にされたって平気平気」
自身の豊満な胸を手で持ち上げ、ネイは不敵に笑った。
咲弥はぎょっとする。
「いや、それは……僕のほうが困りますって!」
「ほら! とっとと行くわよ」
「あ、は……はい……」
どこか不安を募らせつつ、そして――
今度はネイの精神世界へと、咲弥は飛んだのだった。