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神殺しの獣  作者: Key-No.92
第三章 訪れる邂逅
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第十五話 別離の円舞曲




 百年半ほどの、遥か遠い過去の記憶――

 見渡す限り広がる草原に、無数の天幕(テント)が張られている。

 小柄な森人(もりと)の男は、倒木(とうぼく)を椅子代わりにして座っていた。


 時折、瑞々(みずみず)しい葉が陽光を跳ね返し、その(まぶ)しさにすっと目を細めながら、男はただ黙々と食事を続けていく。

 不意に、背後から妙な気配を感じ取った。

 とても陽気だが、(いさ)ましげな女の声が飛ぶ。


「やあ、ラルカフ。ご機嫌(きげん)はいかがかな?」

「悪くはないが、特にいいわけでもない」


 ラルカフは振り返りもせず、声の主に淡々と応えた。

 誰か判明しているため、別に振り返る必要もない。


「そうかい、そうかい。よっと」


 (ことわ)りも入れず、さも当然のごとく隣に座ってくる。

 深紅の瞳をした銀髪の――白銀の戦姫と(あが)められる女だ。ここでは森人が珍しいからか、度々(たびたび)こうしてやってくる。

 白銀の戦姫は、どこか(すず)しげな顔をしていた。


「なあ、ラルカフ。一つ聞いてもいいか?」

「……なんだ?」

「あんたら森人は、私ら人間よりも長生きなんだろう?」

「ああ。だいたい三倍ほどな」

「じゃあ、私の子や孫が老いたとしても、あんたはちゃんと生きているんだな」


 一瞬ラルカフは固まり、静かに驚かされた。

 そんな話を聞いた記憶がない。


「お前さん、もう子か孫がいるのか?」


 白銀の戦姫は優雅(ゆうが)に、しかし豪快に笑った。


「おいおい。純潔(じゅんけつ)の若き娘に、なんという問いを投げる」

「だから、驚いた。男の影なんか、なかったのにってな」

「そうか。神の子を(はら)む可能性について、失念していた」

「相手もわからず孕むのは、恐怖以外の何物でもないだろ」

「そこは、私も女だ。自分が孕んだ子はたとえなんであれ、きっと何よりも愛するはずさ。そう、仲間達よりも深くだ」


 ラルカフは短いため息をついた。


「まずは、相手を見つけたらどうだ?」

「今は戦場が、私の旦那さ」

「お前さんら人間はよくわからん。戦時中といえども、別に愛を育んではいけない……というわけでもないだろうに」


 ラルカフは、ほとほと呆れ果てる。

 満面の笑みを浮かべ、白銀の戦姫は言った。


「普通の人はそうだろうな。だが、私は違う」

「ふん……ただ変に祭り上げられているだけだろ。二つ名や将軍格といったものは、所詮(しょせん)はその程度のものに過ぎない」

「そうだな。だが、私の存在が――帝国を、そして民を熱く(たぎ)らせる。ならば白銀の戦姫は、それに応える義務がある」


 ラルカフは呆れ果て、片手を振った。


「渡り鳥の俺には関係のない話だ。少し立ち止まった先で、金銭を稼ぐために、手を貸してやっている傭兵(ようへい)に過ぎない」

「フゥウ! 相変わらずクール」


 茶化すような口調で、白銀の戦姫は(ひじ)でつついてきた。

 面倒な女だと思い、ラルカフはまたため息が漏れる。


「なんで俺に、そんな話をする」

「あんたに頼みたいからさ」

「頼み?」


 ここでは、たかが一介(いっかい)の兵に過ぎなかった。

 そんな自分に、(いくさ)の英雄が頼み事などあるはずもない。

 白銀の戦姫は、途端に神妙(しんみょう)な面持ちに転じる。


「もし私の子、孫、あるいは、孫の子に会うことがあれば、どうか私の代わりに、言葉を伝えてやってくれないか?」

「ずいぶんと遠い話だな……なんと伝えるつもりだ?」

「心の(おもむ)くままに、自由に自分の人生を歩めばいい――と、そう伝えてくれ」


 白銀の戦姫としての重圧は、やはり相当なもののようだ。そうでもなければ、そんな言葉など出てくるはずもない。

 白銀の戦姫の紅い瞳に、ラルカフは視線を据えた。


 今回の戦が終われば、ラルカフはまたふらりと旅に出る。

 大陸を渡り歩き、(つい)棲家(すみか)となる場所を探すのだ。


「自分で伝えればいいだろ。あんたはとにかく、強いんだ」

「それが叶わなかった場合の保険さ」

「あんたが死ぬより、俺が死ぬ確率のほうが高い」


 白銀の戦姫は、大きく笑いながら背を何度も叩いてくる。


「まったく! 体も小っちゃければ心も小っちゃいってか」


 人が気にしていることを、白銀の戦姫は爽快(そうかい)に言い放つ。

 神々しいほど綺麗な顔をしながら、言うことがきつい。

 ラルカフは嘆息(たんそく)で応じておいた。


「生きているさ。なぜなら、私が先陣を切るからだ」

「そりゃあ、頼もしい。ぜひ奮闘(ふんとう)してくれ。まあ、この広い世界――そんな奇跡が起こるとは思えんが、もしもあんたの血族に出会ったら、伝えておいてやる」

「ありがとう……ラルカフ」


 聖女のような微笑みを(たた)え、白銀の戦姫が感謝を述べた。

 普段は(いさ)ましく、力強い表情を(たも)っている。しかし、時折見せる神々しい微笑みに、別種族のはずのラルカフですら、つい心が(うず)いてしまう。


 同族の男が見れば、心を(とろ)かされているに違いない。

 ラルカフは首を横に振り、また食事を再開する。

 白銀の戦姫は、しばしこちらを見つめてから口を開いた。


「ラルカフは、いつもムスッとしてばかりだな。たまには、声を出して笑ってみたらどうだ? ほれ、ほれほれ、ほれ」


 白銀の戦姫が、また面倒な茶々(ちゃちゃ)を入れてくる。

 食べ物を飲み込んでから、ラルカフは言葉を返す。


「笑う場面なんか、どこにもないだろ」

「じゃあ、面白かったら笑うのか? いったいどう笑う?」

「どうって……なんだ。そんなもの、普通だろ」

「カッシャシャッ! とかか?」

「それのどこが普通だ……笑いの認識が、ずれ過ぎだろ」


 白銀の戦姫は、雲一つない澄み渡る大空のほうを向いた。


「案外、似合っていると思うんだがな」

「似合うとか、そんな話なのか?」

「ああ、そうさ」


 しばしの間、ラルカフは白銀の戦姫にいじられ続ける。

 それから、数年後の出来事だった――戦に慣れない少年を護る盾となり、白銀の戦姫はその生涯を終えることになる。

 風の便りに聞き、ラルカフはどこか虚無感(きょむかん)に襲われた。


 その日もまた――

 雲一つない、青く澄んだ大空を見ていた。



    ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆



 咲弥は訓練所の付近で、ラルカフの姿を発見する。

 雲一つない大空のほうを、ぼんやりと眺めているようだ。


「師匠ぉー!」


 振り向いたラルカフの顔は、どこか(はかな)げに感じられた。

 物思いにでも(ふけ)っていたのか、咲弥は疑問が浮かぶ。

 小走りに寄り、咲弥は老師に問う。


「どうかしたんですか?」

「なあに。ただ少し、昔を思い出してただけじゃ」

「師匠の昔……どんな感じだったんですか?」

「さあな……あまりにも古過ぎて、忘れてしもうたわ」


 これには、咲弥も苦笑する。

 森人(もりと)は普通の人よりも、三倍ほど長生きするらしい。


 数か月前の物事すら、あやふやな部分は多々とある。

 数年前の出来事になると、忘れていることばかりだ。

 何十年も前ならば、覚えているのも難しいだろう。

 百年以上ともなれば、もはや想像すらもつかない。


「ところで、咲弥」

「はい?」

()()()()といこうか」

「いっ?」


 つい、変な声が漏れる。


「じき、王都のほうへ帰るんじゃろ?」

「あ、はい……」

「さあ、ついて()んさい」


 咲弥は重い足取りで、ラルカフの後をついていく。

 これまでの記憶が、走馬灯のようによみがえる。

 訓練所の中心――一か月以上も修行していた場所にきた。


「さあ、全力で来んさい」

「……はい!」


 咲弥は気持ちを入れ替え、そっと空色の紋様を浮かべる。


「おいで、黒白(こくびゃく)


 紋様が弾け、両腕に漆黒と純白の籠手が現れる。

 魔人との一戦から、黒白の籠手はまたとても大きな進化を()げていた。今では、上腕を(おお)い込むまでの長さがある。

 もはやそれは、籠手と呼んでもいいのかわからなかった。


 ただ重さは、まったくと言っていいほど変わっていない。

 オドを少量流し、解放してから咲弥は構えを取った。


「行きます!」


 発言とともに、咲弥は前へと駆ける。

 ラルカフの金色の紋様を見ながら、動きを予測した。

 まず初めに、雷の紋章術で牽制(けんせい)してくる。

 その後、縦横無尽に移動を繰り返すだろう。


「雷の紋章第二節、雷鳴の狙撃」


 雷の矢がいくつか放たれる。

 これはあくまで、予想通りの牽制に過ぎない。

 回避しきれない雷の矢を、白爪(はくそう)でかき消した。


「雷の紋章第五節、暗雲(あんうん)迅雷(じんらい)


 咲弥は即座に逆走する。


(狙いは……)


 咲弥はある地点をめがけ、黒爪(こくそう)を振る。

 突如(とつじょ)として、その地点にラルカフが現れた。


「ほう……」


 腕を蹴られた衝撃で、黒爪の軌道がずらされる。

 しかしその反動を利用して、白爪を()いだ。

 後方に跳ねるラルカフの腹を、ほんの少しだけかすめる。

 そのさなか、こっそり空色の紋様を浮かべる。


「水の紋章第一節、螺旋(らせん)の水弾!」


 紋様が砕け、青い渦から水弾が放たれる。

 きっとラルカフは、向かって右側に()けるに違いない。

 そう予想して、咲弥は左足にオドを込めた。


 案の定、ラルカフが予想通りの動きを見せた。

 白手だけ解放を解き、素早く右斜めに飛ぶ。

 滞空中のラルカフを(つか)み、そして――


「今回は、僕の勝ちですね。師匠」


 ラルカフを地に押さえつけ、黒爪を喉元(のどもと)に突きつけた。

 ほかにまだ、何か仕込んでいる可能性もある。

 念のため、咲弥は周囲の警戒を(おこた)らない。

 ラルカフは(やわ)らかな笑みを浮かべる。


「まだ腐ってるようなら、一喝(いっかつ)するつもりじゃったがな……成長したな、咲弥」

「褒められて、とても(うれ)しいですが……なんか怖いです」

「カッシャッシャッ! うむ。警戒を()いてないな」

「解けませんよ……何百回、痛い目にあったことか……」


 ラルカフは優しく微笑んで、ゆっくりと(うなず)いた。


「うむ。合格じゃ」


 ここまで来てもなお、まだ安心はできない。

 咲弥は恐る恐る、ラルカフから離れる。

 ラルカフは土埃(つちぼこり)を手払ってから、まっすぐ見据えてきた。


「どこにいても、わしとの訓練を忘れるんじゃないぞ」

「はい!」

「お前さんの優しさは、()()()()()ではあるが……同時に、()()()()()でもある。それを忘れず、日々精進(しょうじん)し続けろ」

「はい……師匠。一か月間以上も、お世話になりました」


 途端(とたん)に寂しく思い、咲弥は涙ぐみながら頭を下げた。

 不意に、そっと頭を()でられる。


「わしの弟子なんじゃ。(ほこ)っていけよ」

「……はい!」

「つまり冒険者の後輩でもあり、私の弟弟子(おとうとでし)でもあるのか」


 ネイはなにやら、いやらしい笑みを浮かべていた。

 ラルカフは呆れ気味なため息を漏らす。


「お前さんも、もっと(きた)えたほうがええんじゃないか?」

「私は常に鍛えてんの。才能があるって知ってるでしょ?」

「まだまだじゃよ……」


 ネイは胸の辺りで、小さく両手を広げた。


「そりゃあさ……師匠に比べたら、誰でもそうでしょうね。ジジイとうら若き花の乙女じゃ、まったく違うんだから」

「カッシャッシャッ! 言ってくれるわい」


 咲弥とは違い、かなりフランクな師弟関係であった。

 ふと、紅羽が歩み寄ってくる。


「咲弥様。お怪我はありませんか?」

「うん。大丈夫。僕も師匠も、ぴんぴんしてるよ」

「そうですか」

「心配してくれて、ありがとう」

「はい」


 紅羽が応じるや、ラルカフが不意の声を上げる


「ああ……そうそう……思いだしたわい」

「どうしたんですか?」


 咲弥は関係なかったのか、ラルカフが紅羽を前にした。


「紅羽、実はな……ある人から、伝言を預かっておる」


 咲弥は驚いた。

 紅羽に伝言など、誰なのか予想もつかない。

 それは紅羽も同様らしく、小首を(かし)げている。


 ラルカフはまっすぐに、紅羽のほうを見据えた。

 どこか(なつ)かしんでいるような、そんな表情をしている。


「心の(おもむ)くままに、自由に自分の人生を歩めばいい――そう言っておった」

「どなたからの伝言なのですか?」

「お前さんの()()……白銀の戦姫からじゃ」


 咲弥は大きく目を見開いた。

 紅羽も無表情の中に、わずかな驚きが混じっている。


「しかし……お前さんは、あやつとはまるで別ものじゃな」

「そうなんですか?」

鬱陶(うっとう)しいったら、ありゃせんかったぞ。いちいち人のおるところについてきては、妙な茶々(ちゃちゃ)ばっか入れよったからな。しかも綺麗な顔して、きついこと言いよる」


 咲弥はつい苦笑が漏れた。

 それは案外、血は争えないという可能性を宿していた。


 茶々まで入れてこないが――どこにでもついてくるのは、そっくりだと思えた。

 さらに紅羽もまた、案外(きび)しいことを平然と告げてくる。


「なんでそんな人を、あんたが知ってんのよ?」


 ネイは片目を細め、ラルカフに()いた。

 ラルカフは悩むようなしぐさを見せる。


「なあに……遠い遠い、遥か遠い昔の話じゃ」

「いったい何をしてたんだか……」

「カッシャッシャッ! 自分でも忘れてもうたわ」


 ネイは呆れを含んだため息をついた。

 ほんの少しだけ、紅羽が頭を下げる。


「伝言、ありがとうございました」


 ラルカフは目を閉じて、静かな深呼吸をした。

 それから、紅羽のほうをまっすぐ見据える。


「どんな生まれであれ、お前さんはお前さんじゃ。できれば……あやつの娘であることを(ほこ)って、人生を生きてくれ……それだけで、救われるじゃろう」

「……了解しました」


 紅羽は神々しい顔に、柔らかな微笑みを(たた)えた。

 ラルカフはまた、寂しそうな面持ちに変わる。


「その微笑みは、まるであやつの生き写しじゃな……」


 ラルカフは首を横に振りながら、小さなため息をついた。


「じゃあ、気をつけて帰れよ。またいつでも()んさい」

「はい。師匠! ありがとうございました」

「体に気をつけてな」

「はい! 師匠も!」


 咲弥の返事が終えるや、ネイがそっけない声を出した。


「また来るまでに、あんたが生きてたらいいけれどね」

「カッシャッシャッ! あと数十年は余裕じゃろ」

「まあ、長生きしなよ」

「ああ、達者(たっしゃ)でな」


 別れを()しみつつ、咲弥達は訓練所を後にした。

 何か忘れているような――

 そんな思いが、漠然と咲弥の胸に残っていた。




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