16匹目
床にしゃがみ込んだままバスタオルを握っていた栖衣は背中を向ける宰相に視線を向けた。
信じるべきなのか?
だが栖衣がこんなところに来てしまったのは彼らのエゴであり栖衣にはなにも落ち度はない。
信じたら馬鹿を見るのではないのか?
栖衣の頭にはそういう考えがあった。二十歳になる今まで優しい友人、優しい親兄弟に守られて生きてきた栖衣は昨日のようなことがあっただけで寝台から出たくない、外へ出たくないと思ってしまうような閉じこもった性格をしている。
馬鹿を見て、そしてまた今のように塞ぎこもってしまうのではないのか?
栖衣は焦茶色の尾を床に垂らした宰相の姿を見て唾を静かに飲み込んだ。
「わたしは・・・」
思った以上に体内から水分が出てしまっていたらしい。カラカラの喉を引きつらせて栖衣は口を開いた。
「必要、ですか?私でも・・・何か、できるんですか?」
栖衣の言葉に宰相は目を大きく見開いてこちらを向いた。
「できます」
「本当・・・?」
「はい」
宰相のその言葉に安心したのか、栖衣はうわごとの様に何度も宰相に問いかけた。
「本当?」
「はい」
「子どもを産むの・・・?」
「はい」
「わたしでいいの?」
「はい」
「私なんかで、いいの・・・?」
「いいえ」
最終確認のように言った栖衣の一言に宰相は「否」と答えた。
「え・・・」
「『私なんか』ではありません。あなただから選ばれた。召喚はこの国に必要な、あなただから選ばれたんです」
「・・・本当」
「本当です、あなただから選ばれた。私はあなたがいいんです」
宰相の言葉に栖衣は座った自分より低い位置にあるその朱色の瞳を見つめ返した。
「信じていい、ですか?」
「はい」
「これからも疑ってしまうかもしれないけど、・・・あなたを信じていいんですか?」
「はい、信じられるまで待ちます。でも」
「でも・・・?」
「私あまり気は長くありません」
そう言った宰相は猫にしては長い耳をピンと立たせて栖衣に至極真面目そうな顔を向けた。
「・・・ぷ、っそうですか」
「そうです」
「それじゃあ信じます、一応」
「そうですか」
「はい、ありがとうございます。ごめんなさい、いきなり泣き出して・・・」
栖衣がそう言うと宰相は眉・・・はないが、人間で言うと眉の辺りのしわを寄せて困った顔をした。
「いいえ、私スイ姫の精神的な衰弱に気が付きませんでした。迂闊です」
「あ、のいえ・・・私が勝手に落ち込んでましたから」
「違います、昨日あなたに揺さぶりかけました。魔術師長が邪魔しないように魔法かけました。あの三人は姫に好意を寄せていた。邪魔されると面倒ですから」
「?」
「部屋に入ったら口が聞こえないようしました、何も話さなかったでしょう?幻術見てましたから、あの三人は」
「・・・あー、そ、うだったんです、か」
参謀の言葉に栖衣は下を向いて顔を赤くした。
栖衣が一方的に見捨てられたと思っていたがそれもあちら側からしたら濡れ衣もいいところだったのだ。
栖衣は赤くなった顔を元に戻したくて視線を左右に泳がせた。
「姫?」
「・・・なんでも、ない・・・です」
下から覗き込んでくる宰相に栖衣は顔を背けた。彼からしたらすべき事だったかもしれないが栖衣にとっては寝台から出れなくなるほど悩んだことなのだ、栖衣は顔を赤くしてため息を吐いた。
しばらくすると余分な熱も引いたのか、栖衣は宰相の方を向いて口を開いた。
「そういえば・・・あの、名前を聞いてもいいですか?」
栖衣はそう言った後ハッと思い出したように手をブンブンと振った。
「あ、あのこういうのは先に行ったほうが良いんですよね!私は佐藤です!佐藤栖衣です!これからよろしくお願いします!」
礼をするつもりだったが床に座ったまま、まるで土下座をするように深く頭を下げた栖衣に宰相はポカンとしながら口を開いた。
「・・・そう、ですね。これから姫は私の生徒になりますから自己紹介はしておきましょう。私この国で宰相を任されているミハイル・クロー、あなたの夫になる候補者の一人です」
「へ?」
生徒、宰相、夫の候補者・・・床から額を離した栖衣はぐるぐる回る三つの単語に口の筋肉を引きつらせたまま笑った。いや、笑ってしまった。