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「ねえ、お兄さんの名前は?」
キャッチボールをしながら、少女は聞いてきた。
そういえばまだお互いの名前も知らなかった。
「俺の名前は寺橋優介」
ボールを投げながら少女の質問に返答する。
現環境で本名を他人に教えるのはいいこととは言い切れないが、俺の名前を知ったところで特別な情報が得られるわけでもない。
「優介お兄ちゃんって呼んでもいい?」
なぜ、お兄さんからお兄ちゃんになるのかはわからないが、その響きに少し嬉しさを感じた。
「君の名前は?」
「美沙里……。佐藤美沙里」
笑顔で自分の名を教えてくれた美沙里はあの日よりも前の公園で遊ぶ子供のようであった。
名前を聞いてしまったことを後悔するかもしれない。人は遅かれ早かれ必ず死ぬ。
あまりここに長居しない方がよさそうだ。
『おはよう優介。疲れが取れていないようだけれど』
紗奈の声が、朝食を病院の屋上で朝日を見ながら楽しんでいた俺の頭に流れ込む。
「そんなこともわかるのか。問題ない、情報をくれ」
紗奈から連絡が来たということは新たな情報を伝えに来たということだ。
『わかったわ。敵は人型ロボットで、負傷者に紛れているわ。数は3体、武装は3体とも小銃ね』
負傷者に紛れているのは厄介だが、その3体をもう特定している。それならばさほど難しい任務ではない。
だが、こんな楽な仕事なら、WINDの他の隊に任せられたはずだ。
「それで今回の作戦の本当の目的は?」
俺はおにぎりが入っていた袋を握りつぶし、その場に立ち上がりながら聞いた。
『そうね、地形を覚えておきなさい』
地形を覚えることに何の意味があるのかはわからないが、意味のあることなのだろう。
「了解した。作戦はもうあるのか?」
屋上の柵にもたれかかり、がれきの海から吹いてくる風を感じていると、誰かとつながっている気分になれる。
『作戦は自分で考えなさい。今回の任務はさほど難しいことではないでしょ? こちらの損害を出さず、誰にも気づかれないように敵を倒しなさい』
その命令を受けた後、俺は西日本方面へ向かった。少し考えた結果、俺が考えた作戦は暗殺だ。
俺も負傷者を運んでいる車両に乗り込み、敵ロボットを静かに破壊する。
「来たか」
高速道路が見渡せるビルの屋上で待機していると、続々と車両が見えてきた。
紗奈からの情報をもとに作戦を開始する。
道路に置いておいた障害物に運転手たちが気付き、停車する。その隙に車両に紛れ込む。
車両の中はとても暗い空気に包まれていた。
負傷者と聞いていたが、もちろん負傷していないものも乗っていて、西日本の生き残りの最後尾ということもあり、軽症者がほとんどだった。
過酷な戦場に、長い旅、反乱軍の兵士たちは疲れ切っていて、ほとんどの人が眠っていた。
そんな中、目標の隣にさりげなく座り、超小型暗殺ロボットを目標に向かわせる。
この超小型暗殺ロボットは小さな虫ぐらいのサイズで、人用であれば、気づかないうちに体内に入り、心臓を停止させる毒を直接重要臓器に打つことができる。
ロボット用であれば、自爆装置を停止させた後、ロボットの指令装置を破壊可能だ。
欠点を上げるとすれば、目標の近くで作業しなければならない。
要するに暗殺対象がそばにいる状態でしか使えないということだ。
目標を指定すれば、勝手に破壊してくれるため、怪しまれないように車両を後にし、次の目標が待つ車両へと向かう。
ロボットも周りに合わせ、目を閉じていたため気づかれることなく、すべての目標の破壊に成功した。
任務を終え、地形を覚えろという任務に移る。
その場所は暗殺を終えた場所から関東へ戻る途中にある場所、西日本の敗北により新たに作られた関東西部最前線防衛基地。急ピッチで壁が建造されていた。
どうやら、壁で関東を囲み、安全圏を作るようだ。
なんでそんな原始的な方法なのかは知らないが、市民を安心させるには一番いいのかもしれない。
この計画を達成するためには東京奪還作戦を勝利に終わらせる必要がある
壁の外は敵が来た時にすぐにわかるよう、背の高い建物はすべて破壊されていて、見晴らしはよくなっていた。その他にもいろいろな情報を確認することができた。
偵察用の蝶型ロボットで大体の情報を得た俺は、アムネシアの病院へ向かった。
ユリュシオンへ戻るヘリが到着するまであと1日あるので、美沙里に会いに行ったのだ。
今回は戦った気分がしないな……。
「優介お兄ちゃんどこに行ってたの?」
紗奈よりも小さい体をした美沙里は心もはるかに紗奈より子供だ。
「ちょっとした仕事をしてきた」
美沙里は心配していたという顔を浮かべたまま、俺の腕をつかんでくる。
たった数日で美沙里にとって俺の存在はだいぶ変わってしまったらしい。
「これからは、どこか行くときは言ってね」
そういや、俺の設定はアムネシアの新人スタッフ的な立ち位置だったか……。
「それなんだが、俺はここを出ることになった。短い間だったけど楽しかったよ。今日の夜出発する」
あれこれ言っても仕方がない。
名前を教えてしまった俺の責任だ。名前を知ってしまうだけで他人ではなくなってしまう。美沙里にとって俺は必要な存在になろうとしていたのだろう。
「どうして……どうしていつもすぐにいなくなるの」
似たような涙を何回も見てきた。人との別れの涙。
いつもということは、今までも似たような経験をしていたのだろうか。ともかく、思った以上に、美沙里は病んでしまっていたようだ。
「色々な話ができて楽しかったよ。これはプレゼント」
俺は青い鳥のペンダントを美沙里の首にかけた。
「ありがとう優介お兄ちゃん。時間があったら会いに来てほしいな」
美沙里は笑顔でそう言った。
こんな小さな子も戦場で戦っている。数年前が嘘かのような世界が見渡せば広がっている。
俺は過去の世界を取り戻したいわけではないし、世界がどうなろうと知ったことじゃない。
俺にはユリュシオンがある。だから何も望むことはない。たが、随分前から何か大切なことを忘れている気がするのだ。
「ああ、時間ができたらまた来るよ。その時はまたいろんな話をしよう」
戦場から離れられた数日間だった。
ユリュシオンに戻ったらまた任務が待っていそうだな……。