【序章】
1913年 ペルー
「先生!先生!」
草履をぱたぱたと鳴らし、黄ばんだ白いシャツの子供二人が駆け込んでくる。
ダンは壁に漆喰を塗る手を止めた。
「どうした」
「空から唄が聞こえる!」
鏝を置いて薄汚れたエプロンで手を拭いた。
「鳥じゃないの?」
子供が二人とも首を振った。
「あんな鳥なんかいない!本当!歌だけが空を飛んでるよ!」
連れ立って外へ出た。
抜けるような青空。高地の冷たい風がダンの頬を撫でた。
空。耳を澄ます。
聞こえる。
葦笛のようなかすかな音色とともに、女とも男ともつかない声のかすかな歌声。
「本当だろ!」「しっ」
子供を制した。
悲しい音色だ、ダンは思った。
歌は遠くアンデスの山なみのはるかな上、天から聞こえてくるようだ。
これは、なんだ……?
歌を集めるために来たこの土地で、空から歌が聞こえてくる。
なにかの天啓だろうか。ダンはぼんやりと思った。
「……呪いだ」
ふと脇を見る。部族の古老。かつては彩色も鮮やかであったであろう色褪せたポンチョ。
傾いだ柱にかけた皺のよった褐色の手が震えている。
「……神は『百の葦の年』に、この世に『超えしもの』を遣わし愚かな民を滅ぼすのだ」
子供たちが泥色の水たまりを見るような眼で古老を見た。肯定も否定もしなかった。
ふたたび空を見上げる。
歌が遠ざかる。アンデスの空、はるか彼方に向かって。
歌はどこから来て、どこへ行くのだろう。
ダンは思った。
いや、そうではない。歌に聞こえるのはひとだからだ。
――ひとの思いは、どこから来て、どこへ行くのだろう。