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伴剣流奇譚:王殺し  作者: 雑魚メタル
第一章
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海神の剣


 ざぶんと、瑞穂は、背中ら海に飛び込んだ。忽ち、岩を削る濁流が、その体を、風に舞う木の葉のように翻弄して、水の中へと誘った。光りが、辛うじて開いた視界の隙間を、上へ下へ、右へ左へと、瞬く間に移り変わり、弱く小さくなっていく。身の回りを流れる泡は、粒を小さくして、渦を巻きながら、その光の内へと、吸い込まれていった。

 やがて、息を堪えるのが限界となる。が、霞む視界の真ん中で、ロザリオが、僅かな光を受けて、きらりと輝いた。


(そうだ、四津子!)


 瑞穂は、忽ち活力を取り戻すと、濁流を物ともせず、力強く水を掻いた。


(早く戻らないと、四津子が危ない――!)


 が、大いなる自然を前に、彼の力は、人と比べた蟻よりも微弱なものだ。彼の体は、一向に水面に近付くことなく、反って、波に乗った体は、下へ下へと沈んでいく。やがて、息の限界に達し、意識が薄れ始めた。


 人は死ぬとき、走馬灯を見るという。瑞穂の頭にも、例によって過去の思い出が蘇った。思い出すのは、はじめて島へやって来た時のこと。彼は、其処ではじめて、四津子と出会い、それからずっと、彼女と共に育ち、遊び学んで、生きて来た。――思い出すのは、彼女の事ばかりだ。――両親が死んだときも、四津子は、何を言うでもないが、ずっと隣に居てくれた。


(四津子を失うなんて、絶対に嫌だ!)


 瑞穂は、薄れゆく意識の中で、只管に、こう思った。その時、濁流の音に紛れて、


――ドドン。


 心に響く太鼓の音が聞こえて、彼は、目を見張った。思わず開いた視界は、相変わらず海の中だった。そうして、それから、四津子のくれたロザリオが、夜に浮かぶ満月のような様相で、暗い海の中で、唯一つ、輝いていた。


――救いたいか、葦原の子よ。


 太鼓の音は、今度は、人の声に聞こえた。男女の区別がつかない、厳かな声だった。思わず、救ってほしいと願ってしまいそうになる自分が居て、瑞穂は、ただ、顔を歪めた。其処が陸であったならば、彼の頬には、いくつもの涙の筋が、伝っていただろう。が、相変わらず海の中である為、涙は、零れ落ちる隙も無く、塩辛い水にほどけて消えた。

 人の声のような、太鼓の音のような、厳かな音の轟は、答えぬ瑞穂に、再び問うた。


――四津子を、ガラシャを、救いたいか。


 瑞穂は、息を堪えるのも忘れて、「応」と、泡を吹き出した。――瞬間、瑞穂の体は、荒れ狂う海の中から、巨大な手に掬い出されたような感覚と共に、水面に打ち上げられた。


 が、そこは、瑞穂のよく知る島のどこかでは無かった。

 濡れた衣服が肌に纏わりつき、起き上がった全身の至る所から、磯臭い汁を垂らしながら、彼は、辺りを見回した。


「ここは……?」


 瑞穂は、見たことも無い、古びた社の前にいた。その他には、鬱蒼とした森が広がっているだけで、他に建物は無い。――四津子が気に入っていた、入らずの森の、池があった場所に、よく似ている。

 社は、全体的に傾いており、斜めに立てかけられた、所々に穴の開いた戸口が、過ぎ去った年月を感じさせた。が、何より異様なのは、社の全面に、梵字のようなものが画かれた札が張られていることであった。その戸を、斜め十字にかけられた鎖は、まるで、中に潜む何かを外へと出さぬよう封じているかの如くである。それも、過ぎる時の波に曝されて、輝きを失くし、所々、赤黒く錆びているのが、血のように見えて、不気味であった。


――葦原の子よ、ガラシャを救いたくば、封印を解け。


 海中のときと同じく、心の臓を揺さぶる太鼓の音が、人間の声を模して、彼に訴えかけた。

 扉に触れる前から、開けたら最後、何か悍ましいものが、放たれてしまうのではないかと思わせる、異様な雰囲気、禍々しい気配を、彼は、本能的に感じていた。が、震える身体を無理やり抑え込み、そっと手を伸ばした。

 指先が、戸を塞ぐ鎖に触れた、その瞬間――正に、一瞬の間に、鎖は、バチンと電気が弾けたのに似た、小さい雷の音を奏でて、砕け散った。と、思うと、周囲を覆っていた鎖が、忽ち力を失くして、ざりざりと社の表面を削りながら、地面に蜷局を巻きはじめた。又、社の壁一面を覆っていた札が、瑞穂の触れた辺りから、放射状に、風に吹かれて燃えていくのとが、殆ど同時である。

 そうして、それから、戸が、人の姿なく、軋んだ音を立てながら、左右に開いた。


――ふぅ。


 社の中の暗がりから、吐息が聞こえた。男とも女とも思えない息遣いは、先程、問いかけて来た音にも似ていたが、瑞穂は、二つが異なるものだと感じていた。――彼方が、厳かな雰囲気を持つと云うならば、此方は、今直ぐに逃げ出したいような、恐ろしいものだ。

 が、瑞穂は、体の前で揺れるロザリオを握り、一歩踏み込んだ。


「誰かいるのか……?」


 社の中は、不気味としか云い様のない形をしていた。――中は、天井も床も壁もすべて、一様に、木目に沿って、外壁に張られていた札と同じく、梵字らしき紋様が画かれている。暫く見ていると、その柄が動いて、蜥蜴のように、瑞穂の足元で蠢いたように見えた。

 瑞穂は、後退りしようとした足を、無理やり、又一歩踏み込ませた。


「何なんだ、ここは……」


 中央には、蛇を思わせる細長い物体が、鎖で雁字搦めに縛られた状態で、棒立ちになっていた。――鎖の下は、布で巻かれた上に、梵字の画かれた札が貼られており、その中で、一等大きな黄色地に『禁』と画かれた札が、こちらを向いて、張られていた。

 他には何も無く、瑞穂は、大きな唾をのみ、覚悟を決めると、ゆっくりと近付いた。

 彼の手が、震えながら、全体を縛る鎖に、触れようとした、そのとき、


――ふぅ。


 彼の目の前で、塊が、息を吐いた。と、思うと、瑞穂は瞬時に手を引いた。彼の心は、忽ち恐怖に支配されて、二度と触れようなどとは思えない。そう尻込みした途端、


――さぁ、取りなさい。葦原の子よ。

――ガラシャを救いたいならば、ソレを取れ。

――さぁ、取りなさい、取るのです、取れ、取レ、トレ、トレトレトレトレ!


 どこからか聞こえる太鼓の音が、再び、人の声を模したと思うと、正に怒涛の如く、彼の背を押した。

 瑞穂は、よろめき、反射で手を前へ突き出した。そうして、それが、布を覆う鎖に触れた。すると忽ち、辺りがシンと静まり返る。――刹那、鎖が激しい音を立てて弾け飛んだ。

 力を失った鎖が、耳障りな音を立てて床に落ちていく中、瑞穂は、後退ろうとする己を、無理やりその場に留めて、又、その手を伸ばした。――最初に、指は札に触れた。そうして、熱の無い炎で燃える内に、彼の手は、その下にある布に振れた。

 布は、生暖かく、湿っていた。


「四津子を、助けたいんだ……!」


 瑞穂は、そう口にすると伴に、恐怖を殺して、布を掴んだ。――途端に、部屋の中に画かれた梵字が、蛇が蠢くように揺れ動き、彼のいる所から、放射状に消えていった。社の四隅からは、ミシリと軋む、家鳴りがする。が、彼は、手の中にある湿った布を、手繰り寄せた。


「剣だ」


 布の中から現れたのは、一本の、曇りなき黒鞘の剣であった。柄頭だけが金を持ち、それ以外は、特筆することの無い黒一色で出来ている。――瑞穂は、布から手を離すと、手を彷徨わせた後に、鞘の情報を掴んだ。


「――ふぅ」


 瞬間、彼の手の中で、剣が息を吐いた。が、彼は、手を離さなかった。否、彼の掌は、ぴたりと鞘に張り付いた儘、離れなくなっていた。

 そうなると、不思議と、瑞穂の中には、奇妙な勇気が湧いて来る。そうして彼は、反って、鞘を握る手に力を籠めると、己の方へと手繰り寄せた。――乾いた紙が破けるような、バリバリと云う音を立てて、布の中から剣の全身が現れると、鉄錆びの臭いが、ぷんとした。と、思うと、剣を覆っていた布が、淡い光を放って、忽ち炎に包まれた。

 跡に残ったのは、布の焼けた灰のみだった。が、彼が手の内に抱いた剣に視線を向けた一瞬で、どこかから吹いて来た風に靡かれ、無くなった。

 瑞穂は、狐狸に化かされたのかと、暫くの間、立ち尽くしていたが、ふと手の内の、一振りの剣を見下ろし、こう言った。


「これがあれば、四津子を助けられるのか?」


――ドドン。と、大きな太鼓の音が耳を打ったと思うと、彼は、再び水の中に居た。油断していた鼻や口から、濁流となった海水が入り込み、泡が視界を覆う。死ぬ。死ぬのか。

 その時、自分の右手が、何やら硬く細長い物を握っていることに気付いた。刹那、彼の死にかけた意識の先で、四津子の笑顔が、――この剣で守るべき者の顔が、浮かび上がった。


(四津子!!!)


 叫びは、一際大きな泡となって、口から溢れた。右手は、硬く鞘を掴み、左手は、力を漲らせて、水を掻いた。が、陸の生物が海の中で生きられぬ様に、彼も又、酸欠により暗くなっていく視界の中、その体を、泡と共に深い海の底へと、引き込まれて行った。


 その刹那である。


 瑞穂の右手に握られていた剣が、荒れ狂う海流を逆らって、上へ上へと、物凄い力で、引っ張り始めた。重く分厚い水の層が、彼の腕を、頭を、体を揺さぶり、消えかけた意識を引き戻した。――瑞穂には、剣が空を飛んでいるように見えた。光りに向かって、青い空を一気に駆け上がっていく。

 濁流を越え、空気が肌を撫でても、剣は飛び続けた。眼下を、岩肌が通り過ぎ、瑞穂の体は、僅かな間に、崖の上へと辿り着いた。そうして、彼は、こちらを向いて、驚き目を見張る四津子を見た。――その後ろに、凶神の姿があるのも、見て取った。


 瑞穂は、重力に任せて、体が地面に降り立つ中、慣れ親しんだ剣道の構えを取った。その右手に握った剣を、流れるように抜き放ち、




――刃をきらめかせ、一思いに、振り下ろした。




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