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伴剣流奇譚:王殺し  作者: 雑魚メタル
第一章
4/5

天遣と凶神


 町に帰って来ると、瑞穂の家の近く――正確には、四津子の家の前に、小さな人だかりができていた。

 そのうちの一人が、歩いてやって来る二人の姿を見つけて、慌てて声を上げる。


「四津子ちゃんだ! 瑞穂と一緒にいるぞ!」

「なんだって!?」


 人だかりの中から、四津子の父親が顔を出す。

 瑞穂が大きく手を振って応えると、目を丸くして駆け寄って来た。


「四津子! まったくお前はこんな時間までどこに行っていたんだ!」

「ごめんなさい」


 小さく謝る声は、抱きしめる腕に押し潰されて、瑞穂にも聞こえなくなった。

 視線で助けを求める四津子に、笑い返して、一人先に進む。

 集まっていた者たちは、一様に「よかったねぇ」と口にして笑い合っていた。

 その中から老婆が一人、近付いて来た。その手に十字を握り、手首に数珠とネックレスの間のような物を巻いて、祈るように手を合わせながら、瑞穂に笑いかける。


「ガラシャちゃん、見つかってよかったねぃ」


 信心深い年寄りから、四津子はそう呼ばれている。洗礼名なのだそうだ。島の一部の人間は普段からそちらの名で呼んでいる。

 四津子の父は見るからに海の男といった出で立ちをしているが、その実、熱心なキリスト教徒でもある。その影響で、四津子は幼い頃から教会に親しみ、洗礼も受けることになった。

 教会にいる四津子は、生まれた時より色を持たない髪や肌の色のこともあって、まさに純真無垢な聖女といった印象を受ける。また美しくも可愛らしい顔立ちから、戦国時代の姫君で、キリシタンだった細川ガラシャに因んで付けられたのだそうだ。

 ただ、それがなんだか縁起が悪いような気がして、瑞穂はあまり好きではない。が、彼女が島の人間に愛されていることは、何よりも良いことだ。父親と共に人々に囲まれた四津子を見やると、解放されるのは当分先になりそうで、態々割って入ることもあるまいと、瑞穂は手を伸ばす代わりに、顔の横で小さく手を振った。


「四津子、また明日な」


 すると四津子は、何かを言おうと口を開いたが、それが音になる前に、二人の間に人が割って入る。瑞穂は苦笑を零すと、踵を返して、独り歩き始めた。


「ま、待って!」


 久しく聞いていなかった、焦ったような四津子の声に呼び止められ、瑞穂は思わず振り返る。


「どうした?」


 が、四津子は口籠り、何を言うか躊躇っている。

 瑞穂は努めて優しい声を出して、もう一度「どうした?」と、問うた。

 すると、四津子は、


「もし私が変になっちゃっても、ずっと友達でいてね」


 その時に浮かべた微笑は、なるほど聖女と呼ぶに相応しいものであったために、瑞穂の脳裏には、その顔が、何時まで経っても消えなかった。




 ***




 次の日、普段通りに登校した瑞穂は、朝礼の時間になっても四津子の姿が席に無いことに、すぐ気付いた。昨日のこともある、まさか無断欠席ということはないだろうと、不思議には思ったが、心配はしていなかった。

 しかし、担任は、教室に入って来るなり、瑞穂に向かって、


「瑞穂、四津子は休みか?」


 嫌な予感を覚えながら、瑞穂は答えた。


「知らないですよ」

「幼馴染だろうが」

「そんなこと言ったら、みんなそうですけどね」


 島で暮らす子どもは少ない。四津子と親しいのは、なにも瑞穂だけではないのだ。が、こういった時に訊ねられるのは、いつも自分である。そのことに、彼は少しだけ優越感を覚えていた。しかし、それも、必ず真相を知っていたからだ。


「昨日のこともあるし、ちょっと探して来い」


 日差しの強い中、外に出ることは億劫だ。けれど瑞穂は、一つ返事に席を立つと、学校を飛び出した。




 ***




 心当たりは其処しか無いので、瑞穂は真っ直ぐ池に向かった。相変わらず人気のない森へ入り、それから、そうして、四津子は昨夜と同じく、其処に居た。


「四津子、お前なにして……」


 瑞穂が呆れて話しかけると、四津子は今気づいたとばかりに勢いよく振り返る。そして、見たことも無い形相で、


「来ちゃ駄目!」


 思わず足を止めた瑞穂に、四津子は、咎めるような顔をした。


「どうして来たの」

「お前が学校に来てないから、探しに来たに決まってるだろ」

「そう、それじゃあ、もう帰って」


 四津子はそう言いながら、顔を側へ反らした。

 瑞穂は、酷く動揺していた。彼女に、こんなにも冷たくされたのは、はじめてのことだ。


「なんだよ、それ。お前、昨日から何か変だぞ」

「帰って!」


 四津子が、叫んだ時である。急に、辺りがしんと静かになった。虫の鳴き声が消えたかと思えば、木の葉の騒めきも消えている。それから、どこか肌寒く、肌を指すような気配を感じる。――それから、卵の腐ったような、強烈な臭いがする。


「早くここから帰って!」


 池から上がった四津子は、靴を履く間を惜しんで瑞穂の元まで来ると、無理やり踵をかえさせて、その背を押した。が、瑞穂は、何時に無く強引な様子に、反って、その場に留まろうと足に力を込めた。


「なんだよ急に!」

「いいから! 早く!!」


 美しい顔に、苛立ちに近い焦燥を浮かべて、四津子は叫んだ。――瞬間、二人の前の樹々が、隙間から、闇が広がるように、崩れ落ちた。それは、正に刹那の出来事である。視界の中心から、木々が生命を奪われて、軋み、折れる音を響かせて、崩れ落ちていった。

 思わず一歩、後退った瑞穂は、背に触れていた四津子の手が、縋るように、シャツを引いたのが感じられた。そうして又、一歩、踏み込んだ。

 崩れ落ちた木々の向こうに見えたのは、人とは思えぬ異形の影であった。背丈は民家の二階に届く程、腰より長く脂ぎった長髪が、垂れ糸のように顔を覆っている。そこから伝い落ちる雫は、煮詰めた海苔よりもドロリと重く、酸味を帯びた酷い臭いがした。


「おい、四津子。逃げるぞ!」


 どう見ても、生きている人間ではない。彼は、そう思うと、野生の獣を相手にするのと同じように視線を向けた儘、手探りに、背後の娘の手を取った。

 が、四津子は、名残惜しさを感じさせながら、その手を離した。


「四津子!」

「瑞穂は逃げて」


 耳を疑う言葉に、瑞穂は、弾かれるように振り返った。


「何を言っているんだ! あれはヤバイ。逃げるんだよ!」


 そう言うが否や、瑞穂は傍にあった拳大の石を拾うと、化け物に向かって投げつけた。――すると、ソレは怯んだように左右に揺れて、僅かに小さくなったように感じられた。「物理が効くのか――」と、彼の中に、冷静な部分があり、それを理解すると、凍り付いたように冷たい四津子の腕を掴んで、矢のように駆け出した。


 そのとき、瑞穂の中にあったのは、とにかく森を出る、ということであった。右手に握った娘の柔らかな手を離さぬよう、硬く握りながらも、後ろは振り返らずに、一目散に木々の間を駆け抜けた。

 そうして、コンクリートの道に出ると、晴れていた空は分厚い曇に覆われていた。天も地も鈍い鋼色をしていて、夏の光彩際立つ輝きはどこにもない。が、彼は、尚も走った。

 奇妙なことに、昼前にも拘わらず、今日はどこにも人気がなかった。それどころか、田も、港も、まるで、この世に存在する生きたものは、瑞穂と四津子、唯二人だけとでもいうかのように、カモメや狐狸の姿も無い。


「そっちは皆がいるから駄目! 灯台に向かって!」


 人気を目指して走り出した後ろで、四津子が叫んだ。瑞穂は、助けを求めるべきだと思ったが、同時に、彼女の言うことも一理あるとも思い、促されるまま、町外れの灯台に向かった。


「なんなんだよ、あの化け物!」


 瑞穂は、弾む息を誤魔化す為に、悪態をついた。と、思うと、四津子が、静かな声で、答え始めた。


「――凶神(きょうじん)


 その声には、奇妙な程の、安らぎと、厳かな雰囲気があった。


「あれは厄災。鬼。悪魔。祟り。禍津神。名前は無数にある。生きている人にとって悪いモノ」


 思わず振り返った瑞穂は、彼女の向こうに、豆粒ほどの大きさの、何か黒いモノが、ゆらゆらと四方に揺れながら、こちらに向かって歩んでくる姿が、はっきりと見えた。


「カミサマが教えてくれたの」


 四津子は、そう言ってから、握った手を引いて、瑞穂の視界を己へ向けた。

 瑞穂は、いつの間にか止まっていた足を、再び、――猛烈な恐怖と共に、忙しなく動かした。


「あれらは力の強い者を狙うのよ。この島で一番力が強いのは私だから、きっと来るなら私のところだろうと思っていたの。だから一人で居たのに、どうして来てしまったの」


 咎めるような声であった。が、そうして、それから、瑞穂は、繋いだ手に、縋るような力が込められたのを感じた。


「待っていたってことは、お前、どうにかできるんだよな?」

「駄目。私じゃ祓えない」

「じゃあ、とにかく、逃げるぞ!」


 瑞穂は、四津子と繋いだ手を、更に強く握った。

 が、灯台に辿り着く前に、小高い崖の上に差し掛かったところで、四津子は、急に、立ち止まった。彼は、焦燥と恐怖を感じる儘に、彼女の手を、強く引っ張った。


「なにやってんだ、早く来いよ!」


 四津子は、首元のチェーンを手繰ると、服の中から、引っ張り出した。

 それを素早く瑞穂の首にかけると、彼の胸で、十字が躍り輝く。


「これ、お前が大事にしてたロザリオだろ」


――どうして急に。


 そう口に出す、刹那に、彼は胸を強く押された。――二人は、崖の上に居た。当然、瑞穂の背後には、地面が無い。故に、彼の体は、留まれるはずもなく、重力に随って、海へと向かう。

 が、四津子は、死への恐怖に驚き、引き攣る彼を見て、笑った。


「ここから落ちても、死なないから」


 悲しくなるほどに、美しい微笑であった。

 瑞穂の手が、藻掻くように、宙を掻き、彼女に触れることなく、真っ逆さまに、落ちていく。彼は、唯、何を言うべきかも分からない儘、喘ぐように、唇を動かした。


「ずっと友達でいてね」


 ビョウビョウと唸る風が耳を覆い、他の音は届かない。が、彼女が何と言ったのか、唇の動きで分かった。彼は、そう言った彼女の、美しい唇の動きを、鮮明に覚えていた。

 純白に彩られた、美しい娘が、灰色の空を背に、落ちていく自分を見て、微笑んでいる。それこそ、天使のようで、聖女のようで、――巨大な黒い影を背負った姿は、ある種の宗教画のようであった。


 だから、瑞穂は、その表情が一等嫌いなのだ。




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