第五章 十一月二十一日~二十二日
車から下りた立花はくしゃみをした。朝もやが漂っている。だだっ広い駐車場はやたらに寒く、夏物のジャケット一枚ではどうしようもない。ずらりと並んだ軍用ジープの後ろに、色とりどりのワンタッチテントが張られている。林の向こう側に芝がうねっているところを見ると、ゴルフ場だろうか。
「いい加減、これ外しませんか」
手錠を鳴らしてみせるが、刑事は振り返りもしない。両脇は、完全武装した男たちで固められていて、彼らもこちらを見もしない。
「かっこいい軍服ですね、それ。自衛隊のですか」
左側から銃の台尻で小突かれてよろけた。これ以上、無駄口を聞かない方が良さそうだ。
黙って足を動かしていると、正面に古びたクラブハウスが見えてきた。数メートルおきに歩哨が立ちはじめる。あの中に「彼」 がいるのだろう。
入り口につくと、刑事はぴたりと足を止めて手錠を外した。
「さあ」
「僕だけで行くんですか」
刑事が頷いた。
「不安だなあ、一緒に来てくださいよ。僕と刑事さんの仲じゃ……わっ」
足元に銃を打たれて飛び上がる。発砲した兵士が、建物に銃口を振った。早く行け、という意味だろう。ため息をついて、仕方なく玄関扉を押し開けた。
中は案外に広い。左手側に無人のフロント、目の前にソファが並んだ喫茶スペースがある。
「えーと。ごめんください」
「来なさい」
すぐ近くから声がして、思わず飛び上がった。突然現れた少女は、奇妙に固定した瞳でこちらを見ている。季節にそぐわない白の長衣は薄手で、右肩がむき出しだ。
すたすたと歩いていく少女を、早足に追う。大きな花瓶がそこら中にあった。ピンク、白、水色、黄色。いい香りだ。見れば、少女の髪にも花が飾られている。
長い廊下を進む。所々に立つ兵士は、みな小銃を抱えていた。階段を上り下りしながらかなり歩いたところで、少女はようやく立ち止まった。扉が外された入り口が、ぽっかりと空いている。向こう側は、かなり広そうだ。
「清めなさい」
「え、何ですか」
少女は答えない。
「あのね、もう少し説明を」
少女がじっと見ている。外から鳥の声がした。痺れるような寒さは相変わらずだが、目の前からほんのり暖かい空気が流れてくる。これ以上話しかけても無駄だろう。諦めて、中へ入る。
二十畳はあるだろうか。緑色のカーペットは真新しいが、白壁はところどころシミになっている。歩くにつれ、靴底に規則的な凸凹を感じた。前に、何か重いものが何列にも設置されていたようだ。
見上げると、ずっと高いところにはめ殺しの小窓がいくつか、そして大きな換気扇がある。壁際に、古びた体重計とマッサージチェアが寄せられているのを見つけて確信した。脱衣所だ。では、風呂場に繋がっているはずだ。
脱衣所を突っ切って外に出ると、岩で組まれた露天風呂がある。だが湯船は空っぽだ。
「どうしろってんだよ……」
悪態を吐きながら見回すと、一つだけ湯気を上げている風呂を見つけた。壺風呂というのだろうか。岩がくりぬかれて、人一人がやっと入れるようなものだ。
清めろと言うからには、これに漬かるのだろうか。タオルはどこにあるのだろう……湯が流れ出ている金色の樋にそっと手を伸ばす。
「触るな」
驚いて振り返れば、小柄な女がすぐそばにいた。髪を短く刈上げ、やせぎす、やけにギラギラした目つきだ。黒い軍服を押し上げる胸だけが、はちきれそうに大きい。
「手を洗って、口をすすげ。お前は今から、神の代理人に会うのだ」
「手と、口だけですか。できれば全身あったまって……」
「黙れ。さっさとやれ、殺すぞ」
女が拳銃を向ける。
「わかりました、わかりましたよ……」
手を洗うと、それだけでも天の恵みのように暖かかった。口にふくめば甘苦い。漢方の風邪薬のようだ。
「やりました」
女が歩き出した。目の前に晒されたむき出しの襟足に、寒さで鳥肌が立っている。細い首。とがった肩。どうもひっかかるものがある。どうしてか、もやもやと……。
生垣の突き当りで、女が立ち止まった。くるりと振り返って、鋭い視線を向けてくる。
「行け。失礼があれば殺す」
この、つっけんどんで刺すような話し方にも、どこか聞き覚えがある。
「早く行け」
女が、シッと犬を追い払うように手を払った。言われるままにそこをくぐると、円形の中庭に出た。直径十メートルほどだろうか。真ん中あたりに、派手なベッドカバーがかかったベッドがある。誰か寝ている。できるだけ静かに近づいて、顔をのぞいた。
彼だった。革命家、戦後最悪のテロリスト。予想が当たってしまったことに深くため息をつくと、長い繊細な睫毛が持ち上がった。
「待っていた」
紫がかった鳶色の瞳。高い鼻。バラ色の頬で、薄くほほ笑んでいる。寝起きでヘラヘラ笑っていたらとんでもなくマヌケに見えるはずだが、男でもどぎまぎするような美貌なら話は別だ。神秘的だとすら感じる。
「寒いだろう。おいで」
革命家は、体を起こして大きく腕を広げた。色とりどりの花々が刺繍されたカバーのおかげで、春の野原で愛の神に遭遇したようだ。
ふらふらとその腕に収まって、思わず眉をしかめた。臭いがする。甘いような、獣臭いような。ムスクの香水でもつけているのだろうか。耳元で、古い教会の鐘のような深みのある声が囁いた。
「疲れただろう」
鼻先につきつけられた白いうなじから、ムッという臭いが押し寄せた。腐った臭いだ。昨日、トンネルで見た光景が蘇った。暗闇に折り重なったむごい遺体。そうだこれは、死人の臭いだ。
数年前、週刊誌やテレビ、インターネットで繰り返し報道された数々の死。この美しい男が扇動し、失敗した暴動の……計画し、成功したテロの……数限りない死屍累々、倉庫と広場に、交差点と駅に転がった、死体の山。
「さあ、眠ろう」
「いえ、僕は」
優しく倒され、ケシが咲くベッドカバーで覆われる。中は人肌の暖かさだ。まだ暗いうちに叩き起こされて、寒さにこわばっていた体がゆるむ。
必死にまぶたを持ち上げれば、革命家が無表情に見下ろしている。おかしな目だ、瞳が全然動かないじゃないか……まるで死人だ。普通はありえない。
「これから、いくつか簡単な質問をする。正直に答えろ」
誰かが命じたので、はい、と答えた。
「名前は」
「立花、玲一」
「職業はなんだ」
「花園学園で、心理学を教えています」
「具体的には」
「主に、犯罪加害者の矯正を専門として……」
「あの日、お前はどこにいた」
単調な質問が続くうちに、アイスクリームが溶けるように眠り込んでいた。
汚い小屋だ。外から銃声が聞こえる。刑事は血まみれだ。
「だめです、約束したでしょう、どうして」
「先生。頼みましたよ」
階段を降りてドアを開ける。男が顔を上げた。やっとだ。やっと捕まえた。
「ご気分は」
「別に。何も感じない」
男は笑っている。
がばと跳ね起きて、革命家に掴みかかった。
「何をした。薬物か。それとも催眠か……あっ」
羽交い締めでベッドから引きずり降ろされた。
「死にたくなきゃ、大人しくしろ」
押さえつけている兵士が楽しげに言った。
「大尉、お怪我はありませんか」
女にしては低い声がした。必死に首を上へ向けると、人相の悪い女が忌々しげに見下ろしている。風呂からここへ案内してきた女だ。質問してたのは、こいつか……ぐい、と顔を地面に押し付けられる。
革命家が歌うように言った。
「彼は、少し混乱しているようだ。悪い精霊のせいかな」
「精霊、はっ……」
「黙れ」
口の中に、軍靴の先がねじ込まれた。歯が折れたのか、血が喉に溢れてむせる。
「殺しますか」
兵士が忌々しげに言った。女が猫撫声を出した。
「大尉、どういたしましょう」
「仲間にしよう。きっと、頼もしい味方になる」
「仰せの通りに」
無理矢理に立たされて、頭がぐらぐら揺れた。
「よく、しつけてやりなさい」
殴られて、意識は途切れた。
いくつものヘッドライトで照らされると、トンネルの中は地獄としか言いようがなかった。ガスマスクで息がしにくい。横を進んでいた刑事が、ボンネットから滑り落ちそうになった兵士を掴み上げた。小銃が車体にぶつかって、大きな音がする。
だんだんと明るくなってきた。我慢できずに、トンネルを出てすぐにガスマスクを投げ捨てた。やっと深呼吸きる。来ただけで大仕事だ。
「ダメですよ、何するんですか」
飛んできた刑事がガスマスクを拾う。
「帰りも使うんですから……で、どこですか」
「あっちです、早く」
歩き出そうとした時、先行していた兵士が振り返って叫んだ。
「隊長、遺体が」
駆け寄って、言葉をなくした。見覚えのある人たちが血の海に倒れている。トンネル脇で別れた老人、リーダー格の男に何度も殴られていた中年男性とその家族、クッキーをくれた少年、咳をしていた青年。
「隊長。額に何か書いてますが」
刑事が少年の遺体にしゃがみ込んだ。
「ふうん、『お前のせい』 ねえ。意味わかりますか」
殴られたような衝撃を受けてへたり込んだ。お前のせい。俺のせいか。うー、あー、自分のものとも思えないようなうめき声が出た。
「先生、この人たちですか。会いたかったのは」
「……そ、です……いや」
「どっちです」
「いえ。そうですね、そうかも」
「先生。はっきりしてくださいよ」
もう一日。いや、半日でも早ければ。
「誰がやったか、心当たりないですか」
「多分。チンピラです、同じバスに乗っていた……もう結構。彼らを埋葬して、戻りましょう」
「チンピラ。へえ。名前はわかりますか。特徴は」
怒鳴ってやろうとした時、路肩の土手を見回っていた兵士が叫んだ。
「隊長、気をつけてくださ……」
どん、と横腹に衝撃を受けて尻餅をついた。ハッハッという荒い息。体にぶつかる硬い尻尾。大声を上げて抱きしめた。
「デューイ。生きてたか」
「まさか、こいつですか。探してたのは」
刑事が天を仰いだ。
「犬コロのために……上長に、なんて言えば」
「そのまんま言えばいい。デューイは役に立ちますよ」
ぐいぐい押しつけられる茶色い頭を撫でてやる。片目が血で塞がっていた。後ろ足にもけがをしている。
「医者へ行きましょう。デューイを治してやらなきゃ」
刑事は盛大にため息を吐いた。
「遺体は穴を掘って埋葬する。一時間で離れるぞ」
「ありがとうございます。ちょっと革命に興味が湧きました」
「そうでしょうとも……っくし。風が出てきたな」
刑事が鼻を啜った。土手下の深い谷から、生臭く冷たい風が吹き上がってくる。
埋葬を終え、デューイをかばいながら何とかトンネルを戻った。
「おい、ここは完全に塞げ。終わったら撤収していいそうだ」
「もう検問は終わりですか」
何気なさを装って尋ねると、刑事が一瞬目を細めた。
「ええ、まあ。そうです」
「これで誰も都内から出られなくなりますね」
「そうでもないです。道は他にもある」
刑事が手の平を向けた。
「水臭いなぁ、僕も革命の戦士……」
「黙って」
兵士たちも一斉に動きを止めた。読経のようなものが聞こえる。音を目で追う。反対車線の向こう側に、農具をしまうような小屋があった。刑事が低く言った。
「一班と通信兵、俺と来い。山田と二班は残れ。何かあれば、本部応援を要請しろ」
兵士たちが整列した。
「先生は、この中にでも隠れててください」
乗って来たジープを指して、行こうとする刑事の肩を掴んだ。
「ちょっと、先生」
「僕も」
「無理ですって」
「無理じゃないです。行きます」
ますます高くなった読経に、兵士の一人が焦ったように刑事の肩を叩いた。
「隊長」
「絶対、邪魔しませんから」
兵士と反対側の肩を揺すぶると、刑事がため息をついた。
「犬は置いてってください……あと、これ」
刑事はジープのトランクを開け、小銃を取り出した。
「持つだけ持っててください」
「使い方、わかんないです」
「だから持つだけですよ。間違っても撃とうなんて思わないように。味方が死ぬ」
刑事が肩をすくめた。
くしゃみが出た。刑事がしかめっ面で振り返る。
「花粉かな……っくし」
後ろから乱暴にハンカチが突き出された。若い兵士が睨んでいる。頭を下げて、口元にハンカチを押し付けた。
農具小屋まで数メートル。だんだんと暗くなってきた。読経のようなものは、さっきから途切れている。枯れた雑草が風に揺れた。
「入らないんですか」
刑事が唇の前に指を立てた。とめどなく鼻水が垂れる。仕方なく、できるだけ静かに鼻をかんだ。
ダン、ダン、ダン。小屋から発砲の音がした。それから、人が争うような物音が続く。
「出ますか」
兵士の一人が静かに言った
「まだだ。共倒れすれば儲けものだぞ」。
争うような物音が止むと、奇妙な唱和が始まった。男二人。まだ若い声と、しわがれた声だ。さっきの読経はこれか、と思いながら耳をすます。
『ちょうえつしゃ……ころす。ちょうえつしゃ……は』
「何だありゃ」
刑事が呟いた。
『超越者は殺す。超越者は破壊する』
若い男が絶叫している。ぞっとした。あの言葉は、まさか。
勝手に体が動き、無我夢中で小屋に飛び込んだ。薄暗くてよく見えない。まごついていると、後ろから引っ張られた。
「先生、後ろに」
幾筋ものヘッドライトが走った。兵士たちが銃を構える。
「超越者は殺す。超越者は破壊する」
声にライトが集まる。奥にいた。叫んでいるのは血まみれの少年で、それを大柄な男が抱きかかえるようにしている。ひゅう、ひゅう。男が荒い息をつく。蛇のようだ。
「なんだ、お前ら」
大柄な男が、少年を床に叩き伏せた。
「外に出ます。グレネードを」
刑事がぐいぐいと押してくる。
「ダメです」
あの子はまだ間に合う。
「あのね先生」
「あの子が巻き添えになる」
「仲間ですよ、きっと。早く出て」
「お前ら殺すぞ。なぁ、殺していいんだな」
大柄な男が、ヘラヘラ笑いながら向かってきた。手が服の内側に入る。
「撃て」
刑事の号令と共に、一斉射撃が始まった。男がどうと倒れる。驚いて、思わずへたり込んだ。血と火薬の臭い。心臓が強く打って痛い。
「き、急に……驚いた」
膝に手をついて立つ。少年を、早く処置を、と一歩踏み出す。
「危ないっ」
刑事が叫んだ。死んだはずの男が掴みかかってきた。ふしゅー。ゴボゴボ。自分の血で咳き込みながら、首を絞めてくる。息ができない。生ぬるい血でむせる。
ふいに楽になった。
「この野郎っ」
刑事と兵士たちが、男を押さえつけている。顔についた血を、何度もぬぐい取った。他人の血。おぞましい感触だ。
「やれ」
刑事の指示で、二人の兵士が小銃を振り上げた。押さえつけた男の頭部を、台尻でめった打ちに打ちすえる。骨が折れ、肉が潰れる音。あまりの光景に、熱病にかかったように震えが出た。
そうして数十回も殴った後、兵士たちはようやく凶器を下ろした。はあ、はあ。誰かの荒い息が聞こえる。刑事が男の肩を踏みつけ、拳銃で何度も頭を撃った。頭部がほとんど無くなって、ようやく撃ち止める。
「な、なん、なにを……」
誰も、こちらを見もしない。刑事が言った。
「ビニールシートと担架を持ってこい。あと、ライトだ」
兵士たちが動き出した。
「あ、頭。ほ、ほとんど無くなってますよ。ここまで、しないと、いけないんですか」
吐き気がした。刑事がハンカチで汗を拭った。
「そうです。だからゾンビって言うんですよ、こいつらは」
兵士たちがライトを設置した。こうこうと照らされると、頭がなくなった死体は一層ひどい有様だ。とにかく、叫び続ける少年に駆け寄った。
「うわ」
少年のそばに遺体があった。年恰好が同じくらいの少年と、少女だ。それぞれ何発か撃たれている。血だまりに猟銃が落ちていた。
「若いから仲間じゃないな。殺されたか」
慎重に歩いてきた刑事が言った。
「で、その坊主は」
「そ、そうだった」
慌てて少年に屈みこんだ。うつぶせのまま持ち上げて、口に指を突っ込む。焦りながら何度も突っ込むと、ようやく吐いてくれた。ねばつく胃液をひっかきまわして、錠剤を見つけた。まだ消化されていない。
良かった……気を失った少年を寝かせてへたり込んだ。そのうち正気に戻るだろう。
「今、どうしたんです」
刑事が吐いたものを覗きこんだ。
「さあ。何のことだか」
思い切り睨み返す。
「へえ…ま、いいです。さ、撤収するぞ。資料を包め」
刑事がパキパキと拳を鳴らした。
ベースキャンプとは名ばかりの古い旅館へ戻ったのは、ちょうどシフト交代の時間だったらしい。兵士たちが忙しく行き交っている。少年を乗せた担架の後を、デューイを抱いて進んだ。狭い廊下が、歩くたびにきしむ。
先頭を歩いていた刑事が、宴会場の前で立ち止まった。
「ドクター、いるかい」
返事はない。
「急患なんだ。開けるよ」
襖が乱暴に開いて、小柄な医師が顔を出した。まだ若い。畳の上に、ずらりとベッドが並んでいるのが見える。
「急患だと。空きがないよ、空きが」
医師が顔をしかめた。薬液の匂いが漂う。
「ったく、どんどん連れてきやがって」
仏頂面で脈を取り、吐き捨てる。
「死にかけじゃねぇか。捨ててこいよ」
「そう言わずに……おい」
兵士が担架を差し入れる。衛生兵役らしい若者数人が受け取った。
「……頼んでた薬品、早くくれよな」
舌打ちして閉められそうになった襖に、慌てて足を入れた。
「なんだよ」
「すみません。診てやってくれませんか」
医師が怪訝そうに眉をしかめた。
「この犬」
医師にデューイを差し出す。
「はあ。犬ぅ」
デューイが哀れっぽく鼻を鳴らした。
「馬鹿かお前。馬鹿だろ」
「まあ、そうですが。これでも人並みの馬鹿を自負しています」
うー、痛えよお。並んだベッドで、誰かがうめいている。
「隊長さんよ。どうにかしてくれ」
刑事が咳払いして声をひそめた。
「例の薬だけど。大月キャンプの女の子に持ってこさせるよ」
医師が充血した目を見開いた。
「慰安の子か」
「あぁ。何日か泊めてやればいい」
医師はいったん宴会場の中に引っ込み、タオルを敷いた段ボール箱を突き出した。
「ここに入れろ」
デューイをそっと寝かし、頭を撫でる。
「早く持ってこさせろよな」
慌ただしく言って、医師が襖を閉じた。
すたすたと歩き出した刑事の後を追う。
「僕、別に頼んでませんからね」
「食事は皆で取るんですよ」
調理場の横を抜けた。醤油の香りがふんわりと漂って、唾が湧いた。
「恩を着せようったって無駄です」
「メシ食ったら、風呂でも行きますか。ここ、温泉なんですよ。源泉かけ流しってやつです」
あちこちに電灯がついた。遠くで、どっと笑い声が上がる。早足の刑事に、必死で追いすがる。
「知ってますか、贈与っていうのは攻撃の一種なんです。お返ししなくちゃって気にさせられてね。でもそんなの、幻想ですから。僕には通じませんよ」
刑事が食堂の扉を開けた。兵士たちがにぎやかに食事をしている。
「お好きにどうぞ。事実は変わりません」
刑事が椅子を引いた。なすすべもなくそこへ座る。
「今日から俺と相部屋です。革命軍へようこそ」