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第二章 十一月十八日~二十日

部屋が暗くなってきた。かじかんだ指で魚肉ソーセージのビニールをはがし、埃っぽい床に置く。行儀よく座っていたビーグル犬が、嬉しそうに尻尾を振った。

「よし」

その言葉で、痩せ犬はソーセージにかぶりついた。一口に飲みこんで、催促するように見上げている。

「デューイ。もうないよ」

犬が首をかしげた。垂れ耳が揺れる。冷え切った缶コーヒーをそっと開けた。ようやく探し当てた大事な食料だ。震えながら飲み干し、体をこする。荒れたリビングルームには、なんの暖房設備もない。当たり前だが寒かった。

「外は大丈夫みたいだ。今のところ」

フローリングに小さく爪を鳴らしながら歩いていったデューイが、汚れたマットレスに丸くなる。

前に住んでいた誰かがやったのだろう、大きな窓は前面が段ボールで塞がれている。隙間から外をのぞけば、すっかり夜になっていた。雲が切れ、月が出る。道路を挟んで、ここと同じような戸建てが何軒も並んでいる。もっと奥には、小ぢんまりとした鳥居が見えた。

「最初の見張りはやるよ。先に寝るといい」

答えるように鼻を鳴らすと、デューイはすぐに寝息を立て始めた。

ひっくりかえったダイニングセットから椅子を取って、窓際に陣取る。いくつかある焼け跡は、歯抜けのようにそこだけが一層暗い。月が隠れて、視界は完全に失われる。すすけたジャケットから煙草を出した。体が泥のように重い。煙草の先が赤くなり、また暗くなった。雲が切れて、暗い部屋に煙が流れて広がる。

 あの話を刑事が持ち込んだのは、七月の末ごろだったはずだ。夏季休暇が始まって、一週間かそこらだったのだから。寒さに震えながら、研究室の暑さを思い出す。


「で、先生。どうですかね、今のこの状況は。やっぱり異常ですか」

猪首に食い込むシャツをずらしながら、刑事が言う。ネクタイはしていない。

「窓閉めて、クーラー入れましょうよ」

「このご時勢、節電は義務らしいですよ。ダイエットできていいでしょう」

窓枠に腰かけて見下ろすキャンパスは、閑散としている。

「異常ですか。通り魔、月に二件。いつもなら、数ヶ月に一件のとこが」

刑事が気を引くように呟き、ちらりとこちらを見た。

「暑くてイライラしてるんじゃないですか」

いい加減に答えれば、刑事が顔をしかめた。人の良さそうな丸顔だが、半そでから突き出た二の腕は筋肉と脂肪で張り詰めている。殴られたら吹っ飛びそうだ。

「ストレス量って限界がありますから。人が耐えられるレベルを超えたとか」

「困ってるんですよ」

刑事が苦々しげに言った。

「通り魔が起きる、月に二件もね。犯人同士は全くの他人だ。場所もまちまち、被害者もばらばら。動機もお定まりの、誰でもよかっただの、社会に復讐してやっただの」

刑事が自分の肩をもみ、ため息をついた。

「なんとかしろって上がうるさくて。でもねぇ、地道に調べてもなにも出てこないんですよ。というか、糸口がないんです」

刑事が哀れっぽい声を出す。

「ねぇ、助けてくださいよ。あのー、いつもの。プロフィールだか、プロペラだかで」

「プ、ロ、ファ、イ、リ、ン、グ」

嫌味たらしく言って、煙草をくわえた。

「あなたも、吸いたきゃどうぞ」

「とっくに禁煙しました。やめたらどうですか。早死にしますよ」

「望むところです」

「ちょっと先生……」

「わかりましたって。三時までね。会議がある」

根負けして椅子を引けば、刑事がいそいそと話し始めた。

「署で話題になったのは先月からです。ほら、ニュースにもなったでしょう。新宿駅の通り魔。出所したばっかりのヤクザ者が日本刀振り回してね、三人やられた。あの事件からです。ご存知かどうか……あのね、ヤクザ者は通り魔やんないんです、普通は。

ヤクザたって食い詰めヤクザじゃなくてね、バッチリ暴対法の対象になってるような組の構成員。ちゃんとしたヤクザ、ってのもおかしな言い方ですが。絶対にやりません」

「へぇ、そうなんですか」

「出所したばっかりの奴等が通り魔するのはね、時々あるんです。もう身よりもなくて、仕事もなくて、年もいってたりしてね。要するに破れかぶれで、何にも失うものがないようなやつら。これは、通り魔やります。失うものがない人間ですから、すぐ自暴自棄になるんでね。

幹部クラスは絶対やんないですよ。今後の事がありますから。組に戻れば居場所があって、職がある。仲間もいるし、子供だっていたりしますからね。守るものがあるんです。だから通り魔なんかやらんですよ」

どう答えたものかわからず、はぁ、とだけ返した。刑事が急に声をひそめる。

「それがね、あの新宿の事件の犯人は……名前は出せませんが、ずいぶん大きな組の、跡目取りだったんですよ。そんな人間が、出所した次の日に、事務所から持ち出した日本刀で通り魔。ありえないです。そこから、ちょっとずつ狂っていったんですわ……先生」

じっと集中していると、刑事が目の前で手を振った。

「ちゃんと聞いてくださいよ。こっちは困ってんですから」

「聞いてます。続きどうぞ」

「まったく。それで首をひねってたら、すぐ次の週に、今度は三鷹の。また駅で、包丁振り回して十人。ご存知ですか」

もちろん知っている。このすぐ近くだ。

「あれはひどかった。改札機が駅員の血でベッタリ。捕まえてみたら、そいつも何日か前に府中を出たばっかりの男でした。なんですか。出所した人間が駅で暴れるのが流行ってるんですかね」

「雑誌で特集でもしてたかな」

「また。不謹慎ですよ」

刑事が眉をひそめる。確か、殺された十人には、遠足に向かう幼稚園児も含まれていた。思い出せばいい気はしない。

「薬物検査はしてみましたか。アルコールとか」

「そりゃします。真っ先に疑いましたよ。でも、何も」

はぁ、と返せばきつく睨まれた。

「それから三日もしないうちに、今度は池袋。次が千葉。で、昨日は丸の内。犯人は全員男で、刑務所を出たばっかり。共通点と言ったらそれくらいで」

「全員ですか」

刑事がうなずいた。

「みんな、違う刑務所ですか」

「ばらばらのとこです。ただ、気になる事がありまして……みんな、B級の刑務所を出た人間なんですよ。府中、横浜、水戸。B級ってご存知ですか」

「区分でしょ。再犯とヤクザが行く」

「おおむねそうです。そのB級を出所した男、これが共通点だったんです」

「過去形ですね」

「昨日の丸の内の事件は違いました。午前中まで立派なオフィスで働いてた、エリートサラリーマンでしたよ。こいつも、本当なら通り魔なんてするはずがない」

「他人には分からない事情でも抱えてたとか」

刑事が首を振る。

「子供が産まれたばっかりだったんですよ。ありえないでしょう」

それもストレスでは、と口に出しかけてやめる。これ以上混ぜ返しては、いよいよ怒られる。

「とにかく、現場は混乱してます。糸口ないですかね」

刑事の小さな目がまっすぐに向けられる。

 いつの間にか残らず灰になっていた煙草を消し、椅子を回転させてモニタを引き出す。

「それぞれの事件が起きた日にちと、場所と、犯人が出てきた刑務所を言ってください。最後の犯人は、自宅の住所をお願いします」

刑事は、くたびれた鞄を漁って数枚のメモを取り出した。

「あったあった。どうもパソコンが苦手で、紙なもので……始まりが先月の五日。新宿駅のヤクザ、府中刑務所。次が三鷹駅、七月十三日。出所したのは……これも府中ですね。次、池袋。十七日、横浜刑務所。その次が……」

刑事の言葉を聞きながらキーボードを叩く。データを入れているのは、以前警察に協力したときに組んだ、簡単な自作ソフトだ。黒を背景に伸びた三次元座標に、緑色の点が打たれていく。

「どうですか。プロファイルできますか」

覆いかぶさるように覗きこむ刑事が暑苦しい。

「少なすぎて無理です。隠してる分も出して。あと離れてください、暑い」

「隠すだなんて」

さっと身を引いた刑事が肩をすくめてみせる。

「僕にまで韜晦してくださらなくて結構。全国のデータがあるんじゃないですか」

敵わないなぁ、と頭を掻いて、刑事が鞄からクリアファイルを出した。書類束には、よれも折れもない。

「お察しのとおりです。都内ほどじゃありませんが、あちこちで変な事件が起きてます。目立ちませんけどね」

「通り魔じゃないんでしょう」

「そうです。でもやっぱり、B級を出た人間がね」

ようやく手の内を見せる気になった刑事が、淡々と読み上げを始めた。七月三日、大阪市、神戸刑務所。四日、北九州市、福岡刑務所……。

 やがて画面上には、数十の点からなる偏差グラフが完成した。中心から左上へゆるやかに伸びたそれは、点描で描かれた薔薇のように見える。花弁の一枚、葉の一片までも暗い犯罪で彩られた緑色の薔薇が、暗闇にゆるく枝を伸ばしている。

「出ましたか」

刑事が静かに言った。画面に現れたものに息を飲む。

「確かではないですが、おそらく、多分……」

「刑務所でなにかされている」

続きを引き取るように刑事が言った。

「あえて事件を起こすように仕向けられて、出てきたんでしょう」

「やっぱりそうですか」

刑事が呟いた。

「ほぼ間違いありません。ただ、今週に入ってからは違います」

右下の一角を指さしてみせた。一輪の薔薇が、そこだけ形を乱している。

「ここです。違う要素が混じってきている。出所した人間の犯行じゃないでしょう」

「そうです。それも分かりますか」

「妙な偏りが出始めてますね」

「何が起きてるんだと思いますか」

 少し考えてから口を開く。

「さあ。出所した人間が持ち出した悪意に、感染したとでもいうか」

口をついた自分の言葉にぞっとした。感染。それではまるで……。

見上げれば、刑事は口を真一文字に引き結んでいた。

「教えてください。この直近の群、彼らはどんな事件を起こしたんです。通り魔でなければ、何を」

刑事はゆっくりと視線をそらし、書類を鞄にしまった。

「先生、もう三時過ぎてますよ。会議なんでしょう」

慌てて時計を見れば、ずいぶんな遅刻だ。

「ああ、そうでした。忘れてた」

刑事が丁寧に頭を下げた。

「また来ますよ。なんせ上がうるさいんでね」

「上、は何も気づいてないでしょう、競馬の負けで頭がいっぱいで。そう猫を被らないでください」

刑事が苦笑いを返してよこす。

「交番上がりで刑事なんてやってるとね、猫の一匹も被らなきゃ。じゃ」

そそくさと出て行こうとする刑事に向かって、あいまいに頷く。

「先生。用心してくださいよ」

低く警告して、刑事が出ていった。

パソコンのハードディスクが小さく音を立てた。ディスプレイの暗闇に咲き誇る、禍々しい緑色の薔薇。まるで、俺の実験を裏向きにしたみたいじゃないか。


 凝視すれば目の奥が痺れるような暗黒に、チラチラと明かりが浮かんでいる。松明が一つ、まっすぐにこの家へ向かっている。椅子から床へ滑り落ちて、そのまま部屋の隅へ這う。痩せた背を撫でれば、デューイはすぐに目を覚ました。シッと黙らせ、ペンライトを回して足元を照らす。

リビングを抜けて玄関に出、のぞき穴に片目を当てた。氷水を浴びせられたように怖気が走った。いる。松明が二つ、向かってきていた。 デューイが細くうなるのを制し、急いで階段を登った。

 上がった二部屋のうち、左側はどうしようもなく破壊されていた。ドアからめちゃくちゃで、部屋中に瓦礫が詰まっている。右側のドアをそっと開けた。ベランダに面した大きな窓はタンスで塞がれていたが、もう一方の窓は割れて、カーテンが夜風にはためいている。出れるかもしれない。近寄って外をのぞき、すぐに諦めた。隣家の屋根はかなり離れており、ロープでもなければとても渡れそうにない。のんきに台所を漁る前に、二階を確認しておくべきだった。自分のうかつさに歯噛みする。

がん、がん、がん

一階からハンマーの音がした。吠えかけたデューイを落ち着かせ、必死で頭を働かす。飛び降りるか。せめてデューイだけでも投げおろすか。無理だ、猫じゃあるまいし。骨折するのがオチだろう。じゃあ戦うか、ちらりと考えてすぐに頭を振った。そんな柄じゃない。

がしゃん

ガラスが割れて、悪態が聞こえた。数人の気配。パニック寸前のデューイが、頭を押さえられたままもがく。

「よし」

膝をついてデューイに目線を合わせ、できるだけ落ち着いた声を作って言い聞かせた。

「これから賭けに出る。とにかく、僕に合わせるんだ」

もがくのを止めたデューイが、ぺろりと顔を舐めてきた。

 スマートフォンを取り出してオーディオを起動した。数日前、悪いとは思いつつ遺体から失敬したものだ。大股で部屋を出、音量を最大にして、隣室の瓦礫に突っ込む。次の瞬間、大音量でオペラが鳴り響いた。大きく一度息を吸って、叫ぶ。

「助けてくれ」

絶叫しながら階段を駆け下り、侵入者たちの前に飛び出す。

「は、早く。殺される」

「な、何だ」

「この音は」

三人の男がいた。それぞれ凶器を下げ、痩せて落ちくぼんだ目に松明がぎらついている。真っ赤なジャージを着た男が鋭い声を上げた。

「上、誰かいんのか」

演技しなくても、自然に声が震える。

「い、いる、誰かいる。食料を隠してやがんだ」

「食糧だと」

「そうだ。犬に何か食わせてやりたくて、探してた。上で騒いでやがる。怖い、助けてくれ」

赤ジャージが目をむいた。

「バカ野郎お前、武器持ってねぇのか」

「これだけだ」

折りたたみナイフを出してみせる。男たちがせせら笑った。

「は、なんだそのちっちゃな。これぐらい持ってこい」

赤ジャージが手製の槍を持ち上げてみせる。

「いくぞ。案内しろ」

「嫌だ、怖い。あいつら、上で騒いでやがる。殺されちまう」

後ずさって壁に張り付いた。足の間に入り込んだデューイが、悲しげに鼻を鳴らした。赤ジャージがすかさず槍を向けてくる。ひきつった喉に唾を飲みこみ、なんとか言葉を続ける。

「ずいぶん隠してるみたいだ……間違いねえ」

一番後ろにいた、相撲取りのように大きな男が、のんびりと言った。

「兄ちゃん、どうするの」

赤ジャージは剣呑な目つきのままだ。ごくりと、もう一度唾を飲みこむ。

「ジジイ。こいつ見張ってろ」

赤ジャージが低く言った。小柄な老人が黙って頷く。

 弟を連れて、赤ジャージが階段を上っていった。急いで老人を観察する。七十才前後だろうか。痩せて弱々しく、ときどき強く咳き込んでいる。タバコと汗の臭いがひどかった。うまくいくかどうか。迷いはあったが、腹を決めてささやいた。

「……なあ、煙草欲しくないか」

「あ。何だと」

「最後の一本、やろうか」

二階から、赤ジャージの絶え間ない罵声とオペラが聞こえる。まだ大丈夫だ。

「ほら」

老人は、差し出された煙草を無言で受け取った。それに火をつけてやりながら、もう一度ささやく。

「上のやつ、煙草も持ってるかもな。でも、あの二人が取っちまうだろう」

「何が言いたい」

老人の声は粘ついている。

「別に。たださ、上。右のベランダに、煙草があったんだ……カートンでさ……」

「どういうことだ」

できるだけ物欲しげな表情を作る。

「教えてやったんだからよ。ありつけたら、俺にも回してくれよ。煙草」

「この俺をだましたら、どうなるかわかってんだろうな」

老人が咳き込む。

「あんたは強そうだ。逆らうもんか」

煙草を消して大事に懐へしまうと、老人はそろそろと階段を上っていった。姿が見えなくなった瞬間、外へ飛び出す。月があるおかげで、ぼんやりと周囲が見回せた。車。車はないか。

デューイが知らせるように低く吠えた。あった。駆け寄れば、後部ドアが開いていた。しゃにむに体を突っ込んだ。オペラはまだ聞こえてくる。大丈夫だ。

「ひっ」

思わず声が出た。助手席に、がっくりと項垂れた遺体があった。が、やむにやまれない。後から潜り込んできたデューイが唸り、しきりにそれを蹴る。

 キーは刺さっていなかった。ナイフの先を突っ込んで回すが、反応はない。車の警報が鳴り始めた。ちくしょう、と悪態をつきながら遺体のポケットを漁る。ドアポケット。サンシェード。手当たり次第に探す。

オペラは止み、喚き声が近づいてきた。連中だろう。苛立ちまぎれにハンドルを叩くと、どこかから澄んだ鈴の音がした。ギアの根元へ向かってデューイが吠えた。鈴がついたキーが転がっている。正に天の配剤、と手を伸ばした瞬間に、窓から突っ込まれた太い腕に襟首を掴まれた。

「クソガキが。出て来い」

赤ジャージの男だった。立花は、あっという間に引きずり出された。

「どういうつもりだこら。二階なんて誰もいねえだろうが」

男が立花をボンネットに押し付けた。涎が垂れ、半開きの口に砂埃が入ってくる。肋骨がたわみ、自由に息ができない。

「なめやがって。殺すぞこら」

赤ジャージが、腕に力を入れた。肩がきしむ。立花は呻いた。デューイが狂ったように吼えたてる。

「うるせえ、クソ犬黙らせろ」

赤ジャージの仲間に蹴られたのか、デューイが悲鳴を上げた。

「食料はどこだ」

「い」

押さえつけられたまま、何とか声を出した。ボンネットに触れている舌に、苦く埃っぽい味がする。

「何だ」

「言う、から、離してくれ」

ややあって、赤ジャージはようやく上からどいた。

「なめた真似すんじゃねえぞ」

息を整えて深く頭を下げ、一息に言う。

「悪かった。許してくれ……極秘情報だったんだ」

「極秘だと」

「ああ。長くなる、座って話すよ」

瓦礫の山を指さす。

赤ジャージは疑り深くぬめつけていたが、叩き付けるようにして立花を座らせると、弟たちに火をおこすよう命じた。

 縛られて地べたに座る立花を老人が押さえ込み、正面に赤ジャージが座った。傍らには先を尖らせた金属棒が幾本も並べられている。相撲取りのような体格の弟は、焚き火に背を向けて座り、敵意をむき出しにして低くうなり続けているデューイをつつきまわしている。赤ジャージが低く言った。

「よく考えて口きけよ」

暗闇に、たき火がゆらゆらと揺れている。立花は、迷いながら話し始めた。

「何日か前、都内で聞いた話だ。そいつは、長野から来たと言っていた。死んじまったけど」

立花は深呼吸した。

「俺を見込んで教えてくれた。だから、ここだけの話にしてくれ」

赤ジャージが怒鳴った。

「御託はいいからさっさと言え」

老人の体がびくっと震える。

「長野のどこかに、ちゃんとした町が残っている。自衛隊が守ってるらしい」

「何だと」

「食料も、水もある。電気も大丈夫だそうだ」

にわかには信じがたい話に、全員が息を飲んだ。

「長野のどこだ」

赤ジャージが言った。

「知らない。でも、長野じゃ有名らしい。ただ、町に入れる人間の数が限られてて、簡単には入れてくれないそうだ」

そうだろうな、と老人が呟いた。

「俺のポケットに地図がある。見てくれ」

立花は、縛られたまま苦労して体を浮かせた。老人が折り畳まれた道路地図を取り出し、赤ジャージに渡す。

「丸がついてるだろ。あいつが都内に入ったルートからして、その辺だと思う」

赤ジャージが呟いた。

「そんな……そんなうまい話が、信じられるか」

立花は首を振った。

「いや、本当だと思う。そいつの携帯で、荒らされてない町の写真を見た。死に際に見せてもらったんだ」

「写真か」

「ああ。テントみたいなのが沢山並んでて、自衛隊がいた。ヘリも飛んでたし、医者もいた」

本当かよそれ、老人が縋るように言った。

「じゃあ、なんで言わなかったんだ。俺たちに言えば良かっただろうが。逃げやがって」

赤ジャージが唸った。

「人数制限があるからさ。とにかく、早く行きたかったんだ」

立花は深々と頭を下げた。

「悪かった。もう逃げない」

どこかから野犬の遠吠えが聞こえた。廃材がはぜて、火花が飛んだ。

「兄ちゃん、行こうよ」

巨漢の弟が、焦れたように言った。

「この辺はよう、もう食べ物もないし」

「黙ってろ。こんな話、信じられるか」

「でもよう」

「その町には、病院もある。医者もいるんだ」

立花は探るように言った。老人が口を開く。

「本当なのか」

「ああ」

老人が赤ジャージに言った。

「行こう、洋一さん。すぐ出よう」

「だめだ」

「なぁ、糖尿の薬がもうないんだ。死んじまう」

「知るか」

「洋一さん、頼むよ」

「俺、行きてぇよ、兄ちゃん」

「うるせえ」

赤ジャージは、怒鳴りながら焚火を蹴った。炎が大きく崩れ、燃えかすがゆっくりと舞った。

「お前の話、証拠はあんのか」

赤ジャージは、立ち上がって立花を覗きこんだ。

「ない。俺を信じてもらうしかない。だけど、ここにいてもジリ貧だろ」

立花は、きっぱりと言った。

「とにかく行くべきだ。ただし、条件がある」

「なんだ」

「町に入るには、合い言葉が必要だ。それは俺しか知らない。俺を無事に連れて行ってくれるなら、あんたたちも町に入れるように、交渉する」

赤ジャージのこめかみに血管が浮いた。

「てめぇ、自分の立場が……」

「俺と行かなきゃ、町には入れない」

「痛い目みてぇのか」

立花は笑ってみせた。

「脅しても無駄だ。何をされても、合い言葉は言わない」

「俺は乗る。まだ死にたくねぇ」

老人が、立花を押さえつけていた腕を離した。背中を向けて弟が、突然振り向いて言った。

「兄ちゃん。あったかい飯が食いてぇよ。女も欲しい」

それでも口を開こうとしない赤ジャージに、立花はもう一度深く頭を下げた。鼻先が地面に触れて、土の臭いが肺いっぱいに拡がった。

「頼みます。この通り」

血走った眼で爪を噛んでいた赤ジャージが、ついに口を開いた。

「……よし。だが変な真似はするんじゃねぇ。次は殺す」

「分かってる。ありがとう、あんたは心が広いな」

立花は心から礼を言った。

「洋次、お前はジジイと一緒に見張ってろ。俺は車を取ってくる」

そう命じて、赤ジャージは闇に消えた。松明がゆらめきならが遠ざかっていく。

 押さえつける腕から解放されたデューイが走り寄ってきた。その背中を何度も撫でる。老人が唾を吐き、残り火がじゅっと音を立てた。


 ワゴン車は快晴の八王子バイパスを北上している。膝の上の地図を確認しながら、運転席に座っている中年男性に声をかけた。

「ここ右です」

男性が頷き、車が大きく揺れる。

「これ、あげる。お母さんから」

クッキーを差し出されて目を上げれば、小学生くらいの男の子だった。こら、邪魔しちゃだめだぞ、と運転席の男性が振り返った。

「ありがとう。悪いね」

隣で丸くなっていたデューイが目を覚まし、クッキーを見て千切れんばかりに尾を振る。

「おじさんの犬なの」

「勝手についてきただけだ」

男の子がデューイに手を伸ばした時、隣に座っていた赤ジャージがうるせえ、静かにしろと怒鳴った。男の子は飛び上がって母親のところへ逃げていく。大口を開けて寝ていた赤ジャージの弟が寝ぼけてわめき、助手席の老人が辛気臭い咳を繰り返した。

クッキーをデューイにくれてやり、再び地図を追う。クッキーを飲みこんだデューイは、あくびをしてもう一度丸くなった。

 やがてバスはインターチェンジへと差し掛かった。数台の乗用車がひっくり返っている。開け放した窓から、焦げたゴムの臭いが流れ込んできた。事故はそう前の事でもないのだろう。その間を縫うようにしてゆっくりと進む。

先へ進むほど道は荒れていく。ゴミと、ぼろ布のようになった遺体があちこちに転がっていた。八王子ジャンクションからしばらく行ったところで、とうとう車が停まった。大型トラックとタンクローリーが横倒しになって道を塞いでいる。

 男たちはワゴンを降りた。生きて動いている人間の気配はなく、吹き抜ける風の音だけが聞こえる。トラックのタイヤに足をかけて伸びあがり、先を覗いてみる。数百メートル先に口を開けるトンネルの中にまで、無人の車がびっしりと並んでいた。口に手を当てて叫ぶ。

「おーい。誰かいませんか」

返事はない。赤ジャージとその弟、そして運転していた中年男性に取り囲まれ、マイクロバスの横っ腹に押し付けられた。赤ジャージが口元をゆがめて低く言った。

「進めねぇぞ。どうすんだ、殺すぞこら」

「そうだ、困る。もう食料もない、どうにかしてくれ」

赤ジャージの肩越しに、運転手が不安そうに言った。大きく深呼吸し、できるだけ何でもないような声を作る。

「じゃあ、僕が見てきますよ。どこからか抜けられるかもしれない」

赤ジャージが胸倉を掴み、バスに立花を叩きつけた。衝撃で視界が揺れる。

「てめえ、馬鹿にすんな。逃げる気かこら」

「少し行ってみて、ダメなら帰ってきます。半日くらい待ってください」

「なんだと……」

赤ジャージが血走った目を細めた。運転手が焦れたように言う。

「なぁ、少し戻って下道から行ったらどうだ。その方が確実じゃないか」

立花は首を振った。

「長野へはこのルートが一番早いです。下道はリスクが多い。途中でどうなるか、それこそ分からない」

「でも、早く行かないと息子が」

「お前は黙ってろ」

赤ジャージが怒鳴り、運転手の顔を殴った。てめぇのガキのことなんか知るか、と吐き捨ててこちらを向く。

「お前は絶対にここから動くな」

「信じてくれ。犬もいるし、道を見つけてくる」

「犬だと」

おとなしく聞いていた弟が、唐突に赤ジャージの袖を引いた。

「兄ちゃん。俺、あの犬欲しい」

「洋二、黙ってろ」

弟を怒鳴りつけて、赤ジャージは立花の首元を掴み上げた。つま先が浮いて息が詰まる。赤ジャージが絞り出すように言った。

「犬を置いていけ」

「む、無理、だ」

赤ジャージが突然手を離した。

「戻らなきゃ犬は殺す」

咳き込みながら、精いっぱいの力を込めて睨み返す。

「……ケガなんかさせてみろ。長野で口利きする約束は無しだ」

赤ジャージが忌々しげに舌打ちをした。

 一旦車内に戻り、泥だらけのジャケットに袖を通す。不安気に見上げるデューイを撫でた。

「待てだ、デューイ。戻ってくるからな」

ジャケットの裾を引っ張るデューイを引き離してバスを降りた。赤ジャージは、肩を怒りで震わせていた。

「ジジイと一緒に行け」

弟がうきうきと兄に尋ねた。

「犬の名前、何がいいかな」

赤ジャージが運転手の腹をまた蹴った。

 びっしり並んだ車の屋根に、冬の太陽が弱々しく反射している。立花と老人は、その屋根伝いに苦労して前へ進んでいた。

「おい、もっとゆっくりだ」

老人が荒い息の下から言う。立ち止まって老人を待った。

「懐中電灯かなにか、持ってますか」

とうとうボンネットにの上にへたり込んでしまった老人に尋ねる。

「なんで、そんな。持ってるけどよ」

老人の青白い額には、冷や汗が浮いている。

「休んでいればいい」

「あ」

「今はまだだめです。あっちから見張ってますから」

あごで後ろを指す。

「トンネルに入ったら隠れていればいい。帰りに拾っていきます」

老人は一瞬黙り、ペンライトを出してよこした。

「あんちゃん、結構いい奴だな。見直したよ」

「どうも。さあ、もう少し頑張りましょう」

老人に肩を貸して立たせ、のろのろと先へ進む。

 ほぼ一時間を費やして、トンネルまでたどりついた。入り口には山肌から伸びたツタがだらりと被さり、車はかろうじて二車線を保ったまま中へ続いている。老人をボンネットから下ろし、車の陰へ隠れるようにして座らせ、ライトを点けて中に入った。

路肩へ寄り、左手を壁につけて進む。入り口から差し込む光は徐々に薄れ、やがて自分のつま先を見るのも難しいような暗闇になる。換気扇は止まっているはずだが、どこかから風が抜けているようで、息苦しさはなかった。ときどきライトを右側へ向け、様子を確認する。

 数十メートル進んで、ようやくトランクが開いた車を見つけた。すり足でにじり寄り、散らかったトランクからバールと非常灯を探り出した。左手に懐中電灯、右手にバールを握りしめてボンネットに上り、びっしり続く車の上を歩いていく。

どれだけ歩いたかわからなくなったころ、異様な臭いが鼻をついた。臭いは進むにつれひどくなり、やがて黒々としたかたまりが右側に見えてきた。

進め、と自分に言い聞かせ、そこへライトを向けないようにして足を動かす。だが、早く通り過ぎてしまおうとするほど震えがひどくなり、うまく歩くことができない。ぎっしり詰まった車、そしてその車の下と言わず上と言わず、折り重なり絡まり合う、臭気を放つもの。

 ある車の屋根から次の車の屋根へ飛び移ろうとした時、立花はついに何かを踏み、足を滑らせてその狭間に沈んだ。嫌悪と恐怖でパニックに陥りかけ、立花は無茶苦茶に泳ぐようにして屋根へよじ上った。

 手のひらにぬらぬらしたものと、髪の毛の感触があった。立花は耐えきれず叫びかけたが、肩で大きく呼吸し、その手をぐっと握ってまた開き、ゆっくりとズボンになすり付けて拭いた。懐中電灯はどこかに落としてしまった。老人から借りたペンライトを内ポケットから取り出して、慎重に前へ進む。 

 そこを過ぎると、トンネル内はぐっと進みやすくなった。ぎゅうぎゅうに詰まっていた車はやがて二車線をなし、一車線になった。ボンネットを下りて、路肩を歩く。そういえばと思い出し、歩数を数え始める。

一キロメートルほど歩いて、とうとう小さな光が見えてきた。転がるように走る。トンネルの出口は、何枚もの薄い鉄板で雑に塞がれていた。鉄板の隙間から光が漏れて、地面に筋ができている。板のつなぎ目を指でなぞり、バールをこじ入れて剥がす。何とか一枚外すと、あとは次々に外れた。

 大きく開いた穴へ無我夢中で体を突っ込み、もがきながら転げ出た。数時間ぶりの光に目がくらみ、尻餅をつく。思いもよらない光景があった。

 数十台の車が、まるで重機で寄せたように端へ寄せられて広場ができている。大分向こう側には、銃を構えた迷彩服姿の兵士たちが十人以上行き来している。後ろにはバリケードが築かれており、その中央に戦車が止まっている。キャタピラだけで胸くらいまでの高さがある。自衛隊だ。全身から力が抜け、立花はへなへなと地面に座り込んだ。助かったのだ。

「あ、あの……」

腹に力が入らない。仕方なく、右手を上げてひらひらと振った。すぐに気がついた一人の兵士が、拡声器で叫ぶ。

『動くな』

銃を構えた兵士たちが駆け寄ってきて、あっという間に囲まれた。乱暴に立たせられ、握りしめていたバールを取り上げられ、戦車の真下へ連れて行かれる。

「どこから来た」

「名前を言え」

「年齢は。仲間はいるか」

服をまさぐられ、ポケットの中身をぶちまけられる。真剣な表情の兵士たちからは、訓練された組織の存在を感じる。だが、この乱暴な口調と態度からして自衛隊でもないように思えた。事態が飲み込めない。

なされるがまま呆然としていると、聞き覚えのあるだみ声が降ってきた。

「まさか。立花先生」

太った体に似合わぬ身軽さで戦車から飛び降りた兵士が、ヘルメットを脱ぎ捨てた。汗まみれで笑う顔に向かって思わず叫ぶ。

「刑事さん、生きてたんですね」

研究室に出入りしていた、あの刑事だった。今は迷彩服を着こみ、アーミーブーツを履いている。丸っこい顔は、濃いひげで覆われていた。

「まるでダルマ大師だ」

「言いますね、先生だって髭だらけですよ。それに泥だらけ……これ」

刑事が血相を変えて立花の手を掴んだ。

「血が出てる。どこか怪我しましたか」

「いや、これは」

手の平には、髪の毛混じりのどす黒い血が付いていた。今さらのように怖気が走る。

「僕の血じゃありません。それより、一体何してるんですか」

立花は、バリケードと兵士たちを漠然と指した。

「封鎖ですよ」

「封鎖。刑事さんは……警察は、自衛隊に編入されたんですか」

太い指で額の汗を拭うと、刑事は奇妙に平坦な声で答えた。

「いえ。俺たちは、革命軍ですよ」


 後部座席からぼんやりと外を眺める。隣には迷彩服の襟を緩めた刑事がいた。車は、さえぎるもののない道を快調に飛ばしていく。ときおり路肩に乗り上げた車を見かけたが、トンネル内のように遺体が放置されている様子もない。

「喉が渇いたでしょう。どうぞ」

刑事が、足元からよく冷えたペットボトルを取り出した。飲んでいいものか迷ったが、渇きに勝てず、結局口をつける。

「甘くて美味いです。こんなの久しぶりですよ」

素直に感想を言えば、刑事が笑った。安心してつい軽口が出る。

「革命とやらのおかげですかね」

自分も笑い声を上げようとして、むせてしまう。

「ほら……こんな時まで皮肉言うからですよ」

立花の背中をさすって、刑事が顔をしかめる。

「痩せましたね。この三ヶ月が忍ばれますよ」

どう答えていいかわからずにいると、もう一本ペットボトルを手渡された。

 まっすぐに差し込む西日がまぶしい。その光の中に埃が舞っている。夕方だ。夕方。夕方……立花は、冷水を浴びせられたように飛び上がって叫んだ。

「何時ですか」

刑事の胸元に掴みかかる。面食らった刑事が運転手に声をかけた。

「え、えぇと……おい、今、何時だ」

「そろそろ十七時であります、隊長」

「革命だの、隊長だの、どういうことなんですか」

逆上したまま噛みつくように言う。刑事が頭を掻いた。

「おいおい説明しますよ。五時ですが、どうしたんですか」

五時、もう五時。目の前が真っ暗になった。

「すみません、すぐ戻ってください。一旦戻ってください」

声をうわずらせてもがく。

「先生、先生。どうしたんですか、困りますよ」

後部座席からサイドブレーキに手を伸ばすが、刑事に抑え込まれてしまう。

「離してください、戻らないと」

「先生ちょっと、危ないですよ。落ち着いて」

ドアロックかけとけ、刑事が叫んだ。デューイを残したままだ。なぶり殺される……とにかく車を停めさせようと、滅茶苦茶に暴れて刑事に噛みついた。

「いてて、ちょっと先生……ったく、もう」

悲鳴を上げた刑事に押さえ込まれる。ひねり上げられた両手首に、冷たい金属が触れた。カチャリという音で理解する。手錠をかけられたのだ。思わずうめいた。

「これでよしと。もうすぐ着きますから」

刑事がほっと息をついた。逃げられない。間に合わない。自分でも哀れになるようなうめき声が漏れた。弱り切ったように刑事が言う。

「検問にひっかかった人間は、必ず連れて帰らなきゃならんもんで」

絶望でぐっと喉がつまった。

「そう、ですか」

「ええ、軍律ってやつです。決まりなんでね」

「ぐん、りつ……」

「諦めてくださいよ」

穏やかに言うと、刑事は前を向いてしまった。

晩秋の太陽はあっという間に沈んだ。ヘッドライトだけを頼りに暗闇を進んでいく。一体どこへ連れて行かれるのか、手がかりを求めて窓から目をこらしていると、定期的に光の筋が現れることに気付いた。

映画のように、窓枠へカットインしては消えていく光に必死で目を凝らす。すっ、すっと飛んでいく光。高い足がついた照明が一台。その隣に、銃を抱えた兵士が一人。高速を見張っているのだろう。

 大月インターチェンジで中央道を下りた車は、山道を十五分ほど走ったところでさびれた旅館の門をくぐった。駐車場には、数メートルの足がついた強力なライトがいくつも並んでいた。そのうちの一台は、正面玄関の真上に吊るされた大きな金属製の円盤を強烈に照らしている。蛇がのたくったような紋章がギラギラと輝いていた。

「どうぞ」

促されて車を下りた。吐く息は白く、凍みるような寒さだ。刑事と同じ迷彩服を着た兵士が数十人、忙しく動き回っている。そう広くない駐車場には、装甲をまとった軍用車両が三台並んでいた。その威圧的な車体の陰に、旅館の送迎バスと、黒塗りの高級車が縮こまっている。

「ご苦労さまです」

こちらに気付いて敬礼を取った若い兵士に、刑事が頷く。

「ご苦労さま。部屋を用意してくれるか。それから食事と水も二人分。小仏の検問で友達を拾えた」

了解、と短く答えた兵士が走っていった。

「僕、あなたと友達でしたか」

精一杯の皮肉を言えば、刑事が笑った。

「失礼でしたかね。とにかく、ちょっと休みましょう」

通されたのは、八畳ほどの古い和室だった。すすけてはいるが頑丈そうな座卓には、軍用レーションと湯のみ茶碗が二人分置かれている。

 手錠をようやく外してもらい、手首を撫でさする。丸く痕がついていた。正面に胡坐をかいた刑事が、すまなそうに言った。

「手、痛かったですか。暴れるからきつくかかっちゃったんですよ」

立花は、曖昧に返事をして部屋を見回した。襖の外、それからガラス戸一枚を隔てた庭にも誰かの気配がある。逃げるのは難しい。

刑事が、腕時計を外して自分の目の前に置いた。そういえば、部屋には時計がない。

「食事、どうぞ。腹減ってますよね」

色々と納得できないものがあったが、今夜はどうしようもない。諦めて箸を割った。目を細めてその様子を見ていた刑事が、灰皿を引き寄せて火をつけた。

「さて。お互い色々あったと思いますが……先に話されますか」

「結構です。僕の用事はどうせもう間に合いませんから、あなたからどうぞ」

視線を上げずに答える。刑事は湯のみに口をつけて喉を潤し、話を始めた。


八月二十五日。出勤してすぐに、おかしいなと思いました。いつもなら朝礼の時間なのに、みんな休憩スペースでテレビを観てるんです。

前の晩飲み過ぎて、慌てて出勤してきたもんでね、俺は朝のニュースをチェックしてなかったんです。で、何事かとその輪に加わって……驚きましたよ。国会議事堂が煙を上げてるんですから。半壊でしたね、ほとんど。爆弾を落とされたみたいにへしゃげて、あの白いドームの左半分がなかった。

『みなさん、見えますでしょうか。これは現実の映像です、繰り返します、現実です』

アナウンサー声が叫んでましたが、誰も映ってません。議事堂が炎上してるだけです。

『繰り返します、東京は襲われました、東京はもうだめです。すぐに皇居外苑に集まってください、ヘリを、政府が救援ヘリをよこすそうです。自衛隊と米軍が来ます』

しばらく静かになったと思ったら、また同じ内容でした。

『みなさん、見えますでしょうか。これは現実の映像です、繰り返します……』

『東京は襲われました。すぐに皇居外苑に……ヘリが……自衛隊と米軍が……』

これだけです。スマホをいじってた同僚に、ネットに情報がないか尋ねてみたんですが、主なニュースサイトはずっとダウンしてたみたいです。

「これ録画だよな」

「見てみろ。煙が動いてるぞ、生中継だ」

「あれ、ヘリじゃないか?」

一人が画面を指差しました。確かに、災害救助でしか動かないような大型ヘリが数台飛び回っていました。

 二日酔いのせいか俺はどうも現実感がなくて……晴れてるな、今日も暑いのかなとか、911の時のアメリカ人もこんな気持ちだったのかなとか、呑気なもんでした。そこに副署長が血相変えて怒鳴り込んできて、すぐに都内に向かえと。ようやく我に返って、警らのパトカーと、刑事課の車に分乗したんです。都内は大混乱、とにかく応援に来てくれというだけで、こっちも行って何をしたものやら……あんなのは震災以来でしたね。

 それでも、次々入る無線のおかげでだいぶ状況がわかってきました。元々、通り魔の頻出で治安が悪化してはいたんですが……。実はその他にも、刑務所からの集団脱走事件なんてのも数件、起きてましたから。そんな連中が事件を起こしてましたし。混乱を避けるためとかで、発表はされてませんでしたが。

 無線によると、民放はどこも映らず、NHKはあの国会議事堂の映像が映るだけだそうです。ラジオをつけても、ノイズだけ。無線からは叫び声が聞こえてくるようになりました。情報が途絶えて、大混乱が始まったようです。

通り魔なんてもんじゃない、ありとあらゆる場所で暴行と傷害。いっぱいいっぱいだった警察はそれに対応しきれず……もう、内線みたいな状態です。日本人ってのは、礼儀正しいはずじゃなかったんですか。

『全車都内へ急行せよ。急行せよ。治安維持にあたれ。しょっぴけ。押さえつけろ。まずい、これはまずいぞ……』

無線の声は、ずいぶん焦った様子でした。

「おい、大丈夫か」

相棒に言われて、思わず顔を撫でましたよ。自分じゃ剃り残しくらいしか分かりませんでしたが……多分、すごい顔だったんでしょうね。

 そんな風に訳もわからず飛ばしていたら、ある交差点で横道からの合流が乱れて急停車しました。そこら中でクラクションが鳴って、みんな車から出てきます。

「あれ見てみろ」

相棒が信号を指さしました。全部の信号が青で止まってます。それにその辺の看板も、店も、自動販売機も……全部真っ暗でした。一斉停電です。

「地震でもないのに、どうしたんだ」

 相棒が真青になりました。その間にもどんどん車が入って、あっという間に蜂の巣をつついたような騒ぎになりました。当然です、交通整理する人間もいないんですから。

「あそこにパトカーが停まってるぞ」

「おい、あんたたち警察か。どういうことだ、これは」

「ちょっと、早くここ通して」

「どうにかしろ」

「皇居に行けってのはなんだ」

「説明しろ」

パトカーで来たのがまずかったんですね。取り囲まれて、口々に責められました。都内に向うどころじゃありません。

「おい、どうする……」

 群衆を必死になだめながら、俺たちは無い頭を寄せ集めて相談しました。といっても初めての事態で、どうしたらいいのか見当もつきません。その間にも、みんなすごい剣幕で詰め寄ってきます。

 弱り切っていると、それまで黙って爪を噛んでいた副署長が言いました。

「この辺りでこれじゃ、都内はもっとまずい。おい、田中と石橋と水野。お前らは俺と一緒にここで交通整理と誘導だ。この向こうは市民ホールだったな。とりあえず、そこに人を集めて落ち着かせよう。中山とお前は」

副署長が俺と相棒に向き直りました。

「交差点を徒歩で抜けて、その辺の車を適当に拾って都内に向え。行けるところまでは車で行けよ。外苑で何が始まるのか見てこい。そしてもし可能なら、一人でも多く助けるんだ」

みんな、蒼白のまま頷いて動き始めました。俺は副署長に頭を下げました。

「了解しました。副署長、お気をつけて」

「これ持ってけ。それからこれも」

副署長が拳銃一丁と弾倉を数個、握らせてくれました。

「ありったけ掴んできた。頼んだぞ」

もう一度頭を下げて、相棒と交差点を抜けました。あの人はたいした人だったんですね。競馬と女しか興味がないと思ってましたよ、俺は。

 小回りの利きそうな車を見繕ったんですが、そのうち人と車で溢れて進めなくなりました。それでも、相棒が裏道に詳しかったおかげでかなり進んだんです。渋谷で車を下りてあとは徒歩です。

 山手線の中に入って、東京駅を目指しました。同じことを考えた人たちで、もうぎっしりです。すぐ前には若い母親が歩いてました。だっこ紐ってやつですか、あれで子供を前にくくりつけて……見るからに辛そうでした。でもみんな疲れ切って余裕がなくて、声もかけません。真夏の真っ昼間でしょ、暑くて暑くて。喉が渇いて。正直な話ね、俺も無視してたんです。その母親は、とうとう脱落して線路脇にへたり込んでました。その方が良かったのかもしれません、後から思えばね。

相棒は、家族をしきりに心配してました。まだ小さい子がいてね。俺は、自分が離婚してて良かったって初めて思いましたよ。別れた女房たちは、北海道ですから。

 そうやってノロノロ歩いて。口を開く気にもなれなくなって、日が暮れかけたころ、やっと東京駅が見えてきました。綺麗な赤煉瓦の、しゃれたショッピングセンターやレストランが詰まった東京駅。

「おい、線路から外れよう。人が多すぎる。駅を抜けるのは無理だ」

それまで黙り込んでいた相棒が言いました。確かに、ホームは恐ろしいくらい混んでいるようでした。とても上がれそうにありません。俺たちは、少し戻って日比谷公園を目指しました。

 だんだんと暗くなってきました。そこら中に人、人、人。すごい混雑でしたね。相棒はしきりにスマホをいじってましたが、ネットも、SNSも、アクセスが集中しすぎてつながらないようでした。

公園の中は、満員電車みたいでしたよ。それにみんな不安なもんだから、イライラして怒鳴ったり、子供は泣くわ、犬を連れてる人もいましてね。犬も興奮して吠えるんです。日が落ちても暑いし、おかしくなりそうでしたよ。

 まぁそれでも、どこかから来たんでしょうね。あっちこっちに警官が立ってました。少しでも皆を落ち着かせようと、なだめて、叫んで。制服だったり私服だったり、格好は色々です。いや、警官じゃないのも混じってたのかな。警備員とか、自衛隊の予備役とか。ひどい状況を見かねて、有志がやってたんでしょう。

 一人、俺たちに気付いて通してくれたのは、引退した刑事でしたね。

「あんたら、何がおっぱじまるか知ってるんか」

その刑事が、俺の腕を掴んで耳打ちしてきました。

「知りません。上司から、調べてくるよう命じられました」

「そうか。やっぱりここへ人を集めたのは、警察でも都でもないんだな」

老刑事が顔をしかめました。

「しっかり見てこいよ。二時間くらい前に、おかしな連中が通った」

俺は相棒と顔を見合わせました。

 それは、テニスコートの横を抜けて遊具の辺りまで来た時に始まりました。真っ暗な空に、強烈なライトが一条二条と飛び交い、公園中の雑音を制するほどの大音量で、こんなアナウンスが始まったんです。

『みなさん。みなさん。ここまで必死に集まって下さったみなさん。みなさんだけに真実をお伝えします。東京はすでに陥落しました。革命軍の手に落ちたのです。春から続いていた殺人、強盗、強姦は、革命軍の仕業です。テロリスト集団です。

 テロリストは、ついに国会議事堂まで破壊しました。政治家も全員死亡しました。残ったのは、数人の良心ある政治家だけです。東京だけではありません。名古屋も、大阪も、革命軍の手に落ちました。今日からは水も食料もありません。発電所が破壊されて、電気も停まりました。そして」

 呆気にとられていると、気分が悪くなるほどの、ものすごい音がしました。戦闘機。暗い夜空を半分に割っているライトの中を、戦闘機が横切りました。機体が見えるぐらいの高度ですよ、嘘みたいでしょう……音圧と振動で体がよろけ、耳を塞いで倒れるようにうずくまりました。周りのみんなも同じです。そして、東京駅の辺りでなにかが爆発しました。ぐらぐらと地面が揺れます。

 爆撃だ。爆撃された。繰り返し、ただそう考えました。うだるような暑さが一瞬で消えて、雪山に裸で放り込まれたみたいに寒くなりました。東京駅が、爆撃された。

 現場を見ているわけでもないのに、東京駅が粉みじんに吹き飛び、中にいた人たちが燃えながらのたうち回る絵が浮かび、ものすごい恐怖を感じました。隣では、相棒が顔面蒼白で自分の肩を抱えています。

 また、アナウンスがありました。

「聞こえましたか。革命軍のテロです。やつらは戦闘機まで持っているのです。非常に危険なやつらです」

「そうだ、危ないぞ」

「自衛隊を出せ」

「殺される。みんな殺されるぞ」

数人が叫びました。ここからは見えませんが、どうやら同じような叫びがあちこちで上がったようです。

「……そうよ、どうするの」

「恐い、嫌だ」

「死にたくない」

「誰か助けて」

「警察。自衛隊。都は。政府はどうした」

「早く、ここから連れ出して」

 怯えたささやきが集まって強く大きくなり、とうとうあちこちで人々が怒鳴り、絶叫し始めました。俺は、ようやくそこで我に返りました。

「おい、まずいぞ」

相棒は小刻みに震えていました。呼吸が早く、開きっぱなしの口からはよだれが垂れています。ショックで過呼吸を起こしたようです。大丈夫か、と揺さぶりましたが、あ、う、と意味のない単語を呟くだけでした。

 今度は、違う声でアナウンスが始まりました。妙に切り口上で、いけ好かない感じでした。

『みなさん、殺人犯が大量に脱走したという緊急情報が入りました。われわれ新政府は、皇族方を連れて避難します。自衛隊と警察には火急の任務があるため、救援活動はできません。我々はこのまま関東を離れます』

「何だって。じゃあ、どうするんだ」

「俺たちに死ねってのか」

「人でなし」

「死にたくない」

みんなが口々に叫びました。俺も同じ気持ちでした。全然納得できません。

 そうこうしているうちに、数台の大型ヘリが皇居へ降りて行きました。それを見ようとしてみんなが一斉に動き、満員電車で急ブレーキがかかった時のようになりました。押されて倒れそうになる相棒をひっつかみ、ぎりぎり片腕で支えました。倒れたら、間違いなく圧死です。

 大型ヘリは五分もしないうちに離陸し、夜空に交錯するライトの中で見せつけるように静止しました。そしてまた、アナウンスです。一言も聞き漏らすまいと、みんな固唾を飲んで静まり返っていました。

『調査により、議事堂の爆破も、通り魔も、革命軍を名乗るテロリスト集団の犯行であることが明らかになりました。みなさんの命を守るため、あちこちの駅に武器を隠しておきましたので、どうか役立ててください』

 一瞬、水を打ったように静まり返りました。あまりにも意外な言葉に、みんな脳が追い付かなかったんでしょう。追い打ちをかけるように、アナウンスが続きます。

『新政府が戻るまで生き延びてください。何をしても大丈夫、罪は問いません……では、幸運を祈ります』

ヘリが西の方角へ旋回した瞬間、全部のライトが消えてしまいました。今はもう、暗い中に獣じみたうなり声と絶叫が響くだけです。

それから……最初にアナウンスしていた声が戻ってきました。

『皆さん、革命軍は残忍です。その上、全国の刑務所から脱走した凶悪犯が襲いかかって来ます。通り魔もあいつらの仕業でした。それに対抗するには、丸腰ではだめです。政府はみなさんを連れては行けませんが、もちろん守りたい。自衛隊の装備から選りすぐった武器を、地下鉄の各ホームに置いておきました。お役立てください』

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、群衆は猛烈な勢いで動き始めました。まるで意思を持った肉団子です。俺は、そんな馬鹿げた話に乗るつもりはありませんでした。でも、一人だけ踏ん張れるわけがありません。流れに乗って進むだけで精一杯です。そして、最後のアナウンスがありました。

『新政府から、一つ目の発令です。今夜以降、自分の身を守るため、生き延びるために行われた犯罪に関しては、一切罪を問わない事とします。これは、新政府が東京に戻るまで有効です。では、我々は行かなければなりません』

この、最後の一言。一切罪を問わない、が効いたんでしょう。かろうじて保たれていた秩序……といっても、他人をむやみに踏まないとか、その程度ですが……は、ゴム風船のように弾け飛びました。突き飛ばす、殴る、蹴る。まるで野獣です。

 突然、相棒のぎゃっという悲鳴が聞こえました。掴んでいた腕が汗で滑って離れ、倒れ込んでしまったのです。止めろ、止まれ。必死で叫びましたが、群衆は動き続けます。その間にも、相棒が倒れたあたりはどんどん離れていきます。

「止めろ。俺は警察だ」

声を張り上げても、誰もこちらを見もしません。このままじゃ、あいつは死ぬ……俺は、懐に手を入れていました。

 一発、二発。腕を上げ、空に向けて発砲しました。悲鳴が上がり、とたんに周りから人が引いて行きます。ぽっかりと空いたところを走って戻ると、相棒はボロボロになって倒れていました。首と右腕があさっての方向にねじ曲がっていて、服は血まみれです。もう死んでいました。

がっくり座り込んで……どのくらい経ったんでしょう。一時間か、十分か、それとも一分も経っていなかったのかも知れません。ふと気配を感じて顔を上げると、鬼のような形相の男たちがじりじりと近寄ってきます。何十人もいました。拳銃が欲しかったんでしょう。

 説得しようなんて、思いもしませんでした。本能的に死の恐怖を感じ、立ち上がって周囲にぐるりと銃口を突きつけました。包囲の網がたじろぐように広がります。

 相棒の遺体から急いで拳銃を探り出し、左手に構えました。二丁拳銃です。アクション映画みたいでマヌケでしたが、そんなことを言ってられません。

「下がれ」

俺は、出来るだけドスの利いた声を出そうと努力しました。

「下がらないと撃つ。本気だぞ」

言いながら、じりじり人の輪を抜けました。飛びかかってきたチンピラを台尻で殴ると、人壁は大きく開けました。それで、ようやく公園を抜けたんです。

 東京駅と霞ヶ関を避けて新橋方面へ歩きました。どこかから爆発音がしました。そこらじゅうで店が襲われて、火の手が上がってました。喧嘩でもしてるのか、悲鳴も聞こえました。暗くて、暑くて、最悪の夜でした。

 とにかく花園へ戻って、相棒の家族にも連絡を取ろう。そう決めて、戻るために車を物色しました。仲間と別れた交差点へ数日かけて戻って、でも、結局もう……。


「先生はね、あの日以来、初めて見つけた生きてる知り合いですよ」

は、は、と乾いた笑い声を上げて、刑事は黙り込んだ。

「集団脱走事件が起きたのは、出所者から通り魔が出ていた刑務所ですか」

「そうです。先生、やっぱりなにか心当たりがあるんですね」

刑事が身を乗り出す。そう言われても、大した考えがあるわけでもない。ただ、漠然とした予感だけがあった。刑事が小さな目を細め、イライラと言う。

「いい加減腹を割りませんか。俺はもう全部ぶちまけましたよ」

「別に隠し事はありません。ただ、確信するには材料が少なすぎるので」

「あのね。もう、そんな場合じゃないんですよ」

思わずムッとして言い返す。

「あなただって、大事な説明が抜けてませんか」

「何です」

「この革命軍とやらのことです。本当にテロを起こしていたんですか。なぜそこに合流したんです。指導者は誰ですか。この国で革命なんて考えそうな人間は……知ってる限り、一人しかいませんが」

刑事がさっと表情を硬くした。

「僕の当て推量の通りなら、その男は死刑が確定して拘留中だったはずです」

刑事の小さな目が暗く光った。

「何も言わないってことは、当たりなんですね」

刑事が煙草をぐいぐいと灰皿に押し付けた。

「朝、迎えに来ます」

「刑事さん、僕はあのトンネルの向こう側にどうしても用事があるんです。明日、絶対に連れていってください」

「ある場所へ行ってもらいます。そこでの結論次第です」

「ある場所。おかしな言い方ですね」

「このベースキャンプのすぐ隣ですよ。いちいち突っかからないでください」

刑事がゴミをまとめて立ち上がった。

「彼がそこにいるんですか」

「とにかく明日にしましょう。俺はね、先生が革命の力になってくれると確信してるんです」

刑事が出ていった。倒れるように横になれば、畳のケバが頬を擦った。頭が回らない。つま先が冷えて痺れるようだ。何か一枚欲しいが、立ち上がって押入れを開けるのも面倒だった。

 革命軍の首領は、まず間違いなくあの男だろう。タチの悪い集団に関わってしまった。これから、一体どうなるのだろう。あの、新興宗教の教祖。あの小娘なら、未来が読めたのだろうか……そう考えて、自分の馬鹿さ加減に唇が歪む。どうやら、かなり気弱になっているようだ。

彼女を車から下ろしたのは、正午頃だった。眠気に耐え切れず落ちた瞼の裏側に、真夏の凶暴な光が広がる。道はがらんとしている……『確かに人は少ないですが、あまり飛ばさないで』 予言者が頭を下げた。それから、

がばと跳ね起きた。俺は、人が少ないですね、と口に出したか……いや。一言も言っていない。では、あの教祖は……本物の、超能力者だったのだろうか。

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