第3話『傲慢の迷宮』
いくら頑張ってもエドモンに勝てない。
それを自覚した私は、休職願いを出して天空レストランを後にした。
辞めたわけではない。
天空レストラン料理長の座も、諦めたわけではない。
どんな手を使ってでも、私は料理長の座を手に入れる。
その決意とともに、一度レストランを離れることにしたのだ。
「なに? 儂に戻れと?」
「はい。しばらく店を空けることになりそうなので、そのあいだのことをお願いしたいのです」
突然私がいなくると店が回らなくなってしまうので、私はポロクさんに救援をもちかけた。
口では少し不機嫌そうなことを言っているが、口元は緩んでいる。
おそらく職場が懐かしいのだろう。
それでも最初は渋っていたが、彼の家族のあと押し――特にご子息の奥さんからの猛プッシュがすごかった――もあって、ポロクさんは天空レストランに戻ってくれることになった。
「まぁ、副長の推薦なら問題ないだろう。悪いが爺さん。元料理長だかなんだかしらんが、こき使うぞ?」
「望むところじゃ。雑用でもなんでもしてやるわい」
後顧の憂いもなくなったので、適当な理由をでっち上げて長期休暇を取る。
私が長年ほとんど休み無しで働いていることは、ここの者なら誰でも知っていることなので、レストランのスタッフはおろかホテルの支配人からもしっかりと休養をとるようにといわれ、少し申し訳なく思いながらも私はホテルを出た。
そして私は、『傲慢』の迷宮を訪れた。
この世界には7つのダンジョンが確認されている。
それらダンジョンを攻略すると、それぞれの特性に応じて願いを叶えることができると言われている。
私が今回訪れた傲慢の迷宮は、支配者になれる、という特性がある。
「――だったよな、たしか……」
私は探索者組合登録時に行われた講習の内容を思い出しながら、確認するようにひとりごちた。
当たり前だが、ダンジョンには多くの魔物が存在する。
そしてそれらの魔物を倒さねば、攻略することはかなわない。
子供の頃に奴隷として売られ、その後人生の大半をレストランで過ごした私に戦闘経験などあるはずもない。
しかし、長年副料理長として勤め上げたおかげで、金だけは持っていた。
稼いだところで使う暇もないので、蓄えだけはかなりものがあるのだ。
そこで私は、戦闘経験の乏しさを武具で補うことにした。
「おいおい、みろよあのおっさん」
「全身鎧にカイトシールド、それにショートソードまで、全身ミスリル製かよ」
「はは。弱そうなくせに装備だけはいっちょまえだな」
ダンジョンへ向かう道すがら、私を馬鹿にするような声があちこちから聞こえるが、気にすることはない。
実際に弱いのだからな。
「しかし、いくら軽いとはいえ、全身鎧というのは動きにくいな……」
私が装備にミスリルを選んだのは、単純に軽いからだ。
鋼鉄製の装備も身に着けてみたところ、意外と軽かったのだが――、
『ちょっとでも重いと感じるんなら長時間動き回ってる内に疲れて動けなくなるよ』
と武具屋の主人から忠告を受たため、ミスリル製のものを使うことにしたのだった。
まぁ金に余裕はあるし、軽くて性能に優れているのなら、そちらを選ばない理由はないのだ。
私は少々不格好な歩き方ながらも、ガチャガチャと音を立てつつ、意気揚々とダンジョンに入っていくのだった。
**********
「そりゃっ!!」
「キキッ……!」
私の振り下ろした剣の刃が、ジャイアントラットの額を捉える。
皮膚はおろか、頭蓋骨の硬さすら感じさせないような切れ味で脳天をかち割られたジャイアントラットは、短い鳴き声とともに絶命した。
「ふぅ……。だいぶ戦闘にも慣れてきたな」
このダンジョンというのはなんとも不可思議なところで、探索時のパーティーメンバー数に応じて遭遇する魔物の数が変わってくる。
遭遇する魔物の数は、パーティーメンバーの1~2倍と決まっており、ソロの場合は2匹までというわけだ。
私が人を雇わずにソロでダンジョン攻略に挑んだ理由のひとつがこれである。
もちろん、叶える願いのことで揉め事を起こしたくないというのもあるが……。
「しかし、いい装備を整えておいて正解だったよな、本当に」
これまでの戦闘を振り返って、私はしみじみそう思った。
ダンジョンの1階層に出る魔物など、雑魚中の雑魚である。
たとえば先ほど倒したジャイアントラットにしても、レストランでたまに見かけるドブネズミをひと回り大きくした程度のものだった。
しかし戦闘経験に乏しい私にしてみれば強敵だ。
ドブネズミなら人の姿を見ればささっと逃げてしまうのだが、さすがジャイアントラットは魔物だけ合って、こちらに襲い掛かってきた。
「おおっと」
私は為す術なく敵の体当たりを受けたが、衝撃耐性の魔術を施した全身鎧のおかげで、子供に小突かれたくらいの衝撃しか受けなかった。
そして勢い良く私に体当りしたせいで逆にダメージを受けたのか、ふらつくジャイアントラットにえいや! と剣を振り下ろすだけで簡単に倒すことができたのだった。
そのうち盾を使って受け止めることも出来るようになり、戦闘はより楽になっていった。
「さて、そろそろ休憩するか」
探索者組合で高い金を払って購入した攻略マップを元に探索を進め、安全地帯を見つけては、寝袋で休む。
そうやってできるだけ無理なく進みながら、私は現在2階層の探索を進めていった。
**********
「もうすぐボス部屋かな」
ダンジョンには各フロアにボス部屋と言うものがあり、そこにはフロアボスが現れる。
フロアボスの出現数もまた、パーティーメンバーの1~2倍と決まっていた。
「お、ゴブリンか。また1匹とは運がいいな」
緑色の肌をした、醜い容姿の人型魔物である。
背は子供くらいで頭が少し大きく、華奢な骨格の割には妙に筋肉質だ。
「ギャギャ!!」
耳障りな喚き声をあげながら、ゴブリンは手にした棍棒を振り上げて駆け寄ってくる。
――カン!
私は振り下ろされた棍棒の一撃を、カイトシールドで難なく受け止めた。
それなりに強い打撃だろうが、衝撃耐性のおかげで腕がしびれるようなこともなく、私は焦らず落ち着いてショートソードを突き出した。
「グェ……」
ミスリルのショートソードはほとんど抵抗なくゴブリンの首を貫き、一撃で絶命させた。
倒れたゴブリンが、光の粒子となって消える。
ダンジョンに現れる魔物だが、通常のものは死んで10分ほどでダンジョンに吸収される。
ただし、吸収されるのはあくまでダンジョン産の魔物に限り、たとえば探索途中に死んだ人間の死体なんかはそのまま残るようになっている。
なので、ダンジョン産の魔物の素材が欲しい場合は、10分以内に解体などを済ませ、カバンに入れるなどしてダンジョンの床や壁から離しておく必要がある。
しかし、フロアボスだけは別で、倒せばすぐに光の粒子となって消えるのだ。
《汝の願いを述べよ》
突然、私の頭に重々しい声が響く。
この声こそが、ダンジョン攻略によって願いが叶うと言われる根拠である。
声はフロアボスを倒すたびに問いかけてくるのだ。
「ハイランダーホテル、天空レストランの料理長になりたい!!」
そして、願いの大小によって必要な攻略階層が変わってくるのである。
ちなみに願い事は敢えて口にする必要はないらしい。
ダンジョンは探索者の心にある願いを読み取ってくれるのだとか。
例えば奴隷なんかを引き連れて、無理矢理主人に都合の良い願いを口にさせてもごまかせず、逆に奴隷の願いがかなって隷属契約が破棄されてしまった、なんて話もあるくらいだ。
《…………より深きを目指せ》
私の望みは2階層を攻略したくらいでは叶わないらしい。
「でもまぁ、そんなに深層まで攻略しなくても良いはずだよな」
私はすでにハイランダーホテルの副料理長であり、料理長まであと一歩のところまで来ているのだ。
装備の力だけで攻略出来る階層で、おそらく願いは叶うはずである。
だからこそ、戦闘経験がほとんどないにも関わらず、ダンジョン攻略という手段に手を出したのだ。
決して自暴自棄になったわけではない。
「しかし、今日はもう限界だな……」
いくら高い装備に身を包んでも、体力まで増強されるわけではない。
いや、中にはそういう効果のある装備品もあるのだが、使用者の能力にまで影響を及ぼす武具というのは、ミスリル製のちょっとした魔術効果があるものと比べてもひとつふたつ桁が違ってくるのだ。
そこれそ一流ホテルの副料理長が一年かけて稼ぐ金を支払っても、指輪などの装飾品がひとつ買えるかどうかというほどの。
「まぁ、想定より深層に潜る必要があるのなら、そういった装備を買うのも吝かではないが……」
いまのところ現在の装備で困ることはないので、適宜休みながら攻略を進めていけばいいだろう。
特殊な装備を買うのは必要に迫られてからで問題あるまい。
「……にしても、迷宮探索というのは疲れるな、本当に」
料理人というのもかなりの重労働であり、相当な体力を必要とするのだが、ダンジョン探索に必要な体力とは少し質が違うようである。
「転移陣で帰るか」
フロアボスを倒したことにより、帰還用の転移陣が現われていた。
それに乗れば、帰還場所と呼ばれるダンジョンの外に出ることが可能だ。
「……ん?」
転移陣に乗ろうとしたところで、ふと目に入ったものがあった。
「扉……?」
はて、この部屋に扉などあっただろうか?
本来このボス部屋というのは、入り口と下の階層につながる階段へ通じる道以外には何もないはずだ。
念のためダンジョン攻略マップを見てみたが、このような扉の情報は記載されていなかった。
「ちょっとだけ、覗いてみるか」
何かの罠かも知れないが、2階層に設置される程度の罠であれば、ミスリル製の防具でなんとか防げるはずだ。
そう思い、私は扉に歩み寄ると、恐る恐る取っ手に手をかけた。
――ギィ……。
鈍い音をたてて開いた扉の向こうには、細い階段が続いていた。
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