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第2話『埋まらぬ差』

「あー、すんません副長! そこ空けてもらっていいっすか?」

「お、おう……。少し待ってくれ」

 

 若い料理人がふたり、大きなブロック肉を抱えて調理場に入ってきた。

 私はあわてて調理台の上を片付け、そのブロック肉を置けるようにしてやる。

 

「よっこらせ!」「よいせっと!」

 

 空いたスペースに置かれたのは、どうやら赤身の魚肉らしい。

 ブロック肉と行っても、大人ふたりで抱え上げるほどの大きさである。

 

「おう、ご苦労」

 

 ふたりのあとに料理長のエドモンが入ってくる。

 

「これは、料理長が?」

「おう。ラッキーなことにヒュージブラックツナの良いのが入っててな」

 

 調理台に置かれたブロックを見下ろすエドモンの口元に、笑みが浮かぶ。

 

「しかしこれは、見たところ“腹なか”のようですが……?」

 

 獣肉同様、魚も部位によってその特性が異なる。

 今回エドモンが用意した腹なかという部位は、少し油の量が多く、あまり好まれない部位だ。

 ツナ系の肉であれば、なんといっても赤身が一番だろう。

 

「いやぁ、買い付けに出遅れた時はヒヤッとしたが、いいところが残っててラッキーだったよ」

「いいところ?」

「おう。今日のメインはコイツでいくぜ」

 

 バカな……。

 たしかにヒュージブラックツナといえば希少な魔物だし、それの赤身であればステーキだろうがフライだろうが充分にメインを張れるだろう。

 しかし脂っぽい腹なかでメインを張るなど、一体どんな料理で勝負をかけるというのか?

 

「刺身でいく」

「サシミ……?」

 

 それはいままで聞いたことのない調理法だった。

 

「料理長、サシミとは?」

「まぁ簡単に言やぁ生で食うってこったな」

「生で!? 魚を生で出すというのですか!?」

「おう。こっちじゃ漁港あたりでしか食われてないみたいだけどな。しかし魚系の魔物だってダンジョンで狩れて鮮度も申し分ないんだから、王都で刺身出しても問題あるまい?」

 

 そういば、一部漁港やその近辺では魚を生で食べる風習があると聞く。

 しかし王都の富裕層にそのような、料理とも言えない野蛮なものを出すのはいかがなものだろう?

 

「ふん、納得いかねぇって顔だな」

「そりゃ、まぁ……」

 

 正直、エドモンひとりが恥をかいて終わるならむしろ願ったり叶ったりだが、そのせいでハイランダーホテルの評判が落ちるのは困る。

 ここは私にとって、なによりも大切な場所なのだから。

 

「ま、文句は食ってから言えよ」

 

 そう言うと、エドモンはひと振りの長い刃物を取り出した。

 長くて真っ直ぐな片刃のそれは、迷宮探索者(ダンジョンシーカー)が使う武器のように見えた。

 

「料理長……それは刀、ですか?」

「あぁ? 調理場で刀振り回す馬鹿がどこにいるんだよ」

 

 そう言うと、エドモンは切っ先を天井に向け、刃の研ぎ具合を確認した。

 

「こいつは大型の魚を捌くためのもんで、ツナ包丁ってんだ。この辺にゃ売ってなかったからよ、特注で作らせたのよ」

 

 そしてエドモンは、ヒュージブラックツナのブロック肉にツナ包丁の刃を当てると、根本から切っ先までを使って、なめらかな動きで包丁を引いた。

 

「おぉ……」

 

 あまりにあっさりとブロック肉が切り分けられる。

 そして切り分けたブロック肉の形を直方体に整えると、エドモンはまた別の刃物を取り出した。

 おそらくはそれも包丁なのだろう。

 ツナ包丁よりは随分と短いものの、それでも普通の包丁に比べると刃渡りが長く、幅が狭い。

 

「料理長、それは?」

「こいつも特注で作らせたもんで、刺身包丁ってんだ」

「サシミ包丁……」

 

 エドモンは直方体に整えたブロック肉を薄くスライスしていく。

 サシミ包丁を身に当て、撫でるように引くだけで、どんどん身が切り分けられていった。

 相当切れ味のいい包丁なのだろう。

 

「今日は俺が全部用意するが、いずれ副長にも覚えてもらうからな」

「身をスライスするくらいならすぐにでもお手伝い出来ると思いますが?」

「甘ぇな。刺身ってのは包丁の入れ方ひとつで味が変わっちまうのさ……。さて、こんなもんでいいか」

 

 次にエドモンは、棚から小瓶を取り出し、小皿にその中身を流し込んだ。

 小瓶から出たのは黒に近い茶色の液体。

 一見すればソースのようにも見えるが、そこから漂う香りがまったく別物だった。

 いままで嗅いだことのない、なんともいえず芳醇な香り……。

 

「こいつは醤油と言ってな。大豆から出来る調味料だ」

「ショウユ……?」

 

 また知らない名前が出てきた。

 

「何年も試行錯誤を繰り返してな。ようやく満足いくもんができた。塩も悪かねぇが、刺身にはコイツが一番さ」

 

 得意げにそう語ったあと、エドモンは箸をよこした。

 2本の棒で料理をつまんで口に運ぶこの箸という道具もまた、エドモンがこのホテルに取り入れたものだ。

 非常に扱いづらい道具ではあるが、慣れると便利らしい。

 いまや富裕層の間では、箸を使えることが一種のステータスとなりつつある。

 

「すいません料理長。箸はあまり得意ではないので、フォークを使っても?」

「アホ抜かせ!! フォークなんぞで穴空けちゃあせっかくの刺身が台無しだろうが!!」

「はぁ……」

 

 仕方がないので、私はなれない手つきで箸を使い、サシミのひと切れをつまんでショウユをつけ、口に運んだ。

 

「……!?」

 

 瞠目せざるを得なかった。

 口の中に広がる旨味と、鼻腔を刺激する芳醇な香りは、これまで経験したことのないものだった。

 そして口の中に入れたサシミだが、程よい食感を残しつつも、旨味が溶けけだしていく。

 歯を使うまでもなく、舌と上顎で軽く挟んでやるだけで、その柔らかい身はほぐれていった。

 この不思議な触感の正体は……。

 

「そうか、脂身……!!」

 

 サシミを飲み込んだ直後、私は思わず呟いてしまう。

 それを聞いたエドモンは、感心しつつも得意気に笑った。

 

「正解。さすがは副長だな」

 

 なるほど……。

 この脂身は、口の中で溶け出すという性質を持っているのか。

 そして脂身と一緒に溶け出した旨味と、ショウユという独特の調味料が合わさって、極上の味になるわけだ。

 ……これなら、あらゆる美食を堪能したこのホテルの常連客をうならせることも可能だろう。

 

「他にも白身と青魚の良いやつがいくつか入ってるからな。刺身の盛り合わせを軸に今日のメニューを考えるとするぜ」

 

 嬉しそうにそんなことを言いながら、エドモンは調理場から出ていった。

 

「…………」

 

 調理台の上には、直方体に整えられたブロック肉と、刺身包丁が残されていた。

 私はおもむろに刺身包丁を手に取り、先ほどのエドモンを真似てサシミをひと切れ切り分けてみた。

 

「すごい切れ味だな……」

 

 そして出来上がったサシミのひと切れを手でつまみ、ショウユをつけて口に運ぶ。

 

「……美味い。でも……」

 

 生の魚をただスライスしただけ。

 それを同じ調味料につけたのなら、エドモンのものとまったく同じ味になるはずだった。

 しかし、ほんの少し食感が異なり、そのせいで私のサシミはほんのわずかだが劣っているように感じられた。

 人によっては認識できないほどの小さな差。

 しかしそれが、まるで私とエドモンの間に横たわる、埋めようのない差であるように感じられた。

 

 数日後、私は天空レストランを去った。


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早いところだと明日には店頭に並ぶようですので、お見かけの際はよろしくお願いします。

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