第1話『北浜のカフェバー』
新作始めました。
大阪市中央区北浜。
梅田中心とする繁華街『キタ』と難波、心斎橋を中心とする繁華街『ミナミ』の中間に位置するその町は、銀行やオフィスが立ち並ぶ関西随一のビジネス街だ。
一部の人たちから『なにわのウォール街』とも呼ばれている。
平日昼はビジネスマンでごった返し、夜は夜でキタやミナミに行き損ねた飲ん兵衛たちでそこそこ賑わうその町も、土日となればまるでゴーストタウンのように閑散とする。
人がいなければ営業しても仕方がないと、商店や飲食店は軒並みシャッターが降りるので、なおのこと町はゴーストタウンじみてくるのだ。
そんなわけで、日曜である今日も町はゴーストタウンと化しているんだが――、
『日曜に北浜で働いてるビジネスマンなんて、俺くらいのもんだよコンチクショー!!』
北浜のとあるカフェバーに、くぐもった俺の声が響き渡る。
俺は御箱さまという、ただの木の箱に顔を半分突っ込んで、心の叫びをぶつけていた。
壁に背を向け、御箱さまに向かって喋ると、木箱と壁とが上手く反響し、絶妙なAMラジオ感が出て、気分がスッキリするのだ。
俺こと鷹山勇次は北浜勤めにもかかわらず、日曜も働き、嫌な仕事を終えて、いつものように行きつけのカフェバーに立ち寄り、いつものようにウィスキーをあおって、いつものようにクダ巻いていた。
「せやな、えらいえらい。ビジネスマンの鑑やで。というわけでハッサクさん、ユージくんに一杯つけたげて」
俺の愚痴を聞きながらどこか超然とした不思議な雰囲気の女性――常連のマイさん――が、バーカウンターの向こうでぼーっとしているこの店の店主に声をかける。
「はいよー」
ここの店主であり画家でもある桃谷八朔――通称ハッサクさんは、マイさんの注文に気の抜けた声で返事をし、ショットグラスにウィスキーを注いだ。
ヨレヨレのTシャツに、お洒落とは無関係にダメージを受けたデニム、そして雪駄という恰好をした、なんとも冴えないおっさんである。
「ほい、おまたせ」
「ありがとー」
2割ほど生え際が後退し、9割がた色の抜けたロマンスの欠片もないグレーの長髪を、かんざし代わりに絵筆でまとめてアップにしている、ずんぐりむっくりとた髭面の店主が、ショットグラスに注いたウィスキーをマイさんに渡す。
「はいどうぞ」
「どもどもー」
そしてマイさんは、俺の前にショットグラスをコトリと置いた。
まるでマイさんがおごってくれるような言い草だったが、おかわりのウィスキー代は俺の伝票についている。
いつものことだから別にいいけど。
「ほんともう、やってらんないですよ……。ねぇ、ガルフォさん! 聞いてますか!? ガルフォさん!?」
「……」
俺は少し離れた席でスマートフォンをじっと見続ける五十がらみの男性に話しかけたのだけど、無視されてしまった。
彼もこの店の常連で、入店したあと一杯注文し、席に着いたらあとはスマートフォンでゲームをするだけ、という変わった人だ。
ちなみに彼がプレイしているのは『ガールズ&フォートレス』という、ギャルゲーとガチャゲーと要塞運営シミュレーションとタワーディフェンスRPGをあわせた、なんともごちゃっとしたゲームだ。
シンプルかつ手間のかからなさが求められるスマホアプリにしては珍しい仕様で、大手ゲーム会社がこれを発表した時は時代錯誤な内容に誰もが大コケを予想したが、意外や意外の大ヒットとなり、細かなアップデートを繰り返しながら、随分と息の長いアプリとしてコアなユーザーから愛され続けている。
いつも『ガールズ&フォートレス』略して『ガルフォ』をやっているので、彼はガルフォさんと呼ばれている。
そしていつものようにガルフォさんから無視された俺は、ショットグラスに注がれたウィスキーを一気にあおった。
「くぅー……!!」
喉を焼くような刺激のあと、ぐらりと頭揺れたような気がした。
「おいおい、そんな飲み方をしたらウィスキーに失礼じゃないかね」
ウィスキーをストレートで一気飲みした俺を窘めたのは、ツイードのスリーピースに身を包んだアラフォー紳士だった。
「なんすかエモさん! 文句あるんすか!?」
彼もまたこの店の常連で、名は江森さん。
通称エモさんと呼ばれるこの紳士は、俺と同じく北浜を拠点とするビジネスマンだ。
大きな違いがあるとすれば俺はしがないサラリーマン、エモさんは事業主ってところかな。
なんの仕事をしてるのかは知らないけど、詐欺師とか山師とかロクでもないことをやっているに違いない。
「大ありだよ。いいかい、蒸留酒ってのはチビリとひと口だけを含んで舌で転がすんだよ。そして唾液と酒とが程よく混じったらクイっと喉を通すんだ。そして仕上げにチェイサーの水をぐいっとだねぇ……」
「あーはいはいわかりましたよ。でもねぇ。会社で嫌なことがあったときくらい、好きに飲んでもいいでしょうが!」
「だったらアッパー効果のあるテキーラのほうがいんじゃない?」
「わかりましたハッサクさんテキーラ!!」
「はいよー」
――ゴガッ……!
立て付けの悪いガラス戸が開き、新たな客が訪れる。
「ぐふふ……」
黒いスーツに黒いシャツ、薄い色のサングラスという恰好で現れた男は、不気味な笑みを浮かべながら俺に歩み寄り、手をかざしてくる。
――パシンッ!!
俺は彼の求めに応じて手を合わせ、店内に乾いた音を響かせた。
なぜかやたらとハイタッチを求めるこの黒ずくめの男は、名をライゼンという。
「ところでライゼンさんて、どんな字を書くんです?」
以前から気になっていたことを、酔った勢いにまかせて聞いてみることにした。
「……どんな字を書くんです?」
すると、まったく同じ質問をライゼンさん本人がエモさんに投げかけた。
「雷に泉でライゼンだね」
「……だ、そうです」
「いや、なんでエモさんが答えるの!?」
「エモさんが勝手に喚び出したからな。俺、ホンマは佐藤やし」
「意外と普通!?」
ライゼンさんと知り合ってもう結構になるけど、衝撃の事実が判明した。
いや、まぁライゼンなんて名字、普通はないだろうからあだ名だと思ってたけどさ。
「でも、なんで佐藤さんがライゼンさんなんです?」
「いや、その答えは君がさっき言ったじゃないか」
俺の問いかけに対し、名付け親たるエモさんが肩をすくめながら答える。
「俺が……? えっと、意外と普通ってやつ、ですか?」
「そう! こんな異様な雰囲気を持つ男が佐藤だなんて間違ってると思わないかい?」
「さぁ……どうでしょう? でもなんでライゼン?」
「思いつきだよ」
ここでライゼンさんが俺に向かってニヤリと笑い、口を開いた。
「ほな、ユージくん……、殴り合い、しよか……?」
「なんの脈絡もなく!?」
「思いつきや……」
このライゼンさん、ハイタッチを求めるだけならまだいいんだけど、なぜか殴り合いを求めてくる。
聞けば学生時代にフルコンタクトの格闘技で日本を制したという、恐るべき経歴の持ち主なんだとか。
「先にユージくんから、ええで……」
ライゼンさんがいつものようにボソリと告げる。
彼の言う殴り合いとは、お互いの腹を交互に殴り合うというものだ。
非暴力主義の俺としては付き合いたくないところだが、このライゼンという男、殴り合いよってここ北浜にそこそこ名を轟かせている。
といっても、暴力で幅を聞かせているわけではない。
ライゼンさんは数百社のクライアントを抱えるコンサルタント会社の幹部だ。
いかにして悩める会社の問題を解決しているのかを、以前尋ねたことがある。
『社長を呼びます。社員を呼びます。並べます。殴り合いをさせます。これで大体解決します』
最初は冗談かと思っていたのだが、俺の取引先にもライゼンさんの会社のクライアントがおり、試みに尋ねたところ、本当に殴り合いをさせらせたのだとか。
しかもそれで社員同士の人間関係が劇的に改善されたというのだから驚きだ。
今の時代に足りないのは、拳で語らう肉体コミュニケーションなのか?
俺にはまったく理解できないけど……。
そして今まさに迫られている肉体コミュニケーションから逃れたいのだけれどもっ!!
「あの、ライゼンさんすいません。今日は会社で嫌なことがあったので――」
「ほなそれを拳に乗せたらええ。全部受けとめたるわ」
「でも、そのあとライゼンさんも俺を殴るんですよね?」
「ぐふふ……」
いや、ぐふふじゃねぇっ!!
「大丈夫だよユージくん。ライゼンさんのパンチなんて屁のつっぱり程度のもんだから――」
そんなエモさんの言葉を受けたライゼンさんが、鋭い視線で彼を射抜く。
「――って、アラタマ堂の主人が言ってるよ」
「ええっ!?」
突然話を振られたのは、店の奥でアタッシュケースを我が子のように抱きかかえながら、ちびちびと酒を飲んでいた中年の男性だった。
彼は荒魂堂というボードゲーム会社の主人だ。
といっても、荒魂堂がボードゲームを発売しているわけではない。
彼は古今東西のボードゲームを収集し、その遊び方を世に広める伝道師だ。
いろいろなところでゲーム大会を開いており、たまにこの店でも行われているが、それが彼の収入源かどうかはわからない。
アラタマ堂の主人、もしくはアラタマ堂と呼ばれるその彼が大事に抱えているアタッシュケースには、多くの人にとってそれほど価値のないボードゲームが収納されている。
『荒魂堂のカバンを盗む』という『骨折り損のくたびれ儲け』と同義の格言がここ北浜にはあるとかないとか……。
「言うやないかアラタマ堂……」
「いやいやいや、俺ちゃうで? エモさんが言うてんねやで!?」
「立たんかい……」
「ああーもう……!!」
そしてむさいおっさん同士による、暑苦しい腹の殴り合いが始まった。
「ちょ、ライゼンさん!? ボクはいい! ボクはいいからっ……!!」
「ぐふふ……、殺します……」
したり顔で笑うエモさんだったが、結局彼も、そして俺もその殴り合いに巻き込まれるんだけどね……。
**********
――ゴガッ……!!
また立てつけの悪いガラス戸が開く。
少し開いた戸の隙間からおそるおそる顔を覗かせたのは、見たことのない男性だった。
おそらくは一見さんだろう。
「あのー、ここは何屋さんですか?」
「んー……、なんでしょ? いろいろやってます」
お客さんの質問に対し、なんとも要領を得ない答えを返すハッサクさん。
通常運転である。
「えっと……、お酒とか飲めますか?」
「飲めますよ、一応」
「あの、入っても……?」
「へぃ。こんなとこでよかったら」
ほっと安心したように息をついた一見さんは、俺の近くの席に座ってビールを注文した。
聞けば彼は富山の製薬会社から出張で大阪を訪れたようで、せっかく大阪に来たのだからと、薬の神様を祀っている神農さんこと少彦名神社を訪れたのだとか。
そのついでに一杯引っ掛けようと北浜の町をうろついていたのだが、今日は生憎のゴーストタウンデーである。
飲み屋難民になりかけたところでこの店を発見し、勇気を振り絞って入ってきたのだとか。
「あの人たちは何をされてるんですか?」
「殴り合いです。拳で語らう肉体コミュニケーションですよ」
「ははは、さすが大阪ですね」
「ここを大阪のスタンダードと考えないほうがいいですよ?」
ここ北浜の町は、キタともミナミとも異なる文化を持つ、文化的辺境の町だ。
そしてこの店は、北浜にあってさえさらに異端の雰囲気を持つ店である。
つまり何がいいたいかというと……。
「異世界みたいなもんですから」
本日はあと2話更新します。