第七十六話 ウェルの試し切り。
日中も暖かくなってきた、ある昼前のこと。
俺は珍しく、台所と呼ぶには少々名前負けしそうなほどに、大きめの厨房にいるんだ。
隣にはナタリアさん。
その隣には、踏み台に上って更に背伸びをしてるデリラちゃん。
最近のデリラちゃんはね、こうしてよく、ナタリアさんのお手伝いをするんだ。
今は野菜を洗ってくれている。
「やさいさん。やーさいさん。おいしくなってね?」
そう話しかけてるんだ。
実はこれ、ナタリアさんの機嫌が良いときに、呟いている口癖らしいんだよ。
デリラちゃんは聞いてたらしくてさ、真似してるみたいなんだ。
その証拠に、平然とした表情を保ってるナタリアさんの、耳がちょっと赤いんだ。
俺はあえて、気づかないふりをしてるんだよね。
ナタリアさんにも話たことだけど、俺は元々宿屋の跡取り息子だった。
だからね、宿屋に必要だからって、料理は死んだ父に、掃除は母に仕込まれたんだ。
洗濯や繕いも教えてもらったけど、俺には才能がなかったみたいで、笑いながら母がやってたけどさ。
人には向き不向きってものがあるんだ、それでもやり方は知ってるんだよね。
だから料理の下ごしらえくらいは、今も余裕でできる。
「あいっ、まま。やさいさん、きれいになったよ」
「……ありがとう、デリラ。それよりあなた、大丈夫なんですか?」
「大丈夫だって。教えたよね? 俺、宿屋の息子だったんだよ? これくらい、毎日やってたんだからさ」
「そうですか? 本当に大丈夫なんですね? じゃ、はい」
デリラちゃんが洗ってくれた葉野菜を俺に渡してくれる。
俺は葉野菜を受け取ると、まな板の上に置いた。
このまな板は、平らで固くて使いやすい。
ナタリアさんや、集落のお母さん方が愛用してる、グリフォン族謹製の一級品。
右手に持つは、グレインさんが手打ちした包丁。
これはグリフォン族の人たちも、驚くくらいの切れ味になってるみたい。
俺は慣れた手つきで包丁を握る。
葉野菜の根元を落とし、左手の第二関節を曲げて押さえる。
包丁の刃をぴたっとあてて、滑らかにとんとんとんと音を立てる。
「どう? 慣れたもんでしょ?」
俺はナタリアさんを見て、目一杯の笑顔。
久しぶりだからか、それとも油断してたからか。
葉野菜を刻むより鈍い感触が、右手に伝わる。
同時に感じる、わずかな鈍痛。
「あ」
台所の中に響く、デリラちゃんの声。
「――うげっ!」
指、間違って切っちゃった……。
結構ざっくりいってるな、これ。
そんな俺の失態を見て、ナタリアさん呆れ顔。
「ぱーぱ、だいじょぶ?」
デリラちゃん、俺の足下に来て心配そうにしてる。
さっきの『あ』ってもしかして、俺が指を切っちゃったのに気づいたってこと?
見なくてもわかちゃうのか?
どうなってんのさ、デリラちゃんの能力って?
「あ、あははは。久しぶりにやったから、つい、油断しちゃったんだって」
「…………」
「だ、大丈夫だって。放って置いてもすぐ治るから」
これは本当。
放って置いても一時もしないで塞がるんだけど。
「……あなた」
「はい」
「指、貸してください」
「はい。ごめんなさい」
誤魔化せませんでした。
ナタリアさんは、俺の指を治癒してくれる。
そりゃあっさり傷は塞がるよ。
彼女は俺の聖女様。
鬼人族一番の、治癒の魔法の使い手だもんね。
▼
城の裏手にある鬼の勇者の詰め所。魔獣の討伐報告を終えたあと。
ついさっきあった、台所での話しを面白おかしく話していたときにね。
「ウェルさん」
陛下って呼ばれない、数少ない憩いの場となってるこの場所。
「ん?」
勇者の一人で、雑貨屋の看板娘アレイラさん。
「あのとき、剣で斬られても傷一つなかったですよね?」
あのとき?
「あの元騎士団長だった愚か者でしょ?」
エルシーが教えてくれた。
「はい、そうですね。エルシー様」
「あれ? そうだっけ?」
隣にいたジェミリオさん、ライラットさんとジョーランさんも。
うんうん、と呆れた表情で頷いてる。
「そうだった、みたいだね」
そう言いながら俺は、腰に差してた作業用に持ってる、父の形見の小刀を取り出した。
四人ともこの小刀は、そういうものだって知ってるんだ。
「それ、綺麗ですよね」
ジェミリオさんが言う。
「グレインさんに研ぎ直してもらったんだ。この輝き、実に美しいよね。まるで打ったばかりみたいだよ」
そう答えつつ、俺は左の親指の腹に刃先をあてて。
「あ……」
ざくっと、切れた。
「いててて」
「な、何やってるんですか?」
アレイラさんが慌てて治癒をかけてくれる。
彼女の角が、ぽうっと淡く光るんだ。
そういや女の子はほぼ全員、程度は違えど治癒の魔法を使えるんだっけ?
「おぉ。見事なものだね」
見ていると、徐々に傷が塞がっていく。
「ナタリアお姉さんには敵いませんよ」
男の子は『ナタリア姉さん』、女の子は『ナタリアお姉さん』と、尊敬されてるみたいなんだよね、ナタリアさんって。
さすが、俺の聖女様だ。
「はい。いいですよ。でも、何をやってるんですか? 本当に」
「そうですよ。まるで子供みたいな……」
アレイラさんもジェミリオさんも呆れてる。
ジョーランさんとライラットさんは、うんうんと頷いてる。
「いや、あのとき俺ってさ。何も意識してなかったんだと思うんだ。それで昼も、怪我してナタリアさんに怒られて。今もほら、この有様だし」
俺は確かにあのときは、怒りもあった。
けれどアレイラさんのが怒ってたからさ。
呆れの方が強かったと思うんだ。
「君たち鬼人族もさ、マナを活用して皮膚を強化できるよね?」
「あの。ウェルさん」
ライラットさんが手を上げる。
「はい。ライラットさん」
「俺たちはそんなに器用じゃないですよ?」
「え? それってどういうこと?」
ジョーランさんが手を上げる。
討論してるとき、意見を出し合う場合はこうして、手を上げて発言する方法は、エルシーが提案したんだ。
「はい。ジョーランさん」
「あの、ですね。魔槍の制御は、無意識にできるよう。訓練しました。けれど他のは、同時にやるのはちょっと難しいんです」
「他の?」
「……あのね。ウェル。相変わらず察しが悪いから説明してあげるわ」
「うん、助かります」
「ライラットくん。ジョーランくんが言うにはね、筋力と瞬発力を同時に制御するのはある程度までしか無理だって言ってるの。そうよね?」
『はい』
ライラットさん、ジョーランさんは一緒に頷く。
「ジェミリオちゃん、アレイラちゃんは、どうかしらね?」
ジェミリオさんが手を上げた。
「はい、ジェミリオさん」
「あの。私たちも、一緒にやるのは難しいと思います。魔剣の制御と、俊足。魔剣の制御と強力なら。多分出来るかと」
俊足というのは、強力の応用。
筋力よりも瞬発力にマナを使う方法なんだって。
ジェミリオさんの意見に、アレイラさんも頷いてた。
「この子たちが言うようにね。ウェルみたいなお化けじゃないんだから。何でも無意識にやるのは無理があるの。あなたはね、この子たちと比べたら無尽蔵なマナを無駄遣いして、力任せにやってしまうんだと思うのよ」
「実に酷い言われようだよ」
エルシーを含め、皆が笑う。
でもなんとなくわかった。
俺って、この子たちが意識してやることを、普通にできちゃうんだ。
あれ?
でもさ、マリサさんもこんな感じだったんだけどな?
「……あ、そういえばさ」
俺が治してもらった指を見たあと、疑問を口にしようとしたとき。
四人とも手を上げてる。
「んっと、じゃ、ライラットさん」
「はい。あの、どんなに強化しても、切れますよ、普通」
「え?」
また四人手を上げてる。
「じゃ、次はジェミリオさん」
「はい。魔獣の攻撃避けないで対処するのは、ウェルさんだけだと思います」
「はい?」
また四人手を上げてる。
「じゃ、ジョーランさん」
「痛いですよ。避けないと。確かに、傷はアレイラ姉さんかジェミリオ姉さんが治してくれますけれど」
「なんと?」
また四人手を上げてる。
「じゃ最後に、アレイラさん」
「はい。やっぱりウェルさんは、エルシー様がおっしゃるように、お化けなんだなって、思います」
みんな、うんうん頷いてる。
「ぷぷぷぷぷ……」
エルシーがお腹押さえて笑いを堪えてるし。
ちなみに、もう一度実験してみたけど。
意識して皮膚を硬くしようとしたらさ。
刃先が刺さらなかったよ……。
鬼人族では、みみず腫れっていうんだっけ?
擦り傷みたいな痕はつくけどさ。
もちろん、意識しなかったら刺さったよ。
呆れた表情で、ジェミリオさんが治してくれた。
もうひとつちなみに。
「あ、刺さった」
魔剣は刺さったよ、もちろんね。
「お馬鹿ですか? ウェルさんは……」
アレイラさんに怒られた。
「はい、ごめんなさい」
普通、ジェミリオさんがその役目なんだろうけどね。
良かった、魔獣よりお化けじゃなくて……。
終始、エルシーは笑いっぱなしだったけどさ。
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