第七十四話 動き出した母さんの止まった時間。
俺たちが連れてこられたのは、父さんたちに用意してあった客間。
そこには、ベッドが二つあって、片方に母さんが横になっていた。
ナタリアさんは、母さんのお腹に両手をあてて、治癒を続けてるみたい。
「あなた、お父様」
「ナタリアさん。マリサは?」
父さんは珍しく俺とナタリアさんの間に割って入る。
「落ち着いてくださいお父様。お母様は少々驚かれたかもしれませんが」
「大丈夫よ、あなた」
ナタリアさんの角が青白く光ってる、ということは治癒の魔法を使ってくれてるんだろう。
幸い今は、母さんの表情は辛そうに見えない。
でも一体、何があったんだろう?
「あなたとお父様にはわかりにくいことかもしれませんが」
「えぇ、そうかもしれないわね。私だって驚いたんだもの」
母さんとナタリアさんは、軽く目を合わせると苦笑する。
「さてお母様。『月のもの』が滞ったのは、何歳のときでしたか?」
「そうねぇ。確かあれは、二十になったあたりだったかしらね」
「もしや、それからずっとですか?」
「えぇ。今だから言えるのだけれど。私は結構重い方だったから。毎月辛いことがなくなった分だけ、とても楽だったのよ」
重い? 辛い? 何の話?
『馬鹿ね。女性が毎月迎える試練みたいなものなのよ。ウェルやクリスエイルさんにはわからないでしょうけどね?』
あ、エルシー。
デリラちゃんは大丈夫なの?
『大丈夫。気持ちよさそうに寝てるわよ』
あ、それより。
『月のもの』って何のこと?
『……あぁ。教える必要がなかったものね』
「あ、そうか。『月経』のことだね」
「あなた……」
「お父様……」
あれ? 母さんとナタリアさんが、何やらドン引きしてるよ。
「うわ、マリサとナタリアさんの目が冷たい……」
『クリスエイルさんも、結構駄目な子なのねぇ……』
え?
月経ってどういう。
『あのね。女の子はね。ある年になると、赤ちゃんを迎えるために、身体が変化していくの』
あ、そういうことか。
それは駄目だわ。
『よく知ってたわね』
いや、俺が勇者になったばかりのとき、母さんがさ、『勇者の代償で、子供が産めなくなった理由』をね、教えてくれたんだよ。
俺の身体にも異変が起きるだろう、覚悟はしていきなさいって。
勇者は、それだけ代償を払って魔物を倒す、だから英雄だと称えられるんだって。
『そうだったの……。隠す必要がないとはいえ、マリサちゃんったら……』
俺がいるから辛くないからって、そういう意味だったんだ……。
あれ?
それが今なんで?
「あなた。お父様。結果から言うとですね」
ナタリアさんが言いづらそうにしてる。
「はい」
「うん」
俺と父さんは、ナタリアさんの言葉を待った。
「お母様の治癒は、お父様と平行して続けることになったんです」
父さんは首を傾げた。
途端に、とても心配そうな表情になった。
「ナタリアさん。ちょっと待ってくれないか? マリサはその。どこか悪いのかい? もしや、勇者としての行動が、積もり積もって彼女の身体を蝕んで……」
「あなた。落ち着いてくださいな」
「あ、はい」
母さんはぴしゃりと父さんを窘めちゃった。珍しいな、母さんが父さんに強く言うのって。
「いえ、お母様もですね。お父様と同じように、人間としてはその。マナが多すぎる方だったようでして」
「ウェルちゃ――こほん」
母さん今、俺のこと『ウェルちゃん』って呼ばなかった?
『男の子は細かいこと気にしないの』
んー、そういうことにしとく。
「ウェル」
「何? 母さん」
「あのね。前に教えたこと、憶えてる? お腹の話」
「うん。マナの消費が激しくて、負担がかかってたってあの話でしょう?」
「そう。それね、違ってたの。ごめんなさいね?」
「え? あ、そうなんだ」
「あなた」
「うん」
「お母様はですね、お父様と同じ病を患っていたようなんです」
「というと?」
「お父様は、胸から首にかけて、長い間マナの滞りがあったと話しましたよね?」
「うん。聞いた」
「お母様はその反対で、胸から子を宿す処へ滞りがあったんです」
「そうだったみたいなの。ヴェンニルでマナを消費していたから、症状が遅くて、それでも五年。二十歳のときにクリスエイルさんのような症状が出たようなの」
「んー。俺にはちょっと難しいけど」
『そうねぇ。ウェルはちょっとお馬鹿さんだから。難しい話かもしれないわね』
あ、エルシーったら。俺だけじゃなく、みんなに聞こえるように言うし。
ほら、ナタリアさんも、母さんも。
俺を駄目な子みたいな、そんな目で見るし。
父さんは、同情的なそんな目で見てる……。
「それでですねあなた。お父様とお母様のお顔を見て、気づかれたこと。ありませんか?」
「うん。父さんは前より血色が良くなったし。母さんはそうだね。元々元気だったからどうだろう?」
『……ごめんなさいね。ウェルがお馬鹿で』
「…………」
「…………」
「…………」
やめて、そんなみんなして。
可哀想な子を見る目で見ないでってば。
「あなた。お母様の目元、口元を見てください」
「うん?」
俺は母さんの顔をもう一度見ることにする。
「ウェルちゃん、そんなに見たら私。恥ずかしいですって」
あーもう、言い直さないんだね。
「んー。あれ? そういえば、目元のし――」
「そうだね。マリサの目元の皺が減ってるような気がするけど」
「……お父様」
「……あなた」
『……クリスエイルさん』
「え?」
俺、助かった?
もしかして?
ナタリアさんも、母さんも。エルシーも。
父さんのことを俺以上に、駄目な子の目で見てるし。
「――んぉっほん。あー、うん。母さん。いつもよりすっごく綺麗だね」
『ウェル。良い子に育ったわね』
「今更遅いよ」
「あなたも気づかれたようにですね。お母様も、お父様も同様に。お肌に張りが出てきています。特にお母様は顕著に現れていますね」
「どういうこと?」
「あたしも詳しくはわかりませんが。例えばですね。詳しくは言えませんが、うちのお母さん。百歳を少し、越えてるんです」
初めて聞いた、イライザさんの歳。
これはある意味驚きだわ。
『前にも言ったじゃないの? 鬼人は長命な種族だって』
「うん。確かにそう聞いてるけど」
「イライザ殿は、どうみても三十歳くらいにしか見えな――」
父さんの口からぼそっと出てくる素直な感想。
うん。
俺もそれくらいかな? って思ってた。
ナタリアさんのお姉さんくらいに見えたんだもんね。
最初は。
「あなた。いくらイライザさんがこの場にいないからといって。正直すぎるのは、駄目だと思うのです」
ぴしゃりと母さんに怒られる父さん。
「す、すみません」
「わかりやすく言うとですね。鍛冶屋のグレインさんは」
「うん」
「今年、百八十歳になるそうです」
「へ? あれ? 確か鬼人さんって、二百歳くらいが」
『あー、あれ。わたしも本で読んだだけだったのよ。実際はもっと長生きみたいなのよ』
グレインさんは、見た目五十くらいにしか見えないんだよ。
俺よりちょっと年上くらいだと思ってたけど。
まさか、そんな上だと思ってなかったわ。
「そうだったんだ。それは驚きかも」
「人間さんたちと、あたしたち魔族をマナの量で比べるとしたらですね」
「うん」
「お父様とお母様は、どちらかといえば。魔族寄りの人間と言えなくもないんです」
「え? それってどういう?」
『あのね。ウェル。あなたのことをわたし。「新種の魔族」って言ったじゃない?』
「うん」
『ものの例えとはいえ、あれは言い過ぎだって。わたしも思ったわ』
「うん。今は納得してるよ。もちろん」
『ありがとう。けれどね。ナタリアちゃんの話を聞いて。なんとなくそうなんだわって。思ったの』
「うん?」
『魔族は、体内のマナが多くて。マナの扱いに長けた。人間と見た目が違うからそう呼ばれてる種族だって。言われてるのは知ってるでしょう?』
「うん。父さんからもそう教わったことがあるよね」
俺は父さんを見た。
「そうだね。僕も文献にそうあったのを記憶してるけれど」
『その「定義」から言うとね。マリサちゃんもクリスエイルさんも。見た目は人間そのものでも、「魔族」と言えなくはないの。ウェルはお化けなんですけどね』
「酷いよ。……でもそういうことなら」
俺が長命種になったってことならさ。
母さんも、父さんも。
『えぇ。そういうことよ。このまま放って置いても、百以上は軽く生きるわ』
「え?」
「はい?」
母さんも父さんも驚いてエルシーを見てるよ。
「はい。あたしもそう思います。お父様も、あなたより。少し年上くらいの、肌の感じになっていますから」
「確かにそう言われてみたらそうだわ。ロードヴァット兄さんより、フェリアシエル姉さんより。若く見えなくもないかも……」
「嫌だわ、そんなわけ――」
「いや確かに。フェリアシエルより、若く感じる。あの美しくも気高い、マリサに戻っている感じがするよ」
「やめてください。あなた……」
母さん、頬をまっ赤にして、両手で覆っちゃったよ。
でも、母さんも父さんも。
もっと、長生きしてくれるかもしれないってことでしょう?
「お母様」
「なぁに?」
「もしかしたら、お子を宿せるときが、くるやもしれませんよ?」
「もし、そうだとしたらとても嬉しいですよ。でもね、私はウェルだけでいいの。それにほら、娘も、孫もいるんですから」
「はい」
「クリスエイルさんと、みんなのずっと。まだまだ一緒にいられるかもしれない。それだけで十分なんですよ」
「はい」
「あーでも、毎月『あれ』が来るのは、不安でしかないのよねぇ……」
「お母様ったら」
「そしたらこうしてまた、癒やしてくれるかしら?」
「はい。もちろんです」
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