第七十話 父さんからのお願い。
デリラちゃんが俺を見つけてくれて、ナタリアさんが俺を支えてくれた。
もし二人がいなかったら、鬼人族の皆が受け入れてくれなければ。
今こうして父さんと酒を飲むこともなかったんだな。
「ウェル君たちのおかげでここも」
「はい」
「隣の国以上に、発展していくと思うんだ」
「はい」
「クレンラード王国、王都よりも小さかった僕の領都はね」
「はい」
「マリサと二人だったから、狭くは感じなかったんだよね」
「はい」
父さんの言葉が途切れているように聞こえるけれど。
それは、お酒を一口飲んでは、身体に沁みる感じを楽しんでいるからだと思う。
「見ての通り余裕ができていく。住んでいる皆さんも、喜びを感じてくれるだろうね」
「はい」
「僕とマリサを信じてついてきてくれた皆さんも」
「はい」
「ウェル君と、鬼の勇者さんたちのおかげで、更なる安全と明るい未来に希望が持てるはずだ」
「はい」
「ウェル君がほら」
「はい?」
俺は父さんの空になったグラスに、お酒を注ぐ。
「おっと。うん、ありがとう。こんな感じにね、真面目というか、マメというか」
「あははは……」
「君のおかげでその役目を忘れてしまうほど、幸せを感じることができているんだ」
父さんは、遠くを見てる。
あっちは、領都の方。
まだまだ、人の流れは途切れない。
今夜は祭りみたいなものだからね。
「領都に住む皆さんに、窮屈な思いをさせてしまっていたのは、申し訳ないと思っている」
「そう、なんですか?」
「あぁ、そこでね。ウェル君にお願いがあるんだ」
「なんでしょう?」
珍しいかも。
俺に家を継いで欲しいと言ったあの日だけ。
それ以外は、俺にお願いなんてしたことないからさ。
「領都に住む人は、自分の土地を持つ人が少ない。ほとんどが上へ上へと建て増しした集合住宅に住んでいて、自分の家を持っていない。農地も限られた人しか持つことができていない」
「はい」
「それが今はどうだろう? ウェル君たちのおかげで、ここはこんなにも広大な国に変わってしまった。それこそ王都がいくつも入ってしまうほどだよ。これは僕の夢でもあったんだ」
「はい」
「皆にもっと、良い生活をしてほしい。畑を持ちたい人だっていただろう。自分の家を持ちたい人だっていただろう。商売をしたい人だっていただろう。それを我慢して、僕とマリサについてきてくれた領民の皆さん。それに報いる手伝いを、して欲しいと言った――」
「わかりました。いくらでもお手伝いさせてもらいまず」
確かに、狭い領都には、農園を営むものは少なかった。
人が少なかったわけではなく、安全が確保されていて、肥えた土がある場所がない。
この旧領都で栽培していたのは、わずなか種類の根菜だけだと聞いていた。
鬼人族も多くは栽培していなかったが、それよりも少ない実情。
他の穀物や葉野菜は、農作物も王都経由で外からの供給に頼るしかなかった。
きっと父さんがクレンラード王国から独立させる際に、一番頭を抱えていた部分のはず。
「……いいのかい? これは別に」
「いいんです。ここは元々、父さんの領地ですよ? それを僕が預かってるだけ。父さんの思いがあって、父さんの願いごとならば。父さんの好きにやってもらってもいいんです。ほら俺はさ、そういうのが苦手なんで……」
俺には領地経営なんて、難しいことはできないんだよね。
父さんが元気でいられる間はさ、俺は実質『若様』でいいんだよ。
「農園管理をしてくれているアレイラさんも。ここは良く肥えた土地だと言ってましたし。何よりそこの、バラレックさんの建物を見てください」
俺は、街道の始まる最初の角にある大きな建物を指差す。
そこからぐるりと半周させて。
「あの建物以外、まだ何もないんですよ。ここは隣の王都が複数個入ってしまう大きさがあるんですけど、この状態なので」
「そうだね」
「ここは、鬼人族の皆さん、グリフォン族の皆さんだけでは広すぎるんです。だから、父さんの好きにして構わないと思いますよ」
「そうなのかな?」
「俺は現場仕事と、魔獣から守ることしかできないんです。父さんも、母さんを傍で見ていてわかるでしょう?」
「あ、あぁ」
あ、母さんがちょっと睨んでる。
父さんにもそういう部分は厳しかったのかな?
確か父さんって、母さんより年上だったと思うんだけど。
弟のバラレックさんには容赦ない人だからなぁ。
「父さんが全部決めて良いんです。あとは俺たちが手伝うだけなので。それに戻ってきたときの、エルシーの話。おぼえていますか?」
「あぁ。あの『違う種族が云々』という話かな?」
「はい、そうです。この大陸には、鬼人族以外にも様々な魔族の人がいるはずです。もちろんそれは、グリフォン族の人たちがいたからわかったことです。それでもし、困っている種族の方々がいたとしたら、俺は助けたいと思っています」
「やっぱりね。ここはもう、君の国だ。決定は君がすべきだろう。大丈夫、わからなくなったら僕に聞けば良いんだ。そうだろう? 父親なんだから」
「はいっ。ありがとう、父さん」
ちょうど良いから『あのこと』も聞いておこうか?
「あ、そういえば父さん」
「何だい?」
「昼間、こちらに来てすぐに、グレインさんのところへ行ったと聞いたんですけれど」
「あぁ。感動したね。名工と言っても過言じゃないよ。魔石があのような刃に変わるだなんて」
「はい。魔石だけを打って、剣を作るのが夢だったからって。俺が鬼人族の集落に行ってから、討伐した魔獣の魔石を全部預けて、欲望のまま打って貰ったんです」
「あのときのことをね、満足そうに語ってくれたんだ。僕も聞いていて、飽きなかったんだよ」
やっぱり、父さんは武具大好きの男の子だった。
母さんが言ったとおりだね。
「それであの聖剣、いや、魔剣だったかな? あれは?」
「はい。俺が思い出せる範囲で、再現して貰ったんです』
あれと同じ複製品が、ほら、ここの真下に『休眠の台座』を模したものが置かれていた。
あちらの王都では、王城の前だったけれど、こっちでは父さんの城と同じ中庭の中央に飾ってみたんだ。
「あ、あれはもしかして?」
「はい。聖剣、聖槍を模した、魔剣と魔槍です。あ、ちゃんと抜ける人じゃないと、抜けないようになっていますよ。鬼人族の勇者の登竜門として、魔石を扱う制御の練習の代わりに置いてるんです。んー、彼らの成長を見るため。という感じですね」
お酒が多少入っているとは言え、父さんの目は『休眠の台座もどき』に釘付けになっていた。
「あ、あのね。ウェル君」
「はい」
「あれ、僕も抜いてみて、いいかな?」
「別に構いません――おっと」
父さんは椅子から立ち上がる。
すると、軽くふらついてしまうんだ。
「あれ? ナタリアさん」
すかさずナタリアさんが父さんへ駆け寄る。
彼女は振り向いて、心配そうに、それでいて窘めるように父さんを見ていた母さんを見た。
「お母様、申し訳ございません。本当はやってはならないのですが、今日だけは特別ですよ?」
母さんはきょとんとしてる。
父さんも、ナタリアさんが何を言ってるのかわからないはず。
だってさ、俺もわかんないんだから。
「失礼しますね」
そう言うと、ナタリアさんは父さんの左腕にそっと両手を近づける。
「えぇっと。確か、こう、だったかしら?」
あぁ、今気づいた。
ナタリアさんがマナを使うときって、右の角が淡く光るんだ。
綺麗だね。まるで朝日に照らされた、深い湖の水面のようだわ。
「――これでいいはずです。どうですか?」
「お、おや? 身体が楽になった。さっきみたいなふらつきがなくなったようだよ」
「これは、その。あたしが治癒の魔法を覚えた最初に試したことで」
「うん」
「亡くなった母から教わったのですが。父がお酒を飲み過ぎたときにその、……酔いを覚ます方法でした」
なるほど。
ナタリアさんの本当のお母さんから教わったんだ。
そういえば、鬼人族の女性は母親から治癒の魔法を教わるって。
だから今日だけ特別って。
母さんにごめんなさいって言うのも、なるほど。
そういうことだったんだ。
父さんがお酒を飲んでるのは自業自得。
身体がふらついたのも、もっともなことだから。
「本当に、今日だけですからね? お母様にその、悪いですから……」
「うん、ありがとう。ナタリアさん」
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