第五十三話 ナタリアさんの本気。
人間は魔獣より弱い。
派遣されていたとされる聖女も、王女の資格を失った聖女も、治癒の魔法を使えた。
魔獣を倒すことができる、攻撃魔法もあるとは聞いているけど、俺が勇者だった時は、それを使った人を見たことはなかった。
俺はマナを使って、身体の強化と、魔石の操作を行える。
でも、魔法を使える訳じゃないんだよね。
勿論、鬼人族にも治癒の魔法を使える人がいる。
鬼人族の女性は、幼い時から治癒の魔法を教わる。
そんな中でも、ナタリアさんが一番の使い手だと聞いたんだ。
「お父様、手をお借りしてもよろしいですか?」
「どうしたんだい? いつものことだから、心配しなくてもいいよ。こうしてね、大人しく寝ていれば、半日もすれば動けるようになるからね」
建国の宣言を行った夜だった。
デリラちゃんを寝かしつけた後、エルシーが慌てて俺達を呼びに来た。
俺とナタリアさんが客間に来た時、元々身体が弱いのもあるんだけど、ちょっと羽目を外してしまったこともあり、父さんが気分を悪くして、倒れてしまっていたんだ。
「寝ていてください。身体を起こしたら、駄目ですっ」
「マリサみたいに怒らないでくれるかなぁ。ちょっとだけお酒が進んでしまっただけじゃないか。でも、娘に怒られるのも、マリサに怒られるのと同じで、嬉しいやら、困ってしまうやら……」
そんな、戯けるような感じで、笑顔を作ってるけど、相当辛いはずだと、母さんからも聞いてるんだ。
「あなた。心配して駆けつけてくれた娘に、何を言ってるのですかっ!」
「母さんも落ち着いてって」
「……ふぅ。ごめんなさい、ウェルちゃん」
「ほんと、マリサちゃんは、クリスエイルさんに甘いんだから」
「いえ、怒ってるんですけれど……」
顔を真っ赤にして叱りつけていた母さん。
ナタリアさんのことを知ってるからこそ、一安心してたエルシー。
娘に泣かれそうになって、凄く困ってる父さん。
「ウェル君。ナタリアさん、泣きそうなくらいに怒ってるみたいなんだけど。ごめんね」
「いえ、違いますよ。父さんを、心配してるんです」
「そうですっ。……あたし、魔獣で両親を亡くしています。最初の夫も、義理の父も、魔獣で亡くしているんです」
「……そうだったんだね」
「あたし、あたし、……絶対にお父様を死なせたくありません」
「いや、死んだりしないから。僕は、小さい頃から、こんな――」
「黙ってくださいっ。――んっ……」
ナタリアさんは、目を瞑って、何かを探ってるように、『ここじゃないわ。ここでもないわ』と、ぶつぶつと口ずさんでいる。
すると、目を開いて。
「そう。……ここだわ。――むーっ……」
「ナタリアさん、君は――」
「気が散ります、黙っててくださいっ」
「はいっ」
ナタリアさんに怒られて、大人しくなる父さん。
こんなところは、ちょっとだけ、母さんに似てるような気がするなぁ。
ナタリアさんは目を開くと、父さんの胸に両方の手のひらを当てる。
「むーっ……」
再び目を瞑って、彼女の優しい少し垂れた眉がつり上がり、眉間に皺が寄っていく。
相当、強く念じてるのか、彼女の額にはうっすらと脂汗のようなものが垂れている。
「まだっ、まだ足りないです。もっと、こうっ!」
薄暗い客間で、ナタリアさんの両手だけが、薄く光を帯びている。
徐々に、その光は強くなり、魔石で灯す明かりよりも強い光が発せられてきた。
突然、糸が切れたように、ナタリアさんは膝から崩れ落ちて、立っていられなくなる、。
俺は慌てて、彼女の身体を支えたんだ。
「……あれ? どうしたことだろう。身体が、胸が苦しくないんだ」
「――よかったです。あたしも、役に立てたんですね……」
父さんは、楽に身体を起こすことができたようだ。
顔色も、来た時よりかなり良いみたい。
「ウェルちゃん。もしかして、ナタリアさんは?」
そうだね。
勇者だった母さんなら知ってるだろう。
母さんの時にも、派遣されていたとされる聖女が一緒に居たはずだから。
「うん。ナタリアさんは、鬼人族一の、治癒魔法使いなんだ」
「嘘、……でしょう?」
「あのね、鬼人族の女性は、昔から伝わってる独自の方法で、幼少の頃から学ぶんだってさ。母親になった時に、子供を癒やす必要があるからなんだ」
「ちょっと待って、全員が?」
「そうらしいね。ナタリアさん程じゃないけど、ある程度は使えるって聞いてるよ」
「……全員が聖女様と同じ。いえ、それ以上だわ。私と一緒にいた聖女様は、怪我くらいしか治せなかったのよ。一度ね、クリスエイルさんの病を治せないか、相談しにいったの。お金がかかっても、構わないからと。でもね、断られてしまったの。……難しいって。本国に問い合わせてもらったとしても、何年分もの魔石を献上すれば、或いは、と言われたのだけれど」
「そんなことは僕が、させなかったんだよ。マリサにも負担がかかるし、国の財政を傾ける訳にはいかなかったからね……」
聖女が派遣された本国?
母さんが勇者だった頃に、隣国の教会から聖女が派遣されたと言ってた、国のことか。
そこまで魔石に固執してるのか、それとも、魔石は金貨以上の価値があると考えられているのか。
力を出し惜しみしたのか、それともそこまでの治癒力がないからなのか。
俺には理由はわからない。
怪我を治すことはできたのは、俺も勇者だった時に見たことがある。
簡単な発熱や、腹痛程度なら治癒できるとも聞いたことがある。
ただ、父さんのような、生まれついての病は、どうにもならなかったのかもしれない。
ナタリアさんが、フォリシアちゃんの怪我を治した時、ここまで疲弊することもなかったから。
……余計に、わからなくなってくる。
「……それがね、母さん。人間と魔族の違いなんだと思う。俺も含めた魔族は、人間の範疇を超えたものを持ってる。使える。デリラちゃんの、あの能力、見たでしょう? 俺の異常性を見たでしょう? それは、人にはないものなんだ。鬼人族の人達は、生まれついて、マナを使う方法を知ってる。だから、教えても使えるはずのない、治癒の魔法を学ぶことも、できるんだと思う」
父さんが、俺の顔を見て、厳しい表情になっていた。
重々しく口を開く。
「ナタリアさん、無理をさせてしまってすまなかったね。僕なんかのために」
「いえ、お気になさらないでください。家族のためですから」
「そうかい。感謝しても、しきれないよ。それと、ウェル君」
「はい」
「鬼人族のその力。隠し通さなくてはならないね。僕も努力する。ウェル君も、防壁にならなければ、ならない。それはね、領主の、国王の務めでもあるから」
「はい」
「君がどれだけ強いのかは、マリサから聞いて、ある程度は理解できている。おそらく、王国の騎士達と、軍が、まとめてかかっても、君には適わないだろう。今日一日で、近隣諸国が震え上がってもおかしくはない程の、強国が誕生したんだ。それでもね、人の欲というのは底がしれない。ナタリアさんの、デリラちゃんの角。それは魔石なんだろう?」
「……そう、です」
やはり、父さんには、わかってしまっていた。
「僕はこの体たらくだ、それでも全力で家族の為に何ができるか、模索し続ける。少なくとも、政にかけては、僕に任せてくれたらいい。国と国の騙し合いなんて、ウェル君がするべきことじゃない。君は君のやり方で、家族と、国民を守るんだろう?」
「はい。この命、尽きるまで」
「約束だよ。僕がこの世を去った後も、その心を忘れないように」
「はい、父さん」
「ナタリアさん」
「……はい」
「僕の息子、ウェル君を、よろしく頼むね。マリサから聞いてるんだ。彼も、かなりの無茶をするだろう」
うわ、母さん、知ってるんだ。
さては、エルシーが教えたな?
「えぇ。そう、ですね」
ナタリアさんまで……。
「彼を支えて、あげて欲しい。僕の推測だけれど、きっと、この中で、僕が一番早く、この世を去ることになるだろう、からね」
「いいえ、そんなことはさせません。あたし、お父様の病を治してみせます」
「……なんだ。聞いてた通りじゃないか。ナタリアさんも、ウェル君そっくりだ。ほんと、困った息子と、娘だよ……」
父さんが、俺が支えてるナタリアさんの頭を、くしゃりと撫でる。
それは、まるで、幼い娘が無茶をしたときに、窘めるかのように。
そんな父さんの目は、とても優しい物になっていた。
「これでわたしも、安心して」
「えっ? エルシー、何を急に?」
いや、何を言おうとしてるんだ?
「――中断されちゃった、お酒を飲めるわね。クリスエイルさん、あなたは駄目よ。代わりにわたしが、ぜーんぶ、飲んであげますからね」
「それは酷いです。エルシー様……」
脅かさないでってば。
でも、エルシーもほっとしたんだろうね。
「それじゃ、俺もいただこうかな?」
「あら珍しい。ウェルが相手をしてくれるなんて」
「父さんの心配もなくなったし、ナタリアさんが寝付いたら、後で行くから、俺の分、残しといてよ?」
「ゆっくりしていらっしゃい。クリスエイルさんが飲まない分は、残しておきますからね」
「そんな、僕の――」
「あなたは駄目です」
母さんに、ぴしゃりと叱られる父さん。
俺はナタリアさんを抱え上げて、客間を後にする。
「じゃ、行こうか。ナタリアさん」
「はい。あ、お母様、お父様のこと、よろしくお願いします」
「大丈夫よ。私が『しっかりと、見張ってます』からね」
「そんなぁ……」
父さんの両肩が落ちたところで、俺も安心してナタリアさんを寝室に連れて行けるってものだ。
予め、ナタリアさんが『もしかしたら、倒れるかも知れません。その時は、支えてくださいね?』って、言ってたから、気持ちの準備だけはしてたんだ。
ナタリアさんは、俺の腕の中で、デリラちゃんが『だらーん』としてる時みたいになってる。
でも、達成感なのかな、俺を見て、誇らしく笑みを浮かべてるんだ。
そんなナタリアさんは、俺の自慢の奥さんだ。
この人と、デリラちゃんの為なら、俺は何でもできちゃうような気がしてならない。