第五十話 『ぱぱさん』は、勘弁してよ……。
「ぱぱー、あっちあっち」
「ほいほい。あー、いい匂いだねぇ」
「うんっ。ままー、これ、ほしいっていってたでしょ?」
「ちょっと、デリラったら……」
「えへへ」
翌朝、俺達家族三人は、クレイテンベルグの城下町を散策していた。
俺がデリラちゃんを抱き上げて、ナタリアさんは俺の左手、きゅっと握って付いてきてくれる。
別に、この城下町の人達が怖い訳じゃなく、慣れないドレス姿が恥ずかしいんだってさ。
すっごく似合ってるんだけどね。
ちなみにエルシーは、俺の腰でお休み中。
昨日、飲み過ぎたらしく、眠ってしまった瞬間、大太刀になっちゃって、父さんも母さんも驚いたんだってさ。
あ、父さんは同じく飲み過ぎちゃって、夜遅くまで、母さんのお小言が続いたらしいよ。
ひたすら五体投地して、謝ったんだってさ。
さて、ここでちょっと困ったことがあったんだ。
「デリラちゃーん」
このかけ声に、デリラちゃんは『はーい』って、笑顔で手を振ってる。
人見知りが、治ったかのように、可愛らしい仕草で応えてるんだけど。
「ナタリア様、お綺麗です」
「私も、あんな風になりたいわ」
同時にナタリアさんは、更に真っ赤になって小さくなっちゃう。
そんな二人を、ニヤニヤと嬉しそうに見てた時だよ。
「若様、おはようございます」
「おう。おはよう」
俺にも声がかかるのはわかってたんだ。
でもさぁ。
「あ、魔王様だ、おはようございます」
「魔王様ー」
「へ?」
これだよ。
俺はつい、変な声を出しちゃった。
後で聞いた話、昨日のあの場に、バラレックさんとこの若い人がいたらしいんだ。
それで昨晩、こっちに戻ってきて、酒の席でつい、話したらしいんだよ。
それがあっという間に、広がっちゃったようなんだ。
隠すつもりはないんだけどさ、いずれ知られることだろうから。
それでも、『デリラちゃーん』、『ナタリア様』ときて、『魔王様』だもんな。
思わず苦笑いしちゃったじゃないか……。
「まおーさまじゃないよ、ぱぱだよ」
デリラちゃん、ありがとう。
すると、だ。
「ぱぱさーん」
ナタリアさんも、俺の横でクスクス笑ってるけどさ。
『ぱぱさん』は、勘弁してよ……。
こうしてみると、クレイテンベルグの城下町は綺麗だ。
鬼人族の集落とは違い、きちんとした区画に分けられた道と建物の配置。
商業の地区では、建物は多くが二階建てか三階建て。
一階が店舗で、二階以上は家主が住む部屋か、賃借人が住む部屋になっている。
建物の素材は、鬼人族の集落の物に似てはいるが、質はこちらの方が上。
どこからか切り出してきた岩盤を、人の力でも持ち上げられるくらいの大きさに切り出し、それをうまく組み上げて天壁を作っている。
クレイテンベルグ城のものは、更に精巧にできてはいるが、基本は同じだと思う。
人が数人で抱え上げられる大きさに切られた石材なんだけど、鬼人族なら一人で軽々と持ち上げてしまうだろうね。
人間と魔族である鬼人族の、マナの使用方法の違いでもあり、保有するマナの絶対量が違っている。
人間達のほとんどが、あの聖剣と聖搶を使えなかったのがその証拠。
俺は勇者だった頃、エルシーにあれこれされたおかげで(説明はしてもらえなかったけどね)、人間を、鬼人族を超えた存在になってしまっている。
かといって、俺に家が建てられるかといえば、それは無理。
やはり専門職の人じゃないと、そういうことはできない。
だから俺達家族は、鬼人族の職人さん達が来るまで、こうしてゆっくりさせてもらうことになったんだ。
まぁ、ゆっくりとはいっても、俺は朝方早く、ルオーラさんの背中に乗り、鬼人族の集落に飛んでもらって、鬼の勇者達から周囲に魔獣被害の恐れがないかの報告を受け、今度は王国とクレイテンベルグ周辺の警戒も終えて帰ってきた。
今のところ、慌てて駆除をする必要はないみたいだね。
もしかしたら、俺達が駆除したあの森が、この地域では魔獣の発生源になってるのかもしれない。
一度きちんと調べてみないとだね。
あの地域に俺の国を創るんだから。
この商業地区で売られている物は、バラレックさん達の商隊が、集落に持ってきてくれた物もあった。
今すぐ消費するような必需品以外の、衣類や小物、嗜好品なんかも種類多く陳列された店がある。
鬼人族の生活は、ここに比べたら本当に、地味だ。
俺と鬼の勇者達が魔獣を駆除するようになって、魔獣に怯える生活から脱却でき、今やっと、少し上の豊かな生活を目指している段階。
魔獣の脅威という意味では、このクレイテンベルグと鬼人族の集落はあまり変らない。
そこに今まで、勇者という人柱が、いたかどうかの違いでしかない。
俺が無知だったせいもあるけど、魔石はこのクレイテンベルグや王都では、あらゆる場所で利用されていることを最近知った。
取り出したばかりの魔石は、魔獣の体内にあったマナが含有されていて、それを取り出す魔法の術式が掘られた装置を経由させることで、そのマナを元に簡単な動力として使うことができるそうだ。
体内に宿るマナの少ない人間が考えた、魔法を応用した技術。
鬼人族に伝わっていないのは、文明的な違いなんだろう。
例えば、昨日入った浴室のお湯。
あれを地中深くから組み上げるのも、魔石のマナを利用してるらしい。
鬼人族は、魔石の存在を知ってはいたが、魔獣と対抗する力が弱かったのと、その技術を知らないため、魔石は交易の材料になる、という程度のものでしかなかった。
俺は正直、魔法に関しては全くの無知。
それはエルシーも同じだ。
鬼人族であるナタリアさんが使う治癒の魔法は、魔法であって魔法ではない。
彼女から少しだけ聞いたことがあったけど、治って欲しい、そう念じることで、マナを消費して治癒効果を顕現させるらしいんだ。
デリラちゃんが持つ、遠く離れたところを見通す遠感知。
それもおそらくは、無意識にマナを消費してるんだろう。
俺は魔石を多少操るのと、今は意識的に身体能力へ影響させる方法をとれるだけ。
まぁ、それでも、鬼人族の皆と比べても、化け物なんだろうけどさ。
俺達は、今まで駆除した魔石を換金してもらったから、正直、お金はある。
鬼の勇者の皆へ、一部、父さんへ渡したお金を引いても、かなりの金貨が手元に残ってるんだ。
国を創るのに必要なものでもあるから、散財はできないにしても、少々であれば使っても怒られたりはしないだろう。
ナタリアさんがさっき欲しそうにしていたのは、花や香草から抽出された香油。
鬼人族の今までの生活から考えたら、かなりの贅沢品になるんだろう。
「あのさ、ナタリアさん」
「はい」
「それくらいは、俺が買うってば」
「いえ、あたしにはもったいないです……」
遠慮するんだよなぁ。
今まで、生きていくだけで精一杯でもあった、鬼人族。
その中でも、節制を余儀なくされた生活の中、こういうものが身近になかった。
そのため、欲しいと思ったことも少なかったんだろう。
「すみません」
「はい、あ、若様じゃないですか。何を差し上げましょう?」
「デリラちゃん、ままは、どの匂いがいいって言ってたかな?」
「んっとね。すんすん……。あ、これだよ」
一つずつ香油の入った小さな壺を、デリラちゃんの前に持って、香りを確かめてもらう。
「あなた、そんな、贅沢は……」
こうだからさ。
もう、問答無用で俺が決めちゃわなきゃないんだよ。
「じゃ、これを」
「はい、ありがとうございます。ひとつ、銅貨十五枚になりますが、よろしいでしょうか?」
「金貨しかないけど、構わないかな?」
「はい。では、お返しになります。お買い上げ、ありがとうございました。またのご贔屓をおねがいしますね」
「うん。ありがとう」
俺は香油の壺の蓋を開けると、ほんの少しだけ手のひらに垂らす。
それをナタリアさんの手の甲に塗ってあげた。
「どう、かな?」
すごーく、困った表情をしてたナタリアさんだったけど、自分の手の甲から香る、その香油の香りを嗅ぐと、表情が柔らかくなっていく。
あー、うん。
俺もこれは、好きかな。
「はぁ……。とても良い香りです。――あ、こんな」
「いいんだ。俺達が稼いだお金だから、少々は使ったって悪いことはないだろう? それにさ、俺も、この香り――」
「デリラちゃんも、すきー」
デリラちゃんに、先に言われてしまった。
淡く香る、甘く透き通った香草から抽出された香油なんだろう。
「あのね、ナタリアさん。まだ、自覚してないと思うけどさ、俺はこのクレイテンベルグの領主の息子だよ? 俺達がお金を使えば、ここにいる人たちの懐が温かくなる。そうすることでね、クレイテンベルグも豊かになるんだ。いずれ俺が国を創れば、物資はこのクレイテンベルグから買うことになる。俺は魔獣を倒して、お金を沢山稼ぐよ。ナタリアさんは、あまり遠慮したら駄目。わかるかな?」
「はい……。頭では理解しようと思うんですけれど、それでも今までこんな、考えを持ったことがなかったので」
「うん。ゆっくりでいいからさ。家族のこともそう。でも、俺達を支えてくれる、鬼人族の皆、クレイテンベルグの皆の生活のことも、考えていこうね」
「はい。あなた」
今まで、デリラちゃんの母親。
俺の嫁さん。
そう変っただけでも、頭が追いついてこなかっただろうさ。
その上、領主の息子の奥さん。
いずれ、王妃になるんだから。
ナタリアさんも、大変だと思うよ。
「ぱぱ」
「ん?」
「デリラちゃん、あれ、ほしいな」
デリラちゃんは、やっぱり、お姉ちゃんな考えを持ってるんだ。
遠慮してるナタリアさんに気を遣ってるのか。
女の子らしい、おねだりをしてくれた。
「どれかな?」
「あの、あまあまーの、おかしー」
「はいはい。それひとつお願いできるかな?」
「はい。若様、ありがとうございます」
銅貨と引き換えに、木の串に刺さった、甘い焼き菓子をひとつもらった。
「はい、デリラちゃん」
「ぱぱ、あーん」
デリラちゃんは、その小さな口を大きく開けてる。
「はい。美味しい?」
「んくんく。あまあまで、ふわふわで、おいしー」
満面の笑顔。
妖精の微笑み。
うん、うちのデリラちゃん、無敵だわ。