第四十六話 やり残した最後のお勤め。
俺は、クリスエイル父さんの目を見て、首を横に振る。
「大丈夫です。これも、立派な俺の仕事です。国王になるんです。これくらいのことできなきゃ、駄目でしょう?」
「……そうだね。上に立つ者は、時として嫌われ者を演じる必要があるね。よくわかってるよ。本当は僕が教えないと駄目だと思ってたんだよね」
「例の元騎士団長を処分したとき、そう思ったんです」
「そうかい。人を斬ったのかい……」
「いいえ。俺が命令して、魔獣に食わせました」
「酷いな、君は」
「そりゃそうですよ。俺は人間じゃありませんからね。立派に、魔族の王。魔王を演じてきますよ」
俺もクリスエイル父さんも、同時に笑った。
斬る価値もないと、そう、判断を下したのも俺。
「(エルシー、聞いてたでしょ?)」
「(えぇ。立派よ、ウェル。お勤め果たしていらっしゃい)」
「(デリラちゃんとナタリアさん、少しの間お願いね。聞かれたらさ、ぱぱ、お仕事いってくるからって、伝えて欲しい。暗くなる前に戻るからさ)」
「(大丈夫よ。今、マリサちゃんと四人でね、目一杯楽しんでるから。安心して)」
「(うん、じゃ、行ってくる)」
「(いってらっしゃい。ウェル)」
俺は目を瞑って、深く息を吸って、吐いた。
「エルシーとも話しました。今、買い物しながら、楽しんでるそうです」
「そんなことができるんだね。羨ましいな」
「これからは、いつでも遊びに来れますから。では、ちょっとだけ行ってきます。クリスエイル父さん」
「あぁ、行っておいで」
俺は部屋に置いてあった、聖搶ヴェンニルだった槍を持って、扉を開けた。
扉の外にはルオーラさんが待っててくれていたよ。
『ウェル様。お出かけですね?』
「そうだね。俺、王国で最後の仕事を片付けてくるから、送ってくれるかな?」
『かしこまりました。どこまでもお供いたします』
俺はそのまま、通路を抜けて、中庭に出た。
ルオーラさんの背中に飛び乗ると、すぐに上昇していく。
『実は私も、人の国は初めてでして、楽しみで仕方ありません』
「別に遊びに行くわけじゃないんだけど」
『いえ、どれだけ私の姿に驚いてくれるか興味があったのです』
「趣味悪いね」
『人間じゃありませんから』
「なんだ、聞いてたんだ」
『あれだけ大きな声で話されてたんです。聞こえてしまいますよ』
「それもそうだ」
ルオーラさんに乗せてもらえば、王都まではあっという間だろう。
さて、王国最後の仕事だ。
二十年にはちょっと足りないけど、改めて、勇者引退だね。
▼▼
王都の上空。
若者達が、勇者に憧れて、聖剣を、聖槍を抜く試練の場所。
王宮の正面にある広場、それも目立つ場所にそれはある。
聖剣エルスリングだけが刺さる、『休眠の台座』。
俺はルオーラさんに指示して、目の前に降りてもらった。
ルオーラさんの姿を見て、蜘蛛の子を散らすように、人々が逃げていく。
きっと、魔獣と見間違ったんだろうね。
「あははは。やっぱりこうなるよね」
『予想以上で、嬉しいです』
降り立った場所に、騎士達が剣や槍を持って集まってくる。
中には、見知った顔もいるみたいだ。
「ウェル殿ではありませんか。ところで、そのま――」
「君は確か、副団長の」
「は、はい。ボーネットです」
「ボーネットさん。悪いんだけどさ、いるでしょう? 国王と王妃。あと、勇者のベルモレット。呼んできてくれないかな?」
「はいっ。確認してきます。少々お待ちください」
そんな、畏まって敬礼なんてしないでって。
俺、勇者じゃないんだからさ。
あ、走って行っちゃった。
仕方ない。
俺は、『休眠の台座』に刺さってる、聖剣エルスリングを握った。
ほんのちょっとマナを流して、……あっさり抜けるなぁ。
そんな俺の姿を見て、思い出した人が口にした。
「あの人、勇者様じゃないか?」
「そうだ。ウェル様だっ」
そんな声があちこちから、聞こえてくる。
徐々に歓声に変ってくるんだけど。
俺は後ろを向いて、マナを使って一瞬だけ威圧してみた。
すると、人々の表情が固くなる。
弱い魔獣だって近寄らないんだ。
人間だったら、怖いよな、そりゃね。
静まりかえった王宮前に、ロードヴァット兄さん、フェリアシエル姉さん。
ボーネットさんに連れられた、何やら、複雑な表情をしてるベルモレット君がやってきた。
俺は、一呼吸してから、声を大にして宣言する。
「国王、王妃。勇者ベルモレット。そして、民衆よ、よく聞け」
しんと、水を打ったような王宮前広場に、俺の声が響く。
「俺は、俺のために、この国の勇者という存在を消しに来た」
すると、人々がざわついてきた。
そりゃそうだ。
勇者を消すって言ってるんだからね。
「よく見るがいい。この、聖剣エルスリングは聖剣じゃない。その昔、魔族に攻め入って、手に入れた魔剣だ。人間が使っていいものではなかったのだ。だからここで、俺が壊す」
俺は聖剣にマナを流す。
金属と魔石部分を分離するように念じながら、ね。
聖剣エルスリングから、ぼたぼたと落ちるように、魔石の部分が剥がれ落ちていく。
本当は、玉にできるんだけどね、演出だよ、演出。
ルオーラさんに元聖槍を渡してもらうと、俺は、人々に見えるように槍を掲げる。
「俺は前勇者より聖槍、いや、魔槍ヴェンニル奪い、こうして壊してやった。これで、魔剣エルスリングも同様、ただの鉄の塊だ」
俺は魔剣だったそれを、足下に転がした。
ベルモレット君が、真っ青な顔になってるわ。
ごめんな。
こうした方がわかりやすいからさ。
「人が振るうには、過ぎた代物だった。これらは、人の生命、マナを吸い上げる。ベルモレット、お前にも心当たりがあるだろう。遅かれ早かれ、確実に、命を落とすところだったのだ。感謝するがいい」
彼も、槍を振るった後、何かをごっそりと持って行かれたのを、勿論気づいてるだろう。
その証拠に、顔が真っ青になってるのがよくわかるよ。
「これで、この国には、勇者が振るう、聖剣も聖槍もなくなった。もう、この国には勇者は現れない。俺は宣言通り、『この国の勇者という存在を消した』、という訳だ」
ロードヴァット兄さんも、フェリアシエル姉さんも、驚いてる。
本当に聖剣を破棄するとは思ってなかっただろうからね。
「俺は勇者だったが、再び、勇者として王国に戻ってくるつもりは、さらさらなかった。……それは何故かって? あんた達でもわかるだろう? 俺は、俺に石を投じた者を許すつもりはない。俺は忘れない。俺を極悪人と罵り、石を投じてきた者達の表情を。そんな者のために俺が戻ってきたとでも思ってるのか? 馬鹿を言っちゃいけない。そんな都合のいい話、ある訳がない」
ありゃ。
罪のなすり合いまで始まっちゃったよ。
「ベルモレット、この槍を持ってみろ。握りの部分に特徴がある。聖槍のなれの果てだと、わかるだろう」
俺はベルモレットの前まで歩くと、彼に槍を渡した。
何度も握っただろう。
何度もこれで鍛錬をしただろう。
忘れる訳がないよな。
彼も勇者だったんだ。
「……はい。間違いないと思います」
「なら、それを使って、俺を突け」
「えっ?」
「俺のせいで、お前の好きな、マリシエールとエリシエールは王家を追放された。悔しくはないのか?」
多少、その思いがあっただろう。
俺がいなければ、勇者としてちやほやされてたんだ。
見た目だけは綺麗な元王女二人に、優しくされてたんだ。
「どうした? お前は、何かの間違いで勇者になったのか? その程度で俺を見下したのか? ――いいから突けっ!」
俺の声で反射的に身体が動いたんだろう。
俺の腹目がけて、槍を突いてくる。
ところが、俺の予想通りになった。
「あれ? 何故……」
俺の服が裂けたけど、それだけ。
腹には一切刺さることもなかったんだ。
そりゃ、こうなるわな。
俺は予めマナを皮膚の内側に薄く流してたんだよ。
聖槍じゃないただの槍じゃ、俺は貫けない。
傷も付けられないんだよ、元騎士団長もそうだったからね。
俺はその槍を握って、ベルモレットから奪う。
そのまま『休眠の台座』の横にある立て看板に向けて、槍を振り降ろした。
看板は斜めに真っ二つ。
ロードヴァット兄さんとフェリアシエル姉さん。
ベルモレットも唖然としてる。
「見たとおり、よく斬れる槍だ。だが、どうだろう? 俺には刺さらなかったな? 服だけ裂けたようだが」
声にならないよね。
「それは俺が、人間じゃないからだ。忘れたか? 生きている魔物は、聖剣と聖槍以外で傷つけることができないことをな。ご苦労だった、ベルモレット。魔槍も魔剣もないこの国では、お前はもう、勇者ではない。……別の道でも、模索するんだな」
ベルモレットは、魔獣を倒したことがある。
だから思い出しただろうさ。
握ったときに、マナが持って行かれる感覚がなかったことをね。
ロードヴァット兄さんも、フェリアシエル姉さんも、俺の言ってる意味がわかってきたみたいだ。
「俺は人間じゃなく、魔族だ。だから、普通の槍では、傷つけることすらできんのだ。……これでもう、勇者はいない。……これでもう、魔物を倒せる者はこの国にはいない。……だがな、俺は魔物を狩る。ここに来る魔物は俺の物だ。他の誰にも倒せやしないだろう? ならば王国は、その代償を俺に払え。俺は金のために、お前達に代わって、魔物を請け負うんだ。金を払わねば、魔物を放置する。いいな? 理解できたか?」
ロードヴァット兄さんも、フェリアシエル姉さんも、無言で頷くだけ。
俺はそんな三人を尻目に、ルオーラさんの背中に乗った。
真紅の刀身が光る小太刀を抜くと、俺は宣言した。
「俺はウェル。魔族の王、魔王ウェルだ。俺はお前達を許さない。だから、魔王となった。お前達のせいで、俺は変ってしまった。人間達よ、己のしでかした愚かさを、努々忘れぬことだな」
これで仕事がやりやすくなるだろうからね。
俺はロードヴァット兄さんと、フェリアシエル姉さんを見てから、ひとつ頷く。
これで、王国から烙印を押された勇者として、最後の仕事を終えることができたんだ。
それからルオーラさんの背中を、ぽんぽんと叩くと、その大きな翼を広げて、王国の空へ上昇してくれた。
グリフォンの背に乗って飛び立った、魔王と名乗った俺を、きっと人々は忘れないだろうからさ。