第三十四話 『これは困った……』
俺とエルシーの仮説でしかないけど、魔剣と魔槍は持ち主を選ぶわけじゃなかった。
勇者選別の義で『聖剣、聖槍を使いたい』という意識で、『休眠の台座』から引き抜くことができれば勇者になれる。
ただそれは、魔剣を扱うことができただけだけで、決して使いこなせている訳ではなかった。
一定以上のマナを持たないと、魔剣も魔槍も扱えない。
魔槍の方が魔剣よりもマナの消費量が多かったことで、まるで『選ばれているかのように』思ってしまっただけなのである。
だからこそ俺とエルシーは『人間が魔剣を、魔槍を扱う危険性』を説いていったんだよ。
しかしまぁ、クリスエイルさんは流石に公爵だけはあるのか。
こんな突拍子のない話や、エルシーの正体を知ってたというのに、全く動じることはないんだ。
それどころか、嬉しそうに話を聞いてるし。
勇者だったマリサさんと結婚したくらいだから、多少の事では驚いたりはしないのかね。
ここまでの話、マリサさんにも思うところがあったんだろう。
凄く難しい顔をしてるんだ。
「……そうですね。私もここ数回。討伐を行うごとに、休んでも疲労が抜けない感がありました。現役だった頃と違い、ここ数日の調子は下がる一方です。歳のせいにするつもりはありませんけれど、エルシー様に守られていたと考えると、なるほどと思うことも多いのですよね……」
「恐らくそれが、マナの枯渇という状態だと思うんです。その状態を繰り返すことで、間違いなく命を縮めてしまうかと……」
「……でもね、私が抑えることしかできなかったあのオークを、ウェルちゃんはあっさりと倒してしまったわ。あれはどういうことだったのかしら?」
そりゃそうだね。
その辺りも説明しなきゃいけないのかな、って思ってたんだ。
さて、どこから話したもんかね……。
「マリサさん、俺はね。今の嫁さん。ナタリアさんと一緒になるときね、超えられない壁にぶつかったんだ。鬼人族は、人間よりも長命な種族なんだって。俺はナタリアさんと一緒の時間を歩めないかもしれない。先に死んじゃって、ナタリアさんとデリラちゃんを残していなくるのが怖かったんだ。そんなとき、エルシーが背中を押してくれた。『あなたとっくに人間じゃないわよ』ってね。驚いたけどさ、嬉しかったんだ。俺さ、初めて女性を好きになったんだ。ナタリアさんの娘のデリラちゃんもね、人間じゃないけど愛おしく感じてた。俺のことを、エルシーが強くした副作用だって、教えてくれたんだ。エルシーに言うにはね、『新種の魔族』みたいなものなんだってさ。だから力も強いし、人より速く動ける。あの程度のオークなら、手合わせの準備運動にもなりゃしないんだよね」
マリサさんはエルシーを見た。
エルシーはひとつ頷いてからさ、こう言ってくれた。
「そうね。わたしは魔剣や魔槍に残った、勇者たちの心残りが産んだ、残り滓なのかもしれないわ。……マリサちゃんを助けようと思った。それはなんとかできたわ。でも、言葉を伝えることはできなかったの。──ウェルはね、わたしが『また守らなきゃいけないのね』と言ったらね。『どうして?』って言ってくれたの。そのとき初めて、ウェルと会話ができることがわかったのよ。十九年、ただ見守るだけは、寂しかったわ。同時にね、凄く嬉しかったの」
そうだったね。
『勇者だからって、なんでもできると思っちゃ駄目よ』ってすぐに叱られたっけな。
なんかさ。
母さんに怒られてるみたいで、それでいて心地よくてさ。
素直にエルシーの言うことを聞くようにしたんだっけな。
「わたしも必死だったわ。まだまだ子供だったウェルを絶対に死なせたらいけないって。わたしが知ってる剣術は全て教えたのよ。でもね、ウェルは強くなったと思うとね、すぐに無理をしようとするの。『もっと魔物を倒さなきゃ』って。魔物は、ウェルの両親の敵だったからなのね。だから、なんでもしようと思った。せっかく一人っきりじゃなくなったのよ。死なせないためにどんな些細なことも試したわ。それで気づいたら、ちょっとやりすぎちゃったのね」
「あの時も聞いたけどさ、やりすぎちゃったって、酷くない?」
「いいじゃないの。結果的にナタリアちゃんと一緒になれたのよ?」
「まぁ、それは感謝してるけどさ」
俺があっさりとあの魔獣を倒した理由に納得できたのかな。
マリサさんはクリスエイルさんと顔を見合わせて、くすっと笑ったんだ。
「そうじゃないかと思ったわ。私もヴェンニルを長年使っていたから、わかるのよ。――ウェルちゃん、強すぎたんだもの」
「えっ? それってどういうことですか?」
そりゃ魔獣を倒した数なんて数えきれないくらいだったよ?
だからってさ、俺、勇者だったから。
まぁ、エルシーから教わった剣術も半端なかったけどさ。
騎士たちと手合わせしたって、負けたことなかったもんね。
さっきまで微笑んでたマリサさんが、何やら難しい顔をしてるんだ。
どうしたんだろう?
「ウェルちゃん」
「はい」
「知らされてなかったと思うのだけれど。あなたはね、本当は死罪だったの……」
「…………」
そりゃそうだよな。
俺だって覚悟はしたさ。
たださ、俺の記憶にはあの事は全く残ってなかったんだ。
『やってないこと』の証明なんて、あの時の俺にはできないことだってわかってたんだ。
「夫と私、ロードヴァットとフェリアシエル以外の貴族は死罪相当だと。特に伯爵は引かなかったわ。あなたを慕う者もいれば、とことん嫌っている人もいたものね……。でもね、もし何かあったら、私が責任を持つからって、お願いしたの。ウェルちゃんが生きてさえいれば、大丈夫だと思ってたわ」
やっぱりそうだったんだ。
俺への裁きが下った時、不思議と国外追放ってことになってて、改めて驚いたよ。
いや、確かに。
食べるものも飲み物も底をついて、鬼人族の集落にたどり着いたとき。
動けない、と思っちゃっただけだったのかもしれない。
俺だってあの時はもう駄目だと思ったよ?
でもさ、『死にそうな感じ』は、不思議としなかったもんな。
エルシーもあまり心配しなかったことを今考えると、そういう意味があったんだね。
最初から言ってくれたらよかったのにさ。
今まで黙って聞いてたクリスエイルさんも、『なるほどね』という表情になってる。
「そうだね。僕もマリサを信じることにしたよ。もし、ウェル君が再び何かをしたとしたら。僕とマリサは命をもって償うって、死罪を撤回させたんだ」
「ちょっと待ってください。マリサさんもクリスエイルさんも。なんでそこまで?」
エルシーは二人の話を黙って聞いてるし。
あれ?
エルシー、笑いを堪えてない?
「あのね、ウェル君」
「はい」
「マリサはね、ウェル君が務めを終えたら、息子として迎えたいと言ってたんだ。僕はね、身体が弱くて、この屋敷から外に出られなかったから、マリサから君の話を聞くのが楽しかった。まるで、僕たちの息子が活躍しているようでね。だからいずれ、君と会える。それだけを楽しみにしてたんだよ」
「あなた、それは言わないでって……」
あぁ、それで、俺が幸せに暮らしてるって言ったとき、寂しそうな感じだったのか……。
あのさエルシー、もうバレバレだってば。
『ぷっ』って吹き出しちゃってるし。
「あのね、ウェル」
「ん?」
「わたしにとって、マリサちゃんはね。歳の離れた妹みたいな感じだったわ」
「そうなんだ」
「だからね、なっちゃいなさいよ。二人の息子に」
「いや、無理でしょ。だって俺、鬼人族の族長だよ? 人間じゃないんだよ?」
「だから?」
「いや、『だから』、って。俺は魔族と同じなんだよ? マリサさんとクリスエイルさんとは、一緒の時間を歩めないんだ」
ナタリアさんとは逆の意味で。
俺には無理なんだよ……。
そりゃマリサさんのことは大好きだよ?
亡くなった母さんみたいに優しいし、怒ると怖いところも似てるしさ。
ここまで思ってくれてたクリスエイルさんだって、尊敬できるさ。
でもさ……。
「ウェル君」
「はい」
「親はね、子より長生きしないものなんだ。僕もマリサもね、君より先に死ぬのは、ごく自然なことなんだよ。ウェル君がクレイテンベルグの名を継いでくれるのなら、僕としても嬉しいんだ」
「それはそうかもしれませんけど──」
「ウェルちゃん」
「はい」
「エルシー様と話をしたの。そうしたらね、一緒に見守りましょうって言ってくれたの。それにね、私と夫が死んだ後も、エルシー様が見守ってくれるのでしょう?」
「それは約束するわ。それがね、人でも魔族でもない誰かが。わたしをこの姿でここに存在させた意味だと思うのよね」
驚いた。
でも、どうすりゃいいんだ?
俺、集落から動くつもりないんだよ。
「あの、俺。マリサさんとクリスエイルさんのお気持ちはありがたいと思ってます。でも俺には、愛する妻と可愛い娘がいるんです。血は繋がってませんけど、俺のことを『ぱぱ』って呼んでくれて、甘えてくれるんです。それに、俺には義理の母もいます。俺を慕ってくれる鬼人族の人々もいるんです。皆を置いて、俺だけここに、残るわけには……。その、ごめんなさい……」
「……そうだったのね」
俺はテーブルに頭を擦り付けた。
無理なんだよ、どう考えてもさ……。
「もちろん、俺を慕ってくれていた子供たちや、若い人たちには悪いとは思います。ですが、俺に石を投げつけた人のためには、戻りたくはないですね」
苦笑しながら、恐る恐る顔を上げてみたんだけど。
あれ?
やめてっ。
そんな優しい目で見ないでって。
マリサさんも、クリスエイルさんも。
エルシー。
何で、にやっと笑ってるの。
俺、おかしいこと言わなかったよね?
「……ウェル。あなたさっき、ヴェンニルをただの槍にしなかったかしら?」
「え゛?」
ちょっと待って。
確かに魔槍から魔石部分を剥がしちゃったけど。
あれって。
「あれって、エルシーがやれって……」
エルシー。
膝を叩いて笑わないでってば。
「──ぷぷぷ……。あらぁ、大変ねぇ。マリサちゃんも今の勇者も。『聖槍ヴェンニル』がなければ、どうやって魔獣を倒すのかしら? 聖剣エルスリングだって、ウェルが使ってた時には、相当くたびれてたはずなのよね」
エルシーは『してやったり』という感じのすっごく悪い微笑みを浮かべてるよ……。
「……エルシー、わかっててやらせたね?」
「そんなことはないわ。あれは必要なことだったわよ。マリサちゃんに使わせたくなかったんだもの」
「だったら俺、悪くな――」
「あのねウェル。もしあなたが処刑されていたとしても、今のあなたの状態なら、死ななかったかもしれない。でもね、ナタリアちゃんとデリラちゃんに、出会う機会をくれたのも、……また、マリサちゃんだったのよ? まるで母親が息子を送り出してくれたみたいじゃないの。あなたの命を救ってくれたのは、マリサちゃんじゃないの。誰もこの国に戻れなんて行ってないわ。ウェル、マリサちゃん家の名前くらい継いであげても、罰は当たらないと思わない?」
「…………」
確かにそうだよな。
だとしてもさ……。
「ウェル」
「はいっ」
「ルオーラさんたちに協力してもらえば、ひとっ飛びじゃないの。朝の巡回を少し広くするだけでいいんじゃないかしら? 皆で一気にやってしまえば、朝食前の運動みたいなものでしょう? もちろん、手間賃はこの国からしっかり出してもらえばいいのよ。そうすれば集落の財政も、もっと潤うと思うわ」
「えぇっ?」
「ナタリアちゃんにもデリラちゃんにも、もっと良い暮らしをして欲しいと、思わない? 『ぱぱ』さん」
あまりにも適当な、それでいて要点を得ているエルシーのそんな提案を聞いて、マリサさんとクリスエイルさんは、笑顔になっていた。
「うーん……」
「悩んでるところ申し訳ないけれど、僕から提案があるんだが、いいかな?」
クリスエイルさんが手を上げて、何やらいたずらっ子のような表情を見せたとき、扉がノックされた。
執事さんの声で、『ロードヴァット様、フェリアシエル様がお着きです』と声がかかったんだ。
頭がぐちゃぐちゃしてて困ってた。
でもとりあえず、マリサさんの養子になる話は保留になりそうだ。