第三十三話 なんとか間に合った。
俺の足で歩いて半月の距離だとしても、グリフォン族のルオーラさんなら半日もかからない。
俺はマリサさんにはまるで甥っ子のように可愛がってもらったんだ。
エルシーなんて、俺と出会う前、十数年一緒だっただんだ。
俺なんかより知り尽くしてるんだろう。
あの国にエルシーがいない今、マナの消費する量は昔の比ではないはずなんだ。
俺たちははやる気持ちを抑えて、マリサさんの心配をしながら現地に向かってもらってる。
『あの子、大丈夫かしら……』
「大丈夫。マリサさんならそう簡単に倒れたりは。──あの人無理するからなぁ」
『……そうね。ごめんなさい、急いでくれるかしら? ルオーラさん』
『はい。もう少し速度を上げます。ウェル様、振り落とされないでくださいよ?』
「わかってる」
ひぃっ。
風圧が洒落にならない。
それでも鬼人族の集落を飛び立ってから、あっという間に魔族領の外れが。
人間の住む領域が見えてくる。
最初は小さな集落が。
少し大きな町が。
その少し先に、上空から見ると初めて見るクレンラードの城下。
あんな形をしてたんだな。
城壁の前には人だかりが見える。
その先頭には槍を持った女性。
間違いない、あれだ。
「ルオーラさん、魔獣の群れの後ろに下ろして。あとは安全な場所で待機してくれたらいい」
『──馬鹿なことを言わないでください。あの程度の輩に臆する私ではありません』
ルオーラさんはそう言うと、地面ぎりぎりまで急降下する。
着地の直前にふわっと衝撃を和らげてくれる。
「ありがとう。エルシー」
『えぇ』
俺は大太刀を抜く。
目の前に群れるのは、オークの集団。
数はおおよそ二十程。
見えるものを片っ端から斬り捨てていく。
俺の横でルオーラさん、爪でひと掻きするだけでオークが縦に三分割……。
鬼の勇者たちより強いんじゃね?
やべっ。
マリサさんたちが抑えてるのは、将軍クラスじゃねぇか。
アホか、そこまで育つくらいに今の勇者君は使い物にならなかったのかよ……。
俺が何のために討伐しまくってたのか、わかってないのか……、あ。
あれが騎士団長じゃ、駄目か。
ボロボロになりながら、なんとか抑え込んでる。
腕は落ちてないみたいだけど、如何せんお歳だからな。
「どいてっ、マリサさん」
「……その声、ウェルちゃん?」
げっ。
その呼び方やめてってあれほど言ったのに……。
俺はマリサさんの前に出て、俺の倍はありそうなオークに対峙する。
大太刀を抜いて、下から斬り上げる。
もちろんあっさりと縦に真っ二つ。
『チンッ』と音を立てて鞘に納めると、俺はそこにいる騎士たちに魔石の回収を指示する。
俺を知ってるんだ、二つ返事でオークの死骸にすっ飛んでったよ。
俺は大太刀を鞘ごと腰から抜いた。
その瞬間、青白い光を発してエルシーは人の姿になった。
「マリサちゃんっ。もう、その槍は使っちゃ駄目。ウェル、魔石部分を剥がしちゃって」
「はいよ」
俺はぽかんとしてるマリサさんの手から、魔槍を取り上げた。
マナを込めると、魔石操るようにして、魔槍から魔石の部分を剥ぎ取る。
くすんだ赤い魔石の珠にして、魔槍をただの槍にしてしまった。
その手際に驚く暇もなく、エルシーがマリサさんを抱きしめちゃったものだから。
「……ど、どなた様でしょうか?」
そりゃ驚くわ。
大太刀が人の姿になっちゃったんだからね。
「俺の母さんでもあり、聖剣聖槍の守護をしてくれてた人ですよ」
「ウェルちゃんの? 確かご両親は亡くなったのではなかったかしら?」
「あのね、わたしは昔『エルスリング』という名の勇者だったわ。知らない?」
「……えっ?」
「今はエルシーと名乗ってるの。あなたが勇者だった頃、ずっと見守ってたのよ」
「……といいますと?」
「そうね。マリサちゃんの右のお尻に魔獣の爪の跡があることとか」
「えっ?」
「マリサちゃんの旦那さん、クリスエイルさん、だったかしら? 一目惚れだったのよね?」
「えっ? えっ?」
「マリサちゃんが十六歳の頃から一緒だったのよ。ぜーんぶ知ってるわ」
俺は聞いてはいけないと思って、耳を塞いだ。
それはもう、なんていうか。
生々しい女性だけの話になっちゃったし。
「……あのさ、エルシー。それくらいにしてあげたら?」
「そうね。バラレックさんからある程度のことは聞いてたわ。ありがとう、ウェルを信じてくれて」
「いえ、その。私にとっても息子、……いえ、甥っ子みたいなものでしたので……」
やっぱりね。
可愛がってくれたもんな。
「マリサさん。バラレックさんから聞きました。その、色々ありがとうございました」
マリサさんはエルシーの顔を見た。
エルシーはひとつ頷いて、彼女の背中をぽんと押してくれたんだ。
すると、俺をぎゅっと抱きしめてくれた。
「いいえ。ロードヴァットにお願いするくらいしかできなかったの。私こそ、何もしてあげられなくてごめんなさいね」
エルシーは俺とマリサさんを優しく抱いてくれた。
やっとひとつ片付いた。
よかった。
マリサさんが倒れる前に間に合ったんだね。
「そういえば。エルシー、この辺りはどう? 魔獣の気配はある?」
「……大丈夫みたいよ。あれで全部ね」
『ウェル殿。私が見た限りでは、あれで全部のようです』
俺の傍に寄って、ルオーラさんがこっそり教えてくれた。
「……ウェルちゃん。その……」
あー。
ルオーラさん見て驚いちゃってるわ。
「えと。この人は俺の家族みたいなものです。ルオーラさんといって、グリフォン族の方で」
『ルオーラと申します。ウェル殿のところでお世話になっている者です』
グリフォンを見るのは始めてなんだろうね。
それも人の言葉を話すもんだから。
また口をぱくぱくしてる。
エルシーは『マリサちゃんにも知らないことは沢山あるのよ』と、なんとか宥めてくれていた。
▼▼
俺たちは陽が暮れてからマリサさんの屋敷に案内された。
クレイテンベルグの屋敷は、王城のある城下町から馬車で半日ほど離れた公爵領にあった。
これまた人が結構いる町を抱えてるみたいだけどさ。
その町の外れに屋敷があったから、俺やルオーラさんがいても騒ぎにはならなかったみたいだね。
もちろん、マリサさんが一緒だから誰に咎められることなく屋敷に到着。
その代わりにルオーラさん、馬車の中で苦しそうにしてたけどさ。
王城に使いを出してもらい、ロードヴァット兄さんとフェリアシエル姉さんを呼んでもらうことになったんだ。
ルオーラさんは別室で待機してもらってる。
ここの執事さんと何やら話が合ったらしく、お茶をご馳走になってるんだってさ。
流石、フォルーラさんの側近だっただけはあるっていうのか。
っていうか、執事さんって多少の事には動じないんだね。
どこの執事さんもそうなのかな……。
二人を待ってる間に、エルシーと俺は細かい説明を。
俺がこの国を出て、鬼人族の集落で行き倒れた経緯。
受け入れてもらった集落で、可愛い嫁と可愛い娘もできたことなんかをね。
マリサさん、『そう、ウェルちゃんは今、幸せなのね……』と、少し寂しそうな顔してるんだよな……。
何故だろう?
もちろん聖剣、聖槍と呼ばれていたものは、実は数百年前に魔族の打った剣だったのではないかということも話した。
エルシーが魔剣と魔槍に宿ることができたおかげで、マリサさんと俺は命を落とすことがなかったということも。
マリサに話してあげられなかったことをエルシーは謝り、エルシーの言葉に気づいてあげられなかったことをマリサさんは謝ってた。
「そうですか。君がマリサの言っていたウェルちゃん、いや。ウェル君なんですね」
勘弁してくださいよ、マリサさん……。
細面で身体の線も細い感じの、優しい瞳を持った初老の男性。
この人がマリサさんの旦那さん。
クリスエイル公爵その人なんだね。
確かフェリアシエル姉さんのお兄さん、だっけ?
「はい。お初にお目にかかります。ウェルと申します」
「僕は会うのは初めてだけれど、マリサからよく聞いていたんだよ。息子のように可愛い勇者さんだって、ね」
「あ、あなた……」
「前からウェル君と会ってみたいと思っていたけれど、僕は少々身体が弱くてね」
「そうだったんですか」
「それでもね、ウェル君が引退したらマリサが会わせてくれると言ってたんだ。楽しみにしてたんだけど、あの事件があって。それでもマリサは『ウェルちゃんは絶対に無実だ』って信じてたんだよ」
「……本当にすみませんでした」
「いや、僕もマリサが言うなら間違いないと信じてたよ。これだけ生真面目なマリサだ。嘘をいう訳がないから。それにね、僕たちには子がいないんだ。本来であれば、親族から養子をもらうところなんだけど、マリサがどうしても──」
「あなた、それは言わないって」
珍しくマリサさんが慌ててる。
クリスエイルさんの口を手で塞ごうとしてるし。
何を言おうとしたんだろうね?
「とにかくですね。聖剣と聖槍は、とても危険なものだったんです。人のマナを吸い上げて、鋼よりも薄く鋭く、折れず曲がらず強力な武器になるだけだったんです。決して勇者の力を強くするわけではなかったんですね。俺たちの言うところの魔獣、ここでは魔物と呼んでいますが。普通の剣や槍では傷つけることが難しい魔獣に太刀打ちできるのも、吸い上げたマナを帯びているからだと思うんです」
「そうね。そのマナの消費する量をわたしが抑えていた。それだけだったの。マリサちゃんの前の勇者も、短命だったでしょう? わたしもね、五年しか持たなかったわ……」
「俺もエルシーがいなければ、今ここにいることはできなかったと思います」
俺の言葉で部屋の中は水を打ったような静けさになってしまったんだ。
あれ?
俺、まずいこと言った?
「──私が二十年勤めあげることができたのも、ウェルちゃんがこうして元気な姿を見せてくれたのも、エルシー様がいてくれたおかげだったんですね……」
「ううん。違うの。わたしはね、マリサちゃんが一生懸命だったから、どうにかして手伝えないか考えただけだったのよ。わたしみたいに短命になるのはわかっていたから。それにね、ウェルは最初からわたしの言葉を理解してくれてたの。ほんと、出来の悪い息子のように、可愛かったのよ」
「か、勘弁してよ……」