第三十一話 『いやなおばちゃん』の正体。
俺はデリラちゃんの『いやなおばちゃん』という言葉が気になった。
それもそのはず、グリフォン族のフォリシアちゃんの危機に気づいたのもデリラちゃん。
俺のことを見つけたのもそうだというから、これは信じない訳にいかない。
デリラちゃん、俺から離れないくらいに嫌がるというより怖がってる感じかな。
これだけの反応を見せてるんだ、警戒しておいて損はないだろう。
馬車が到着するまではまだ時間はありそうだ。
俺はデリラちゃんを抱いたまま鬼の勇者たちの詰所に走った。
「ライラットさん」
「はいっ、お疲れ様ですウェル族長。どうしました?」
いてくれて助かった。
「時間がないから簡潔に。今、いつもの商隊の馬車が近づいてる。それ自体はいいんだ。だけど、デリラちゃんが何か起きるようなことを感じ取ったみたいだ。とにかく警戒を怠らないで欲しい。皆にも『柔軟な対応』ができるように伝えて。魔獣ではないから、おそらくは人。場所は俺の家でだと思う。『俺が動くまでは』何もしないように。いいね?」
「はいっ、皆に伝えて早々に巡回を始めます」
俺の言葉が終わると、ライラットさんは詰所から飛び出して走っていった。
よし、最低限の手は打てた。
あとは族長としてどしっと構えておかなきゃ、皆の顔を潰しかねないからね。
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「ウェルさん、本当に申し訳ありませんでした……」
今俺の前で、交易商隊の長であるバラレックさんが床に頭を擦り付けていた。
「とにかく頭を上げてください。理由もわからずに謝罪されても困りますから」
「実は私、マリサ・クレイテンベルグの実弟でございまして」
「へ? マリサ、さん?」
その名前って、俺もお世話になった先代の勇者さんじゃないか。
俺が勇者になりたての頃からさ、ことあるごとに心配して様子を見に来たりしてくれてたんだよ。
手料理も食べさせてくれたこともあったっけ。
エルシーみたいに、礼儀作法に厳しくてさ。
怒るとすっげぇおっかない。
でも、笑顔が綺麗でね。
凄く優しい女性だったのを覚えてる。
「はい。ウェルさんの先代の勇者で、現クレイテンベルグ公爵第一夫人でございます」
「マリサさんには俺も世話になったんです。理由を教えてもらえますか? 許すも許さないも、わけがわかりませんから」
やっと頭を上げてくれたし。
今デリラちゃんとナタリアさんは、俺の部屋で待機してもらってる。
もちろん、人の姿になったエルシーも一緒にいてもらってるよ。
万が一があるからさ。
最悪の場合、ルオーラさんに窓から入ってもらって、グリフォンの里に逃がす手はずも整ってるんだ。
今ここに居るのは、お義母さんと俺だけ。
家の外には、気配を消した鬼の勇者たちが包囲してることだろう。
「私は幼少から姉の姿を見て育ちました。そのせいもあり、私なりに調べもしました。そこで、過去の勇者の方々の、悲惨な言い伝えを知っているのです──」
年の離れた姉、マリサさんを持つバラレックさん。
歳は俺より上かな。
商家の家に生まれた彼は早いうちから独立して交易商を始めたそうだ。
勇者の姉の支援もあって、事業を拡大することができたんだってさ。
俺が勇者になった年に、姉がそうであったように、俺のおかげで生きていられることを教えられたそうだ。
そんな俺があの事件で国外へ追放された。
それどころか、それ以上の罪をなすりつけられている実情を知り、マリサさんから調査するように言われたんだってさ。
情報には強いバラレックさんでも、限界があったらしい。
以前交易のあった鬼人族の環境が良くなったと情報を得て訪れたところ。
そこでたまたま俺をみつけた、そういうことなんだってさ。
あのとき俺が話した話をそのまま、マリサさんに文で伝えた。
どうしても俺の汚名を晴らしたかった、ありがたいやね……。
「なるほど、事情は理解しました」
「ありがとうございます。私は身を粉にして国に尽くしたウェルさんが、あのような事件を起こすとは思えませんでした。姉はウェルさんの身の潔白を信じていました。そしてウェルさんが、必ず生きのびていることも……。そのため、身動きのとれない姉からも『ウェルさんの汚名を晴らしなさい』と、言われていたのです。姉が国王様、王妃様にお伝えしたのでしょう。先日、ウェルさんは冤罪により陥れられたと発表があったと聞きました」
「……そうでしたか、なんていうか、その。ご心配おかけしました」
そこまで大事に思われてたんだね。
俺の容疑も晴れたんだ。
よかったような、そうでないような。
何やらもやもやした感じしか残らないね。
「いえ、尊敬している姉の願いでもありましたし。私自身、ウェルさんに生かされていた一人ですから」
「そんな……、いえ。そう言っていただけると嬉しく思います。ところで」
「はい」
「見慣れない馬車が同行されていたように思えますが?」
晴れやかになりつつあったバラレックさんの顔が、ぎくりとした表情になって、また曇っちゃったよ。
何やら悪い知らせでもあるみたいな感じで。
「……私は同意したつもりはなかったのですが、姉に『形だけでも』とゴリ押されてしまいまして──」
何やら表が騒がしい。
おそらくは例の馬車に乗ってる『お客さん』なんだろう。
「何やら、よろしくない方々が同行されたようですね」
「はいっ、申し訳ございません」
「いいですよ。バラレックさんのせいじゃないんでしょう? 連れてきてください。『話だけは聞きます』から」
俺は苦笑しながらそう促すしかなかったんだよね。
バラレックさんも被害者みたいに感じたからさ。
一度バラレックさんは馬車に戻って、三人を連れてきたんだ。
二人はあの国の騎士だね。
ひとりは、あぁ。
騎士団長してた人。
名前はなんだっけ?
確か、グラデールだっけかな。
そういえば、俺のことを気に入らない雰囲気たっぷりだったな。
嫌われてたんだろう、きっと。
俺とは一切口を利かなかったし、俺への報告も部下を寄こしてたくらいだからね。
もう一人は若い騎士だね。
何やら俺の顔を見た途端、会釈してからすっごい笑みを浮かべてるんだ。
んー、確か俺がいた頃に配属されたばかりの……。
んー、あ。
ターウェック君って言ったっけか。
俺の勇者になってからの話を、少年のようなキラキラした目で、まるで物語でも聞くようにいつもせがんできてたっけな。
二人とも見覚えのある騎士の恰好をしてるから忘れることはないよ。
そりゃ毎日のように酒持って遊びに行ったから、憶えてるさ。
あと一人、誰だろう?
まるで町娘のような服装をして、騎士の二人とは違和感まで感じてしまうんだ。
どこかで見たような……。
あ、グラデール騎士団長が、開口一番。
「確かウェルと言ったな? 何故屋敷に招き入れない? 失礼ではないか」
あぁ、バラレックさん頭抱えちゃってるよ……。
わかってるから、あなたは悪くない。
あぁ、ターウェック君も真っ青な顔して俺に何度も頭下げてるし。
うん、大変な役目押し付けられちゃったんだね……。
はいはい、鬼の勇者みんなも、そんなに殺気を放たない。
若い子ってこう、我慢ができないときがあるのは俺だって知ってるからさ。
ありゃ、隠れてくれたらいいのに。
雑貨屋の一人娘のアレイラさんが、気配を消すどころか、こっちを睨んでるよ……。
年齢より大人びていて、幼馴染の宿屋の娘のジェミリオさんを窘める役目なんだけど。
今は表情がなくなったような、冷たい目をしてグラデール騎士団長を見てる。
いつもとは逆に、ジェミリオさんが一生懸命押さえつけようとしてる。
俺は『気にしなくていいよ』と笑い返してやって、やっといつもの表情に戻ってくれたわ。
放っておいたら、斬っちゃってたかもしれない。
君たち一人でも、騎士の十人や二十人でも寄せ付けないくらいに強いんだからさ。
そんなの怒りっぽくちゃ駄目だってば。
ほんと、困った来客だよ……。
「とにかく、中へどうぞ。これ以上騒ぎになると、皆に申し訳がないので」
なるべく丁寧な物言いで応えることにした。
俺は仕方なく屋敷に招き入れたんだ。
それにしても、この女性、誰だったかな?
どっかで見た憶えがあるんだけど……。
デリラちゃんが行ってた『いやなおばちゃんとおじちゃん』ってこの二人?
ターウェック君はそうは見えないんだけどね。
「──おいちょっと待ってくれ。そこは土足じゃない。靴を脱いでから上がってくれないか」
やべっ、つい言葉がきつくなっちまったよ……。
先頭に立って屋敷に入ってきたグランデール騎士団長が、土足で上がろうとしたもんだから、慌ててしまった。
嫌そうな顔して渋々靴を脱ぐと、一緒にいる女性に手を差し伸べてこう言ったんだ。
「どうぞ、マリシエール様」
えっ?
何でここにいるの?
あんなに長くて綺麗だった髪も、見る影もなく短く、ばっさり切っちゃって。
こりゃわからないわけだ。
……てか。
なるほどね。
デリラちゃんが言ってたのって、この二人のことだったんだ。
『いやなおばちゃん』ね。
デリラちゃんの歳なら『おばちゃん』か。
──堪えろ俺っ。
ここで笑っちゃったら、まずいよ。