王国サイド 今の勇者と前の勇者。
ウェルは長い間、討伐後は騎士たちの働きを労う余裕があったように思えた。
それが声をかけてくれるだけだったとしても、今の勇者とは違っていたように思える人もいただろう。
クレンラード王国の新しい勇者、ベルモレットの魔物討伐出動頻度は低い。
彼は討伐が終わると、すぐに倒れるように膝をつくようになってしまった。
失ったマナを回復するため数日の眠りについていることは、騎士たちの中では周知の事実。
それが実は悪循環ではないかと気付いている人も、騎士の中には出始めてきていただろう。
彼が勇者に選ばれたとき、彼にはまだ聖槍への適性があっただけ。
この件については気づいている人はいないはずだ。
先代の聖槍の勇者とは比べるまでもない。
決して彼が努力を怠っているわけではないのだが、彼女と、そしてウェルとは決定的に違うところがある。
それはエルシーの存在だっただろう。
先代の聖槍の勇者であり、現公爵夫人のマリサ・クレイテンベルグ。
正確な年齢を公表されてはいないが、彼女が十五歳から勇者をしていたとすれば、二十年の在位期間とウェルの在位期間十九年。
おおよそだが、御年五十五歳あたりになるはずだ。
彼女は勇者になったその日から、寝る間も惜しんで努力した。
適性があることと、聖槍を使うための体力も腕力も、男性から比べたら劣るということを知っていたからであろう。
剣や槍は力が全てではない。
だが、ごく一般の女性から選ばれた彼女は、必要最低限の体力も足りなかった。
勇者に選ばれたことによって、国や人々から期待されてしまう。
『できません』とは言えなくなることを、十分に理解していたからなのだろう。
努力家であった彼女の献身的な態度も、エルシーが助けようと思った要因だっただろう。
今回のケースは違った。
ベルモレットもまた、ごく普通の少年からのスタートだ。
ただの十五歳の少年に期待してはいけないのかもしれないが、騎士たちも『寝る間も惜しんで努力しろ』とは言えないのだ。
マリサはこうだった。
今の騎士たちは知らないのだ。
なにせウェルが在任していた時期が十九年。
それより前から騎士として勤めているものなど、いなかったのだから。
ウェルはこうだった。
それも禁句になっているだろう。
建前とはいえ、騎士よりも勇者のが立場は上なのだから。
彼はエルシーと話すこともできない。
だからエルシーは最後の忠告を与えることができなかった。
王女たち二人の思惑があったからといって、ウェルを見下してしまった態度もあっただろう。
最低限の敬意を払って見送っていたら、エルシーの考えが変わっただろうか?
それは今となってはもう過ぎてしまったことなのだ。
つい最近、ウェルとエルシーが気づいた聖剣と聖槍の違い。
聖剣よりも聖槍の方が、マナの消費量が大きい。
それ故に、『使える』と『扱える』の違いは、王国にも騎士にも、二人の王女にも。
当の本人ベルモレットにもわからないのだ。
ここに今ウェルがいれば、ベルモレットはあくまでも基準を満たしただけ。
成長していない彼には、聖槍を使うことを制限させる必要がある。
そう判断できたかもしれないのだ。
ウェルがいた頃は、魔物の噂があればそこへ出向き、根こそぎ討伐してきた。
監視所の騎士が懸念する前に討伐が終わっていたのである。
そのため、王国を襲う魔物は強く育ったものが少なかったはずだ。
あの頃はまだ、エルシーですら彼が化け物じみていたことには気づいていなかった。
勇者が全て、ウェルと同じように動けるわけがない。
そういう意味では、ベルモレットには不運としか言いようがないのだろう。
最初に倒したオーク三体は、実はウェルがジェネラルクラスと言っていた手前まで育っていたはずだ。
聖槍で二度突かないと倒せなかったことを、成長ととらえた者はいなかっただろう。
あれ以来、オーク程育った魔物は現れてはいない。
だが、魔物の出現する数が多くなっていた。
それもそのはず、育たないだけで数は減っていない。
何を原因に魔物が王国を目指すのか、その原因もよくわかっていないのだから。
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「大丈夫です。明日には目を覚ますと思いますよ。おそらくはいつもの、マナの枯渇からくる体力の低下でしょう。睡眠をとれば回復するかと思われます」
「そうですか。ありがとうございます。先生」
「いえ。王女様方もご無理をなさらないように」
初老の医師が部屋を出ていく。
部屋に残った第一王女であり、現聖女のマリシエール。
第二王女のエリシエール。
二人は愛しい勇者様を見下ろし、彼の寝顔を見て一安心しただろう。
ベルモレットは三日前に討伐を行った。
あれ以来オークは出ていない。
ただ、弱くはない魔物。
例えば狼のようなものは騎士でも倒せなくはないのだ。
しかし、倒しきるまでに時間がかかる。
その分、被害も大きくなってしまう。
今彼に起きているのは、マリサの先代や三百年前の再現。
マナの枯渇した身体をひきずって戦わなくてはならない状態が、勇者になってすぐに訪れてしまったという訳だ。
だが、魔物は待ってはくれない。
彼が明日目を覚ましても、すぐに監視所から報告が来るだろう。
翌朝目を覚ましたベルモレット。
王女たちと朝食を摂っているときにそれは来てしまう。
「魔物が出ました。ベルモレット様、ご用意をお願いいたします」
騎士団でも勇者の手を借りなくても倒せるものは、騎士団が処理する方向で動くようになっていた。
その手の魔物は決まって魔石を持っていない。
騎士団詰所に魔石預かりのセクションがあるということは、魔石はこの国でも重要な資源となっているからだった。
徒労に終わってしまう魔物討伐は、騎士団にとってもマイナスでしかない。
育っていない魔物からは魔石が取れないことが多い。
ウェルのいた頃は、それこそ薄利多売のように、倒す数が違っていたから数を確保できていたのだろう。
勇者がいれば、魔物にとどめを刺すことが容易だ。
そのため、育った魔物を倒してもらうのが、魔石の確保には最適だったのだろう。
「ベルモレット様、お加減はよろしいのですか?」
「はいっ。いつも心配かけてすみません。僕は大丈夫です。では、急いで準備をしますので、失礼いたします」
食事を途中で切り上げ、丁寧に腰を折り、ベルモレットは自分の部屋へ向かった。
「姉さん。勇者様をお願いね」
「えぇ。任せておいて」
マリシエールも自室で準備を始めなくてはならない。
彼女はこの国でも屈指の治癒魔法の使い手。
エリシエールは魔法を覚えることができなかったため、待つことしかできないのだ。
人間の国では、魔法を使えるくらいにマナを保有している人はそれ程多くはない。
簡単な魔法を使うくらいは普通の人でも可能なはずだ。
だが、魔法使いと呼ばれる人は王国にも数えるくらいしかいない。
それは勇者と同じように、希少な存在だと言えるだろう。
先代の聖女は、実は王家からではなく隣国の教会からの出向だったのだ。
魔石を報酬として雇わなくてはならない。
マリシエールが聖女としていられる間は、王国で手に入れた魔石を手放すことはないのだから。
騎士たちが見守る中、マリシエールは国庫の鍵を扉に挿す。
重厚な音を立てて扉が開くと、そこには彼女の相棒ともいえる杖が鎮座している。
マリシエールは王国でも国宝とされる『聖女の杖』を手にする。
その杖には、透明度の高い、赤色の魔石が各所にはめ込まれている。
その中でも先端にはめ込まれている紫色の魔石。
これだけで領土ひとつと秤にかけてもおかしくない程の価値があるのだという。
これを持ちだすときは、両側に杖を守るための騎士を付けるくらいに貴重なもの。
先代の聖女にも貸与しなかった国宝なのだから。
数十年ぶりに国庫から持ち出され、マリシエールに預けられたのだ。
他国にはない、聖魔石に限りなく近いとされている魔石を使ってあるからこそ、取り扱いには十分注意しなくてはならない。
そして王国にもひとつだけ聖魔石がある。
ただそれは、人の小指程の大きさのもので、国庫の奥に厳重に保管されている。
数百年も前に、どこからか手に入れたものらしいが、国庫から出されることはないと言われていた。
マリシエールは聖魔石の保管されている奥の扉の前に跪くと、首を垂れ、帰還の無事を祈る。
これが毎回の儀式のようなものだった。
「勇者様が待ってるわ。私も頑張らなくてはね」
杖を手にしていざ勇者ベルモレットの元へ。
今日も魔物討伐が始まるのだから。
王国サイドは今回は一話だけです。
話は平行線ではなく、徐々に交わっていきます。