第百六十二話 精霊さんはどうなの?
「あ、ちょっと待ってなのね」
デリラちゃんは両手のひらを揃えて上に向けて、テーブルの上に乗せました。
「んー、こう?」
ウェルやナタリアからマナをもらっていたエルシーには、デリラちゃんがやろうとしたことが感じられたのでしょう。
「あらあら、少し多くないかしら?」
「多いってぇ、どれくらいなんでしょうねぇ?」
デリラちゃんの手の置き方、エルシーの言葉から察したのでしょう。
マルテはまるで『ここにいる誰か』に尋ねているようにも見えるのです。
「んー? そうなのねぇ」
「どうしたのかしら?」
「マルテの水の精霊さんがですねぇ。『食べきれないかもしれない』ってぇ、言ってるのねぇ」
「あらまぁ」
すると、デリラちゃんの手のひらの上に、赤い淡い光が見えたように思えるのです。
もちろん『それ』が見えたのは、デリラちゃんだけになのですけどね。
「赤い? あ、火の精霊さんだから?」
「わたしには見えないのだけれど、デリラちゃんには見えるのかしら?」
「エルシーちゃんには見えないの?」
「そうよ。マルテさんはどうかしら?」
「マルテにもぉ、見えませんよぉ。精霊さんにはぁ、見えているみたいですけどねぇ、……あらあらぁ? そうなのねぇ?」
「どうしたの?」
デリラちゃんはいつものように、かくんと小首を傾げて尋ねます。
「デリラちゃんのところの火の精霊さんがですねぇ」
「うん」
「三日分くらいあったはずのマナをですねぇ」
「三日?」
「そうですねぇ。水の精霊さんなら三日分はあるってぇ。それを全部食べてしまったんですってぇ」
「え?」
「あらまぁ」
「そのままデリラちゃんの手の上でぇ、ころんとおなかを上にしてぇ、『もう食べられません』ってぇ、苦しそうにしてるみたいなのですねぇ」
デリラちゃんは身を乗り出して、マルテを見上げています。
「あのねあのねマルテちゃん、……ううん、マルテ先生」
「はいぃ、なんでしょぉ?」
「水の精霊さんに聞いてほしいの。火の精霊さんはね、『デリラちゃんのマナ、美味しかったの?』って」
マルテは、手のひらに乗っているでしょう水の精霊さんに話しかけています。
するとマルテは、少し呆れたような表情を見せたのですね。
「あのですねぇ、デリラちゃん」
「はいっ」
胸の前に両手を重ねてぎゅっと握りつつ、期待感と不安感の入り交じったとても複雑そうな表情をするデリラちゃん。
どちらかというと、不安感が強いかもしれません。
なぜなら、デリラちゃんの眉尻が少し下がっているからですね。
心優しいデリラちゃんは、不安を感じている人を元気づけているときなど以外は、素直に感情の起伏を顔に表します。
だから今はとても不安なのかもしれません。
きっと『おいしくない』と言われるのが怖いのかもしれません。
「水の精霊さんが言うにですねぇ」
「はいっ」
「もったいないから全部食べてしまってぇ、苦しくて苦しくて失敗したぁ。……そう言ってるそうですねぇ」
「……どゆうこと?」
「デリラちゃん」
同じく苦笑しているエルシーが助け船を出そうとしています。
エルシーが目配せをすると、マルテはひとつ頷きました。
「もったいないというのはね、きっと美味しかったからだと思うの。デリラちゃんだって、甘くないとてもすっぱいだけの果物を、もっと食べたい、残さないで食べたいと、思わないでしょう?」
「う、うん」
デリラちゃんは自分の大好物、果物の糖蜜漬けを引き合いにだされたものですから素直に頷いたはずです。
最近はそうではありませんが、以前はごはんを食べなくなってしまうから、あまり食べさせてもらえなかったのが果物の糖蜜漬け。
ちょっとだけお姉さんになったデリラちゃんは、加減を覚えたことで注意されなくなったのですね。
「マルテのところのぉ、水の精霊さんですはねぇ」
「はいっ」
「マナを食べたあとにぃ、ありがとぉって言ってくれるのですよねぇ」
「そうなの?」
「えぇそうですよぉ。デリラちゃんたちはぁ、まだうまくお話ができていないからぁ」
おそらくマルテの言っていることは、デリラちゃんと火の精霊さんとの間で行われる意思の疎通を言っているのでしょうね。
「はい」
「その上ぇ、お腹いっぱいでぇ、身動きがとれないからぁ」
「はい」
「ありがとぉを伝えられないぃ。そうぅ、水の精霊さんは言ってくれてるのですねぇ」
「よ、よかった……」
デリラちゃんはほっとした表情を見せます。
そういえばデリラちゃんが大やけどをしたあの日、オルティアは味わう余裕がなかったから、『どんな味だったか覚えていません』と言っていました。
ですから、美味しいという意味合いが伝わって、とても安心したのでしょうね。
「それにしても」
「ん? どしたの? エルシーちゃん」
「どうしましたぁ? エルシー様ぁ」
小首をこてんと傾げるデリラちゃん。
頬に手を当てて、『何かあったのかしら?』という表情のマルテ。
「わたしが土の大精霊かもしれないって、話だったじゃない?」
「うん」
「そうですねぇ」
以前エルシーのことを、グリフォン族の現族長、フォルーラが『精霊である』ことを認定しました。
この間、マルテと水の精霊さんが、エルシーは『おそらく大精霊様』でしょうと言っていました。
「わたしが鬼人族の集落でね、この姿になれた日より以前はね」
「うん」
「はいぃ」
「わたしとウェルが、マルテさんと水の精霊さんとの関係に、そっくりだなと思ったの」
デリラちゃんの祖母にあたる、先代勇者マリサの命令で、バラレック商会の密偵として動いていたマルテはある程度知っていました。
ウェルの側に、とても凄い力をもつ精霊さんがいることをですね。
「わたしはね、自分自身のこともよくわからないの。だからこうして、デリラちゃんとマルテさんの話を聞いているとね、とても勉強になると思ったのよね」
「うんっ」
「ありがとうございますぅ」
エルシーは一瞬だけ、ちょっとだけ寂しそうな表情を見せます。
「わたしはね、マルテさんのところの水の精霊さんも、デリラちゃんのところの火の精霊さんも、目で見ることはできないわ」
エルシーはデリラちゃんの手のひらの近く、マルテの手のひらの近くに自分の手をそっと近づけていきます。
「でもね、なんとなくだけど、感じるようになったの。精霊さんがいると認識して初めて、そこにいるのでしょうねと、感じようとしたからなのかもしれないわね」
「どゆこと?」
デリラちゃんにはまだ難しいかもしれませんが、マルテにはわかったようですね。
「あのですねぇ、デリラちゃん」
「はいっ、マルテ先生」
「エルシー様はですねぇ。『精霊さんも人と同じだからぁ、人と同じように接することでぇ、精霊さんも同じようにぃ、接してくれるぅ』。そう言っているのですねぇ」
「……んー」
デリラちゃんは、パパと同じように腕組みをして考え込みます。
デリラちゃんが少し考えたあとでした。
何かに思い至ったような、晴れ晴れしい表情になったのです。
「あのね、精霊さん」
まだ返事はしてくれないのは、デリラちゃんもわかっているでしょう。
それでも語りかけたかった。
きっとそういうことなのかもしれません。
「デリラのね、マナを食べてくれて、ありがとう」
ここに至っただけでもきっと、この短い時間にデリラちゃんはまたお姉さんになったのかもしれません。
「そうね。それでいいと、わたしも思うわ」
「はいぃ、よくできましたぁ」
エルシーとマルテ、二人が同時にデリラちゃんの頭を撫でてくれました。
そのあとも、デリラちゃんの質問攻めは続きました。
もちろん、先ほどまでと同じように、水の精霊さんを通じて答えてくれるのです。
『精霊さんは、どれくらいの大きさなの?』
マルテの水の精霊さんはこれくらい、デリラちゃんの火の精霊さんは、もっと大きくてこれくらいとのこと。
『顔はどんな感じ?』
水の精霊さんは、難しすぎて言い表せないと言っています。
『髪型は?』
長くて、くるくると巻いてるとのことです。
『色は?』
燃えるような赤毛だそうです。
「あのですねぇ――」
マルテはデリラちゃんの先生になったのですから、一生懸命答えるのでした。
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