第百六十一話 デリラちゃんのひみつ。
オルティアが用意したお茶をひとくち飲んで、ほっと一息ついたマルテは、彼女の口調と同じくらいゆっくりとデリラちゃんを見たのです。
ただちょっとだけ違っていたのは、彼女の目がやや厳しい感じが見て取れるのですね。
「あのですねぇ」
「はいっ」
デリラちゃんはマルテのいつもと違う雰囲気を感じ取ったのかもしれません。
気持ちと一緒に背筋を正して、マルテの目をまっすぐに見つめて応えます。
「若様とぉ、若奥様とぉ、お館様とぉ、奥様にお願いされましてぇ」
「はいっ」
「改めてぇ、マルテはデリラちゃんのぉ、魔法の先生になることにしたわけですねぇ」
「はいっ」
「ですからぁ」
「はいっ」
「これからは、マルテのことをぉ、『マルテちゃん』ではなくぅ、『先生』と呼んでくださいねぇ?」
「はいっ」
「マルテはぁ、デリラちゃんのことをぉ、デリラちゃんと呼ばせていただきますぅ、……あららぁ?」
「これではぜんぜん、変わっていませんねぇ……」
マルテは『困ったわ』という感じに腕組みをし、小首を傾げて見せるのです。
本来であれば『姫様のことはデリラちゃんと呼ばせていただきます』という場面だったのでしょうけど、おそらくは、デリラちゃんの緊張をほぐすためにこのようにしたのでしょうね。
「あははは」
デリラちゃんは、マルテのちょっとしたおどけ方がおかしかったのでしょう。
口元に両手のひらを当ててはいますが、少々お姫様らしくない笑い方をしていたのです。
「あらあら」
エルシーの声はけっしてデリラちゃんを窘めるものではありません。
なぜなら、マルテは三百八十八歳で、デリラちゃんからみたらおばあちゃんの、そのまたおばあちゃんともいえる年齢なのです。
同時にエルシーも五百年以上前の記憶を持ち合わせていることから、途中眠っていたと換算しても同じくらいかそれ以上の年齢だったりするのです。
なので、エルシーもマルテも同じ気持ちだったのでしょうね。
『あらあら』は『あらあら元気になったこと』、そういう意味でした。
大失敗をして、右手に大やけどを負って、おもいきり落ち込んでいたはずのデリラちゃんが、ここまで元気になったのだから、エルシーもマルテも嬉しくないはずありません。
ただ、口に出すわけにいかない部分もあるからでしょう。
「まぁまぁ」
マルテの口から少しだけ漏れた『まぁまぁ』も、エルシーの『あらあら』に対する肯定的な合いの手だったのかもしれませんね。
その証拠に、お互いに目を見合わせて、ふにゃりと笑みを浮かべたのですから。
もちろん、エルシーの『あらあら』と、マルテの『まぁまぁ』が、デリラちゃんを窘めたり叱ろうとしたりする言葉でないことはわかっているのです。
それは『あははは』と笑って手のひらを口に当てたとき、『あ、やってしまったの?』とちょっとだけ心配してしまったことから、デリラちゃんは無意識に『遠感知』を使ったからでしょう。
そこで彼女の身体の内から『だいじょうぶ、怒ってないから、だいじょうぶ』。
(そう、だいじょぶなのね)
デリラちゃんは内心、胸をなで下ろしたでしょうね。
もちろん、顔にも声にも出しません。
ふたりが気づいていたとしてもそれは、『気づかないふりをしてくれている』かもしれないからです。
デリラちゃんはちょっとだけ先に謝っておくことにしました。
「マルテちゃん、笑ってしまってごめんなさいなのね」
「いいのですよぉ。マルテはねぇ、姫様に笑って欲しかっただけなのですからぁ」
「うん。ありがとうなのね。マルテ先生」
エルシーもマルテも思いました。
『いい子ね』と。
「さてぇ、デリラちゃん」
マルテは佇まいを正して、ほんの少しだけ引き締まった表情をみせます。
「はいっ、マルテ先生」
デリラちゃんも同じように、マルテをしっかり見据えます。
「あらあらぁ、マルテ先生ですってぇ。ちょっと照れてしまいますねぇ」
マルテは、緊張しすぎたデリラちゃんをほぐそうとしてくれています。
隣で見ているエルシーも、安心して見ていられるようですね。
デリラちゃんの表情がふにゃりと柔らかくなったのを感じて、マルテはいつもの表情のまま話をし始めました。
「デリラちゃんはぁ」
「はい。マルテ先生」
「うふふぅ、あらいけないぃ。えっとですねぇ」
表情が更に緩みそうになったのに気づいたマルテは、ほんの少しだけ気を引き締めます。
ただ、デリラちゃんが余計な緊張をしない程度にしておくわけですね。
そのため、笑顔だけはなくさないように気をつけます。
エルシーに負けないくらい、デリラちゃんが大好きなマルテには、先生という立場も案外、大変なのでしょうね。
「朝ごはんは食べましたかぁ?」
「はい。さっき食べました」
「はいぃ、それならですねぇ」
「はい」
「精霊さんはぁ、ごはんを食べたでしょうかぁ?」
「はい?」
小首を傾げてきょとんとするデリラちゃん。
答えるのが難しい質問がきて、困っているのでしょう。
エルシーがくすくす笑っています。
「少しいじわるなぁ、質問だったかもしれませんねぇ。えっとぉ……」
わざと言葉を詰まらせるようにして、ゆっくりとエルシーに視線を移して、デリラちゃんが彼女を見るように促します。
「エルシーちゃん?」
「よくできましたぁ。……エルシー様やぁ、オルティアちゃんはですねぇ」
「はい」
「いつ、ごはんを食べますかぁ?」
「えっと、……エルシーちゃんはお酒を飲みますが、あまりごはんは食べないと思います。オルティアお姉ちゃんは、どうなんでしょ……?」
オルティアはデリラちゃんと食べる時間が違うから、いつ、というのはわかりにくいのかもしれませんね。
エルシーは『よく注意してみてるのねぇ』という表情をしています。
同時に、エルシーにはマルテの言わんとしていることがわかったみたいです。
エルシーはマルテを見て『いいかしら?』という目を向けます。
するとマルテはひとつ頷きました。
「あのね、デリラちゃん」
「はい、エルシーちゃん」
「わたしが毎日、ナタリアちゃんからもらっている『あれ』はわかるかしら?」
「あ、そうなのね」
デリラちゃんは理解したようです。
「はいぃ、よくできましたぁ」
「マルテさん。デリラちゃんはまだ答えていないわ」
「あらあらぁ、そうでしたぁ」
マルテは『いけないいけない』という表情をします。
「はいぃ、デリラちゃんどうぞぉ」
「んっと、エルシーちゃんもオルティアお姉ちゃんも、マナは夜食べています」
「よくできましたぁ」
マルテはデリラちゃんの頭を撫でます。
デリラちゃんは気持ちよさそうに目を細めていますね。
「ここで問題ですぅ」
「はい、マルテ先生」
マルテはデリラちゃんから『先生』と呼ばれ慣れていないからでしょうか。
それとも、嬉しいからでしょうか。
頬に両手のひらを添えて、身体をくねくね、足もくねくねさせていますね。
「うふふふぅ、……あぁ、ダメですねぇ」
マルテは軽く深呼吸して、少しだけ困った表情をつくります。
「デリラちゃんの側にいるぅ、火の精霊さんにぃ、マナをあげましたかぁ?」
「あ……」
先日デリラちゃんは、『仲良くなった精霊さんは、おなかがすくと頬をぺたぺたと優しく叩いて教えてくれる』と聞いていたんですね。
もしかしたら、精霊さんはデリラちゃんの身体を心配して遠慮していたのかもしれません。
それとももしかしたら、デリラちゃんが疲れていて気づかなかったのかもしれません。
どちらが正解かは、精霊さんにしかわからないのですけどね。
「精霊さん、ごめんなさいなのね」
その場でデリラちゃんは、テーブルの上に向けてぺこりと頭を下げました。
彼女が顔を上げたとき、右側の頬をぺたぺたと優しく叩く感触があったのです。
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