第百五十九話 デリラちゃん、反省する。
まだ重たい瞼をゆっくり持ち上げると、デリラちゃんもよく知る二人が覗き込んでいるのが確認できました。
ひとりは何もかも見通すような、それでいてまるごと包み込むような優しい笑顔。
もうひとりは表情の乏しいところがあるけれど、いつも見守ってくれている深くて暖かい大好きな目。
二人とも、自分のことを心配してるのがよくわかります。
なぜならデリラちゃんは、鬼人族に伝わるとても珍しい『遠感知』という能力を持っているからなのですね。
『遠感知』はデリラちゃんの他には、鬼人族の初代族長も持っていたと伝えられています。
人の気持ちをぼやっとなんとなく理解できたり、離れた場所の誰かのことを知ったり、ときに危険を察知することもできるそうです。
例えば右側にいる、とても優しい目をした見目麗しい大人の女性。
デリラちゃんの大好きな、パパのお母さん。
デリラちゃんの義理の祖母さんにあたるエルシーでした。
エルシーはデリラちゃんのことを見て『マナはちゃんと戻ったのかしら?』と心配してくれています。
彼女は人族と違って特別な存在なので、デリラちゃんの状態が『なんとなく』わかるみたいですね。
左側にいるのは、白目の部分が極端に少なくて大部分を黒目の部分で占めている珍しい目を持つ、デリラちゃんより4歳年上のお姉さん。
デリラちゃんのパパの侍女で、もちろんデリラちゃんの身の回りの世話もしてくれている、デュラハン族の少女オルティアです。
彼女も『わたくしが食べてしまった姫様のマナ、大丈夫なのでしょうか?』と心配してくれているのがわかりますね。
おやおや?
デリラちゃんが目蓋を開けて、きょろりきょろりと目を動かしたからでしょうか?
エルシーもオルティアも、彼女が起きているのに気づいたようですね。
「あら? デリラちゃん、目を覚ましたみたいだわ」
「はィ。若様、若奥様にお伝えしてきますネ」
(エルシーちゃんと、オルティアお姉ちゃん?)
デリラちゃんも寝起きの頭がはっきりとしてきたのでしょう。
寝てる間に側にいてくれたふたりが誰だかわかったみたいですね。
「えぇ、お願いね」
(オルティアお姉ちゃん、お部屋を出て行ったの? パパとママに伝えてくれる? あぁ、そういうことなのね)
デリラちゃんは、ここにいたのはエルシーとオルティアだけ。
パパのウェルと、ママのナタリアがここにいないのがわかったのでしょう
きょろきょろと目で追わなくてもそれはわかります。
それが、デリラちゃんの『遠感知』の力でもあるのですから。
デリラちゃんは右手をにぎにぎして、ちゃんと動くことを確認します。
マナが足りなかったからでしょうか、ぎこちなかった前よりも間違いなく動くみたいですね。
左手も同じようににぎにぎ、こちらも大丈夫みたい。
右足首をくきくき、左足首もくきくき。
両足とも問題がないことを確認すると……。
(どっこい――しょっと)
デリラちゃんは、寝る前とは違って力いっぱい身体を起こしてみます。
もちろん、『強力の魔法』は使わずに、自分の力だけでですね。
エルシーはオルティアの背中を見送っていたからか、部屋の外を見ていたのでデリラちゃんが身体を起こしたことに気づいていません。
だからでしょう。
振り向いてデリラちゃんを見たエルシーは、ちょっと驚いた表情をしました。
「あらあら? 自分で起きることができたのね? おはよう、デリラちゃん」
「おはようございますなのね、エルシーちゃん。心配かけて、ごめんなさいなの」
デリラちゃんはその場でぺこりと頭を下げました。
頭を上げたデリラちゃんはちょっとしょんぼりした表情をしています。
昨夜と違って今朝は、ナタリアに背中を支えてもらわなくとも、身体を起こした状態を維持できているからでしょうか?
そんな元気になった感のあるデリラちゃんを見て、エルシーは笑みをこぼしました。
「そんなこともういいのよ。デリラちゃんが元気になっただけでもう、わたしは嬉しいの」
デリラちゃんが『ほんとうにそうなのかな?』と思うだけで、『遠感知』の能力が発動する。
エルシーの言葉に表裏がないこともちゃんと理解できてしまうわけだ。
(あ、オルティアお姉ちゃんが戻ってきたの)
「エルシー様、姫様、失礼いたしまス」
デリラちゃんには戻ってくるオルティアがわかっていたようです。
ほら、ドアがあきました。
予想通りオルティアの姿が見えます。
彼女はスカートの裾をふわりと両手に乗せて左足をすっと引いて、わかるかわからないかほんの少しだけ頭をかしげます。
そう、気をつけていないと頭が落ちてしまうからなんですね。
デュラハンの彼女は、首を中心として物理的に身体と頭が離れています。
装具で固定している今は、なんとか落とさなくて済んでいる状態なんですね。
デリラちゃんは、オルティアのこの仕草が大好きです。
実はデリラちゃんも、自室でこのお辞儀の仕方を練習していたりするんです。
人前ですることはありませんが、おそらくは今年の彼女の誕生日にお披露目するつもりでいるのでしょうね。
「エルシー様」
「なにかしら?」
「若様と奥様はですネ、お食事は済んでいたようですガ、まダ、お話の最中ですネ」
「あらそうだったのね。ありがとう」
オルティアは、正座をしているエルシーのとなりに、同じようにしてぺたんと座りました。
そっとデリラちゃんを覗き込むようにして、その黒い瞳をじっと向けてくるのです。
オルティアは黒い瞳がそうさせているのか、他の人よりも気持ちが表情に出にくいようです。
どれくらいかというと、楽しそうにしているときですら、口角がやや持ち上がる程度だったりするのです。
今も実はデリラちゃんをものすごく心配しているのですけれど、平然としているようにしか見えません。
でも、デリラちゃんにはちゃんとわかっています。
だからこう言うのです。
「デリラちゃんはね、だいじょぶよ。オルティアお姉ちゃん」
成長するにしたがって、滑舌もよくなってきたデリラちゃんですが、『大丈夫』だけは以前のように『だいじょぶよ』と言うのですね。
エルシーもこの『だいじょぶよ』を何度も耳にしているからか、デリラちゃんの可愛らしさのひとつだと思っているようです。
デリラちゃんの『だいじょぶよ』を聞いたからか、オルティアの表情が少し和らいだような気がします。
その証拠に、下がり気味だった彼女の口角が少しだけ持ち上がっているのですから。
エルシーはデリラちゃんの前に両手の手のひらを上にして差し出しました。
デリラちゃんは自分の手をそっとエルシーの手に乗せます。
するとエルシーは、デリラちゃんの手を軽く優しく握ると目を閉じます。
「……えぇ。確かに、『だいじょぶよ』は嘘ではないわ。マナの回復もね、いつもどおりに戻っているみたいね」
エルシーはデリラちゃんのマナが回復しているかどうかを確かめているのでした。
彼女はこうして両手に触れてこうしいると、目の前にいる人のマナの感じがわかるようになったんです。
こうなるまで、何度も何度も彼女なりに試行錯誤や練習を重ねていたのは、誰も知らないんですけどね。
「そうですカ。それは安心しましタ」
「えぇ、おとなしく寝ていたか――」
エルシーの返事を遮るように、デリラちゃんからあるかわいらしい音が聞こえるのです。
きゅるるる
「あ」
「あら」
「はい」
デリラちゃんは『あははは』という感じに照れ笑いをします。
「デリラちゃんね、お腹すいちゃったみたいなの」
「そう。順調に回復していた証拠なのよ。いいことだと思うわ。さて」
「そうですネ。こちらでお食事はどうかと思いますのデ、姫様のお部屋に移動されたらよろしいかト」
オルティアは部屋の移動を提案しました。
そういえば確かに、そのほうがいいのかもしれません。
「そうね。デリラちゃんはほら」
「うん。お着替えしたいのよ」
そうですね。
デリラちゃんは倒れたあのときから、着替えをしていなかったのです。
「でハ、わたくしはお台所へ寄りましテ、姫様のお食事の準備をしてまいりまス。エルシー様、お願いしてもよろしいでしょカ?」
「えぇ。デリラちゃんのことは任せてちょうだい」
オルティアは音もなく立ち上がると、お台所という名の厨房へ向かいました。
その速度は人の速さではありません。
いくらデリラちゃんより四つ年上の彼女とはいえ、普通ではあり得ない現象なのです。
なぜなら彼女は、少しでも早くデリラちゃんの朝ご飯を用意したいと思っていたから、身体能力を底上げする魔法の『強力の魔法』を使っていたからなのでした。
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