第百五十四話 マルテさんと治癒の魔法と。
「そういえばね、ナタリアちゃん」
父さんは何かを思い出したようにナタリアさんへ話しかけたんだ。
「はい。お父様、なんでしょうか?」
ナタリアさんはほんと、ある意味父さん子。
博識な父さんを尊敬してるんだ。
こっちに来てからはデリラちゃんに隠れてこっそり読み書きを勉強したかと思ったら、ほんの数日で会得したらしくてさ。
デリラちゃんがナタリアさんにわからない文字を聞いても、しっかりと教えることができてたって、父さんがすごく驚く反面、喜んでたんだよね。
父さんもまた、娘大好きな人みたいだからさ。
俺と同じなんだろうけどね。
さておき、父さんと同じ理論派なナタリアさん。
父さんからの質問は違った意味で嬉しそうに応えるんだよね。
ナタリアさんは遠慮してるけどさ、そのうち俺やグレインさんの工房の並びに、彼女の書斎を置いてあげようかと、父さんと悪巧みをしてるんだ。
一応、俺たちの誕生日を予定してる。
父さんも喜んで協力してくれるって言ってるんだよね。
「デリラちゃんはじき七歳になるけれどね」
「はい」
「六歳のお祝いのあとに強力の魔法を教えたということはさ、治癒の魔法は七歳で教えるのかな?」
確かに、デリラちゃんが六歳になったあと、ナタリアさんが教えたんだよね。
俺はとにかく、ナタリアさんの『おてて』には驚いた。
『おてて』のおかげで、母さんが治癒の魔法も使えるようになったからさ。
だから俺もよく覚えてるよ。
あのあとの、デリラちゃんの成長っぷりは俺もびっくりした。
デリラちゃんが廊下の天井近くの壁を走ってるところを誰が見ても、驚かなくなったくらいだもんね。
あの人見知りが強かったデリラちゃんが活発になって、もう、自分一人でお忍びに町へ出るくらいになった。
俺もナタリアさんもエルシーも、父さんも母さんも嬉しくて仕方がない。
でも、今回の騒動は困ったもんだよ。
パパとしてもどう、注意したらいいか悩むところだけど、そこはママのナタリアさんに任せようと思ってる。
ナタリアさんが困ったら助けてあげたらいいよと、父さんも母さんも教えてくれたから。
そうすることにしたんだよね。
「あの、ですねお父様。あたしたち鬼人族の女はその、七歳を過ぎたあたりからその、『あれ』の兆候が現れるんですね……」
「『あれ』というと?」
『あぁそうだったわ。クリスエイルさんも案外、ウェルみたいにおバカなところがあるのよねぇって、あらら。知らないわよ、わたしは……』
へ?
どうしたの、エルシー?
「あたしたちがその、子を宿すことが──」
「あぁなるほど、初潮のことだね?」
『……やっぱり言っちゃった』
「──あーなーた……」
「ま、マリサさん」
あ、母さん。
うーわ。
いつの間にか父さんの背後にいて、腰に両手をあてて見下ろしながら鬼の形相になってるよ……。
『それはそうよ。わたしがマリサちゃんにも、話してあげてるんだもの』
そうだったんだ、ってありゃりゃ、『女性に対する配慮が欠けてる』とかまた怒られてる。
前にも見たな、こんな父さんと母さん。
「なるほどですねぇ。クリスエイルちゃんもまだ小さい子なのですからぁ、仕方ないのかもしれませんねぇ」
小さな子供のすることだからと、端的な意見を言うマルテさん。
でもねマルテさん。
父さんはたまにやらかす人だから。
俺はエルシーに怒られてたから、気をつけてるんだけどね。
「あの。あたしも言い方がいけなかったと思います。お父様の言う通りなんです。お父様の言うところの『治癒術士』であるあたしが、『あれ』だなんて言葉を濁すのがいけなかったかもしれません」
「そんなことはないのよ。この人が気遣いできないのもいけないのだから」
『じろり』という感じに父さんを見下ろすようににらみ付ける母さん。
あぁ、俺もよく『勇者らしくない』って怒られたとき、あんな感じに怖い母さんよく見たっけ……。
「自らの身体に『子を宿すための準備が整いつつある』子は七歳を過ぎるとですね、角の先が少しだけ紫色になるんです。子が宿るわけではないので数日で色は元に戻りますが、それで兆候が現れたと判断できるんですね」
そっか。
母さんが若返ったあと、『痛い』、『つらい』って言ってたもんなぁ。
『そうよ。労ってあげないと駄目なのよ。いくら治癒の魔法で痛みを感じないほどになっていてもね、それ自体をなくすわけではないんですからね』
はい。
わかってます。
「治癒の魔法を覚えるのには、自分自身のお腹の痛みを和らげることが一番の練習になるんです。魔法の鍛錬のために、わざと怪我をするわけにはいきませんからね」
確かに。
母さんはデリラちゃんが強力で走り回って膝とかをすりむいたとき、進んで治癒してたもんね。
そんな父さんと母さん、ナタリアさんのやりとりを見てたマルテさんが、ほっとした表情で言うんだ。
「それならマルテにもぉ、治癒の魔法は覚えられそうですねぇ。マルテたちスキュラ族はぁ、卵生じゃないのでぇ」
「胎生なのですね。はい、それならあたしが知る方法でお教えできるかと思います」
「マルテはまだ若いからぁ、大丈夫ですよぉ」
何が大丈夫なんだろう?
それにマルテさんがまだ若いって、何歳からが──
『ウェルっ』
「はいっ、ごめんなさいっ!」
「あなた……」
あぁ、久しぶりにナタリアさんが駄目な子を見るような目で見て呆れてるよ。
ナタリアさんは、反射的に声を出して『ごめんなさい』をする意味を知ってる。
俺が頭の中でエルシーに怒られていたってことをね。
マルテさんの言葉の後だからきっと、話の前後を予想して呆れちゃってるんだと思うわけよ……。
いや、そういう意味じゃないんだってば。
俺たちを子供みたいに表現するじゃない?
だから『何歳からが大人なのかな?』ってそういう意味なんだってば。
『そういうところがお子様なのよ』
はい、ごめんなさい。
以後気をつけます。
「ウェルちゃん、いいですかぁ?」
「あ、はい」
やらかしたと、反省してるときに俺に話しかけてくれるマルテさん。
マルテさんのほうを皆が注目したから、もちろんナタリアさんもね。
いや、助かったわ。
「正直いうとですねぇ」
「はい」
「ここの王様はですねぇ、人族以外の種族にも寛容だと聞いていたものですからぁ、マルテも頑張ってみたんですよぉ」
「ここの王様って俺のことですか?」
「はいぃ、ウェルちゃんのことですねぇ」
「俺のことを、……あ、なるほど。バラレックさんから聞いたんですか?」
「はいぃ。そうですねぇ」
俺がまだ鬼人族の集落にいたとき、何度かバラレックさんは訪れてくれた。
母さんに俺の無事を報告してくれたのも彼だったし、おそらくマルテさんにもそう話してくれてるんだと思う。
「聞いてると思いますが、俺はほら。クレンラードを一度、追放されたんです。人族の住むところには、俺がいかに悪人かという話が伝わってしまっていて、落ち着ける場所はありませんでした。やっと受け入れてもらったのが、魔族領にあった鬼人族の集落だったというわけなんです」
俺はマルテさんにあのときの経緯を簡単に話した。
そこでなんで、人間だった俺をナタリアさんたちは簡単に受け入れてくれたか、悩んだ時期もあったということも、素直にね。
「ウェルちゃんはですねぇ、魔獣を倒せる数少ない存在だからというぅ、打算もあったのは事実だと思うのですねぇ」
「……はい。その考えがなかったといえば嘘になります。あなたが本当に魔獣を倒せると知って、安堵したのは事実なのですから」
ナタリアさんが心苦しそうに言うんだ。
でもさ、俺と一緒になろうとしてたあの夜、ある程度全部教えてもらったからもう、そんなことはいいんだよ。
ナタリアさんが一番苦しんだときに、俺がいることはできなかった。
でも、デリラちゃんとナタリアさんが本当に危ないときにいることができた。
それでいいんじゃないかな?
それが運というか、縁というか。
巡り合わせみたいなものだから。
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