第百四十三話 オルティアの日常 その2
オルティアの朝食が終わると、義母のフレアーネは食器の片付けを、義父のエリオットは馬車で出発する準備を始めます。
まだ日が昇る前、オルティアはいつものように、二人と一緒に王城へ向かいます。
今日は少し楽しみにしていました、なぜならウェルのマナを食べさせてもらう約束をしている日だからです。
日々の食事と休息だけではマナの回復が間に合わないオルティアは、定期的にウェルからマナをもらっています。
ウェルもナタリアも、周りの人よりマナの総量が多すぎる傾向があります。
そのため、ナタリアは意識的に使い切るようにしないと、体調を崩してしまいます。
そうすることによって、彼女は寝付きがよくなるんです。
このクレイテンベルグには、マナの燃費が悪い人がオルティアの他にもうひとりいます。
それは皆さんも知る、精霊のエルシーですね。
エルシーはお酒を毎日のようにたしなみますが、オルティアと違って食事はあまりとりません。
その代わりに、マナをウェルやナタリアからわけてもらっているからです。
人の姿をする前は、たまにウェルから分けてもらえば十分でしたが、人の姿を維持するようになってからは、マナの消費が激しくなりました。
そのためエルシーは、ナタリアから毎晩少しずつマナを分けてもらっているのです。
おかげでナタリアは、よく眠れるようになっていると喜んでいたのですね。
ウェルはナタリアと比べると、マナの総量は桁違いに多いと言われています。
それなのに、マナを減らさなくても寝付きがよいのは、鈍感だからではないか?
人の枠から外れているように思えるからではないか?
そういう意味も含めて、エルシーから大雑把に『おばけ』とからかわれているのです。
だからでしょうか、オルティアがいくらお腹いっぱいマナを食べさせてもらっても、平気な顔をしているのですね。
オルティアはごくたまにナタリアからも食べさせてもらっていますが、基本はウェルからになっています。
たまにナタリアが食べさせているのは、彼女はウェルに対して『ずるいです』と言うからでしょう。
ナタリアもデリラちゃん同様、オルティアが大好きだからでしょうね。
オルティアがナタリアのマナを食べたあとも、『美味しいでス』と言ってくれるのが嬉しいからかもしれませんね。
そんなウェルとナタリアの姿を見ているからか、デリラちゃんもいずれ、オルティアにマナを食べてもらう約束をしています。
それは、ウェルのマナを食べた結果『美味しいでス』と教えたからでしょう。
ナタリアのマナも同様に美味しいと言っていましたが、味が違うとのことです。
デリラちゃんは、自分のマナが『どんな味がするんだろう?』と楽しみでしかたありません。
彼女もまた、『オルティアおねえちゃん』と、慕っているからなんでしょう。
外はまだ薄暗く、領都の町もまだ皆さんは歩いていないようです。
オルティアはフレアーネと一緒に客車へ、エリオットは御者席に座り、馬を操って馬車を進めます。
少し進むと、領都と王都を結ぶ街道が見えてきます。
馬車二台が余裕ですれ違えるほどの幅があり、人が踏もうが馬車で踏もうが、壊れそうもない立派な道は、ウェルが主導で作ったと聞きました。
この国の王でもあるウェルは、王都、領都双方の皆さんに尊敬されています。
ウェルのことは誰に聞いても、魔獣に絶対負けない勇気ある者、真の勇者であると教えてもらえます。
ウェルが救った羊魔族の集落にいた、オルティア自身ももちろん知っています。
実際は、助けられたとき眠ってしまっていたから、後から聞いた話だったりするのです。
王城に入るとオルティアは客車から降りて、フレアーネと一緒にエリオットを見送ります。
「あなた、また夕方ね」
「父様、いってらっしゃいまセ」
「……うむ」
「照れちゃって、可愛いんだから」
「そうなのですカ?」
二人のやりとりが耳に入ったのか、エリオットは慌てて馬車を進め、離れていきます。
「それじゃ行きましょうかね」
「はイ、母様」
そのまま、どこへ寄るわけでもなく厨房へ向かいました。
元々フレアーネは、領都にあるクリスエイルのお城で厨房を預かっていました。
最近クリスエイルとマリサが、この王城で寝泊まりするようになったので、エリオットとフレアーネは王都へ通うようになりました。
現在領都の城には、フレアーネの部下である侍女たちがいて、掃除と管理をしてくれているので問題はありません。
この時間はまだ、ウェルを始め、ナタリアもデリラちゃんも、マリサもクリスエイルも夢の中にいるはずでしょう。
そのため今のうちに朝食の準備をしておくのが、二人の仕事の始まりですね。
フレアーネは、火起こし魔法回路が刻まれた魔法具を使って厨房に火を入れる。
オルティアは自分の身体と同じくらいの、寸胴の形をした鍋に水を張り、フレアーネの前へ。
明らかにオルティアの体重の倍以上はあるこの鍋を、軽々と持ち上げるオルティアの姿にフレアーネも最初は驚きましたが、デリラちゃんと同じように『強力の魔法』を教わったと聞いて納得したようです。
『母様……』
『おやおや?』
フレアーネはオルティアの漏らした小声の意味に気づいたのですが、わざと知らないふりをして料理を続けることにしました。
それは厨房をそっと覗いて、背を向けてため息をついていたナタリアの姿だったのです。
彼女は今朝も『厨房争奪戦』に負けてしまいました。
これから料理をしたいと主張しても、フレアーネに『若奥様は奥様同様、どっしりと構えているものですよ』と、窘められてしまう。
唯一、『徹夜などの無理をしないで、朝起きたあと二人よりも厨房へ早く来ていたら、料理の手伝いを認めましょう』という約束になっていたのでした。
その結果、今朝も負けてしまったというわけだったのです。
隠れているように見えそうで見えないナタリアの背中へ、オルティアは近寄っていきます。
「若奥様、おはようございまス」
「あ、あら? もう、そんな時間だったんですね。お、おはよう、オルティアちゃん。フレアーネさんもおはようございます。あたし、ウェルさんを起こさなければならないからそのねっ」
オルティアの頭をそっと撫でて、ナタリアは背中を見せずに逃げるように戻っていきました。
彼女からは『残念だけど、明日こそは頑張る』という気持ちが伝わってきます。
ナタリアはこの国の王妃で、ウェルの奥さんで、デリラちゃんのお母さん。
その上、マナを食べさせてもらっているからか、ウェルほどではないけれど気持ちを読み取ることができる。
感じる強さは、ウェルが強く、ナタリアとデリラちゃんが次いで同じくらいのようです。
オルティアのこの感覚は、エルシーの感覚や、デリラちゃんの『遠感知』にも少しだけ似ています。
デュラハンという種族の特性なのか、それとも首から出ている黒い靄のようなものが要因なのか、理由ははっきりとわかりません。
きっと、お世話になった人のために何かしてあげたいという、オルティアの気持ちの表れなんでしょう。
朝食のお世話を終えて、フレアーネは食器の片付けをしに厨房へ戻りました。
オルティアは食堂からお見送りをするところです。
クリスエイルとマリサ、彼らの治療のため二人の部屋へ一緒に向かうナタリアたち三人を見送ります。
オルティアはフレアーネから事情を聞いていました。
治療といってももうそこまで悪くはないと、数日に一度様子を見る程度だそうです。
次に工房へ向かうウェルを、可愛らしいお辞儀で見送ります。
最後に、強力の魔法を全開に使い、元気よく走って出て行くデリラちゃんを見送りました。
みんなの見送りが終わると、厨房にいるフレアーネへ報告に行きます。
そこにはちょうど洗い物を終えた彼女がいて、このあとは二手に分かれて王城内の掃除に出ることになっています。
「それじゃ、お昼の準備までにささっとやっちゃいましょうか」
「はイ、母様」
廊下の掃き掃除、ここに住むウェルたちの部屋の掃除から、寝具の交換などをしていきます。
これらは二人で手分けをして進めるので、それほど時間はかかりません。
オルティアには、腕が二本以上あるようなものだったりするので、寝具の交換は得意だったりするのです。
首の装具がある隙間から漏れ出す黒い靄が、シーツをなどを持ち上げたり回収したりと、手のような形で思うままに動いてくれるのです。
同時に、強力の魔法を使えば、ベッドごと『どっこいしょ』と軽々持ち上げてしまいます。
丁寧な仕事をしながらも、フレアーネの作業速度に勝るとも劣らない、そんな芸当をやってのけるオルティアだったのです。
昼食前に仕事が終わると、予定したとおりに厨房へ戻ってきます。
するとそこにはすでに、フレアーネがいました。
(さすがは母様。腕を増やしたところでかなうわけがないんです。もっとがんばらなきゃいけませんね)
口にするときは舌っ足らずなオルティアも、このようにしっかりしたお姉さんの考え方ができたりするわけなんです。
「母様、ただいま戻りましタ」
「オルティアちゃん、早速で悪いんだけど――」
厨房は、二人の戦場と化すのでした。
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