第百三十一話 はじめてのおでかけ その1
今までは、ぱぱのウェルと、ママのナタリアと、またはおばーちゃんのマリサと、王城の外へ一緒に出かけたことはあった。
でも、ひとりで出かけたことは、一度もなかった。
昨日までデリラちゃんは、王城の中で遊んでいた。
色々知らない場所ばかりだったから、ひとりで遊んでいても楽しかった。
それでも慣れてしまうと、物足りなくなってしまった。
ウェルが族長さんで、今は王様。
ナタリアが族長さんの奥さんで、今は王妃様。
デリラちゃんは、族長さんの娘なんだけど、今はお姫様。
前は『デリラちゃん』と呼ばれていたが、今は『姫様』と呼ばれているから。
デリラちゃんの六歳の誕生日に、ウェルのことが大好きな領都の皆さんたちに祝ってもらって、自分が本当にお姫様になったんだと、デリラちゃんは理解したのだろう。
デリラちゃんは眠れなかった。
ウェルたちに、『おでかけしてもいいよ』と許可をもらったから。
明日、ひとりでおでかけできるから。
起きて、朝ご飯を食べて、そのあとお出かけする予定だった。
楽しみで楽しみで仕方がなくて、興奮して眠れなかった。
どうしても眠れなかったから、ちょっとだけ無理をして眠ることにした。
その方法は簡単だったが、本当に無理矢理な方法だった。
デリラちゃんの記憶にも新しい、前に酷い目にあった水の魔法をちょちょちょいっと、使ってみたのである。
デリラちゃんが思った通り、効果は抜群。
あのときよりは、マナの量が増えているとはいえ、ほぼほぼマナを使い切って、眠くなったら抵抗せずにそのまま夢の中。
(あしたは、たのしみな、……の)
翌朝、オルティアに起こされるという、ちょっとだけ寝坊するくらい効き過ぎてしまったのである。
起こしてくれたオルティアにご挨拶。
「オルティアおねえちゃん、おはよう、なの?」
少々寝ぼけているデリラちゃん。
彼女を見て微笑んでいるのか、口角がやや上がるオルティア。
「おはようございまス。姫様。わたくしハ、お仕事ヘ、戻りますネ」
「うんっ、ありがとうなの」
デリラちゃんはその場でむくりと起きる。
昨夜枯渇したマナも戻っているように感じた。
いつものように、ウェルとナタリアの寝室をそっと覗く。
すると、ナタリアがまだ寝ているウェルの傍に正座している。
彼女の背中は、少し寂しそう。
(まま、またまけちゃったのね。だいじょぶ、あしたはがんばるのっ)
さすがのデリラちゃんにも、明日のことまではわからない。
台所争奪戦に敗れたと思われる、ナタリアの背中に『がんばって』を贈るとそっとドアを閉める。
デリラちゃんは少し出遅れたが、いつものように朝のおはようを続ける。
エルシーとイライザは、昨晩も遅かったようだ。
おそらくは、愛する孫娘の成長を肴に、深酒をしてしまったのだろう。
朝ご飯は、デリラちゃん、ナタリア、ウェル、マリサ、クリスエイルのよくある面子。
マリサの表情が呆れた感じで、クリスエイルは申し訳なさそうにしているのはきっと、エルシー、イライザにつきあって深酒をした可能性が高い。
いつものように朝食を終え、みんなに『いってらっしゃい』をすると、デリラちゃんは一度部屋へ戻っていく。
デリラちゃんは、ベッドの上にあらかじめ用意しておいた着替えを見る。
そこには、最近お気に入りの、オルティアの養母フレアーネが仕立てた青いドレスではなく鬼人族の民族衣装。
動きやすくて丈夫なこともあり、最近は、領都の子供や若い人たちの間でも人気の服装。
イライザが中心となり、鬼人族の女性が集まって量産していて、王都の名産品のようなものになっている。
腰に巻き付けるように、マリサから昨日もらった小さな鞄をつけた。
そこには、銀貨が一枚、銅貨が二十枚入れてある。
以前、クリスエイルから算術を教わっていたとき、貨幣の違いも教わっていた。
だからこれは、デリラちゃんも大好きな『あまいの』を手に入れるために必要なお金だと認識している。
なぜこの日にこの服装を選んだかというと、ウェルとナタリアが散歩をする際は、必ずこの服装をしていたのを覚えていたからだった。
着替え終わると、姿見に映してくるりと反転、また反転。
(うん、だいじょぶね)
今朝は勇者たちも忙しかった。
昨日、デリラちゃんが『初めてお出かけする予定』だと通達があったからだ。
魔獣の巡回もいつもより早く、八人で出て終えていた。
それは何故かというと、今日は二人だけ自由に動ける状態を作るためだった。
話しに聞いていた、グリフォン族の長の娘、フォリシアがひとりで里をでてしまい、魔獣に囲まれるという事故が起きた話は誰もが聞かされていた。
いくら場所が王都の中だとして、間違いがあってはならないからだ。
それよりなにより、デリラちゃんに気づかれてはいけない。
ただそれは、なるべく、という意味。
なにせデリラちゃんには『遠感知』があると知られている。
それがどのような能力を持つものかは知らされていない。
それでも、影から見守るために、今日二人が一緒につくことになっていたからだった。
デリラちゃんが外出するであろう朝食後の時間は、『ウェルがよくそうしていたように』、彼女がひとりでこっそりお忍び外出するであろうことも予想されていた。
だから、詰め所の外で『鍛錬をしているフリ』をしなければならなかった。
そうすることで、気持ちよくこっそり外へ出てもらおう。
それが彼ら、勇者たちと若人衆の気づかいだったというわけだ。
デリラちゃんが部屋を出ると、オルティアがいた。
「だいじょぶでしょ?」
「はイ。可愛らしいと思いまス」
「ありがと、オルティアおねえちゃん」
「どういたしましテ」
勇者たちの詰め所へ近づくと、誰もいないことがわかる。
そのすぐ傍に、つい先日ウェルと一緒に出かけた際に使った、鍛錬場へ繋がる扉があるのを知っていた。
オルティアが扉を開ける。
「いってらっしゃいまセ。姫様」
「うんっ、いってくるのっ」
一緒についてくることはなく、見送ってくれるとデリラちゃんはわかっていた。
だから、オルティアに向かって『いってきます』をしたのだった。
デリラちゃんは一歩外に出る。
柔らかいような、固いような、黒い土が敷き詰められたような、踏み固められた地面の上に自分の足で立った。
少し離れた勇者たちの鍛錬場。
剣や槍を振るう勇者たちの姿。
彼らを見ながら、見よう見まねで同じように木剣、木槍を振るう若人衆の姿。
そこに彼らの背中は見えるが、こちらに気づいていない。
いや、気づかないふりをしてくれているのは、デリラちゃんにもわかっている。
やはり、詰め所にいるはずの時間にいなかったのも、デリラちゃんを気づかってのことだとわかってしまう。
だから、心の中で『おはようなの』と挨拶をした。
こっそりデリラちゃんの背中を見守る視線。
同時に、上空から見守る二つの目。
地上からはジェミリオが気づかれないように注意しながら、デリラちゃんの後を追う準備を始める。
上空からは彼女のパートナーである、グリフォン族のメアーザが、万が一がないようにしっかりと見守っている。
もちろん、デリラちゃんは気づいていたりするのだった。
だからわざと、四方をぐるりと見回す。
「うん。だいじょぶね」
色々な意味の詰まった『だいじょぶ』だっただろう。
一歩一歩踏みしめる度に、足の裏に伝わる感触が王城の中のそれと違っていて、とても新鮮で楽しい。
五月だからか、頰にあたる風も温かく柔らかい。
王城の壁伝いに、表通りに出てくるデリラちゃん。
昨年、デリラちゃんの誕生日にその姿を、ときおりウェルたちと散歩する姿が目撃されているからだろう。
もちろん、王城裏手から出てくる、鬼人族の小さな女の子は、デリラちゃん以外いないことを知っている。
王都、領都のみなさんも、気づいたようだった。
『ひ、姫様だ。ついにこの日がきたぞ』
『駄目よ、気づいてるふりなんてしたら、でも可愛らしいわね、姫様』
『始まったわね、待ちに待った姫様のお忍びが……』
どんなにひそひそ話をしていても、デリラちゃんの耳には、そんな声が聞こえてくる。
もちろん、ウェルと一緒におでかけしたときも、同じように気づかいしてくれたことを覚えていた。
耐えて耐えて、気づかないふりをしながら、温かい眼差しで見守る皆さん。
ついに、その我慢も限界に来ていたか。
そのうちの一人、若い女性が手を振ってしまったのだ。
デリラちゃんは、誤魔化すことをせずに笑顔で手を振り返す。
あまりの嬉しさにその女性は、両手でぶんぶんと振って返してしまう。
ずるいと、隣の人も手を振り始めた。
手を振る人たちは、『姫様』と声に出さないところがまだ我慢してくれていたのだろう。
だが、デリラちゃんの背後に、笑顔の勇者ジェミリオの姿が見えた。
その笑顔に気づいた皆さん、額に脂汗をしながら、その場より散り散りに去って行く。
きっと皆さんは、ジェミリオの笑みと、彼女の目から『自重してください』という感じがとれたから怖かったのかもしれない。
もちろん、デリラちゃんは気づいてないふりをしていた。
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