第百三十話 デリラちゃんのいちにち その3
テトリーラの工房を出るあたりで、デリラちゃんはふらっと目まいを覚える。
なぜなら、食堂を出てからここまで、強力の魔法を解いていないからだった。
目一杯走っているときはもとより、誰かに抱きついているときは手加減をしつつ、それでも常に強力は使っている状態。
それも、ウェル工房謹製、純魔石の腕輪を通して使っているから、マナの消費を節約できているからこそ、倒れないでいられるようなもの。
現在の鬼人族で一番マナが多いとされているナタリアと比べたら、デリラちゃんが内包するマナの量はほんの少し。
常に強力を作用させていたとしたら、腕輪の補助を受けていたとしても、とっくに枯渇してもおかしくはない。
先日、バラレック商会にいるスキュラのマルテから教わった水の精霊にお願いする形での水の魔法を使ったとき、マナが足りなすぎて悔しい思いをした。
ナタリアに聞いても、クリスエイルに聞いても、誰に聞いても『マナを増やす方法』は一つ、『ただひたすら、使い切ること』だったから。
ふらっとするまでマナを使う、これが日課になっていたのである。
そのまま階段を上って二階へ行くと、オルティアの姿を探す。
今の時間はまだ厨房にいるはず、覗くとオルティアの姿があった。
「デリラちゃんね、おひるねするのっ」
オルティアが振り向くと、手を上げて応えてくれる。
デリラちゃんは、自分の部屋へ行くと、布団ではなく最近のお気に入りの、ふかふかのベッドに倒れるようにして身を任せると、そのまま夢の世界に旅立つのだった。
『姫様、お召し替えをお忘れでス。お気に入りの服が皺になってしまいますヨ』
そう小さく呟いて、デリラちゃんを起こさないように、寝間着に着替えさせるオルティア。
四歳年上だけど、体格の変わらないオルティアが、デリラちゃんを軽々と抱き上げて着替えさせることが可能な理由もまた、強力の魔法だったりする。
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「――姫様、姫様」
デリラちゃんを軽く揺すって、起こしてくれる声が聞こえる。
ぱちりと目を開け、身体を起こす。
身体の具合はおかしくない。
多少なりとも、マナが回復したということだと思われる。
「もうしばらくしたラ、お昼でございますヨ」
「うんっ。オルティアおねえちゃん、ありがとうなのっ」
「いいエ、どういたしましテ」
デリラちゃんは着替えを終えると、元気に部屋を出て行く。
マナの出力はやや抑えめ、いつものとおり強力を使いながら廊下を走る。
階段を降りて、途中人とすれ違うと手を上げて『こんにちは』をしつつ、ウェルの工房へ。
「ぱぱ、おひるなのっ」
「お。おぉ、もうそんな時間なんだ。ありがとう、デリラちゃん」
「うんっ」
そのままウェルの肩へ飛び乗り、肩車の状態になる。
ウェルは最近のデリラちゃんが、どれくらいの身体能力があるかを、エルシーから聞いている。
だから以前のように、落ちないように気をつかうことをしない。
デリラちゃんのやりたいようにさせてあげることにしていた。
思った通りデリラちゃんは、食堂手前でウェルの肩から飛び降りる。
肩から重さが消えたのと、『スタン』という軽快な着地をする足音が聞こえたから。
同時に、デリラちゃんがウェルの手を取って繋いだからだった。
お昼ご飯のあとは、オルティアと一緒に、おじーちゃんとお勉強。
今日は算術を教わってる。
算術に関して言えば、デリラちゃんもオルティアも同じくらいの習得率。
乾いた砂が水を吸い込むように、二人とも教えた分だけ吸収してくれる。
ナタリアの治療を受け始めてから、日に日に見た目が若々しくなっていたクリスエイルとマリサ。
彼のその、見た目と打って変わった年相応の好々爺とした表情はきっと、楽しくて仕方がないと彼自身も感じていたからなのだろう。
勉強時間も、そろそろを終えようかというときだった。
「も、申し訳ございませんっ。……お館様、姫様にその、よろしいですか?」
「あぁ、かまわないよ」
「どうしたの? ライラット、おじちゃん?」
「お、おじちゃん、またですか……」
やや落ち込みそうになるライラットの表情。
クリスエイルは苦笑しつつ、少し柔らかく彼の名を呼ぶ。
「ライラット君」
「は、はい。お館様」
「デリラちゃんに『お願い』というと、入国審査待ちの件かな?」
「は、はい。その通りです」
ライラットがこの場に姿を現した理由、デリラちゃんにはわかっていたらしい。
国境のある、領都の方角をじっとみつめる。
「……駄目、でございますカ?」
「え? どしてわかったの?」
デリラちゃんは、首をこてんと傾げて問う。
「なんとなくわかるようになりましタ」
クリスエイルは驚くというより、感心する表情。
それは、ウェルから『たまにこのようなことがある』と報告があったから。
彼は『なるほどね。そういうことなんだ?』と納得しているようだ。
「そなの。あのおじちゃんね、ぱぱにおさけのびん、なげたのよ。あたまにあたってね、びんがわれてね、なかにはいってたおさけがね、あかくてながれてきてね、ぱぱのめにはいってとてもいたそうだったのよ?」
デリラちゃんはちょっと不機嫌そうな表情になる。
ライラットはデリラちゃんに、審査を待つ者は『大人の男性』だと伝えていない。
「はい?」
「ほほぉ」
痛そうだったの理由が、瓶が頭に当たって割れたものではなく、目に入ったお酒だったという、デリラちゃんがまるでその場にいたかのような説明に驚くクリスエイル。
「そうでございましたカ。それは許せませんネ」
デリラちゃんはおそらく『およそ一年前』、ウェルがクレンラード王国から追放される際に起きたことを言っている。
「そうだね。なるほどなるほど。ライラット君」
「はい」
「デリラちゃん的には『否』という判断だよ。僕の可愛い孫娘がそういうならそうなんだろうね。もちろん、入国を拒否してもらって構わないよ」
「はい、かしこまりました。姫様、ありがとうございます」
「だいじょぶよ」
こうした審査は、数日に一度お願いされる。
これは基本的に、デリラちゃんの仕事だ。
デリラちゃんが『否』を言い渡した際の、理由が詳しく伝えられる。
理由を聞いた本人は青ざめて、戻っていくことが多いと聞く。
そのようなことがクレンラード王国にも伝わっているのか、入国審査がかなり厳しいと噂がたっているようだ。
このあと、デリラちゃんは再度お昼寝に入る。
その際は、オルティアが一緒にいることが多い。
夕食の支度前に、デリラちゃんを起こすためもあるが、昼前の仕事を全て終わらせていることもあり、オルティアの一休みの時間でもあるからだ。
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「――姫様、夕方ですヨ」
「……ん」
基本的にデリラちゃんは寝起きが良い。
「オルティアおねえちゃん、ありがとうなの」
オルティアにありがとうをしながら、着替えを手伝ってもらっていた。
「どういたしましテ。わたくしは、厨房へいってますネ」
「あいっ」
デリラちゃんは、部屋を出て行く。
迷うことなく向かった先は、デリラちゃん六歳の誕生日、初めてみんなに『ありがとう』をした場所、この王城のテラスだった。
両開きの扉を開けると、外はまだまだ明るく、人々も行き交うのがよく見える。
デリラちゃんは何度か、この城下を歩いたことがある。
そのときは、ウェルと二人だったり、ナタリアを含めた三人だったり。
ただ、デリラちゃん一人では歩いたことはない。
この王都でも、元の集落でも、前は人見知りが激しかったから、ウェルと散歩したとしても、顔を前に向けることは少なかったから。
でも今は違う。
王城にいる人たちのように、デリラちゃんに手を振って、笑顔をくれる人が沢山いるということを知っているから。
大きな通りが、遠くへ続いているのが見える。
その角に、見覚えのある建物がある。
そこに入るとアレイラがいて、その奥にはスキュラ族のマルテがいる。
(マルテちゃんにあいたいの)
細かいことはよくわかってはいないが、間接的にだが、ウェルを助けたことがあるからか、マルテはデリラちゃんにとって、『とてもいいひと』。
その上、デリラちゃんがしくじった、水の魔法を使うから。
もっと教わりたい、そう思っているのだろう。
だが、マルテに会うには、誰かと一緒に行かなければならない。
誰かと一緒に行った場合、その誰かが帰ると言えば、帰らなければならない。
それがちょっと悔しくもあり、悲しくもあり。
上から道を歩く人たちをこっそり見ていた。
すると、デリラちゃんに気づく人も出てくる。
王都にいる人も、領都にいる人も、基本的に優しい。
デリラちゃんがこっそり見ていることも、気づいていても空気を読んでくれる。
それは、ウェルがナタリアと一緒に、こっそり散歩をしにいくときもそうだった。
こうして、デリラちゃんが見ていても、声を上げることなく、手を振って笑顔を送ってくれる。
だからデリラちゃんも、手を振って応える。
すると、その手を振っている人を見て、その先に誰がいるのか気づく人も出てくる。
足を止めて、同じように手を振るだけ。
いつのまにか、最初に手を振ってくれた人の周囲には、同じようにデリラちゃんに手を振る人ばかりになっていた。
時間を忘れるほど、デリラちゃんは手を振っていた。
デリラちゃんに手を振る人は、数十人を超えていた。
それでも騒ぎにならない城下は、優しい人ばかりだとわかるだろう。
そろそろオルティアが呼びに来ることもわかっている。
だからデリラちゃんは、二歩ほど前に出て、両手を振って『またね』をする。
踵を返す。
振り向いてまた両手を振る。
踵を返す。
本当は、もっと手を振りたい。
みんなと笑顔を交わしたい。
デリラちゃんの気持ちは、段々大きくなっていく。
晩ご飯を食べ終わったあと、デリラちゃんは言う。
「ぱーぱ」
「ん?」
「あのね。デリラちゃんね」
「うん」
「おそとにでたいの」
「そっかそっか。それなら明日、散歩しよっか?」
「ううん、ちがうの」
「ん?」
「デリラちゃんね、ひとりでおそとでたいの」
ウェルとナタリアはお互いを見合って、目を見開いて驚く。
クリスエイルもマリサも、言葉を失うほど驚いた。
エルシーとイライザは、『あらまぁ』という感じに笑ってる。
ウェルにナタリアは頷く。
マリサもクリスエイルも、エルシーもイライザも、同じように頷いてくれる。
「いいよ」
ウェルはそう答える。
「いいの?」
「そうだよ。デリラちゃんが行きたいって言うならね。ぱぱは嬉しいかな?」
デリラちゃんはナタリアを見る。
とても優しく微笑んでる。
マリサとクリスエイルを見る。
同じように、うんうんと頷いてる。
イライザを見ると、やはりひとつ頷いてくれる。
エルシーを見る。
声に出さないが、口の動きで『だいじょうぶよ』と言ってる。
「デリラちゃんね、あした、いってみるの」
こうして、デリラちゃんは初めてのお出かけをする覚悟を決めた。
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