第百二十六話 俺がやり残したこと。
『――前から約束してたもんな。気をつけて行ってこいよ? ほら、持って行け。母さんには内緒だぞ? その代わり、帰ったら仕込みを手伝うんだぞ?』
『うん、わかってる。ありがとう、父さん』
身体が大きいくせに、宿場町で一番料理が上手かった父。
『ウェル、ほら、お父さんには内緒よ。落としたりしないようにちゃんとしまいなさい。使いすぎないようにね? 気をつけて帰ってくるんだよ?』
『わかってる。ありがとう、母さん』
元々がこの宿の看板娘で、幼なじみだった父さんをお婿にもらった母さん。
俺は、そんな父さんと母さんが営む宿の跡取りだった。
料理も苦手じゃなかったから、父さんの手伝いをしてたんだ。
年が明けて、一番最初の日。
宿場町はどこも休み。
王都へ行く馬車も朝一便。
王都から来る馬車も、夕方一便だけ。
そんな朝一番の便に乗って、俺は聖槍の勇者、マリサ様に会いに行く。
俺がマリサ様に憧れてるのを、この宿場町のみんなは知ってるんだ。
『マリサ様に会ってくるんでしょう? ウェルちゃん。気をつけてね』
『うん、ジュリアお姉さん』
いつもこう、ぎゅっと抱きしめてくれる。
すっごくいい匂いがするんだ。
ジュリアお姉さんは、隣の宿の、看板娘。
俺より三つ年上で、幼なじみで優しくて綺麗なお姉さん。
「ばっかじゃないの? 『会いに行く』じゃなく、『見に行く』なのに」
そう毒づく女の子。
ジュリアお姉さんの妹で、幼なじみのメリア。
何かと俺につっかかってくるけど、ずっと仲良くしてくれてる、俺と同い年の女の子。
「そんなこと言うと、お土産買ってこないよ?」
「あ、うそうそ。ごめんね。行ってらっしゃいウェル」
「はいはい。行ってくるよ」
ジュリアお姉さんは小さいころからずっと、弟のように可愛がってくれてる。
俺が一人前になったら、弟を卒業するんだ。
一緒に宿をやってほしいって、言うつもりなんだ。
隣の宿は、メリアに継いでもらえば、万事問題なし。
前からずっと、二人には話してる。
いつもメリアから馬鹿にされるけど、ジュリアお姉さんは、そのときになったら考えてくれるって言ってくれてる。
だから俺は、父さんから料理を、母さんからは宿の切り盛りを教わってるんだ。
でも俺は、本当は勇者になりたい。
マリサ様の横に並んで、魔物を退治したい。
宿場町のみんなを俺が守りたい。
そう思ってる俺も、いるんだよな。
朝早く出る、王都行きの馬車に乗って揺られること半日。
お昼から予定されてた、マリサ様の新年の挨拶には間に合った。
もちろん、『勇者選別の儀』も見ることができた。
今年も、新しい勇者は現れなかったんだってさ。
勇者マリサ様、綺麗だったな。
すっごく、かっこよかったな。
『休眠の台座』に眠ってる、聖剣エルスリングは綺麗だった。
俺も十五になったら、あれを抜くんだ。
そして、勇者になって、宿場町を、この国を守るんだ。
夕方になって、帰りの馬車を待ってた。
これに乗り遅れると、明日の仕込みに間に合わなくなるんだけど。
俺がそんな失敗するわけないんだよ。
こう見えても、父さんも母さんも『ウェルはまめな性格だから』って、褒めてくれるんだから。
待てども待てども、帰りの馬車が出ない。
どんどん日は暮れてきて、もうすぐ夜になっちゃうよ。
帰ったら、父さんに怒られるんだろうな……。
困った、そう思ったから、宿場町行きの馬車がなぜ来ないのか、近くにいた騎士さんに訊ねたんだ。
するとさ、『調べてくるから、ちょっと待っていてくれるかい?』と言ってくれた。
凄く優しい、お兄さんみたいな騎士さんだったっけ。
ややあって、騎士さんが戻ってきた。
『この子のようです』
騎士さんはそう言ったんだ。
すると、隣にいた女性を見て驚いた。
聖槍の勇者、マリサ様だったんだ。
『ごめんなさい。私が、油断したからいけないの。本当に、ごめんなさい』
俺をぎゅっと抱きしめて、泣いてるんだ。
さっぱりわけがわからなかった。
なんで、マリサ様が俺に謝ってるんだ――
▼
「――ぅあ」
たまに見る夢。
だいたいここで目を覚ますんだ。
汗びっしょり。
忘れちゃいけないことだけど、ひきずっても誰も喜んじゃくれないのはわかってる。
「あなた……」
「あ、ナタリアさん」
俺の顔を上から覗き込んでるナタリアさん。
寝間着姿じゃないから、またオルティアとフレアーネさんに、台所争奪戦に敗れて帰ってきたんだね。
毎朝早起きでご苦労様だよ。
見回すと、デリラちゃんもいない。
オルティアと一緒かな?
もしかしたらね。
「あなた、……悪い夢でも、見たんですか?」
「あぁ、悪いってわけじゃないんだ。前に話したでしょう? 俺が母さんに、始めて会いにいった日のこと」
「はい。あなたのお父様とお母様が……」
「うん。今でもたまに見るんだよ。あのときのことをね」
その日の昼食後、工房へ戻ろうとしてた俺に、この場に残るよう、父さんが声をかけてくれたんだ。
「ウェル君、やっと許可が出たよ。今まで渋ってた理由がわかったんだよ。もし、そうなってしまって、クレンラード王国が見捨てられたらと思うと、許可を出せなかったって」
「何のこと? 父さん」
「あの、宿場町の全てを僕たちに譲るって話しだよ」
「あ、許可、出たんですか?」
「まぁ、文句は言わせるつもりはなかったけど、渋ってたんだよね。やっとだよ、時間かかって済まなかったね」
「父さん、ありがとう。やっと、こっちに連れてこられるよ」
「大変な作業になるだろうけど、やってやれないことはないはずだよ。現に、鬼人族の集落も、そうしてきたんだろう?」
「大丈夫。俺に考えがあるんだ」
「ほほう。それはどんな?」
「これをね、こう――」
▼
俺が育った宿場町は、王都の中にあるわけじゃない。
だからといってそれほど遠いわけでもなく、馬車で半日もあれば、行って帰ってこられるくらいの場所だった。
宿場町のあったところはあれ以来、人が住める場所じゃなくなった。
そのせいもあって、誰も近寄ることがなくなったんだ。
あの地域は、肉食の魔獣が現れない場所で、せいぜい草食の猪に似た魔獣くらい。
俺が考えていた幼稚な方法が実って、寄りつかなくなっているみたいだ。
俺が勇者になって、何年も経ったくらいのとき。
体力に自信があった俺は、軽い鍛錬のつもりで走って通えるようになったんだ。
もちろん、誰も連れて行かないで、たった一人でね。
そうしてたまに訪れては、魔獣をぶっ叩く。
わざと死骸はそのままにしておく。
猪型の魔獣が死んでいたからといって、肉食の魔獣が寄ってくるわけじゃない。
ただそこには『危険な魔獣がいる』と植え付けることに成功したようなもの。
母さんが作ってくれた、小さな慰霊碑を掘り返させないくらいには、十分怖がらせることができたと思うんだ。
「ルオーラさん、あの辺」
『存じております、ウェル様。何度訪れたとお思いですか?』
「そうだっけ。助かるよ、毎回ね」
俺は指差して、降りる場所を教える。
ルオーラさんの後につくのは、グアーラさんたちグリフォン族の若手の人が多数。
それとライラットさん、ジョーランさんの二人。
父さんと母さん、アレイラさん、ジェミリオさん、何かあったときのために、エルシーにもあっちに残ってもらってる。
グレインさんたちは、鬼人族の墓地で先に作業をしてくれてるはずだ。
エルシーがいないから、俺の腰には、あのときの魔石だけで打たれた大太刀が差してあるんだ。
徐々にルオーラさんが高度を下げていく。
ここへ来るのはどれくらぶりだったかな?
クレイテンベルグ王国を作るときから、たまにこっそり訪れてたくらい。
あっちの国には勇者がいない、だから俺くらいなんだよ、ここに来られるのはね。
でもここは、安全とは言えない場所だから、ナタリアさんやデリラちゃんを連れてくるわけにいかない。
だから俺だけこっそり来て、花を手向けていたんだよ。
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